その9
同日の午前0時すぎに、その8を投稿しております。お気をつけください
「ところで、僕たちこれから昼食を食べに行くんだけど、一緒にどう?」
なんて有り難くないお誘い。
「誰がお前なんかと」
私が答えるよりラグナルが先に声をあげた。キーランが目を見開く。
「そっかー。ラグナル来ないんだ。残念だなあ。んじゃ、イーリスだけどう?」
ラグナルを置いて、私だけ行くわけないでしょうが。分かってて揶揄っているんだろうけど。
「今日は用事が立て込んでて!」
一歩前に踏み出したラグナルのそのさらに前に体を割り込ませる。
「用事?」
「そうなの。サオ茸を轢かなきゃいけないし、龍涎石を買い取ってくれるとこも探さないといけないし」
「龍涎石? 本物?」
ノアが訝しげに声をあげる。
「本物……だと思う。あ、そうだ。どこか良い値で買い取ってくれるとこ知らない?」
情報通のノアのこと、いい卸先を知っているかもしれない。
「ふうん、ちょっと見せて」
眉を上げて促すノアに、袋から龍涎石を取り出して渡す。
ノアは鼻を近づけ、くんと鳴らした。
「確かに、龍涎石だね」
「名前は聞いたことがあったが、これがそうなのか。ただの石にしか見えんな」
キーランはしげしげと龍涎石を見て首を傾げる。
「ま、普通そうだよね」
そう言うとノアは龍涎石を袋に戻した。
「貴族を相手に商売してる調香師ぐらいしか買い取ってくれないと思うよ。この街じゃ無理だね。近いうちに領主様のお城にいくんでしょ? ならその近くの街で調香師を探しなよ」
まさかの返答に私は唖然とした。滅多に市場に出回らない珍品ではあるが、買い取ってくれるところがないとは思いもしなかった。
――報酬、受け取っておいて良かった……
今日の予定が一つ潰えてしまったが、旅の支度もしないといけないし、バートのところに顔もだしたいし、と理由を並べ立てて、私は昼食を回避した。
しかし困った。旅の準備といっても、ラグナルの服や靴をどのサイズで揃えればいいのか分からない。明日にはまたサイズが変わっているかもしれないのだ。
とりあえず、そちらは召喚状が来てからでいいかと割り切ることにして、一旦帰宅し、本業に精を出すことにした。
まずは道中の屋台で昼食をとり、食後に先ほど買った煮込み豆のパンを二つあるから半分こだと言って一つ渡す。ラグナルはなんとも言えない顔をしたけれど、残しておいても腐るだけだと強引に押し付けた。
荷物部屋に紐でくくって吊り下げてあったサオ茸は、いい具合に乾いていた。
両側に持ち手のついた専用の包丁で刻んだものを薬研ですりつぶし、さらに大きめの乳鉢で細かな粉末にする。そこにカマの実からとれる油を温めて加えれば完成だ。誰にでも買えるお手軽な値段で、効果はそこそこ。まだ柔らかいうちに瓶と二枚貝の貝殻に分けて入れる。作業を終える頃には陽は大きく傾いていた。ハッキ草を煎じる時間はなさそうだ。乾燥を防ぐために濡らしたヤッテの葉で包んであったピエヒタールの木の皮と、サオ茸の傷薬を袋に詰めて納入先であるバートの店に急いだ。
ちなみに作業中、ラグナルは隣でずっと私の手元を眺めていた。よく飽きないものだ。
バートの店は夕方から客が増え始める。
ラグナルの様子に驚いたバートは詳しく話を聞きたそうだったが、次々とやってくる患者の相手でそれどころではなかった。
後日、話をすることを約束して、夕食を買い帰宅するころにはすっかり夜の帳が下りていた。
さて、問題の夕食である。昼食は煮込み豆のパンを足したけれど、明らかにもの足りなさそうだった。
今日のメニューは串肉が3本、パンが3つ、根菜の煮込みが大きな碗に一つに、真っ赤なリンゴンの実が3つだ。机の上にのったそれらを前に木箱に腰掛けて、ラグナルに話し始める。
「ラグナル。今日臨時収入があったのは知ってるよね?」
「……一応」
「実は確かめてみたら、ちょっとひくぐらい入ってた」
それはもう討伐ギルドに所属する全ての人を、妬みのあまり呪いたくなるぐらいに。
「さらに今度、龍涎石を売ると、金満家とはいかないけど、そこそこ余裕ができる。そして私はこれを半分は食べられない。言いたいことは分かるよね?」
ラグナルは渋い顔で頷いた。
「半分この約束はなかったことにしない?」
しばらく口を引き結んだ末、ラグナルは観念したように、ため息をついた。
「いいよ。って言わないと、また屁理屈もちだして食べさせるんだろ。分かった、今はイーリス姉ちゃんの言う通りにする。でも食べ物が十分にないときや、貧乏なときは半分こな!」
私は拳を握りしめた。約束の破棄に一つ……いや、一部? 成功した。
「ついでに街中で手を繋ぐっていうのも、そろそろいいかなーと思うんだけど」
調子にのってもう一つ提案してみる。
目を見張ってこちらを見たラグナルの顔が、みるみる赤くなる。
――まずい、怒らせた!?
思わず後退ろうとして、ガタッと木箱が音を立てた。
ところが怒らせたと思ったラグナルの目が潤み出す。黒い瞳に朝露のように透明な膜が張り、ほろりと頰を伝った。
私は唖然としてラグナルを見つめることしかできなかった。
何も泣かなくても、と思うのは本日二回めだ。
「嫌だ」
絞り出すような声でそれだけ言うと、ラグナルはごしごしと目元をこすって、食前の祈りを捧げ始める。これ以上の問答はしないという意思表示だろう。
もっと時間をかけて段階を踏むべきだったのだ。あるいは彼の成長を待てば良かった。
私は軽率な言動を省みながらパンを手に取った。
静かだった食卓も、リンゴンの実をかじるころには和やかな雰囲気が戻ってきた。
しきりに話を振り、ラグナルに笑顔が戻ったときには安堵より嬉しさが勝った。思うところはあるものの、子犬のように慕ってくれるラグナルをかわいく感じているのだろう。
食事を終えると、途端に手持ち無沙汰になる。いつもなら採ってきた薬の材料の下準備に忙しいのだが、この二日間素材を採取しにいけていないからすることがない。
ハッキ草を煎じるには時間が足りないし……。かといって領主の城へ向かい戻ったあとでは、日が経ち過ぎて効果が半減する。
よし、明日は朝からハッキ草を煎じよう。
そうと決めたら今日は早く寝てしまおうと、湯を沸かし盥に張った。
ラグナルは、まだ私の前で服を脱ぐのに抵抗を感じないらしい。なんの躊躇もなく裸になった。さすがに一緒にとも近くにいてとも言わなかったので、荷物の整理をしてくると言って席を外した。
問題は私の番だった。
成長したからか、まだ時間が早かったからか、ラグナルが寝ないのだ。
湯を張った盥の前で、なかなか服を脱がない私を不思議そうに眺めている。その純真な様子を見ると、気にしているこっちがおかしいんじゃないかと思えてくる。が、トチ狂ってはいけない。彼は新月の貴公子(笑)なのだ。
今のラグナルとベッドを共有するのに「狭い」以外の感情はないし、着替えで下着姿になるくらいなんともない。しかし裸であちこち洗う姿を見られるのはハードルの高さが違う。
仕方なく、今日は疲れたからと言い訳して、髪を洗い、体を拭くに留めることにした。
シャツを脱ぎ下着の下に手を入れて、絞った布で体を拭いていると、ようやくうとうとしてきたラグナルが、ぼんやりと私の腹のあたりを指差した。
「イーリス姉ちゃん、臍の周り赤いよ。リンゴン落とした?」
失礼な。落としてないよ。
「生まれつきだよ」
そう答えると、ラグナルは吸い込まれるようにベッドに倒れこんだ。
――やっと寝た。
大急ぎで下着を脱いで体を洗ったのは言うまでもない。
石鹸を流す頃にはすっかり湯は冷めていた。おかげで指先が冷えきってしまっている。ラグナルを起こさないように、息を吹きかけて手を温めると、彼の服をめくる。
金平石の準備は済んでいる。
思った通り、昨晩、少しだけ解呪が進んだ字の両隣の文字が、同じだけ薄くなっていた。
このままこの文字が消せれば、縒り合わさった縄が解けるように、複雑に絡み合った印が解けて消えるのではないだろうか。そんな期待を込めて、指先を印に添える――
私は力を抜きながら、ゆっくりと息を吐き出した。
成果は昨日と変わらない。また、少し色が薄くなっただけ。
「亀の歩みだな……」
金平石は残り七つ。
間に合うのだろうか? 微かな不安を感じながら、私は布団に潜り込んだ。
「イーリス姉ちゃん」
今日も体を揺すられて朝を迎えた。
「いい加減、離せよ!」
声が随分近くから聞こえる。
うっすらと瞼を開けると、目の前に真っ赤に染まったラグナルの顔。
どうやら抱き枕代わりにしてしまっていたらしい。昨晩は体が冷えて寒くて仕方がなかったのだ。
「おはよう。ごめん、苦しかった?」
腕の力を緩めると、ラグナルが飛び起きる。
私は横になったままラグナルを見つめた。
「うーん、違いがわからん?」
「朝っぱらから寝ぼけるのも大概にしろよな!」
余程息苦しかったのか、ラグナルはおかんむりだった。
昨日は明らかに変わったのに、今日は中身も変わっていない気がする。
言葉遣いがやや乱暴になった程度だろうか?
ラグナルは靴を履くと、さっさとベッドから降りた。
隣に立てば、また身長が伸びているのに気づくかもしれない。
「あ、私の着替えもとってくれる?」
自分の着替えを取り行ったラグナルに、布団にくるまりながら声をかける。
ラグナルは無言で服を投げて寄越した。
言葉遣いだけでなく態度も乱暴になったかも……
好戦的だというダークエルフの性質を思うと、この先が心配だ。
朝から憂鬱な気分で私は着替え始めた。
「な、何、いきなり脱いでんだよ!」
途端に響き渡るラグナルの怒声。
「は?」
「は? じゃないだろ! 俺が隣の部屋に行くまで待てよ。イーリス姉ちゃんの馬鹿野郎!」
ラグナルはさっきよりも顔を赤くしてそう言うと、物置部屋へと逃げるように駆けていった。
……これ、私が悪いの?




