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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第二章 始まりと終わり
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2人の在り方




 台所に立つ秋生が壁の時計を確認すると、すでに5時を回ろうとしていた。

 そろそろ行かなければと思い立ち、さっき鍋で作り皿に移したグラタンをオーブンにただ並べておく。

 陽大希望のグラタンは昼間陽大が1人で近所のスーパーまで行き、購入したマカロニで作ったものだ。

 日曜日だった今日、秋生は料理と雑用をこなし、陽大は昼間買い物に行ったあと外へ遊びに行った。

 秋生はそんな弟を迎えに行くため火の元を確認すると、コートを羽織り家を出た。


 夕方のこの時間、外はすでに暗くなり始めている。

 白い息を吐きコートに手を突っ込みながら、早足で歩いた。


 近所の公園に入り広い敷地を見渡すと、昼間はぽつぽつといただろう他の利用者もすでに見当たらなかった。


「陽大」


 薄暗い公園の中、いまだ芝生に覆われた広場で遊ぶ弟の姿を見つける。

 姉の呼び声に気付いた陽大は足元に転がしたサッカーボールを拾い上げ、笑顔で近寄る。


「暗くなったから、そろそろ帰ろう」


 秋生が陽大の赤くなった頬をさすりながら帰宅を促すと、一瞬不満そうな顔を見せた陽大は思い出したように笑った。


「秋ちゃん、グラタン作ったの?」

「うん」

「やった! 早く帰ろ!」


 突然帰宅をはりきり始めた陽大に笑った秋生は、遅れて傍に来た彼にも視線を向けた。


「赤くなってる」


 寒さでわずかに赤くなった柊永に両手を伸ばす。

 すっかり冷たくなった彼の頬を温めるように包み込んだ。


「帰ろうよ」


 秋生に短く返事した柊永は自分に触れる秋生の手を取り、公園から帰り始めた。






「柊君、やろう」


 夕食のグラタンを食べた後、陽大はさっそく大きなサッカー盤をテーブルに置いた。

 柊永の返事も待たず、ガチャガチャと音を立て遊び始める。

 6歳の誕生日に柊永に買ってもらった手で動かして遊ぶサッカーゲームの玩具は、陽大の一番のお気に入りだ。

 休日の午後は公園でずっとサッカーをしてるのに家でまでサッカー一色になってしまった陽大は、将来サッカー選手になりたいらしい。

 姉の秋生も陽大の夢は応援できるが、サッカーばかりで遊び盛りの陽大に毎日手を焼かされてるのも事実だった。


「陽大、お風呂に入る時間だよ」


 秋生が傍で声を掛けても柊永を相手にサッカー盤で遊ぶ陽大は、まったく反応を示さない。

 元々風呂嫌いの陽大が夜サッカー盤で遊び始めると大変厄介で、今日も秋生がいくら傍で風呂に促してもやめることをしなかった。


「陽大」


 弟から完全に無視される秋生を見兼ねた柊永が一言呼び掛ける。

 はーいと素直に返事した陽大は、さっそく遊んでいたサッカー盤を片付け始めた。

 姉は完全に無視しても柊永の一言にすぐさま応える弟の態度は、一体どういうことなのか。

 姉としては少々複雑な心境でもある。

 秋生が甘く見られてるせいもあるかもしれないが、陽大にとって柊永の言葉は昔から絶対で、そして絶大だった。


「柊君、お風呂行こう」


 出会って暫くはずっと柊永をおにいちゃんと呼んでいた陽大も、いつの間にか呼び方も変わった。

 柊永の腰にくっつきながら風呂場へ向かう弟を見送った秋生は、今日も助けてくれた柊永に心の中で感謝した。



 



「……………」


 薄暗い部屋の中で再び瞼を開くと、眠る弟の姿が隣にあった。

 さっき陽大を寝かしつけ一緒に眠りに落ちてしまった秋生は再び目覚めても、まだ時間の感覚が戻らない。

 上体を起こそうとしても動けないのは、身体に絡まる彼の腕のせいだと気付いた。

 秋生の背中を抱き締める柊永の微かな寝息が耳を擽り、秋生は安堵の息を吐く。

 柊永を温度で感じる安心感はいつの間にか秋生の一部となり、また柊永そのものが秋生の一部になってしまった。

 しばらく動かないまま彼に安心させられた秋生は、彼の腕からそっと離れ始める。

 起こさぬようにと気持ちが入る秋生の繊細な動きも見逃してくれなかった柊永は、再び腕を絡め直した。


「……起こしちゃった?」


 顔の見えない柊永にそっと囁いた秋生は、そのまま向きを変えられる。

 同じく目覚めた柊永は仰向けになった秋生に圧し掛かった。


 互いの顔が離れてるだけで他すべて重なり合った2人は、すでに自然だった。

 唯一離れる互いの顔がそれさえも耐えられず、2人は口づけを始める。

 最後に深く絡めた2人の唇がようやく離れると、秋生は抵抗する心を抑え今度こそ彼から離れた。


「眠ってて」

「起きるのか?」


 追いかけてきた彼の手を振り切りおやすみと囁くと、部屋からも抜け出した。



 一度目覚めた身体は思いのほか軽く、そのまま風呂へ向かう。

 陽大達が入ってから暫く経ち冷めた湯を再び温め直し、ゆっくりと風呂に身体を沈めた。

 寒い季節に入る風呂は特に有難いが、季節に関係なく毎日湯に浸かりたいのは、唯一1人になれるせいかもしれない。

 囚われのない自分だけの時間は何を思う必要もなかった。

 昔は毎日一緒に風呂に入っていた陽大も、柊永と共に入るようになった。

 少しばかり淋しく感じたのも最初だけで、今は1人の風呂が必要だと身体は教えてくれる。

 一度入れば中々離れられないが、もうすでに11時を過ぎてる今ようやく諦め風呂から上がった。



 濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に戻り始める。

 襖を開ける前に微量のテレビ音が耳に届いた。


「起きてたんだ」


 壁に寄りかかりテレビを観ていた柊永は秋生が部屋に入ると、テレビの電源を落とした。

 隣に座った秋生からタオルを取り上げ、丁寧に水分をふき取っていく。

 最後にドライヤーを取り出し、秋生の髪を乾かし始めた。

 力を抜きぼんやりと待つ秋生は彼の指だけに意識を向け、目を閉じた。


「伸びたな」


 長くするだけ扱いが難しくなる秋生の髪は、肩より長く伸びたことはほとんどない。

 美容院に行く時はショートボブまで短くしてもらい、肩を超えたら再び短くしてもらう。

 そろそろまた短くしなければと思いながら億劫になりサボった髪は、とっくに肩を超えてしまった。


「卒園式までには切りに行くよ」


 決して明日と言わないのは、基本のんびりした性格を自分が一番知ってるからだ。


「必要ねえよ」

「長いのが好きなの?」


 そういえば彼の好みを知らなかったと、秋生は今さら気付く。

 少し癖のある髪はショートに近い方が一番楽なのだが、たまには恋人の言うことも聞くべきかもしれない。

 どうしようかと頭の中で考えてるうちに、ドライヤーの音が消えた。


「もういいよ」


 丁寧に櫛を入れてもらい、いい加減じっとしてるのも飽きてしまった身体をもぞもぞと動かした。


「すぐ逃げるだろ。長ければ、それだけこうしていられる」


 髪に触れる彼の指にわざとうなじも掠められ、秋生は再び大人しく待ち始めた。


 恋人の甘い言葉に素直に喜び頬を染めればいいのだが、秋生にとっては少し違う。

 もう少し重く受け止めなければいけない。

 日常ほかを向くしかない秋生は、このわずかな時間だけしか恋人を甘やかすことができない。

 そして秋生が自覚してるからこそ生まれる隙を、柊永も決して逃すことはしない。

 彼の甘い言葉も秋生がどう受け止めるか熟知してる故かもしれない。


「柊永」


 秋生の口が自分の名前を紡ぐことが何よりも好きな恋人を、秋生はちゃんとわかっていて、そうする。

 おいでと手を広げる仕草であえて恋人を子ども扱いするのは、弟への名残りと素直になれない秋生の照れ隠しだ。


 許された柊永が自分の名前を紡いだ秋生の唇を愛しそうに口に含んでいく。

 熱に浮かされた恋人をなだめるように、秋生は彼の髪を優しく梳いていく。


「言って」


 普段の彼とは別人かと思うほど蕩けるように甘く囁く柊永に、甘く微笑む。


「好きだよ」


 それでは足りないとのぞきこむ愛しい目に応えるように、恋人を甘やかす。


「愛してる」


 愛してる。

 愛してる。

 何度も繰り返す。


 この時間だけは秋生の血一滴残らず柊永のものだ。






 秋生と陽大が今の生活をここまで続けられたのは、秋生自身が強く望んだからだ。


 今は戸籍でしか繋がっていない母以外お互いだけの姉弟にとってそれが無謀でしかないのは、弟を守らなければならない姉もまた子供だったからである。

 他人の手に頼ることをしなかったのは、秋生が弟を手離せなかったからだ。

 そして母親不在で弟と生きてきた過信が、秋生の意地になってしまった。

 母親に頼ることをやめた秋生の稼ぎだけが頼りの生活は、結局一度壁にぶち当たれば破綻するだけだった。


 姉弟が今の生活をここまで維持できたのは自分勝手な秋生の意地と、そして柊永のお陰だ。


 何度となくぶち当たる壁を柊永がその都度壊したから、姉弟は生活ができた。

 秋生の恋人となってからの彼は姉弟を精神的に、そして金銭的に支えてきた。

 それがなければ姉弟は今、同じアパートで暮らしてはいない。


 結局秋生の意地は、柊永の犠牲で成り立つしかなかった。

 それが2人の破綻に繋がらなかったのは、己の犠牲が柊永の喜びだったからだ。

 そして柊永の喜びを、秋生が受け入れた。

 彼の喜びを受け入れることは、柊永へ愛を返すことだった。


 初めて秋生が柊永を恋人として受け入れた時、そんな未来が待ってるなど想像していなかった。

 秋生が過信していたからだ。

 その時気が付いていれば、柊永を受け入れるはずがなかった。

 柊永に応えることを、秋生が一番甘く考えすぎていた。


 秋生と柊永の覚悟の違いに気付いた時には、すべてが遅すぎた。

 遅すぎた後悔は秋生に痛みを与え、何度となく別れを決意させた。

 そんな秋生をまた救ったのも柊永だった。

 そして柊永を救うのも自分だと気付いた時、柊永の覚悟をようやく諦め受け入れた。


 それが2人の恋人としての在り方だった。




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