その6
まず目についたのはモッキの葉。どうやら群生地だったらしくそこいらじゅうに自生している。それを手当たり次第に引きちぎった。これは耳栓になるばかりでなく、止血にも使える。あと餅やパンに練りこんでも美味しい。
モッキの葉で左のポケットが埋まったころ、アローロを見付けた。多肉植物のアローロは熱傷や打ち身を冷やすのに有効だ。さらにサラダや蜂蜜漬けにするとさっぱりとした味を楽しめる。
アローロが生えているということは……
私は頭上の木々を見上げた。当たりだ! 木に巻きついた蔦にぶら下がるトゲトゲの木の実、ドリアード。どこかの大陸の、木の精霊の名前を冠されたこの実。熟れるとすさまじい臭いを発する。野生動物の大好物だが、なぜか魔獣はこの臭いを嫌うのだ。反対に一部の魔獣が好むアローロはドリアードの近くに生えていることが多い。ちなみにこのドリアード、臭いを我慢して食せばそれはそれは美味である。そのうえ滋養強壮に優れ疲労回復の効果が期待できた。
……私の知識がやや偏っているのは、里を出て早二年、何せ貧乏だったから。食べられる野草や木の実には嫌でも詳しくなった。
他にもないかと辺りを探っていると、一際大きな破裂音が耳に届いた。
草むらからそっと顔を出し、川縁を覗く。
立て続けに鳴るこれまでより大きな音。
もしかしてキーランごと仕留めにかかっているのではと心配になったが、音が鳴ってもキーランの体に傷が増えている様子はなかった。
ルツとノアはこの短時間でキーランを傷つけず、より大きな音を出すすべをものにしたらしい。
――さすがは超一流討伐ギルド・ロフォカレ!
狒々神の動きは素人目にも精彩を欠いていた。破裂音が鳴る度に忙しなく耳を動かしている。反対にキーランの動きはどんどん速さを増していく。
これ、もしかして勝てるんじゃない?
と思った矢先、自体は暗転した。
狒々神がまったく音に動じなくなってしまったのだ。おそらく完全に耳が使い物にならなくなったのだろう。
つまり魔術師姉弟がやりすぎた。
――駄目駄目じゃん、ギルド・ロフォカレ……
心中で手のひらを返しつつ、急いでとって返し、ドリアードの実をもぐ。
再び河原に顔を出したときには、形勢はすっかり逆転していた。
角は折られ、皮膜は破れ、耳は使い物にならない。おまけにキーランの斬撃を受け小さな傷を無数に負っている。それでも狒々神は徐々にキーランを圧倒し始めた。
素早い狒々神のトリッキーな動きに翻弄されるキーラン。このままでは確実にやられる。
「ウォーレス、受け取って!」
私はドリアードを掲げて叫んだ。
振り返ったウォーレスは、私の手にあるものを見て盛大に顔をしかめた。
「げっ、ちょっと待て、イーリスさん!」
待たない。
私は力いっぱいドリアードを投げた。
弧を描いて飛んでいくドリアード。2、3歩分距離が足りなかったが、ウォーレスはそれをかろうじてキャッチし――
「いっ……」
声にならない苦悶の叫びをあげた。
足が痛んだのか、トゲトゲが刺さったのかは知らない。
「ルツ、ノア。次は嗅覚!」
魔獣を含め、野生の動物は、総じて人より嗅覚が良いはずだ。大嫌いなドリアードの実が至近距離で爆発したら、たまるまい。
「ウォーレス、ドリアードを狒々神に投げて。ルツは狒々神のなるべく近くで実を破壊。ノアはこっちに来て残りの実を取って。……高くて届かないから」
ウォーレスの目つきが一瞬鋭くなる。かすかに頷いて見せると彼は狒々神に向き直って投擲の体勢に入った。
「ルツ、準備はいいか?」
言うなり、ルツの返事も聞かず実を投げる。
完全にキーランしか目に入っていなかった狒々神。それでもどうやって察知したのか体を捻って軽々と実をよける。しかしその眼前でルツの術により実が弾けた。
あたりに飛び散る果汁と果肉を全て避けるのは、さすがの狒々神にも不可能だった。キーランもモロにかぶったけど……。臭いだけなので大丈夫だろう。
狒々神は甲高い声を上げると後ろに一度飛び、さらにもう二、三度飛ぶと顔についた果肉を必死に払う。
すかさずそれを追うキーラン。ルツとウォーレスも後に続く。
狒々神は明らかに苛立っていた。耳を潰され、嫌いな匂いの果実を浴びたのだから当然といえば当然だが。
動きが雑になった狒々神を相手に、キーランは素早く剣を打ち込み始める。
さらにキーランとやりあっている間に少し力が回復したのか、ルツは時折障壁を張っては、狒々神を上手く誘導していた。
こちらにやってくるノアとは反対の方向に。
さて、私もルツ達に合流すべきか、それともノアの足止め役をすべきか。迷ったのは一瞬だった。すぐにルツ達に向かって走り、ノアとすれ違いざまに告げる。
「あの縁が白っぽい葉の奥を曲がって、少し先にあるから」
目を伏せてしまったのは後ろめたかったから……。でもそれがいけなかったのだろう。
そのまま駆け抜けようとすると、背後から腕を引っ張られた。
後ろにひっくり返りそうになったのを支えてくれたのはノアだ。……ってノアが引っ張ったから倒れそうになったんだけど。
もたれ掛かったまま仰ぎ見れば、半眼でこちらを見下ろすノアと目があう。
「お姉さん、実が届かないなんて嘘だよねえ?」
バレた。
「ルツに何か言われた? それともウォーレスかなぁ?」
しかもお怒りでいらっしゃる。腕、指が食い込んで痛いから。
「どいつもこいつも、僕を見くびってんじゃねーっての!」
見くびっているわけじゃない。ノアならば、一人でも逃げ果せられると思ったからだ。出来れば道中でラグナルを拾って帰ってもらえないかという思いもあったし。
「僕は戻るよ。実はお姉さんが持ってきて」
ノアは私の肩を押して戻し、手を離した。
「実はさっきの一つしかなかった」
「へえ、そのない実を僕に探しにいかそうとしたわけだー。成ってるものを一つ二つもぐより、ないと判断するまで探すほうが時間かかるもんねえ。」
もはや視線だけで殺されそうだ。その怒りは是非ウォーレスに!
「お姉さん、随分あいつに詳しいみたいだけど、何か他に思いつく手は?」
いつの間にかキーラン達はかなり遠くに狒々神を引き離すのに成功していたらしい。小さくなった姿を目指して、駆けながらノアが尋ねる。
私は無言で首を横にふった。
別に特別、狒々神に詳しいわけじゃない。ただ書物に書かれていた話を知っていただけだ。それと兄から与えられていたヒントを組み合わせたにすぎない。
「何かないの? あいつの足を止められる方法。ルツと二人じゃ障壁以外に動きを封じる術はないし、それじゃあこっちの攻撃も届かない。かといって自由にさせたままだと、僕じゃあいつのスピードについていけない」
ノアは悔しげに吐き捨てた。
狒々神を相手にするときに一番問題になるのは、その速さ。だから魔術師を大量に投入して動きを封じる必要があるのだろう。なんていう術だっけな、確か――
「捕縛」
そうそう、それ。
「え?」
どこからか飛んできた声にびっくりして、前方に視線を向ける。びくりと狒々神の体が止まったのが見えた。しかしそれも一瞬のことで、狒々神は甲高い咆哮一つで術を破ってしまう。
「捕縛」
「捕縛」
その狒々神を逃すまいと次々に展開される術。
何が起こっているのか理解できず、唖然としていると、居丈高な声が聞こえた。
「ノア、ルツ。何をぐずぐずしているのです。さっさとあなた方も参加なさい」
え? なんで、ゼイヴィアがいるの?




