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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第一章 始まりの公園
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再 会

 



 偶然足元に転がってきたサッカーボールを片手で拾い上げた彼は、そのまま脇に抱え込む。

 弟が蹴ったボールを追い掛け公園の外へ出た秋生はそんな彼を見つけ、思わず立ち止まった。

 制服じゃない姿は一瞬別人にも思えたが、向かい合ったのはやはり間違いなく彼だった。


 公園前で偶然再会した秋生と彼は自然と互いの目を触れ合せた。


 すぐさま現実に引き戻された秋生は、自分が拾うはずだったボールを脇に抱える彼に礼を伝えるべきだと気付く。

 そしてボールを返してもらう為に手を伸ばせば、彼と向かい合うのも終わることに気付いた。

 けれど秋生の口からありがとうの5文字が声となり出てきてはくれなかった。

 触れ合った彼の目から今だ逃げられない秋生は言葉を忘れてしまった。 


 彼は立ち竦んだままの秋生をすぐに忘れたのか、それとも端から興味がないのか、秋生の脇をあっさり通り過ぎる。

 慌てて振り返った秋生が目で追いかけた彼はボールを抱えたまま公園の中へ入り、秋生が拾うボールを待っている弟の前でなぜか立ち止まった。

 上背のある彼の姿はまだ3才前の弟にはあまりにも大きすぎて、突然目の前に佇んだ彼を見上げる陽大はポカンと口を開け固まってしまった。


「……よう、これお前のか?」

 

 彼は硬直する陽大を気にすることなく、それまで脇に抱えたサッカーボールを持ち直し陽大に確認した。

 普段馴染みのない低い声と幼児相手には不躾ともいえる言葉に、陽大はビクリと震える。

 彼に脅えた陽大がおそらく姉の元へ逃げ去ることは、容易に想像がついた。


「ちがう」


 見上げる彼に小さい声でもはっきり否定した陽大は、かりたのと言葉を続ける。

 彼は言葉足らずな陽大の説明にもそれなりに納得したのか、わずかに口角を上げた。

 とうとう彼から逃げ出すことなく懸命に見上げる陽大に対し、相手が幼児でも目線を合わせることなく平然と見下ろす彼の姿は、平穏な公園に全くそぐわない。 

 端から見れば誤解を招きかねないほど物騒な光景でもあった。


「名前は」


 彼の短い問いかけに、再び陽大の顔が緊張で強張った。


「みずもと ようだい」

「ようだい、俺とやるか?」


 彼が片手で持つサッカーボールを陽大の小さい頭にコツンとぶつける。

 彼の仕草にようやく彼の言葉も理解できた陽大は、力強く頷いた。






 陽大は家に帰ってからも変わらず上機嫌だった。

 いつもより聞き分けが良く、かなり腹を空かせたのか秋生が急いで用意した夕食を残さず完食し、大嫌いな風呂に促しても今日は抵抗しなかった。


 生まれつき食が細い陽大は、秋生が傍で促さないと中々食べてくれない。

 食事中少しでも目を離せばすぐ食べることに飽きてしまい、席から離れようとする。

 最終的には秋生の手で食べさせてあげないと、いつまで経っても食事は終わらない。

 秋生にとって食事の時間は特に陽大にかかりきりになってしまう為、自分の食事は短時間でかき込むように食べるのが常だった。


 毎日保育園の庭で駆け回り大好きな砂遊びをする陽大を綺麗にする為、秋生は毎日泣いて嫌がる陽大を半ば強引に風呂場へ連れて行く。

 いつもじっとしていられない陽大の身体をようやく洗い終える頃には、秋生の精神もくたくたに疲れてしまう。

 秋生は自分自身の為に普段も今日のように聞き分けよい弟であってほしいと思わずにはいられないが、おそらくは今日限りであることも最初から気付いている。


 今日は大人しく身体を洗われた陽大は、姉の膝に座りながら温かい湯船に浸かり始める。

 秋生は赤い顔でじっとしてる陽大を背後からゆるりと抱きしめた。

 つるりとして柔らかい弟の肌は、触れていてとても気持ちが良い。

 姉弟の肌がくっつき合うこの時間は、風呂に入る前は抵抗する陽大も唯一大人しくなる貴重な一時だ。

 そして秋生にとって1日中外で張りつめ続けた心と身体が解放される一時でもあった。

 陽大が自然と姉の膝を求めるように、秋生も弟を直接肌で感じることで癒されてるのだと深く実感させられる。


「あきちゃん、またくる?」


 すでに今日2度繰り返された弟の質問に、再び秋生の口も重くなる。


「さあ、どうだろうね。あきちゃんもわからないや」


 結局弟の質問に再び曖昧に答える秋生は、それでも否定の言葉だけは口にすることができなかった。

 姉の返答にがっかりと肩を落とした陽大は、口元までお湯に沈んでしまう。

 陽大の身体を再び持ち上げた秋生も同じく気持ちが沈んだ。

 秋生がもう来ないと素直に教えてしまえば、まだ3歳前の弟は同じく素直に傷ついてしまうだろう。

 教えないことで弟の心を傷つけずに済むなら、秋生の心もずっと楽だった。

 これから先会えない日が続けば、おそらく弟はそう遠くないうちに忘れてしまうだろう。

 弟が忘れる日を望んでしまう秋生は、弟にとって残酷な姉の自分が心の中で悲しくなった。


「おにいちゃんとあきちゃん、おともだち?」


 弟から今度は突拍子もない質問をされ、新たに答えを悩み始める。


「お友達じゃないよ。同じ中学校で一緒にお勉強してた人」


 少し前まで同じ教室で過ごした、元クラスメイト。

 そして今日わずかな時間で弟の心を掴んでしまった人。




 夕方の公園で陽大が強く頷くと、彼は地面に落としたサッカーボールを優しく蹴った。

 とても緩やかな速度で転がったボールをちゃんと受け止めた陽大は、向かい合う彼に蹴り返す。

 陽大が懸命に転がしたボールを器用に受け止めた彼は、再び陽大に向かって優しく蹴る。

 繰り返しボールを蹴り合う2人の姿に戸惑うだけの秋生は声を掛けることもできず、公園の隅でじっとしていた。


 弟が向かい合う彼は、弟よりもはるかに大きな相手。

 小さい身体でも夢中で彼と向き合う弟の心が、少し離れて見守る秋生の心にもはっきりと伝わる。

 それは弟が初めて出会った喜びで、今まで弟が知らなかった喜び。

 溢れかえるほど湧き上がり、止まらない。

 秋生には決して与えられない、とても大きな弟の喜び。


 彼はたった数十分、けれど数十分もの時間を弟に与えてくれた。


「またくる?」


 一緒に遊んだ彼に最後尋ねた陽大は、無邪気にも必死にお願いする。

 

「またな」


 彼は陽大の小さい頭を少しばかり乱暴に撫でながら、一言残した。


 公園から帰り始める彼と最後再びすれ違った秋生は、引き止めなければいけなかった。

 けれど結局秋生は遠くなるばかりの彼を見つめるだけで、ありがとうの一言を伝えることができなかった。




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