その3 元最終話
ちっ
間近で聞こえる舌打ち。
いやいやいや、ちっじゃないから!
「ラグナル離して! いますぐ解呪を……」
腕の中でもがいた拍子に私は信じられないものを見た。
ラグナルの足元の影が、四方に伸びている。
この光景には見覚えがあった。
領主の城でマーレイに攫われたとき、助けに来たラグナルが使った完全にホラーな黒魔法だ。
確か、人の精神に感応するものでーー大量の魔力を消費するはず。
「ちょっと、ラグナル!? なんでそんな黒魔法を使ってるの!?」
灯りを点けるだけだと思ったから許可をだしたのに!
「仕方ないだろう。この家は壁が薄い。さっきの異音のせいで今日は皆起きている」
ぼろ家で悪かったな、と立腹してから首を捻る。
「えーと、起きてるとなにか問題ある? っていうか、なにしたの?」
「眠りに落とした」
ラグナルはダークエルフだ。彼の中で人の命は割と軽い。それに加えて倫理観も軽いらしい。
「どうしてそんなこと……って、え? あ、れ?」
壁が薄いのと、皆が起きているのと、俺だけにしてくれという言葉。
それらを組み立てて呆気にとられる。
かっと顔が熱くなった。
確かに私にも悪いところがあったのは認める。主語が足りなかった。
だからって遺跡から帰ってきたばかりで、お互い砂埃まみれだ。そんな……そんな……誤解する!?
次に血の気が引いていく。
『俺はイーリスだけ』などという、重い約束など絶対にいらない。ちょっと冷静になって寿命の差を考えてほしい。
「とにかく、その影を引っ込めて!」
私が叫ぶと、ラグナルは黒魔法を解いた。
「もう少しで終わったのに」と文句を言いながら……
「限界はわかっている」
いや、限界を見誤ったから逆行したんでしょう?
「魔力の封印は解かれている。これ以上の逆行はない。それに今使った分くらいなら、その……それまでに、回復して、元の姿に戻れるから、問題も……ない」
まてまて問題しかないわ。
明後日の方向を見ながら、とんでもないことをのたまう新月の貴公子。
「その、すごく言い辛いんだけど……」
とってもデジャビュ。
領主の城で、真夜中の解呪後に交わした会話を思い出す。
今、目の前に立つラグナルは、あの頃の姿に近い。
既視感を覚えながら、どうにか彼を傷つけない言葉を探す。しかしやはりそんな便利なものはみつからなかった。
「服を脱いで欲しかったのは、解呪をしたかったからです! ごめん!」
変に言葉を連ねるよりは……と私は率直に事実を伝えた。
また、走って出ていってしまうかもしれない。そうなったら、追いかけて解呪をしなければ。
ーーラグナルの足に追いつけるかなぁ。
そう心配していると、拘束が緩んだ。
目の前にあったラグナルの頭が下がっていく。逆行してさらに縮んだのではない。脱力したように、その場にしゃがみ込んだのだ。
ラグナルは両手で頭を抱えていた。
そのまま動かなくなる。
二回目ともなるとダメージは相当なものらしい。かつてのように逃げる気力ももう残っていないようだ。
少年の姿で落ち込むラグナル。その姿が妙に可愛く思えて、私は彼の前に屈むと頭を撫でた。
緩やかに波打つ銀の髪はやはり触り心地抜群だ。
「イーリスは……わざと俺で遊んでいるんじゃないだろうな?」
顔を伏せたまま低い声で呻く。
ダークエルフをおちょくるなど、そんな命知らずなことはしない。
「誓って、わざとじゃないから」
ラグナルが動かないのをいいことに、私は彼の頭を撫で倒した。
「そんなわけで、ラグナル。解呪させてもらえないかな。多分、解けると思う。多分だけど」
しばしの沈黙ののち、ラグナルの髪がサラサラと揺れる。首を横にふったのだ。
「解呪は必要ない」
「でも――」
私は口を閉ざす。顔を上げて、私を見るラグナルの眼があまりに真剣だったから。
「本当に必要ない。これは罰だ」
彼はぽつぽつと話し始めた。
「まだ餓鬼だったころ、固く行くなと禁じられていた森に興味本位で入った。その先で咲き乱れる花に囲まれた祠を見つけた。それを里の年寄りから聞いた話に出て来る龍の祠だと思い込んで」
そこでラグナルは言葉を切るとため息とともに吐き出した。
「黒魔法で扉を割った」
生意気ざかりなラグナルを思い出す。うん、あの頃の彼ならやりそうだ。
「いや、割ったというか、粉砕したな。そこに魔女が現れた。ぼさぼさの髪を振り乱してボロを纏って狂っているように見えたよ。魔女は祠を見て激怒した。確か、黒魔法を奪ってやる、と言われたかな。気づいた時には印が刻まれていた。あの時の魔女は今の魔女とは別人に見えた。だが、あれはリュンヌだったんだな」
私は黙って話を聞いた。おそらく今のリュンヌになる前のリュンヌだろう。
「墓荒らしと言われてようやく分かった。あの祠は魔女にとって大切な者の墓だったんだろう。俺なら……俺が魔女の立場ならきっと殺していた」
ラグナルはどこか遠いところを見ていた。
もしかしたら、いずれ自分に訪れる未来を見ているのかもしれない。
「俺は魔女の怒りが解けるのを待つ。だからこれ以上の解呪はいらない」
私は無言で頷いて、目の前にあるラグナルの頭を抱きしめた。
ラグナルは抵抗することなく、じっとしている。
「私ね。すごく自分勝手なの」
ぎゅっと両手に力を入れて、頭に頰を寄せる。
一年前、記憶を取り戻せばラグナルは離れていくと思っていた。
憎悪されるか……よくて、気の迷いだと考えるだろうと。
キーランの言うように、変わらずに私を思い続けてくれるだなんてことは、絶対にないとしか思えなかったのだ。
でも、一年かけて私を探してくれた。
ラートーンの支配が解けるかもしれないと不安でたまらなかったあの時、支えてくれた。
尊大で、少し目つきが悪くて、剣と黒魔法の達人で、誰よりも頼りになって、すぐにキレて、意外とむっつりで、拗ねると可愛い。
私はそんなラグナルが好きだ。
「先にいなくなるって分かってるのに、それでもラグナルと一緒にいたい」
すこし小さくなった肩が胸のなかでびくりと震えた。
「私が死ぬまで、ずっとラグナルだけだって約束する。だからラグナルも約束して。私が死んだら……別の幸せを探すって」
ラグナルの手が、おずおずと伸びて私の服の裾を掴む。
何かを葛藤するように、大きく息を吸い込む音が何度も聞こえた。
私は静かに待った。
やがて「努力する」とどうにか聞き取れるほどの小さな声が聞こえた。
「うん」
抱えていた頭を放すと、両手で頰を挟むようにして顔を上向ける。
「約束だよ」
そう言って私はラグナルの唇に自分のそれを重ねた。
離れると、私は笑った。
「耳が赤くなるの、変わってないね」
びしり、と音が出そうなほどに固まっていたラグナルが眉を寄せる。
それから唇の端をつりあげて笑うと、私の首の後ろに手を伸ばした。
「されるより、するほうがいい」
言って、引き寄せようとする。
その腕から、私はさっと逃れた。
「その前に――」
床に置いた鞄から狒々神の角とサールスペーリの樹皮を取り出す。
「薬を作るから飲んで!」




