その18
「しかし、二人とも無事で良かったよ。ロープだけが上がってきたときはどうなるかと思ったが……」
え? ロープ?
身体を見下ろし、「あっ」と声をあげる。いつの間にかロープが解かれていた。犯人は……隣で衣服を整えているダークエルフだろう。
「もうちょっと待ってやれば良かったなあ」
ウォーレスのにやにや笑いが止まらない。
「違うからね! 衣服が乱れてるのは印を確認しようとしただけであって……」
「そうかそうか。そういうことにしといてやるよ。っと、イーリスさん、その腕はどうした?」
ウォーレスは血に濡れた私の左腕を見て眉を顰める。
「怪我を!?」
剣帯を留めていたラグナルが腕を掴んだ。
「ちょっとだけだよ。幻覚に惑わされないように白狐に噛ませたから」
忘れていたのに、自覚すると痛みがくる。
「お前が……」
ラグナルが白狐を睨んだ。茶色い白狐がそれはそれは不満気にコーンと鳴く。
「睨まない。白狐にはすっごく助けてもらったからね」
私は白狐の頭を撫でた。
それから鞄の中から消毒液を取り出し腕にふりかける。片腕で包帯を巻こうとしたら、ラグナルが「俺がやる」というので任せることにした。
「そういえば絡繰兵とやらはどうなった? まさか俺は今、幻覚を見てるんじゃないだろうな」
気味が悪そうにウォーレスは辺りを見回し、崩れた石人形に気づいた。
「あれか……ラグナルがやったのか?」
「違う」
包帯を巻きながらラグナルが言う。
「あれは白狐と私の連携で。ね」
白狐を見ると、狐は胸を張り、誇らし気にコンコン!と鳴いた。尾を失ったとはいえ白狐はれっきとした魔獣である。自らの予言を破りはしないだろうという確信はあったし、魔獣に幻覚は効かないであろうと予測はついたものの、ラグナルの首に噛み付いたときは全身を寒気が襲った。
不思議なのは絡繰兵が動かなかったことと、ラグナルが自分自身の精神に干渉していた点だ。
包帯を巻き終わったラグナルをじっと見る。言いたいことが伝わったのか、ラグナルはそっと目をそらした。
「あれはイーリスの姿をとった。おかしいと気づいたが……。直接手を下せなかった」
それで絡繰兵の動きを縛り、さらに自身の精神に干渉して幻影の解除を試みた。いわば、根比べに持ち込んだのだそうだ。
いや、気づいたんなら攻撃してよ……と思うと同時に、がっつり攻撃した身としては、居心地が悪い。
「じゃあ、三人の連携だね」
私は笑ってごまかした。
「手当てが終わったんなら、戻るか。このままじゃ次が降りてきかねないしな」
賛成である。
私たちは順番に狭い穴を通り、ロープで引っ張り上げてもらった。
「イーリス。よくやった」
ロープを解いたことを怒られるかと思ったが、キーランは静かに笑ってそう言った。
代わりに怒ったのはノアだ。
「どういうこと? なんでロープを解いたの? キーランの指示には絶対従うって話だったよね?」
眦をつり上げ、ぐいぐい詰め寄る。
「ちょっと……不可抗力で……」
「そうだなあ。不可抗力だよなあ」
すかさず隣に寄ってきて、顎をなでつつ、にやりと笑うウォーレス。誰かこのエロオヤジの口を閉じさせてくれ。
「どういうことのなのさ。ちゃんと説明してくれない?」
「ノア、おやめなさい」
「いやあ、気になるよなあ」
ウォーレスが煽り、ノアが怒り、ルツが嗜める。ホルトンに戻るまで、この連鎖が延々と続いたのだった。
意識不明だったベレトの冒険者が目を覚ましたという知らせを聞いたのはホルトンに戻った二日後のことだった。
それから数日後ベレトは解体された。
キーランの口利きとは……と一瞬思ったが、そこは突っ込まないでおこう。とりあず、この一件でキーランは怒らせては駄目だと深く悟った。
※※※※※
「いやー、今日もいい天気だね。キノコが乾くわ……」
ここはラグナルと出会ったコールの森の中。
遺跡から持ち帰った資料を元に、私はキノコの栽培に乗り出していた。
干からびかけた竿茸を前に肩を落とす。隣ではラグナルが投げた木の枝を白狐が取りに行くという遊びを繰り返してた。
ベレトの遺跡の一件以来、白狐はずっと家に居ついている。だからだろうか、近頃白狐の犬化が著しい。
ノアは光苔をとりにルツとウォーレスと森の奥に入り、キーランはロフォカレでオーガスタスの手伝いをしている。
長閑な一日だった。
「ずっと聞きたかったんだけど、どうして他のギルドの手伝いまでしてるの? ホルトンの人と仲良くするため?」
ダークエルフであるラグナルはホルトンでは異質な存在である。溶け込もうと頑張っているのかと思ったのだが……
「いいや」
ラグナルはあっさり首を横に振る。
「じゃあ、なんで? あんまり信用ができないギルドの依頼はうけてほしくないな」
危険の伴う冒険者稼業。信頼できる仲間とでなければ危険は増す。
ラグナルは枝を思いっきり遠くに投げると、手を払い、言いづらそうに口を開いた。
「……お前の兄との約束をまだ果たしていない」
予想外の答えだった。
術の成否に関わらず解呪料を払う。たしか、そんな約束だったか。
「兄の言うことは聞かなくていいって言ったでしょ。まともに取り合ったら損しかしないからね」
「だが……」と不満気なラグナル。私は近くによると、手招きした。
不思議そうにしながら顔を近づけるラグナル。
その頰に唇を寄せる。
瞬間、ラグナルが勢いよく身を離す。その耳はほんのりと赤く染まっていた。
「解呪料、これでいいよ」
目付きの悪い美貌のダークエルフが頰を押さえて恥じる姿は、ずるいぐらい可愛い。
思わずふふっと声に出して笑うと、ラグナルがむっと眉を寄せる。
それから、私の腕をつかむと、顎に指をかけた。口の端をあげて意地悪く微笑むラグナルの顔が近づいてくる。
「利子だ」
唇に感じるラグナルの熱。私は目を閉じてそれを受け入れた。
足元で木の枝を咥えた白狐がコーンと鳴いていた。




