その16
最後に残った男を上げ終わると、再びロープを自分の体にまく。
「イーリス、ロープは絶対に外すな。届く範囲にいなければ一度戻るんだ」
キーランの声に「分かった」と返事をし、私は白狐の入った袋を抱え、奥へと進んだ。少し進んではロープを二度引っ張って合図を送り緩めてもらう。縦穴はすぐに見つかった。
「今から縦穴に入る! 」
声をかけてから、穴を降りる。
入り口こそ狭かった縦穴は、少し進むと幅がでてきた。しかも傾斜になっている。
ここには水はこなかったらしい。乾いた斜面を進むと、唐突に開けた空間に出た。
光玉の出力を上げる。と、目の間に倒れている人物が目に入った。泥で汚れた銀の髪。硬く閉じられた瞼。
「ラグナル!」
「っつ……イーリス?」
声をかけると、ラグナルが手をついて上体を起こす。しかしすぐに苦しげに呻いて倒れ伏した。
慌てて駆けよろうとするが、ぴんと張ったロープが邪魔をする。
――ああ、もう邪魔!
ロープの結び目に指をかけたときだった。腕に痛みが走る。途端に、視界がぶれた。霞む視界の奥でラグナルの姿が搔き消える。
私は痛みに意識を集中しながら目を閉じる。再び目を開けるとそこは狭い穴の中だった。
「ありがと」
腕に噛み付いた白狐の頭をなでる。白狐は今日も今日とて不満げにコーンと鳴いた。
あらかじめ命を下してあったのだ。幻覚に溺れるようなことがあれば噛み付くようにと。
幻覚をみせられたということは絡繰兵の近くまできたということ。
懐の懐剣を取り出し、ロープを二度引っ張った。
ほどなく、斜面は終わりを迎えた。
開けた空間に出たのだ。
その空間の中央で倒れ伏している人物が目に入る。泥で汚れた銀の髪。硬く閉じられた瞼。
さっき見えた幻覚と寸分違わぬ光景である。
ただ一つ違うのは、倒れているラグナルが二人いるということ。
どちらも幻覚か、それともどちらか片方が幻覚か。片方なら、どっち?
迷ったのは一瞬だった。
「絡繰兵を破壊して!」
白狐に命を下す。
『狐の予言に外れなし』
白狐は「お前たちのうち一人に不幸が訪れない」と言った。予言した狐が自らそれを破るはずがない。
狐は飛び上がると、首に噛み付く。血しぶきが飛ぶ。背けそうになる視線をぐっと留めて、私は結末を見守った。
狐が歯を食い込ませる。ふと、血を滴らせていたラグナルが石に変わる。
ぶらりと取れかけた首の隙間に印が見えた。
私は駆け寄ると白狐に噛まれた腕の傷跡から血をぬぐい、印に指先を押し付けた。
「悪趣味すぎるっての!」
いっきに力を流し込む。ラートーンの血に宿る力。解呪の能力。それは魔力の支配を解かれたことで、随分使いやすくなった。それでも兄に近づけているかすらわからない。
右手の指を印に押し付けながら、袋をひっくり返し金平石の粉を取り出す。乱雑に印に振りかけて、さらに力を込める。
鈍い光を放っていた印が激しく明滅し、徐々に光を失っていく……
怒りに駆られた力任せの解呪に体から力が抜けそうになる。
だが、まだだ。
「ラグナル!」
私は隣で横たわっているラグナルの胸に頰を押し当てた。――温かい。とくんとくんと規則正しい鼓動が耳に響く。じわりと浮かびそうになる涙をぎゅっと目を瞑ってこらえると、泥で汚れた銀の髪に指を入れ、頭に外傷がないか確かめる。ぬるりと血がついてどきりとしたがすぐに自分のものであることに気づいた。慌てて服で血を拭うと、入念に調べていく。外傷はない。
「ラグナル? 聞こえる? ラグナル。お願い目を開けて」
頰に手を当て話かけるが反応はない。
――どうして目を開けない?
体に怪我はないかと服をめくりかけ、光玉の灯りに照らされてラグナルの影が蠢いているのに気づいた。
「これ……」
それはこれまで三度目にした光景だった。精神に干渉する黒魔法だ。ラグナルは自分で自分の精神に干渉していた。
「……っていうか、これ、魔力くうやつじゃ!?」
私は慌ててラグナルの腰の剣帯を外し、ズボンを緩めるとラグナルの体をひっくり返そうとした。
――お、重い。
細身に見えるのにしっかりと筋肉のついたラグナルの体は想像していたよりずっと重かった。
おまけに力を入れたせいで、腕から流れる血の量が増えて伝い滑る。
一刻も早く印の状態を確認したいのに!
焦りが苛立ちに、苛立ちが怒りに変わるのにそう時間はかからなかった。
「ラグナル! 今すぐ黒魔法の使用をやめて! 七割以上魔力を使ったら……私も約束破るからね!」
もう街中で手を繋いだりするもんか。質問だって十こ以上してやる。
「……誰が、許すか」
掠れた声が聞こえた。
「ラグナル!?」
ラグナルの体を押し上げようとしていた腕から力を抜く。顔を見ようとした瞬間、視界が反転した。
「わわっ」
背に当たるのは乾いた土の感触。
目の前に見えるのは怒りに揺らめく黒い双眸。
「ラグナル?」
「許さない」
「え?」
「俺以外の奴を選ぶなんて……絶対にっ」




