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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第二章 始まりと終わり
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ここにいる




「久しぶり」

「あ」


 目の前の客に声を掛けられた秋生は初めて客の顔を確認すると、確かに久しぶりに会う知人だった。

 思わず声に出し反応してしまい、誤魔化すように笑顔を浮かべる。


「瀬名君、こんにちは」


 瀬名 啓斗は、以前と変わらず明るく染めた髪とピアスが特徴の青年だった。

 瀬名に声を掛けられた通り、およそ1年半ぶりの再会だ。

 前回会った時も秋生が働くこのドラックストアで再会した。


「お買いもの?」


 確か瀬名の家はこの店の近所だったはずだ。

 以前瀬名本人が話してくれたことを覚えている。

 瀬名は秋生の尋ねに笑って肯定すると、レジ台に置いたばかりの商品に一度視線を向けた。


「うちの妹に頼まれてさ。あいつ今年受験生だから」

「そうだったんだ。気をつけないとね」


 秋生はありきたりな言葉を返しながら商品のマスクをレジに通し、瀬名から代金を受け取った。


 瀬名と秋生は中学時代のクラスメイトだ。

 そして瀬名は柊永の友人でもある。

 よく知れば柊永とは幼馴染でもあるという瀬名は、中学時代いつも柊永の隣にいたことを覚えている。

 おそらく高校時代もそうやって過ごしたのだろう。

 柊永と同じ高校に進学した彼はやはり優秀で、一見派手な外見から柊永以上にギャップを感じるかもしれない。

 

「あ、遅くなったけど大学入学おめでとう」


 秋生が1年半ぶりに会った瀬名に今更ながらお祝いの言葉を口にすると、照れた笑みを返される。

 瀬名は中学時代と変わらず童顔で、大学生になった今も少年から抜け切れない幼さを感じた。

 おそらくその親しみやすい雰囲気から、柊永とは別の意味でモテる人かもしれない。

 妹に頼まれこの店までやって来たのも、おそらく普段から家族思いで優しい兄なのだろう。

 過去に数回会った時も、秋生に対して優しく笑ってくれた人だった。


「あいつとも最近会ってなくてさ…………ほら、あいつはバイトで忙しいから」


 柊永と大学が別れた今、機会を作らなければ会えなくなった瀬名は、秋生にも寂しそうな笑顔で教えてくれた。


「あいつもここに来るの?」

「うん、時々」


 互いに柊永のことを教え合っていると、レジに近づく客に気付いた瀬名が急いで買い物袋を手に取った。


「じゃあ、また」

「ありがとう。今日来てくれたこと伝えとくね」


 レジを離れる瀬名に向かって最後に声を掛けた秋生は、笑って手を振られる。


 秋生は瀬名が去ったあと次の客に対応しながら、さっき喋った彼のことを振り返り始めた。

 瀬名が今日この店に来たことを柊永にも伝えておくと、最後彼に言ったのは秋生だ。

 けれどおそらく柊永に伝えることはないだろう。

 そして瀬名本人もそれを望んでいないと、秋生はわかっていた。


 過去数回会った時の瀬名はいつも気さくで優しい人だった。

 さっき会った瀬名も、以前と何も変わっていなかった。

 秋生に対していつも優しく笑ってくれる。


 けれど秋生にはわかっていた。

 秋生に優しく笑いかける瀬名の目だけは、決して笑っていないことを。


 穏やかで険のない表情のなか彼の目だけが温度を持たず、秋生を冷静に観察してることを知っていた。

 そして柊永を通じて最初に会った時から、瀬名はいつも秋生をその目で冷やかに監視していた。

 それに気が付いてるのは、おそらく秋生だけでなく柊永も同じだろう。

 最初に会って以降、柊永が秋生に瀬名を会わせないのも、秋生に瀬名の話をしなくなったのも、それが理由だ。


 秋生に笑顔を浮かべる瀬名の目は語っていた。

 この女は信用できない。

 瀬名はいつだって笑いながら秋生を目だけで観察し、監視し、そして軽蔑していた。


 だから秋生も気付かないフリをする。

 瀬名に観察や監視されるどころか軽蔑までされても、微塵も気付いてない態度で彼に明るく笑う。

 けれど秋生が笑わなければいけないのは、瀬名の気持ちを一番理解してるからだ。


 瀬名にとって秋生は、大切な幼馴染を駄目にした女だ。

 幼馴染を純粋に心配するからこそ、瀬名は秋生の存在を認められない。許さない。


 恋人として、柊永が秋生によって犠牲にしてきたものは計り知れない。

 彼は高校時代から常に姉弟と人生を共にしてきた。

 自分の時間を犠牲にし秋生を助け、陽大の面倒を見てきた。

 そのわずかな隙間に働き、姉弟の生活を維持させ続けた。


 昨年大学生となった柊永は、学校以外の空いた時間を新たなバイトに費やし始めた。

 週の半分以上は秋生達が帰宅する頃にはなるべく彼も帰り、遅くなった日でも必ず姉弟と共に夜を過ごす。

 彼は大学生になった今ほとんど実家で眠らなくなり、高校時代は決して許さなかった秋生も今では帰らない彼に何も言わなくなった。


 そして瀬名はそんな秋生が許せない。

 普通の高校生でいられた頃から友人を束縛し、友人のわずかな時間さえも奪い、いつまで経っても友人の献身を平然と享受し続ける秋生が許せない。


 おそらく瀬名だけでなく、秋生が今だ会ったことない柊永の両親も同じ思いだろう。

 そして瀬名の気持ちを一番わかってる秋生は、彼の前では笑う努力しかできない。

 瀬名が秋生を、そして柊永を理解できないように、秋生と柊永の在り方を彼にわかってもらうことなど所詮無理な話だった。






 3月初旬、陽大は保育園を卒園した。

 それでも陽大は3月いっぱいまで希望登園できることになり、大学が春季休業に入った柊永はアルバイトを増やすと言っていた。

 高校から今も地元を離れている親友の真由は同じく大学の休みに入り、しばらく実家に帰省することになった。

 真由の両親は真由が長期で帰省する際、いつも秋生たち姉弟が泊まりに来ることを望んでくれる。

 今回も3連休を利用し秋生も仕事を休み、有難く真由の家にお邪魔することにした。



「陽大、明日の準備終わった?」


 秋生は風呂から上がった後いつものサッカー盤で遊び始めた陽大に確認した。

 明日から陽大と一緒に真由の家へ泊りに行くため、今夜のうちに準備を済ませておく為だ。

 陽大の着替えは秋生のバックに入れたので、あとは陽大のおもちゃだけだ。


「全部リュックに入れたよ」


 背後に立つ秋生に確認されても振り向かず答えた陽大は、相変わらずサッカー盤から離れない。


「陽大、サッカー盤は大きいから無理だよ」


 秋生はとりあえず念を押しておくと、うんと小さく返事を返された。

 いつも元気な陽大がどことなく覇気がないことに秋生もようやく気付き、陽大と向かい合う柊永に視線を向ける。

 秋生と目を合わせた柊永は特に何も言わず、陽大に視線を向け直した。


「陽大」


 柊永の呼びかけには渋々サッカー盤から顔を上げた陽大は、唇を尖らせ不満気な表情を浮かべた。


「柊君はお家にいるの?」


 柊永に尋ねる陽大にようやく納得した秋生は、陽大を後ろから抱き締めた。


「どうしていつも真由ちゃんのお家に行かないの?」


 秋生に抱き締められ素直に身を預けた陽大は、再び柊永に尋ねる。

 いつも真由の家へ泊まりに行くとき柊永は一緒じゃないので、陽大は納得できないのだ。


「陽大、柊君も自分のお家に帰るんだよ」


 秋生は陽大を抱き締めながら柊永の代わりに答える。


「1人じゃない?」


 柊永はこのアパートで1人留守番すると思ったのだろう、陽大は柊永にもしっかり確認する。


「陽大、来い」


 手を広げる柊永の胸に移った陽大は優しく抱きしめられた。


「ちゃんと皆と一緒だから心配するなよ。いっぱい遊んでこい」


 陽大は柊永の胸で安心させられても笑顔は戻らなかったが、それ以上彼を心配することはなくなった。

 暫く柊永に抱かれたままの陽大が目を擦り始めたので、柊永はそのまま陽大を寝かせるため隣の部屋に連れて行った。


 秋生は2人の姿がなくなったあと台所に向かい、お茶を淹れるためポットに水を注ぎ込む。

 沸騰を待つ間、今は眠りに就いただろう陽大を思った。

 

 昔からそうだった。

 陽大はもっとずっと小さい頃から、柊永のことを心配していた。

 常に一緒にいる秋生とは違い柊永が傍にいない時、今どこにいるのかいつも気にしていた。

 柊永がいない夜は不安になるので、柊永はいつも陽大が眠ってから帰っていた。

 今は朝まで柊永が傍にいるから、1日でも離れると余計不安も大きくなる。


 陽大にとって柊永は一体どんな存在なのだろうか。

 兄であり友でもあり、そして陽大の知らない父親にも感じたりするのだろうか。

 そのどれにも当て嵌るようで全て異なるようにも思えるのは、陽大が柊永という人間を純粋に愛してる、ただそれだけなのだろうか。


 秋生がそんなことを考えてるうちに、いつの間にかポットが沸騰した。

 2人分のお茶を淹れ部屋に戻ると、陽大を寝かしつけた柊永もちょうど隣の部屋から出てきた。


「眠った?」


 小声で確認した秋生はお茶の入ったマグカップをテーブルに置いた。

 ただ頷いた柊永は秋生の隣に座ると、お茶を口に含む。

 秋生はマグカップを手にすることなく隣の彼を見つめ、下ろした前髪が掛かる彼の横顔に触れる。


「陽大は大丈夫だよ、心配しないで」


 秋生に安心させられた柊永はただ頷き、隣の秋生を優しく見つめた。


「お家でのんびり休んで」


 普段家に帰らない柊永にとって、秋生達がたまにいないことは良いことだ。

 秋生に縛られず、そして陽大に縛られず生きてほしいと思う反面、それをさせてやらないのも秋生と陽大だ。

 さっきのような陽大を見て、彼が今平気であるはずがない。

 ずっと秋生と共に陽大を育ててきたのだから。

 秋生がもっと楽でいてほしいと伝えても、柊永には通じないとわかっている。

 それでも言葉にして伝えるのは、秋生が望んでることを柊永に少しでもわかってほしいからだ。


「秋生、何で俺が帰らないと思う?」


 突然笑みを浮かべた柊永に顔を覗き込まれた秋生は、やや訝しがりながらも答えを悩んだ。


「陽大が泣くから…………それに、私達だけじゃ心配なんだよね」

「そうだな、でも違う」


 柊永らしくない曖昧な答えに更に訝しがると、今度は柊永が秋生に触れた。


「眠れないからだ」


 秋生の頬を撫でる指が秋生の鎖骨まで流れ、何度も繰り返す。


「秋生に触れられないと眠れない。陽大はそれを知ってるから心配するんだ」


 秋生の首筋をくすぐった柊永がそのまま秋生を素早く持ち上げ、胡坐をかいた彼の膝に乗せられてしまった。

 強引な柊永の行動に思わず声を出し驚いた秋生は、彼を睨んだ。

 結局秋生の口から文句が出なかったのは、柊永と間近で目を合わせてしまったからだ。

 秋生が最も苦手とする彼の目に囚われてしまうと動けなくなることを、目の前の恋人は知ってるのだ。

 秋生しか見ることができない、彼の目に滲む愛しみと切なさが交った恋情の色は、いつも秋生の奥から震えるような痺れを生み出す。


「遠い」


 互いの背中に手を回し隙間なく重なり合わせた身体はこれ以上触れ合えないのに、それじゃ足りないと催促される。


「これ以上くっつけないよ」


 照れ隠しにそっけなく呟くと、柊永はまるで縋るように秋生を抱き締めた。


「それでも遠い。いつだってこの中に入りたい。秋生のものになってしまいたい」


 秋生の耳朶に唇を押し付け低く囁く彼の声に、微かな脅えの震えが交ってることを秋生の耳は感じ取る。

 陽大が柊永に対し不安を抱くように、彼が秋生に対しそうだということを、秋生はちゃんと気付いてる。


 いつも秋生と陽大を守り甘えさせ、大きな身体で受け止め続ける強い彼が、秋生だけに見せる弱さ。

 2人の時間、彼が秋生に何度も愛の言葉を乞うのもきっとそのせいだ。

 秋生が離れようとするとまるで計算するように見せつけるのは、秋生がそれに勝てないことを知ってるから。


 だから秋生は今まで柊永を手離せなかった。

 彼に見せつけられるたび手離す機会を失った、取り上げられてしまった。

 そして気付けばここまで経ってしまった。

 そしてまた、彼の弱さを言い訳にして罪から逃げ続けてる自分がいる。


 表面には見せない、綺麗ではいられない2人の醜い本当の姿。


 そして今日も騙されたフリをする。

 自分の罪に目を瞑り、彼を救うため安心させる。


「柊永の中にいるよ。いつもここにいる」


 罪から逃げられず、いつか彼を手離す時がやってきても、秋生の中に柊永がいる。

 誰にも追い出すことはできない、させない。

 いつか柊永の中から秋生がいなくなっても、秋生の中に柊永がいる。変わらない。


 今秋生が唯一できることは、目の前にいる柊永のすべてを愛することだ。




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