その1
最終章です
地上の土を踏むと、私は大きく伸びをした。
うーんと頭上を仰ぐと目に入るのは、無数の星と半分に欠けた月。
体を伸ばしたまま、しばしその星空に見入る。
「空ってこんなに高かったんだね」
「なに、イーリス詩人に鞍替えするつもり? 繊細さも感受性も足りないからやめたほうがいいよ」
私は無言でノアを睨んだ。
よく回るその口を、縫い付けてやりたい。
「でも、ま、気持ちは分かる」
言って、ノアも星空を見上げた。
その隣でルツも頭上を見上げ、ウォーレスはそんなルツを見つめて何やら思案顔だ。
――とうとう思いを告げる決意を固めたかな。
酒好きで、女好きで、調子がよくて、ムードメーカーで、兄貴肌で、頼りになって責任感があって……ルツに頭が上がらない。尻に敷かれる姿が目に浮かぶようだった。
ルツはノアのことがあるからすぐには承諾しまい。でも、きっとうまくいく。
わくわくしながら二人を眺めていると、視線を感じたらしいウォーレスがこちらを向いて、目があった。ギョッとした後、ばつが悪そうに視線を逸らすウォーレス。
キーランはただ一人、遺跡を見つめていた。
「ホルトンに戻るぞ。ルツ、夜目の利く鳥に文を結んでくれ。遺跡の規模によっては街道や街に被害が及びかねん」
地下の構造物を潰せば、地上に余波がくるだろう。
大人しく木に繋がれ待っていた馬に跨ると、速歩で馬を走らせ街に戻る。
その道中で、私は皆と離れたあとのことをぽつぽつと話した。
眠る数十体の狒々神、薬草園、リュンヌの登場に、階下が透けて見える床。そして私に起こったこと……
さすがに魔神の血が流れている話は黙っておいたけど。
「つまりー、魔力が戻って印術が使えるようになった。でも、どの程度の力があるかは未知数。遺跡の狒々神は自我がないから支配が可能だっただけで、野生化したものには絶対に無理だってことは断言できる――と」
ノアのまとめに私は頷いた。
狒々神に印術をかけたとき、わかったことは二つある。
一つは狒々神が自我を持っていなかったこと。
そしてもう一つは――
私の力が自分で想像し、恐れていたものの足元にも及ばないしょぼいものである、ということだ。
トヨ・アキーツが身篭ったのは遠い昔のこと。イーは代を重ねた。魔人の血は随分薄れている。特に私は『血の代わりにトマトジュースでも流れているんだろう』と兄に言われるほどだった。
――あー……
今やっと理解した。
『まあ、お前程度なら、力を取り戻したところで大したことはできまいがね』
いつぞや聞いた兄の言葉。
力のない私を馬鹿にして嫌味を言っているのだとばかり思っていたけれど、あれは……
先見だ!
毎度毎度わかりにくすぎる!!
いつか、一言、面と向かって文句を言いたい。
言ったところで、羊羹でも食べながら、
「私にも占とわからないのだからしょうがないだろう。お前は相変わらず残念なおつむをしているね」
とでも言われて失笑されるだろうけど。
やってみなければ分からないけれど、鼠や小鳥になら余裕で印をかけられる。猫や犬も大丈夫。小型の魔獣クロシバーくらいなら、頑張れば何とかなるのではないかなと思う。
でも人を支配して意のままに操るなんて絶対に無理。
私は両手で顔を覆った。祖先と同じ過ちを起こしたらどうしよう! だなんて悲劇のヒロインぶってウジウジ悩んでいた自分が恥ずかしすぎる。
「危ないぞ、イーリス」
腰に逞しい腕がまわされる。
「ラグナル……」
速歩なら手を離しても落馬しない。ウォーレスとノアに鍛えられたから。
私は腹に当たる腕に手を添えた。
「あの……私が間違ったら止めてくれるっていう約束。大丈夫そう。まず間違えを起こせそうにないので。お騒がせしました」
ラグナルからは、ただ「そうか」とだけ返ってきた。
無事に遺跡を抜け、自分の力に拍子抜けすると、一気に気が緩む。どっと押し寄せる疲れにラグナルはすぐに気付いたらしい。
「体を預けて休んでいろ。大丈夫だ。イーリスが寝ても絶対に落とさない。約束する」
心地よいその声音に、体の力がぬける。
人間とは違う感性をもったラグナルの側にいると、いつもハラハラさせられる。けど、こんな風に安心できるのもまた、彼の側だけだ。
育った気持ちに蓋をするのはきっともう無理。
彼にとって、私の側にいることが正解だとは今でも思わない。
なのに、私は……
「ラグナル、ごめん」
呟きをどう受け取ったのか。
「気にするな」
と言うラグナルの声音は、どこまでも優しい。
薄れゆく意識の中で、「ウォーレスー。やけ酒ならいつでも付き合うから言ってよねー。僕も思いっきり飲みたい気分」というノアの声を聞いた。
未成年の飲酒 駄目 絶対




