その16
知ってた。
知ってたけど、今言う!?
ここは居住棟の入り口近く。朝食を終えて少し経つこの時間。そこそこの人通りがある。ラグナルを恐れてか、こちらの雰囲気を察してか、誰も近寄ってはこないけど、視線はばっちり感じる。
それでなくても、食堂での会話を私に聞かれたと知って照れて逃げ出したラグナルのことだから、はっきりと気持ちを告げてきたりはしないだろうと……高を括っていた。
頰をくすぐる、硬い感触のする指を、やんわりと掴んで離す。
「あの、気持ちはすごく嬉しいんだけど、私はラグナルのことは、その、弟みたいに思っていて」
嘘ではない。
最初は本当にそう思っていた。ラグナルみたいな弟がいればいいのにと。でも、今は正直わからない。
ただ一つ、確かなのは、空っぽだったラグナルの中に私が入り込んでしまったように、一人だった私の中でラグナルは大切な存在になっていったということ。
「だから、ラグナルの気持ちには応えられない。ごめん」
つっかえながら、なんとかそう言うと、触れ合ったままだった指が、一度きゅっと握り込まれて放された。
「そう言われるんじゃないかと思ってた」
ラグナルは微笑んだ。少しの落胆と寂しさの混じったその顔を見ていられなくて、目を伏せる。
「本当にごめん。でも、ほら、ラグナルはすごく格好いいし、昨日だってもてもてだったでしょ? だから、私じゃなくて……」
そう、私じゃなくていい。私じゃないほうがいい。
ラグナルはダークエルフだ。文化も価値観も寿命も違う。人間嫌いのダークエルフが人間と添えるはずがない。
すぐに彼も思い出すはずだ。あとふた晩経てば、ラグナルは記憶を取り戻すのだから。
「イービル山脈に帰れば、もっとラグナルにお似合いの、綺麗なダークエルフの女の子が絶対にい――」
「黙れよ」
低い声が言葉を遮る。
馬鹿なことを言った。すぐさまそう理解した。
顔を上げると、強い光を宿した瞳が私を睨みつけていた。
「本気で言ってるのか?」
黒い双眸は怒りを孕んでいる。
「俺の気持ちを知って、そういうこと言うのかよ!」
「……ごめん。今のは最低だった」
昨日から謝ってばかりだ。その中で、一番最低なことをたった今やってしまった。
「もういい」
ラグナルは小さく吐き捨てるようにそう言うと顔をそらす。
その先で視線が何かを捉えたらしい。眉を寄せ、口を開く。
「ルツ」
私は勢いよく背後を振り返った。
居住棟の扉の陰で、ルツが所在なさげに佇んでいた。
「何か用か?」
中に戻ろうか、こちらに来ようか、迷っているようだったが、ラグナルの言葉に背を押されたらしい。近くまでやってくる。
「あの、すみません。お取り込み中に。イーリスに話がありまして」
一体いつから話を聞いていたのか。ラグナルを見る目がどこか申し訳なさそうだ。
「別に。もう話は済んだ。イーリスを頼む。俺は……しばらく顔を見たくない」
昨日とは違う。決定的な亀裂が入る音が聞こえた気がした。
ラグナルは「部屋に戻る」と誰にいうでもなく呟くと、そのまま一度も目を合わせることなく、去ってしまう。
残されたのはどっぷりと後悔に浸る私と、気まずげなルツ。
「良かったのですか?」
問われて、私は首を横に振った。
もちろん、良くはない。けど今更どうしようもない。いずれ分かたれる道だったのだと自分に言い聞かせるしかなかった。
――にしても、我ながら最低だった。
勇気を出して好きだと告白した相手に振られるのは、まあ仕方ないと納得できる。でもその相手からすぐさま違う人を勧められたら、誰だってキレる。
ラグナルはしばらく顔を見たくないと言った。
しばらくとはいつまでだろう。
残る金平石はあと二つ。領主が戻る前に。そしてラグナルの記憶が戻る前に、私は去らねばならない。
――もしかしたら、もう。
「イーリス。このような時に申し訳ないのですが、急ぎの用件があるのですが……」
物思いにふける私をルツの声が引き戻す。
「あ、ごめんなさい。私に話があるんでしたよね」
「ええ」
ルツは首肯して微笑む。
その笑みがいつもより硬く緊張しているように感じられた。
場所を変えましょう。そう言われてルツに連れられてきたのはゼイヴィアに割り当てられた部屋の前だった。
「ここ、ですか?」
嫌な予感がする。
兄と違って、私の予感はあてにならない。それは嫌というほど分かっている。それでも今回ばかりは間違っていないだろう。
ルツがノックをすると中から扉が開いた。
「来たか」
そう言って私たちを部屋に招き入れたのはキーランだった。
薄暗い廊下から、大きな明り採りの窓がある部屋に入ると、眩しくて目が眩む。
眇めた目をゆっくりと開ける。
部屋には五人の人物がいた。ゼイヴィア、キーラン、ウォーレス、ノア。そして見知らぬ男性が一人。
手前のソファに腰掛けていたゼイヴィアが立ち上がる。
「お待ちしていました、イーリス。こちらはグランヴィル・ランサム様。この地を治める領主です」




