その10
お邪魔だなんて滅相もない。いや本当に。こっちの話はもう終わるところでしたし! ええと、下働きの娘さんの件でしたね。私こそお邪魔になりそうなんで、これで失礼します。
ラグナルに口を挟ませないように、私は早口でそうまくし立てると、その場から逃げた。
そう、逃げ出した。
小走りで居住棟に入り、部屋に向かおうとして足を止める。
部屋に戻ったら、またラグナルと二人きりになってしまう。
ルツの部屋に行こうかと思ったが、忙しそうな彼女の様子を思い出すとそれも出来ない。
とりあえず、違う出入り口から出て、もう一度外を見てみるか。と踵を返し、その場で固まった。
目の前にはいつのまにいたのかラグナルが立っていた。
――走るの速すぎ。というか、足音しなかったんだけど!
じろりとラグナルが私を睨む。
「いくらマーレイが捕らえられたからって、攫われそうになった城の中を一人でうろつくな」
まるで保護者だ。
心配をかけたのは申し訳なかったと思う。
けれど、いつまでもマーレイの影に怯えてはいられない。
「そうそう何度も攫われたりしないってば。……えーと、トリスタンとの話は終わったの?」
ラグナルは不機嫌そうに顔を顰めたまま頷いた。
「別に謝罪なんて必要ない」
どうやら、泣きながら失礼を働いてしまったと報告に行った娘さんの気持ちが伝わったらしい。
いかに人間嫌いのダークエルフでも、誠意があれば、通じることもあるのかもしれない。私はうんうんと頷いた。
「興味ないし。どうでもいいしな」
……う、うん?
「どうでもいいって…‥」
「あいつにもそう伝えた。減給がどうとか言ってたけど、人間同士で好きにすればいい」
悲しめばいいのか、憤ればいいのか、ダークエルフなら当然かと納得すればいいのかわからない。
私はなんとも言えない気持ちでラグナルの顔を見つめた。
彼の中で人間を忌避する気持ちは確実に大きくなっている。
それなのに未だ私を慕ってくれるのは……きっと、出会ったばかりのラグナルの中には何もなかったからだ。そこに私が入り込んでしまったのだろう。
記憶を失って真っさらだった彼の中に染みを落としてしまったようで、やり切れない。
「それより、部屋に戻らずにどこに行く気だったんだ? 黒剣の試しも終わったし、今度は俺が付き合うからな」
ぽんとグリップを叩き言うラグナルに、私は首を横に振って見せた。
「ううん、もうそろそろお昼かなと思って、食堂に行こうか迷っただけ。きっとまた誰かが呼びに来てくれるんだろうし、入れ違いになると悪いから部屋に戻ろうか」
結局、今日もそのほとんどを部屋でラグナルと過ごした。
トリスタンに遮られたあの時の話を蒸し返されたらどうしようかと身構えたが、全くの杞憂だったらしい。
ラグナルと二人きりだと、特に話に花が咲くわけではない。お互い口数は多いほうではないし、共通の話題があるわけでもない。けれど静かな時間は不思議と心地よくて、時間がたつのはあっと言う間だった。
その日の夕食の席にはゼイヴィアとウーイル姉弟の姿があった。同じ城に滞在していながら、今日初めて顔を合わせる。なにせ彼らは朝食にも、昼食にも姿を見せなかったのだ。
「イーリス、ラグナル、久しぶり……って、ちょっとラグナル、イーリスよりでかくなってるじゃん。もしかして僕と同じくらい!?」
ラグナルを見るなり、先に席に着いていたノアが立ち上がって隣に並ぶ。
「あ、まだ僕の方が全然大きい。良かったー」
ノアの言う通り、確かにノアの方が大きい。拳一個分は違った。
「良かったって、お前ね……。どっちにしろ明日か明後日には越されるだろうが」
笑顔で席に戻ったノアにウォーレスが苦笑する。
「いいんだよ。今日はまだ勝ってるんだから。そう言うウォーレスこそ笑ってられるのは今のうちだと思うけどね」
「まあ。そうだろうな。身長はともかく、剣の腕で上回られると思うとなあ……」
そうウォーレスがぼやくのは訳があった。前回の腕試しではラグナルはキーランにもウォーレスにも歯が立たなかった。しかし今日の稽古ではキーラン相手に善戦してみせたらしい。この分だと明日にはウォーレスを追い越すのではないか。というのがキーランの見立てだそうだ。それどころか、一人で狒々神を追った実績を考えると、ロフォカレ一の剣士であるキーランをもいずれ上回るに違いない。
そうなったら、是非一度手合わせ願いたいと、キーランは大真面目にラグナルに語りかけていた。
夕食の時間も終わりに差し掛かったとき、それまで大人しかったノアが爆弾を投下した。
「ところでさあ、イーリスとラグナルはいつまで同じ部屋で寝る気なの?」
……一番触れて欲しくなかった話題だ。
今朝、目を細めて笑う、私より大きくなったラグナルを見て、同室はきついとほかでもない私が感じたのだ。それでも、あと石3つ分だけ! と自分に言い聞かせて、乗り切ろうとしていたというのに。
「体格もそうだけどさあ。多分もう歳だって僕とそう変わらないよね?」
「言われてみれば、そうですね。子供だったイメージが強かったせいか、ノアと並ぶまで気づきませんでしたが。どうしますか? もう一部屋必要ですか?」
食事が終わったらしいゼイヴィアが、眼鏡を押し上げて問いかける。
私は同室でも構わない。なにせあと3日だ。抵抗がないとは言えないが、解呪には彼が眠っている時間が必要だ。
「私は、どちらでも」
しかし、そうは言えない私は、こう言うしかないわけで……
前のようにノアと代わってもらえるならいい。ラグナルが寝たら、ノアに部屋に招き入れてもらえばいいのだから。
問題はラグナルが一人部屋になって、内側から鍵をかけられてしまった場合だ。トリスタンに相談すれば鍵を融通してもらえるだろうか?
そんなことを考えながら、ちらりと隣のラグナルを窺う。
「え、どうしたの?」
ラグナルは右手にナイフを持ったまま、手の甲を顔に押し付け、俯いていた。やや顔を反対側に向けながら……
「ラグナル、今、絶対にやらしーこと考えてるよね」
ノアが冷たい声で突っ込む。
次の瞬間、バンッと大きな音が食堂に響いた。ラグナルが両手をテーブルに叩きつけたのだ。
「だ、誰が考えるか! 人間と一緒にするな!」
そう言うラグナルの顔は怒りのためか、それとも羞恥のためか真っ赤だった。
――ラグナルが赤面するの、久しぶりに見た気がする。
「へぇ、ダークエルフには欲がないっての? そんなはずないよね?」
行儀悪くフォークをくるくる回しながら、軽い調子で言うノアの声は、随分辛辣だ。
「ないわけじゃ……ない」
叩きつけた手をぐっと握りしめて、ラグナルはノアを睨みつける。
「でも俺は! イーリスが嫌がることは、絶対にしない!」
「自分からはいかないけど、お膳立てしてくれたら食べるって? ダークエルフって不潔なうえに意気地なしなんだねえ」
「……不潔」
ノアの言葉尻を捉えてそう呟くのは、にやにや笑いが抑えきれないウォーレスだ。二人の言い合いを肴に、楽しそうに酒を飲んでいる。
給仕の男性が近くにいれば、次は酢を注ぐように注文しておくものを……
「お前っ、外に出ろ!」
ラグナルが椅子を倒して立ち上がる。
「えー、口で勝てないからってすぐに手を出しちゃうんだ」
対してノアは座ったまま、肘をついて、呆れたようにラグナルを見上げた。
ちなみに、この会話。全て私を挟んで行われている。
城に来た当初から、席順が自然と決まってしまったため、ずっと私はこの犬猿の仲の間に座っているのだ。
しかも言い合いの内容が内容だ。
もう心を無にしないと、この場にいられない。このまま小っ恥ずかしい言い合いが続けば、無我の境地に入れると思う。
と、それまで事態を静観していたキーランが立ち上がった。
キーランは無言でノアの後ろに立つと、襟首をつかんで引き上げる。
「そこまでにしておけ。二人の問題だ。外野が口を挟むものではない」
「ちょっ、首。しまってるっ」
……すごく、見覚えのある光景だ。
キーランは暴れるノアをものともせず、彼を引きずったまま扉に向かう。
ドアノブに手をかけ振り返ると私を見た。
「イーリス、部屋のことはまかせる」
簡潔にそう告げると、喚くノアと共に廊下に消え、食堂は一気に静けさを取り戻した。




