その13
ルツの話によると、二人の部屋を訪ねたラグナルは、何も説明せずに、ただルツと部屋を代わりたいとだけ言ったらしい。
ノアがいくら訳を聞いてもだんまり。ダメなら俺はそこら辺で寝る。でもルツには私の部屋で過ごしてほしいと頼んだとか。
「何があったか、お伺いしても?」
ルツがおっとりと微笑みながら向かいのベッドに腰掛けた。
「もちろん、無理にとは言いません」と言いながら、その瞳の奥には隠しようのない好奇心が見て取れた。
――やっぱり姉弟だ。似てないようで似てる……
出来れば私も黙秘したい。しかし、迷惑をかけていながら何も説明しないというのも憚られる。さっきのラグナルの様子を考えると、明日もどうなるかわからないのだから。
「夜に解呪を進めていることは、もう知ってますよね?」
私はルツと向かい合わせになるように自分のベッドに座りなおすと、そう切り出した。
ルツは「はい、まあ」と困ったように首を傾げて頷く。これまでイーの一族であると肯定するようなことを、自分から話したことはなかったから戸惑っているのだろう。
「今晩の解呪の時に少し力を使いすぎてしまいまして」
「イーリス……」
ルツが咎めるように声をあげた。
「イーの一族の力について、私たちは何もわかりません。貴女が倒れても、対処ができないのですよ」
静かに諭すように言われ、返す言葉がない。
「先日は本当にすみませんでした。今回は決して無茶をしようとしたわけじゃないんです。ただ、ちょっと解呪が思ったより捗って、調子にのったというか」
「イーリス」
ルツがぴしゃりと名を呼ぶ。その声音はさっきとは全く違っていた。
――これ、あれだ。ノアを呼ぶときの声だ。
「調子に乗って、何かがあったらどうするんですか。ラグナルはもとより、私もノアもウォーレスやキーランやゼイヴィアだって……。あの時も、真っ白な顔で動かなくなった貴女を見て、どれほど心配したと思っているんです」
ルツの口調はいつも淡々としている。でも、その奥にある彼女の優しさが、嬉しかった。
「気をつけます」
ラグナルと離れるのだけが嫌なんじゃない。温かいルツや破天荒なノア、忍耐の塊のようなキーラン、皆のサポート役のウォーレス。ゼイヴィアは……良くわからない。悪い人ではなさそうだけど。
それから実の兄より兄らしいバート。飲んでは愚痴を言い合う調剤師のみんな。
つくづく自分の中途半端な力が恨めしい。
兄のように一族の皆から認められる力があれば、といつも羨んでいた。けれど、里を出てからはいっそ力なんてなければよかったのにと思うようになった。
マーレイのように力を利用しようとうする人間に捕らえられたら、私には抗いきる自信がない。
――ああ、でも、力がなかったらラグナルの解呪はできなかった。
そう思うと、初めてこの半端な力が役に立ったという気がした。
ルツにことの顛末を話し終えると、彼女はなんとも形容しがたい表情になった。
「それは、なんと言いますか……気の毒な事故でしたね」
そう言ってから、自分の感想が合っているのか確かめるように首を傾げる。
一方、私は彼女に説明しながら、またひとつ、彼の黒歴史を増やしてしまったのだと実感していた。それもワースト3に入るに違いない。
二つ名を改変し、黒魔法を制限するなどの約束を交わし、同じベッドで眠ることを強要し、初恋の相手になり、小っ恥ずかしい勘違いをさせ……。あと何かあったっけ!?
やらかした数々を指折り数えると、背中を冷たい汗が伝う。
空っぽで真っさらな状態だったからこそ、ラグナルは私を受け入れてしまった。
でも空っぽだと思っていた器の底から本来のラグナルが浮き上がれば、きっと今の気持ちは押し出されて、吹き飛んでしまう。
そのまま遥か空の彼方に消えてくれればいいけれど、きっとダークエルフの本性を取り戻したラグナルには、私と過ごした日々や出来事は耐えがたい汚点となるだろう。
――やっぱり詰んでる。
「ダークエルフって根に持つタイプだと思いますか?」
前のめりになって尋ねると、ルツは若干身を引いて答える。
「どうでしょう。根に持つというより、執念深そうな気はしますが」
……それってどう違うの?
その日、私は眠れぬ夜を過ごした……りはしなかった。解呪でほどよく疲れていた体は正直に休息を求め、あっという間に眠りに落ちた。そして、恐ろしい夢を見た。
「イーリス、イーリス。大丈夫ですか?」
細い指が体を揺り動かす。気遣わしげな声はルツのものだ。
「……ルツ。おはようございます」
瞼を押し上げると、朝の光とともに、心配そうなルツの顔が目に入る。
「おはようございます。随分、うなされていたようですが」
「ちょっと夢見が悪くて」
額に浮いた汗を手で拭う。
抜き身の黒剣を持ったダークエルフに、ひたすら追いかけられるという、笑えない夢だった。
逃げても隠れても必ず見つかる。そして薄ら笑いを浮かべたダークエルフは私の腕を掴んで、こう言うのだ。
「次はお前が下だ」
下ってなに!? と叫んだところで、また追いかけられる無限ループ。いろんな意味で本当に笑えない。おかげで朝からぐったりだ。
悪夢のおかげで強張っていた体をほぐしながら、身支度を済ませ、ルツと二人で食堂に向かう。
食堂の扉に手をかけると、中からノアの声が聞こえてくる。
「あのさー、別に僕はいいよ。ラグナルと同室でも。でもさ、世話になる相手に事情くらい話してもよくない? 今夜もルツと交代したいんでしょ?」
とても入りづらい。
でも、そうか。やっぱり今夜も別になるんだ。そして、きっと明日も。
「お前には関係ない」
「は!? 夜中に人の部屋に押しかけといてよく言うよ」
「別にお前に頼んだわけじゃないからな。俺はルツにイーリスの部屋で寝てほしいと頼んだだけだ」
「ねえ、日に日に性格悪くなってない? 別にいいけどねー。なんとなく想像つくし。どーせ、イーリスに迫ろうとして撥ね付けられたんでしょ。で気まずくなって逃げてきた。どう? 当たりじゃない?」
「……お前」
「ふうん、やっぱりそうなんだ。嫌がることはしないんじゃなかったのかよ! このムッツリ野郎!」
「誰がムッツリ野郎だ! いい加減その口を閉じろ、チビ!」
「はあ? チビ? ちょっとばかり僕より背が高くなったからって、いい気になるなよ、見た目だけの好色フラレ野郎が」
「まだフラれてない!」
「そう思ってるのは自分だけだっての。気づけよ、バーカ」
私はそっと扉から手を離すと、回れ右をする。
「どこに行く気だ、イーリス」
呆れ顔のキーランが、退路を断つように狭い廊下に立っていた。




