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三流調剤師、エルフを拾う  作者: 小声奏
三流調剤師と小さなエルフ
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その1

 朝霧の中、屋敷を背に立つ兄に、私は深く頭を下げた。


「今まで、お世話になりました」

「うん、二度と戻ってくるんじゃないよ」


 兄は微かに笑って、旅嚢を手渡す。

 他に見送りはいない。

 直系でありながら力の弱い私に関心を持つ人間は、一族の中には殆どいなかった。

 私は兄の背後に目を向けた。故国の様式を写した、この大陸では珍しい総木造の大きな屋敷。三歳の頃に引き取られてから、十数年を過ごしたけれど、最後まで馴染めなかった。

 私は再び兄に視線を戻すと、頭を下げ、背を向ける。

 こうして私は兄以外の誰にも知られることなく、一人、故郷をあとにした。



※※※※※


 柔らかな下草を踏みながら、木漏れ日が照らす森の中を歩いていた。

 季節外れの陽気に背中がしっとりと汗ばんでいる。


「ここにもない」


 このところの日照り続きのせいか、それともこの暖かさのせいか、傷薬の材料となるサオ茸が一つも見当たらない。

 森の中に入ってすでに二刻近く経過している。いつもなら籠いっぱいのサオ茸を背負い街に帰っているころだ。


「もっと奥に入らないとダメかな……」


 私はちらりと森の奥へと視線を向けた。

 ホルトンの街近くにあるコールの森は、奥へ行くに従い、木々は鬱蒼と茂り、地表まで落ちる日の光はまばらになる。すると当然視界は悪くなるうえ、魔獣の出没率も増す。

 ごくごく浅い場所で薬の材料を採取するだけの私は詳しく知らないが、森の中心部にはそれはそれは恐ろしい魔物がでるらしい。

 強豪ギルドに所属する腕っぷし自慢の冒険者たちがパーティを組んで、準備万端森の深部に分け入り魔獣を討伐して、目玉の飛び出るような高額の報酬を得た、なんて話を時折耳にする。

 万が一そんな魔獣に出会ったら、しがない三流調剤師の私に抗うすべはない。


「でもなあ……」


 私は足元に目をやってため息をついた。

 からからに乾いた土は軽くつま先で蹴ると、白い土埃をあげる。

 こんな場所にサオ茸が育つわけがない。あれは適度な湿気を好むのだ。

 国を離れ、ホルトンの街に流れ着いて、そろそろ一年になる。兄に渡されたなけなしの餞別は路銀と小さなボロ家の購入で使い果たした。

 私に作れるのは、傷薬や痛み止め、低級の魔力回復薬といった単価の安いものばかりである。日々の依頼をこなさねば即食いっぱぐれてしまう。

 私は再び森の奥に目を向けた。

 細い細い獣道が、まるで誘うように森の中へと続いている。

 少しだけ…少しだけなら、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、私は薄暗い森の奥へと足を踏み出した。


 その判断は大当たりだった。

 採取場所を変えてものの四半刻でサオ茸はもちろんのこと、二日酔いに効くハッキ草や、熱冷ましになるピエヒタールの木の皮で籠の中はいっぱいになった。

 なにより、思わぬ収穫があった。

 私は大事に布に包んで腰に巻きつけたものをぽんぽんと手で叩いてにんまりと笑みをうかべた。

 大人の拳ほどの大きさのごつごつとしたそれは、香水の原料として高値で取引される龍涎石だ。大空を舞い、雲を喰む龍が、腹の中に溜まった残りカスを吐き出した塊とされているが、本当のところは誰にもわからない。

 確かなのはこれが滅多に市場に出回らない珍品であるという点だ。やや小ぶりだが半年は食うに困らない値になるだろう。

 ボロ家の補修に、調剤道具の新調、そうそう今履いている長靴もだいぶくたびれている。

 ――何に使おうかな〜

 私は鼻歌を口ずさまんばかりに舞い上がっていた。

 だから気づかなかったのだ。

 次々と見付かるそれらにつられて、思っていたよりずっと森の奥深くに入り込んでしまっていたことに……


 パキン

 どこかで小枝の折れる音がして、私はようやく我に返った。

 慌てて辺りをぐるりと見渡し、眼に映る光景に愕然とする。

 幾重にも重なる木々の葉が空を覆い、昼なお暗い森の中。ところどこに突き出した岩はびっしりと苔に覆われている。ずっと続いていた獣道はいつのまにか途切れていた。

 じっとりと湿り気を帯びた地表から、長靴にじわじわと水が染み出す。

 木々の間をひらひらと舞う蝶も、一心に葉を齧る虫も、苔むした岩肌に張り付く小さな蜥蜴も、見たことのないものばかりだった。

 ――まずい。

 背を冷たい汗が滑り落ちる。

 奥に入り込みすぎたのだ。すぐに森を出ないと。

 すっかり忘れていた警戒心が急速に湧き出て警鐘を鳴らす。


『お前は目先のことに気を取られすぎる。改められなければ、いずれ痛い思いをするはめになるよ』


 いつだったか兄に言われた言葉が頭の中に木霊する。

 国を出て一人になってからは、随分気をつけていたつもりだったのに、迂闊な性質はまだまだ治っていないらしい。

 私は来た道を戻ろうと、そろそろと歩き出した。

 パキンッ

 その途端に、また枝が折れる乾いた音が響いた。

 次いで茂みをかき分けるような葉と葉が擦れる音が聞こえ、びくりと肩が震える。恐る恐る音のした方に目を向けると、二〇歩ほど先の葉が揺れているのが目に入った。

 姿は見えない。けれどその茂みの中に何かがいるのは明らかだった。

 気づかれたら終わりだ。

 私はそこから目をそらさぬまま、一歩、また一歩とゆっくり後退る。

 心臓がバクバクと音を立てていた。

 走って逃げるべきか、一か八か木に登るべきか。

 この期に及んで、籠の中身が惜しいと思うのは間違いだろう。

 いつでも籠を下ろして、駆け出せるように僅かに腰を落とし足に力をいれる。

 どこかに去ってくれれば……という願いは虚しく散り、ガサガサと揺れる葉の中から白銀の毛が覗いた。

 ――出てくる。

 ごくりと、喉がなった。こうなったらもう気づかれぬうちに逃げるのは無理だろう。

 一瞬の目眩しになればと、肩から滑るように落とした籠を、今にも姿を現さんとするソレに向かい投げつけようとして、既のところでその手を止めた。


「こ、ども?」


 緑の葉を揺らして出てきたのは白銀の髪の小さな子供だった。

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