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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第一章 始まりの公園
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画用紙から消える日




 公園からの帰り道、柊永は買い物袋を片手に持ちながら陽大の手も握る。

 柊永に横目を向けた秋生は、遠慮がちに隣を歩いた。

 本当は買い物袋くらい引き受けるべきだが、結局何も言えないまま3人で帰り続ける。


 公園ではとても元気だった陽大は徐々に歩く足が鈍り始め、口数も少なくなる。

 本格的な夏を間近にして最近急に暑くなった上、今日はいつもより長く柊永と遊んだので、さすがに疲れたらしい。


「だっこ」


 突然立ち止まった陽大が手を繋ぐ柊永を見上げ、抱っこをせがんだ。


「陽大、おいで」


 秋生は陽大を抱っこする為、いつものように手を広げる。

 いつもなら喜ぶ陽大が今日に限って姉の手を無視し、再び柊永を見上げた。

 柊永はそんな陽大をひょいと持ち上げ、あっという間に自分の腕に乗せてしまった。


「陽大、お兄ちゃんは荷物持ってるから、あきちゃんでもいいよね」

「おにいちゃん」


 慌てる姉の言葉に納得しない陽大は、柊永の首にしがみつき始める。

 仕方なく陽大を諦めた秋生がせめて柊永の持つ買い物袋を引き取ろうとしても、彼は秋生が伸ばした手を無視し再び歩き始めた。



 秋生は柊永と一緒に過ごすようになってから、彼の行動に振り回されることが度々あった。

 秋生にとっていつも陽大と遊んでくれる柊永は、大変お世話になっている存在だ。

 帰り際に毎回お礼を伝えるが、当の彼は秋生の礼に頷きもしてくれない。

 秋生は毎日陽大の相手をしてくれる彼に申し訳ない思いばかり募り、せめてそれ以上柊永に負担を掛けないよう毎日心掛けている。

 柊永はそんな秋生の気持ちに全く気付いてくれないのか、平気で秋生を振り回す。

 秋生がいくら遠慮しても柊永はどんどん勝手に行動し、秋生を強引に助けてしまう。

 なるべく迷惑をかけたくない秋生はいつも勝手に振り回されて、結局気が付けば柊永に迷惑をかけてしまう。

 最初はしつこいほど遠慮していた秋生も途中で時間の無駄と気付き、最近では1度の遠慮で諦めるようになってしまった。

 結局秋生にとって柊永は元から勝てる相手ではなかった。

 


「おっきいこーえん!」


 そろそろ自宅が近付く頃になって急に元気を取り戻した陽大は、大声を上げ指差した。

 おそらく初めて一緒に帰った柊永に教えようと思ったのだろう、自宅から50mも離れていない場所にある公園を一生懸命連呼し始める。


「よく来るのか?」


 陽大に教えられ公園に視線を向けた柊永は、そのまま陽大に尋ねた。


「おやすみだけ」


 口を尖らせながら彼に答えた陽大は、明らかに不満そうだった。

 秋生はそんな弟の言葉に突然ばつが悪くなり、さりげなく俯いた。 


 自宅から近い場所に昨年新設されたばかりの公園は、敷地も広大で遊具も多い。

 アスレチックや散策コースなどもあり、今では小さい子供からお年寄りにまで幅広く利用されている。

 陽大はもちろん秋生もお気に入りの公園だった。

 

 陽大が不満に感じてるのは、秋生が日曜日にしか連れてきてくれないからだ。

 設備が充実してる公園は陽大が喜ぶ遊具もたくさんあり、その分遊ぶ時間も要される。

 普段家に帰ってからは一番忙しない秋生が休み以外近所の公園を避けたいのは、それが理由だった。

 自分勝手にも近所の公園は日曜日だけと約束させ、毎日公園を通り掛かるたび羨ましそうに見つめる陽大の気持ちに目を瞑ってきた。

 そんな秋生にとって柊永に不満を零す陽大の姿は大変罪悪感を覚えさせられるものだった。

 さりげなく俯いていた秋生は、いつの間にか柊永に視線を向けられる。

 柊永の目を肌で感じ取った秋生が今度は追い詰められた気持ちになり、更に俯いて誤魔化した。


「なあ陽大。今度の休み、俺も混ぜてくれるか」


 柊永の言葉にとっさに俯いた顔を戻した秋生は、信じられない思いで彼を見つめた。

 いくら何でもありえない突然の申し出に、秋生の頭は一気にパニック状態に陥った。


「おにいちゃん、いっしょいくの? ほんと?」

「ちょっと待って木野君!」


 秋生はひとり喜び始めた陽大にこれ以上期待させないため、慌てて柊永を呼ぶ。


「休みの日は、私が陽大を公園に連れていくから…………あの……」


 彼にそこまで助けてもらう必要など全くない。

 平日だけじゃなく休日にまで陽大と秋生に縛られるなんて、あまりにも柊永が不憫すぎる。

 それにどうして柊永がそこまで助けてくれるのか理解できない。

 本当は彼にはっきりと断るべきだが、秋生の性格上どうしても気弱になってしまう。

 それに何と言い訳すればよいのかもわからず、結局尻すぼみの遠慮で終わってしまった。


「迷惑なのか?」


 柊永は秋生から曖昧に遠慮されても表情変えず、強い口調で尋ね返した。


「そ、そういうわけじゃなくて、木野君に迷惑……」

「じゃあ決まりだな」


 秋生がしどろもどろで言い訳しても、柊永は相変わらず勝手に決めてしまった。

 それ以上遠慮できなくなった秋生も結局黙ると、柊永の目がわずかに柔らかくなる。

 秋生は彼自身が望んでいるんじゃないかと誤解してしまうほど優しく感じた彼の目を、思わず息呑み見つめてしまう。

 いつだって秋生は彼の目には勝てないのだ。




「どうもありがとう」


 自宅前まで着いた秋生はようやく買い物袋を受け取ると、柊永の腕から陽大も降ろされた。

 すでにこの時間、辺りは夕焼けで赤く染まっている。

 そのまま柊永の帰りを見送るため待っていたが、なぜか彼は秋生の背後にじっと視線を向け始めた。

 

「ここか」


 眉間に皺を寄せた柊永に怖ろしく低い声で問われた秋生はわずかに脅えながらも、すぐに彼の問いかけを理解する。


「ここだけど……」


 秋生も背後のアパートに振り向きながらここが自宅だと肯定すると、ますます柊永の顔色は悪くなった。


「……セキュリティも糞もあったもんじゃねえな」 


 決して上品とは言い難い感想をボソリと呟いた柊永は、呆れたように息を吐いた。

 彼なりに小さく呟いたらしい感想を決して聞き逃さなかった秋生は当然否定できず、誤魔化すように苦笑を浮かべた。


 柊永が思わず呆れるほどに古びたアパートは、秋生が生まれた時からずっと住んでいる。

 15年前で既にかなりの築年数が経過した状態で、更に年月を重ね老朽化し、ここ数年は住人が入らず大家さえ見放している状態だ。

 秋生としてはそのお蔭で家賃も激安で済み、陽大が騒いでも他の住人が居らず文句が出ないこのアパートは大いに助かるものだった。

 確かに外観はひどいが部屋の中は途中でリフォームされたお蔭で、まったく不自由していない。

 住めば都であって、秋生はこのアパートが嫌いではなかった。

 そういえば初めて秋生の親友が訪れた時も、今の柊永と同じ顔をしていた。

 あの日の彼女を思い出した秋生は少しばかり可笑しくなった。


「おにいちゃん、かえるの? おうちどこ?」


 しばし柊永と向かい合ってると、陽大が彼を見上げながら尋ねた。

 これからどんどん暗くなる時間で、子供心に送ってくれた柊永の帰宅が心配になったのかもしれない。 

 秋生は陽大の心配に、改めて柊永がどこに住んでいるのか知らないことに気付いた。

 保育園の帰り道にある小さい公園前で偶然出会い、毎日必ず同じ時間にやって来る彼は、その近辺に住んでいるとばかり勝手に思い込んでいた。

 よく考えてみれば、あの近辺は秋生と彼が通った中学校の学区外だったはずだ。

 ようやくその事に気付いた秋生は、今まで気後れし彼の自宅を尋ねなかった自分の迂闊さに今さら後悔した。

 心配する陽大の質問に結局答えなかった柊永はいつものように陽大の頭を乱暴に撫で、またなと一言残した。

 秋生は元来た道を帰り始めた柊永に結局何も聞けずに終わり、陽大は彼の後ろ姿にいつまでも手を振り続けた。





 スーパーで購入した食材をテーブルに並べ、今日使う食材以外は冷蔵庫に納める。

 柊永のお陰で思った以上に早く帰宅できたが、それでも夕食は7時半を過ぎるだろう。

 遅くても9時には陽大を寝かせなければいけない。

 今日は簡単にチャーハンとスープで済ませることにし、急いで包丁を動かし始めた。


 秋生が料理してる間、陽大はいつものように画用紙を床に広げ、クレヨンでお絵描きをしている。

 20分程で夕食の準備を済ませた秋生はテーブルに出来上がった夕食を並べた。

 秋生が傍に近付いても全く気付かない陽大は、黙々と画用紙に向かい合ってる。

 陽大の後ろに回った秋生も画用紙をそっとのぞき込んだ。


「今日も上手だね、陽大」

「これね、こーえんだよ。むしとったの」


 陽大は姉に褒められた絵を指差し説明し始め、秋生も大袈裟な相槌を打つ。

 正直弟が描いた絵はまだまだ未熟だが、一生懸命描いた気持ちがとても伝わる。

 それだけでも十分褒められるものだった。


 あきちゃん、おにいちゃん、陽大は呟きながら描いた絵を順番に指差す。

 おにいちゃんと指差した絵は、姉を描いた絵に比べはるかに大きく描かれている。

 陽大の瞳に映る柊永の姿は、こんなにも大きくて力強い。


 毎日この時間、陽大が画用紙に描く絵は、その日一番楽しかったことで埋め尽くされる。

 柊永と出会ってから、毎日絵の中には必ずおにいちゃんがいる。

 たった1日だって欠かさず、真っ白な画用紙には柊永が存在する。


 秋生はいつも陽大の描く絵を後ろからのぞき込む。

 今日もおにいちゃんがいた。今日もおにいちゃんと一緒にいられたから。


 秋生はいつも陽大とは別な思いに囚われる。

 いつかこの真っ白な画用紙に、柊永の姿がいなくなる日がやってくる。

 描きたくても描けない日がやってくる。

 そんな風にばかり考えてしまう。

 今を見つめる陽大と、先のことばかり考えてしまう秋生。


 柊永と出会ってから、陽大は今まで秋生も知らなかった表情を見せるようになった。

 陽大が見せなかったのではなく、秋生が引き出せなかった。

 秋生はそんな陽大を見るたびに、陽大の中にいる柊永の大きさを思い知る。


 秋生に懐いてる陽大は、秋生が陽大の母親代りだから。

 生まれてから今まで1日も離れず一緒にいたから、秋生を慕ってくれる。

 けれど柊永はそうじゃない。

 最近出会ったばかりで、毎日30分だけ一緒にいる。

 血縁もないし、何も繋がってない。

 偶然出会った、ただの知り合いにしか過ぎない。

 けれど陽大はそんな柊永を愛している。

 会えると1日中嬉しくて、雨が降って会えなかった日は会いたいと泣く。


 柊永と出会って陽大は変わった。そして秋生も変わってしまった。

 少し前の秋生は毎日陽大と生きていくことで精一杯だった。

 心にはいつも明日への不安を抱えていた。

 けれど陽大がいてくれたから我慢できたし、強くいられた。

 自分の人生を受け入れて、諦めて、流れるように生きてきた。


 柊永と出会って、自分は前よりもずっと弱くなった気がする。

 元々持っていた弱い心を、柊永によって曝け出されてしまった。

 以前は笑う陽大を見るだけで嬉しいだけだったのに、それだけではなくなってしまった。

 別の感情が襲ってきて、支配され、押し潰されそうに心が弱くなってしまう。

 先のことばかり考えて、その時のことを思うと不安で眠れなくなってしまう。

 陽大と共に生き、育て、立派に成人させなければいけないのに、柊永といると今の自分は弱くて無力で、何もできないと思い知らされてしまう。


 いっそ出会わなければよかった。

 そうしたら、自分の弱さに気付かないまま陽大と生きていけた。

 こんなにも弱い自分など、自分の人生には必要なかったのに。


 自分を弱くする柊永の存在が怖いはずなのに、画用紙の中からいなくなる日が、今の秋生にはたまらなく怖くなる。




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