その21
「で? どういうことなの」
ノアは仁王立ちでスタッフを持つ腕を組んだ。目が据わっている。
「色々あって、印術が使えるようになりました。さらに、あれやこれやでこの狒々神たちは私の支配下になりました。よって無害です」
「そこ、はしょんないでよ!」
ノアを本気で切れさせる天才だと自負してもいいだろうか?
年若い魔術師は、眦を吊り上げて怒ったのち、赤い髪を両手でぐしゃぐしゃとかき混ぜて長い長い溜息をついた。
「ちなみにこっちはイーリスが消えてすぐに、ラグナルがぷっつんして、手当たり次第に黒魔法を放ちまくった。僕たちは流れ弾に当たらないように防御をはるので精一杯。そんな中、狒々神がまたおりてきて、なんとか始末した。そしたら今度はこの黒魔法馬鹿が天井に向かって狙い打ちを始めてこの有様。やめろっつっても全く聞く耳もたなかった。以上」
うん、だいたい見てました……
「てかラグナル! いつまでイーリスを抱きあげてんだよ!!」
落下途中で受け止めてもらってから、ずっとラグナルの腕の中だった。何度か抜け出そうともがいてみたが、その度に拘束がきつくなって今に至る。
「ラグナル。そろそろ下ろして」
崩落も止まったし、もう抱き上げてもらう必要もない。
「断る」
いや、そんなキリッとした顔で言われても……
「イーリスは、少しでも離れるとすぐに姿を消す。俺が抱えていたほうが間違いがない」
私は言葉に詰まった。
「反論できねえな」
くっくっと笑って茶化すのはもちろんウォーレスだ。普段の彼らしさが戻ったらしい。
「ラグナルの言い分も一理ある。戦力が削られる分は狒々神に働いてもらえばいい」
キーランが決定を下してしまえば、もう私に反論の余地は残されていなかった。
「それにしても狒々神を印術でしばれるなんて」
驚愕が去ってから、ルツからはずっと熱の籠った眼差しを感じていた。ルツは誰よりも印術の適性があるノアを家に戻したいらしいけど、研究熱心なルツのほうがモーシェの名に相応しいに違いない。
「えーと、ここの狒々神たちは少し特殊で……」
この遺跡でかつて行われていたことをなんと伝えようかと考えていると、キーランが口を開く。
「自我がないか?」
私は驚いてキーランを見た。
「最後の狒々神を斬ったとき、おかしな感触がした。こちらの対応が後手に回ったにもかかわらず、ああもあっさりかたがついたのはおかしい。それに天井とともに落ちてきた狒々神の殆どが動いていない。瓦礫の下でもまだ息があるものもいるだろうに……。この遺跡は思ったよりも曰く付きのようだ」
キーランの異常なまでの察しの良さは、ときおり、辛くならないのかと心配さえするほどだ。
私は神妙な顔で頷いた。ラグナルに抱えられたままだから今いち緊張感にかけるけれど。
「実はリュンヌが来てる。とりあえず、急いで脱出したほうがいい。たぶんだけど、ここ全壊させられると思う」
階下に落ちてからリュンヌの姿は見ていない。彼女は彼女のすべきことをしに行ったのだろう。
「まじかよ……」
ノアが呻くように言う。
ふと、ラグナルが何かに気付いたように顔をあげた。
「空気が変わった。階段の上から風が来ている」
そう言われて階上に顔を向けた。その途端、ふわりと頰くすぐる空気の流れ。
「本当だ」
「塞いでいた壁が崩れたか。ついてるな」
ついている。そうだろうか? この大きな空間の天井だけが綺麗に崩落して他はビクともしていないのに。
思考の読めない魔女リュンヌのほんの気まぐれな気がした。あるいは、出口を探してこの遺跡の中を見られることを嫌ったのかもしれない。
「あーもう、早く出よう! こんなところで生き埋めなんて嫌すぎでしょ!」
ノアの言葉に私たちは一斉に階段を駆け上がる。
階段の最上部の壁に、人一人がかろうじて通れる穴が空いていた。
レリーフで飾られた廊下を進めば、道を塞いでいたはずの壁がまた同じように崩れている。
都合のいい偶然が二回も続けば、もうそれは偶然とはいえない。
魔女の影を感じながら、私たちは急ぎ元来た道を戻った。
ロープを使って水流を超え、行きに顔料をつけた石をさけて進み、長い長い階段を登る。
頭上から差し込む月の光が見えた時は、誰もが安堵の息を吐いた。
キーランを先頭に、ルツ、ノア、ウォーレスが最後の段を登り地上へでたとき、私はラグナルに待ったをかけた。
「ラグナル、少し待って」
ラグナルが私を階段の上に下ろす。
振り返って、殿を務めさせていた5体の狒々神を見た。
「地下へ戻りなさい。どうか、静かに最後の時を……」
狒々神たちは踵を返すと、階段を降りていく。
私は唇を噛み締めた。
つくられ利用されるだけの存在だった狒々神たちに罪はない。しかし世に出してはいけないものだ。
「あれは穢れた獣だ。死以外に安寧はない」
それは、森の中で小さなラグナルから聞いた言葉だった。
私は頷くと、ラグナルと二人で階段を上った。




