その3
占者トヨ・アキーツ。彼女は小さな貧しい村の娘だった。
イーの祖と謳われながら、彼女に解呪の力はない。彼女にあったのは占者の名が示す通り、未来を占う能力。先見の力だ。
彼女は自身のその能力を以て、兄でさえドン引きするようなエゲツない大罪を犯し、他の追随を許さぬ強大な印術と解呪の力を子孫に授けた。
アキーツの一族が持つ印術の威力は凄まじく、支配の印は小動物どころか、魔獣、そして人でさえ自由に支配下におけたという。
一族は瞬く間にのし上がり、いっときは国どころか故国のある大陸の半分近くを手中に収めた。
しかし増長しすぎた一族はトヨ・アキーツの罪の元。印術と解呪の力を授けた者の怒りに触れ、印術の力を封じられる。挙句に大陸中から総ブーイングをくらい逃亡である。情けないにもほどがある。
今はイーと呼ばれるようになった一族の悲願は、力を取り戻し、故国に返り咲くことにあるらしいが、冗談ではない。
かつて好き放題やって大顰蹙を買った地へ戻ろうなんて、厚顔甚だしい。四面楚歌になることが目に見えている国になど戻りたいとも思わない。
なにより人を印術で支配するだなんて考えただけでぞっとする。もしも、力を取り戻したら、どんな状況に陥っても絶対に使わないとは言い切れないと分かっているから余計にだ。
そう思っているのは恐ろしいことに一族の中ではごく少数だった。
現当主である兄の考えははっきり分からない。
兄には類稀な解呪の能力と、トヨ・アキーツから受け継いだ先見の力が備わっている。だから兄は二重の意味で先祖返りと言われるのだが……
この先見の力が今ひとつポンコツなのだ。
空恐ろしいと感じることもあるが、あまりの不明瞭さに首を傾げたくなることも少なくない。
なぜなら、兄の先見は兄本人にもそうと分からないことが多々ある……らしい。らしいと言うのは兄の言葉をどこまで鵜呑みにしていいか疑問だからだ。
まあ、万能ではないのは間違いない。
昔、兄の先見がどこまで正確なのか試したくて、落とし穴を掘ったことがあった。
兄は見事に落とし穴を避けた。ただし一つだけ。
泥水を張ったもの、牛糞を敷き詰めたもの、虫を大量に投入したもの。と三つの落とし穴を用意したのだが、兄が避けられたのは虫入りのものだけだったのだ。
まず泥水入りに落ち、青筋を浮かべながら私を探している途中に牛糞入りに落ちた。後始末中に分かったことだが、私が用意した虫の中に毒虫が混じっていたらしく、そこに落ちていたら大事になっていたと、丸二日食事を抜かれた。
そんな風に、一番やばいものだけ見抜く力を発揮することもあれば、何日も、時には何年も経ってから、先見の一端だったのだと分かる超難解な占を口にすることもある。
狒々神の件がそうだ。
『知ってるかい? イーリス。夜行性の生き物はね、視力の代わりに聴力が優れているんだよ。だから彼らに出会ったら耳を潰してやればいい』
十数年経ってやっと分かった。遅すぎる。
分かりづらく万能とは言えない先見だが、役立つことは役立つ。
私の元に印術をかけられたダークエルフがやってきて、旅嚢の中にはなぜか金平石が十包入っていた。これをいつまでも偶然と捉えられるほど兄の傍で過ごした時間は短くない。
兄が十包用意したなら、十回で解ける。
ただしラグナルが逆行することまでは見えなかった。いや、ノアがいて金平石が手に入ることまで見抜いていたのか……。考えだすときりがないけれど。
「イーリス、いかがですか?」
兄の持つ、不可解で厄介な力に想いを馳せる私の意識を、ゼイヴィアの声が引き戻す。
「いかがですかって言われても……」
私の自由の為に金の契約印を刻むとまで言われて、「まあ、嬉しい」と手放しで喜ぶには、些か話がうますぎる。言い方は悪いが、あえて言おう。私にとって都合が良すぎて気味が悪い。
「私は人を見る目には長けているつもりです。出会ってから日は浅いですが、貴女の人となりは理解しています。イーリス、貴女は森で狒々神に出会った時、ウォーレスに逃げろと言われたのにそうはしませんでした。命の危険があると知りつつラグナルを逃し、ノアを逃がそうとし、自分は戻った。私たちは貴女のそんな気立てに感銘を受けました。というのは半分建前です」
また建前!?
「私はロフォカレの副ギルド長ですから、常にロフォカレの運営について頭を働かせておりまして……。どうですか、イーリス。貴女のその力、ロフォカレで役立ててみませんか?」
私の力を利用しようとしていると思ったのは間違いではなかったのだろうか……
ゼイヴィアを見る目が冷たくなってしまう。
「ゼイヴィア、説明が足りてない」
ノアが口を挟む。
「イーリス、勘違いしないで。僕たちは別にあんたの力を、くそややこしい契約の解呪に利用して儲けようってんじゃないから」
「そうそう。以前に遺跡に潜りたいがノアが危なっかしくて、キーランやオーガスタスがいい顔をしないって言ったろ?」
ウォーレスがいつもの軽い口調で話に混ざった。
「そこでだ、イーリスさん。あんたに俺たちのチームに入ってほしいと思ってな。劣化した呪いなら解けるんだろう? 俺が言うのもなんだが実入りはいいぞ」
お得意のウィンクをよこすウォーレスの隣で、今度はルツが口を開く。
「でもイーリスが力を使いたくないというのなら、無理強いはいたしません。イーリスの答えが否でもランサム様同様、貴女の自由と存在を秘匿する金の契約を結ぶつもりです」
ルツは言葉を切るとノアを見る。
「ノアも私も、貴女のことは誰にも言うつもりはありませんでした。しかしマーレイ様に知られた以上、私たちが口を噤んでどうなる問題でもありません。だから勝手をして申し訳ありませんが、ゼイヴィアに相談しました」
「そこから皆で話し合い、オーガスタスに話を通して、これが最善じゃないかという結論に至った。表向きは専属の調剤師としてチームに加わってもらうことになる」
言葉を継いだのはキーランだ。夜通し馬を走らせホルトンに戻ったのはそのためだったのか。
「繰り返すけど、無理強いする気はないよ。そこまで困ってないしね。僕たちのチームに入るのが嫌だとか、遺跡に潜るのが嫌だってんなら、今まで通りホルトンで調剤師を続ければいいんじゃない。顧客はついてるみたいだし。ま、お世辞にも腕がいいとは言えないけど、食いっぱぐれるほど酷くもないでしょ」
腕云々については何も言い返せない。
「ああ、表向きとはいえ調剤師として所属していただきますから、ロフォカレが懇意にしている調剤師に指導をしていただくこともできます。やめたくなればいつでも辞めて、元どおりの生活に戻ることも可能ですよ」
キーランの耳を治した点耳薬。あれを作れる人に師事できる。それは嬉しい。
――でも。
さっきとは違う意味で頭が回らない。
思わぬ展開に思考がついていかないのだ。
ルツとノアにバレたときから、ホルトンに残るなんて選択肢は考えていなかった。
「返事を焦る必要はない。ゆっくり考えるといい」
私の混乱を見て取ったのか、諭すようなキーランの言葉で話は終わった。




