その1
「間に合わなかったってどういうこと? イーリスお姉ちゃん」
ラグナルがしがみついたまま顔を上げる。その表情の複雑さと言ったら……。子供にこんな顔ができるのかというような、悲しみと絶望と怒りが混じったもので、悔恨の情がむくむくと湧き上がる。
「いや、なんて言うか、途中までは上手くいってたというか……。いっときは勝ったとさえ思ったぐらいだし……」
ラグナルの頭を撫でながら、しどろもどろに言い募る。
「そうだよねー。僕たちが術を改良しなかったら、あのままキーランの剣が届いてたかもしれないもんねぇ。僕たちのせいだよねえ」
言ってない。君たちのせいだとは一言も言ってない。言外に匂わせた気はするけども決して言ってない。
「この人が何かしたの? この人のせいで危なかったの? 僕、この人嫌い。黒魔法使ってもいい? あの穢れた獣は無理でも、この人にだったら負けないよ」
待て。ラグナルがノアを苦手に思うのは仕方ない。だからってそこで黒魔法はやめて。
「へえ。イーリスの後ろに隠れてばっかりのくせにー?」
ノアが嘲るように言う。
ラグナルはノアを睨みつけた。
「ねえ使ってもいいよね?」
私にしがみついたままだし、ちっこいラグナルが睨んでも可愛いばかりだが、黒魔法は本当にやめて。
「い、いやー。ここで黒魔法はよくないかな?」
目撃者も大勢でちゃうし。せっかく慣れてきたこの異国の地で、犯罪者になりたくない。
「それよりウォーレスとキーランの手当を手伝ってくれる?」
ウォーレスには灰熊獣とやりあったときに痛めた足と、私が投げたドリアードをキャッチした際に出来たであろう掌の傷の手当てを。キーランには……何から手をつけていいか分からない。
私はラグナルをくっつけたまま、川の中に立っている彼らへと視線を向けた。
二人はルツとゼイヴィアと共に狒々神の死体を見下ろして話をしていた。ゼイヴィアが口を開くたびに、ルツとウォーレスの顔がどんどん険しくなっていく。
――どうしたんだろう?
「なーんか怒ってるねえ。ゼイヴィアが術者と射手を引き連れて森にきたことに関係あるのかなぁ?」
僕たちも聞きに行こうよ。そう言ってノアが歩き出したのと時を同じくして、キーラン達も川から上がってくる。
首を落とされた狒々神の死体を、間近でラグナルに見せたくはなかったので良かった。
「うわ、キーラン。くっさ」
落ち合って、第一声目がそれか。配慮の欠片もないノアの言葉。キーランには聞こえないのがせめてもの救いだろう。
実際、キーランの状態はひどかった。全身に出来た小さな傷から出た血と、ドリアードの汁や果肉が所狭しと張り付き異臭を放っている。作戦を思いついた身としてはとてもいたたまれない。
「キーラン、ちょっと川で水浴びしてきなよ。全身ドリアードだらけなんだけど。耳が聞こえなくても自分が臭いのはわかるでしょ」
身振り手振りを交えてノアは言い、キーランを川へ押し戻す。
切り傷の手当てをするにも汚れは落としてもらわないといけないから、水浴びはしてきてほしいけど、鼻をつまんで説明するのはどうかと思う。
あからさまなノアの仕草を見て、キーランはこくりと頷くと川へ引き返していった。……キーランの忍耐強さには脱帽する。
「んで、どういうこと? ゼイヴィア」
「あ、待ってください。ウォーレスの手当てをしながら伺ってもいいですか」
「ん? ああ。悪いな」
ノアの言葉を遮り、アローロを取り出して見せると、ウォーレスは側の岩に腰掛けた。
そっと足に触れる。腫れてきているが骨には異常がなさそうだ。懐剣でアローロの皮をはぎ足首に貼り付ける。帯を解いて適度に割き、アローロごと足首を固定すればこちらは終わりだ。
次は掌。いくつも開いた穴は間違いなくドリアードのトゲトゲによるもの。小声で「すみません」と謝れば苦笑とともに「いいさ」と言われた。平な岩にモッキの葉を並べ、石で叩いてすり潰し、どろどろになったら患部に塗布する。
そんな風にウォーレスの手当てをしながら聞いた話によると――
「はあ!? 新月の貴公子(笑)が狒々神を追いかけてこっちの森に来たのに、城代が連絡を怠ってたぁ?」
まあ、ノアのこの一言に尽きる。
オーガスタスの部屋をあとにしたゼイヴィアは、他の討伐ギルドにダークエルフが依頼を受けにこなかったかと問い合わせに行き、そこでとある冒険者に出会ったそうだ。その冒険者は隣領の街ロサラムのギルドに所属している人だった。依頼でホルトンにやってきて、ついでにと知人に会いに討伐ギルド・アガレスを訪れ、ゼイヴィアと出くわしたのだ。
ゼイヴィアはその冒険者からとんでもない話を聞かされることになった。
そもそもの発端は、ロサラムの近くにあるコビーの森で狒々神が目撃されたこと。
かつて村を何度も全滅させた例のある狒々神が、街の近くの森に現れたとなると、無視出来るはずもない。
隣領の領主はすぐさま討伐隊を組み、狒々神を狩ろうとした。と同時に周辺の領主に狒々神が現れた旨を知らせたという。
なぜならその森はいくつかの領に、名を変え、跨って存在していたから。そう、このコールの森とも繋がっていたのだ。
隣領の領主による狒々神の討伐は半分成功し半分失敗した。
正確に言うと角を折り、皮膜を片方傷つけるところまでは成し遂げた。ところが不意を突かれ、討伐隊は狒々神を見失ってしまう。
しかし一人だけ、狒々神に喰らいついてあとを追った者がいる。それがなんと、宵闇の冴えた月(笑)だったというのだ。
狒々神が逃げた先がコールの森方面だったことに嫌な予感を覚えたゼイヴィアはすぐさまオーガスタスに報告に戻った。オーガスタスは話を聞いたその場で討伐隊を編成し、森に向かわせることを決めたとか。
「ってことは、森でストリップしたのって、もしかして……」
「輝ける黒き星(笑)じゃないのー?」
私の呟きをノアが引き継いだ。




