その4
街へ行く許可はあっさり下りた。護衛をつけるという申し出を、ノアが鼻で笑って断ったため、私たちは四人で街に続く街道を歩いていた。
四人――キーランとノアとラグナルと私である。ゼイヴィアとウォーレスは調べたいことがあると城に残り、ルツが付き添ったのだ。
昨日は「俺からなるべく離れるな」モードに陥っていたラグナルだが、今日は妙によそよそしい。
理由は誠に遺憾ながら、そういうことなのだろう。
だからひょっとして街へは降りず、城へ残るんじゃないかと思ったのだが、当然のように隣にいる。
――無理についてこなくてもいいのに。
なにせ街についたらあの約束が待っている。どうするのだろう?
そっと横顔を窺うと、視線を感じたのか、振り向いたラグナルと目が合った。
黒い瞳を驚きに揺らめかせ、さっと目線を外す。足元の小石を二つ三つ蹴飛ばし、またちらっとこっちを見て、私がまだラグナルを見ていたことに気づくと、眉間を寄せた。
「なに見てんだよ」
そうして憎まれ口を叩く。……頬を染めて。
――重症だ。
私は頭を抱えたくなった。彼の中で何がどうなって恋心なんてものに繋がってしまったのか。
とはいっても多感な時期だ。このころの恋情は、後々になってみれば流行病にかかったようなものだったと理解するはずである。ましてや朝になれば、一気に成長しているラグナルのこと。明日には気持ちが、どう変化しているか分からない。
私は「ごめん、なんでもない」とだけ呟いて前を向いた。
眼下に広がるのは城の南側一帯を占めるヘリフォトの街。領主のお膝元だけあって、遠目にも活気にあふれているのが分かる。
四方にそれぞれ大門が設けられ、街の中心部に向かって大通りが伸びており、中央には城郭に守られた、かつての領主の居城が聳えていた。数代前の領主が、丘の上に新たに城を築いてからは、多種多様なギルドの拠点となっているとか。
城郭の周囲には色とりどりの天幕がひしめき合い、大勢の人でごった返している。
ノア曰く、街は大きく四つの区画に区切られている。
北部は領主の血縁など、領地を持たない貴族や富裕層の住む街区。東部は商業地。西部には小さな家々が所狭しと密集し、南部には人の欲望が詰め込まれている。つまり歓楽街だ。如何わしい店から健全な店まで、それとなく区分されながら、軒を連ねている。一番活気があり、一番治安のよろしくない場所でもあるらしい。
資産家の住居も、商業施設も、ギルドも、子供には見せられない店も、そうでない店も、全てがごった煮状態のホルトンの街と、どちらが治安に難があるだろうか?
城から伸びた街道沿いにある、北の大門が使えるのは本来なら貴族や一部の富裕層のみだ。しかし、周壁から外に向かって張り出すように作られた半円形の外堡で、渡されていた通行証を見せると、すんなり通される。
門から見える街並みは整然としていた。チリ一つ落ちていない美しい大通りの両端には街路樹が等間隔に植えられ、その間には夜になれば灯されるのだろう、光球による街灯が設置されている。
人気はなく、声を出すのも憚られるほどひっそりとしていた。
「手、だせよ」
門を潜る寸前、ラグナルが手を差し出す。
私は無言でその手をとった。同じくらいの大きさになった手は、しっとりと汗ばんでいたが不思議と不快感はない。
――意外と、あっさり。
今日のラグナルは、手を繋ぐのを恥ずかしがると思ったが、平気そうだ……というのは早合点だった。
唇を引き結び、しかめっ面で前を見据えるラグナルの顔が、歩くたびに上気していく。
富裕層の居住区を抜けて、人通りの多い東街区に入る頃には耳まで赤くなっていた。
おかげで、褐色の肌に朱を差したダークエルフの少年に手を引かれて歩く、どこにでもいそうな女。というわけのわからない構図が出来上がっている。
すれ違う人々がまずラグナルの尖った耳に気づいてぎょっとし、次に手を引いている人物を見て首を傾げ、最後には意味ありげな笑みを浮かべて去っていく。
完全に罰ゲームである。
先頭を歩いていたノアが振り返り、思いっきり顔を引きつらせた。
「罰ゲームでもしてるの?」
やめて、余計なことは言わないで、私も思ったばかりだけど!
驚くことに、ラグナルは反発を顕にすることなく、繋いでいない方の手で顔を覆って俯いた。赤面している自覚があるらしい。
そんなラグナルを一瞥し、ノアは小さく息を吐く。
「馬鹿らし……。イーリス、香石出して」
「え?」
この近くに調香師の店があるのだろうか? 辺りを見回すと「ほら、早く」と急かされる。
私は袋から布に包んだ龍涎石を取り出してノアに渡した。
「これは僕が売ってくるから、イーリス達は適当にうろついててよ。じゃあ、キーラン、半刻後に」
言うなりノアはローブのフードを被り、背を向けた。その姿はあっという間に雑踏に紛れてしまう。
……てっきり一緒に調香師に会いに行くと思っていたのに。
「あれはイーリスが思っているより、この辺りじゃ珍しい。一介の調剤師がそうと分かる類のものではない」
ノアが消えた方角を眺めていると、キーランが隣に並んだ。彼はラグナルの惨事を見ても顔色一つ変えない。いつもながらその強靭なメンタルには驚かされる。
「一部の調香師が、お抱えの冒険者に探させて、貴人に献上する。調香師も冒険者も、あれの見た目や見つかる場所を秘匿していてな。そうやって値を保っている」
私が見た龍涎石は、依頼人から兄に進呈されたものだった。几帳の影で、滅多に市場に出回らない珍品であることや、おおよその値段を聞いた。てっきり彼は裕福な商人だとばかり思っていたが調香師か貴族だったのかもしれない。
「若い女が異国の地で調剤師をしているというだけで訳ありだと皆が思う。身元を悟られたくなければ、もっと気を配るべきだったな」
そう言ってキーランはにやりと笑った。彼には珍しい表情だ。
「イーリスは慎重なように見えて、実は楽観的な考えをするだろう?」
「……キーランは優しげに見えて、実は辛辣ですね」
何気に兄の言葉より厳しい。
睨みつけるように半眼で言えば、今度はクッと声を上げて笑う。
「まあ、俺はイーリスの身元は分からないし、特段探ろうとも思わない。だがノアは気付いて、隠すべきだと判断したのだろう。心配ならルツに相談してみるといい。場合によっては他言せぬよう印を刻んでくれるかもしれんぞ」
本気なのか冗談なのか、キーランは私の肩をぽんと叩いた。




