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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第一章 始まりの公園
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会いたい




「寝た?」

「うん」


 静かに隣の部屋の襖を閉めた秋生は、テーブルに座る真由と向かい合った。

 お菓子を開けようと甘い誘惑に乗せられて、彼女がお土産に持ってきてくれた市販のお菓子をさっそくテーブルに広げる。

 陽大には見せられない光景だねと、2人でこっそり笑い合った。

 

 土曜日の夜、水泳大会を終えたばかりの真由が電話で実家に直帰すると言い出し、今日は秋生の家に泊りに来た。

 どうせ明日は日曜日なので、お互い夜更かしも覚悟の上だ。


「野菜もありがとね。明日おばさんに電話しなきゃ」


 真由は父親が家庭菜園で作った夏野菜を一緒に持ってきてくれた。


「うちの親父、自分で作ったくせに毎日食べさせられてウンザリしてんの。私がたまに帰ると、必死に押し付けてくる。あーあ、何であんなに採れるんだ……」

「だから今日は帰ってすぐ、うちに逃げてきたんでしょ?」

「そうだよ。それなのに、あんたまで親父の野菜でごはん作っちゃうし」


 結局秋生が料理した父親の夏野菜を食べさせられた真由はスナック菓子を豪快につまみながら、げんなりと溜息をついてみせる。


「なかなか帰れないんだから、帰った時くらい食べなよ」

「まあね」


 秋生がつい説教じみたことを口にしても、真由はめずらしく素直に受け取った。

 今年高校の寮に入り初めて親元を離れたので、真由も少し思うことがあったのかもしれない。


「陽大が寝た後じゃなきゃ、ゆっくり喋れないからね。いつもごめん」


 夜7時に訪れた真由と2時間ほど遊んだ陽大は、ついさっきやっと満足して眠りに就いた。

 秋生が済まない思いを伝えると、うん、まあと曖昧な返事が返ってくる。

 いつの間にか躊躇った表情を浮かべた真由は、すぐ開き直ったように秋生と目を合わせた。


「あんたがご飯作ってる時、陽大が見せてくれたよ。写真」


 真由から突然切り出された言葉に、秋生の心は考える間もなく後悔が押し寄せた。

 急に訪れた真由に気をとられたせいで、棚に置いた小さな写真立てをすっかり隠し忘れた。

 写真立てに入ってるのは、陽大の誕生日に3人で撮った写真だった。


「まあ、写真見なくても知ってたよ」

「……え?」

「おにいちゃんの正体」


 にっと笑顔を浮かべ気まずげな秋生をのぞき込んだ真由の目に、からかいの色はなかった。


「この前初めて陽大におにいちゃんの話を聞かされた時、すぐ気付いたんだよね」

「……何で?」

「高校生にもなってさ、毎日幼児と遊ぶ為にやって来るなんて奇特な奴、私は1人しか知らないからね」


 最後に木野柊永と呟いた真由がいつの間にか笑顔を消し、秋生を見つめた。


「あんただって、最初から気付いてたくせに」


 秋生にとって受け入れがたい事実を残酷にもはっきり伝えた彼女の声はそれでも優しく、秋生の心に複雑に沁みていった。


 

 木野 柊永――――中学時代のクラスメイトで、秋生と一切関係のなかった人。

 そして秋生の心の一番深くに唯一触れた人だった。






 柊永の第一印象なんて覚えていない。

 気が付けば同じクラスにいて、時々偶然視界に入るくらいしか意識してなかった。

 けれどそれは秋生にとって柊永だけのことではなく、友達以外のクラスメイトもすべてその程度の関心だった。


 問題があるとすれば秋生自身だ。

 周りにそうだったように、当時中学2年になったばかりの自分をあまり覚えてない。

 その時も今以上に、まだ乳児だった陽大のことで心は埋め尽くされていた。

 母親は当時家に帰ることはあったが仕事と他に忙しく、当然陽大と家のことはすべて秋生任せだった。

 当時は今よりも未熟な子供だった秋生にとって乳児の育児は難しく、そして怖くもあり、精神的にも一番辛い時期だった。

 自分のことそっちのけで陽大の世話をするしかない秋生にとって、自分も周りも気に掛ける余裕など全くなかった。

 当然友達以外のクラスメイトの顔と名前を認識するだけでも精一杯だ。

 それほどまでに当時の秋生には心の余裕も、そして時間もなかった。


 当時の柊永がどんな人かと聞かれても、答えられない。

 時々視界に入ってくる彼は周りより背が高くて大人っぽい人、たったそれだけだ。

 

 初めて秋生の意識に柊永が入ったのは、夏休み明けの教室、先生不在の自習の時間だった。

 生徒の声で騒がしく自由に動き回る生徒も多い中、秋生は1人机で自習プリントに取り組んでいた。

 突然プリントを見つめる視界に影が落ちて初めて視線を上げると、1人の男子生徒が目の前に立っていた。

 秋生はその男子生徒が泉という名前だったと、どうにか思い出す。

 かちあうように視線を合わせた泉は当然今まで話したこともなく、どうして目の前にいるのか困惑しながら彼の動向を見守るしかなかった。

 嫌だなと感じたのは、泉が自分を見てニヤニヤと笑っていたからだ。

 今度は秋生の前の席に座りながら、視線は変わらず後ろの秋生に向け嫌な笑いを浮かべていた。


「水本ってさぁ……」


 しつこく絡みつくような泉の声は大変不快に感じるものだった。

 動揺を露わにした秋生の態度をまるで面白がるように覗く泉の目も、嫌らしく感じた。


「何?」


 秋生は泉に早くどこかへ行ってほしくて、わざと彼の話を促した。


「水本の母ちゃんってさぁ……」


 泉が再び不快な声で発した言葉に秋生の顔は血の気が引き、一瞬で青褪めた。

 ちょうど周りにいた生徒も秋生と泉のえもいえぬ空気に気が付き、ちらちらと気にし始めた。


 シャープペンを握る秋生の手が、いつの間にか細かく震えていた。

 目の前の嫌らしく笑う泉が怖くて、教室から逃げ出したかった。

 今まで幸い誰にも知られなかった事実を、おそらく泉は知っていた。

 顔色を失くした秋生の目だけが、泉の嫌らしく歪む唇をひたすら見つめるしかなかった。


「俺の親父がさぁ、水本の母ちゃんに会ったらしくて……」


 ひたすら脅えながら身体を震わせた秋生は、泉の唇がそこまで動いたのをはっきり覚えてる。


 突然目の前で起きた衝撃音に、秋生は気が付けば目を閉じ耳を塞いでいた。

 他の生徒もその衝撃音に驚き、教室は一気に静まり返った。

 秋生が再び目を開けた時、目の前にいた泉は顔面蒼白で佇んでいた。

 よく見れば泉が座っていた前の机がこつ然と消えていて、遠く離れた隅に転がっていた。

 すっかり顔色を失った泉の傍には、柊永の姿があった。

 泉は柊永を呆然と見つめ、脅えながら震えていた。

 おそらく柊永が突然机を蹴り飛ばしたからだ。


「くだらねえことぐだぐだ言いやがって、てめえは幼稚園児か」


 鋭い目で泉を睨みつけた柊永は、吐き捨てるように罵った。


 その瞬間、初めて秋生の意識に柊永が入ってきた。



 泉の父親は秋生の母が勤める店の常連だった。

 おそらく泉の父親は会話の弾みで母が零した娘の話から、息子のクラスメイトだと気付いたらしい。

 今まで偶然にも隠し通してきた母親が水商売をしてる事実を泉に気付かれたと知った瞬間、秋生はただ脅えた。

 泉だけにとどまらずクラスを超え広がるだろう噂という陰口が、思春期の女の子でもある秋生には怖かった。

 

 おそらくそんな秋生を見るに見かねて助けたのが、柊永だった。

 暴力と汚い言葉、秋生がもっとも苦手とする彼の行為がその時秋生を助けた。

 目の前の柊永を初めて自分の意志で見つめた瞬間だった。


 柊永の狂暴とも言える行動。それに見合った容姿。

 制服を着崩し両手を突っ込み、見くだすように佇む姿。

 長めの髪を後ろに流し、無骨さがない綺麗な顔はひどく大人びていて刃物のように人を委縮させる。

 どう考えても絶対に関わりたくない、廊下で偶然すれ違うのも避けたくなるような、自分とは一生縁のない人。

 秋生を助けてくれた彼の最初の印象だった。

 

 それが印象にしか過ぎないと気が付いたのは、助けてくれたお礼を結局彼に伝えることはなかったからだ。  

 どんなに苦手な行為であっても泉に与えられた恐怖から救ってくれたのは柊永で、そんな彼に何も言えなかった後悔から、いつの間にか彼の姿を目で追いかけている自分がいた。

 

 普段の彼も最初の印象通りかと思ったが、暴力で人をねじ伏せる行動は秋生が見た限りでは助けてくれた時だけのことだった。

 彼の荒々しい言葉は相手の傷にならない限度を知っている。

 柊永の周りにいる派手な友人達も、よく見れば彼と同じだった。

 頭の良い彼は外見とのギャップから余計に注視されるほど、特異な人でもあった。


 今まで気に留めなかったのが不思議なほど、秋生の目は柊永を見つけ出した。

 まるで引き寄せられるように、気が付けば探していた。

 助けてくれた人だから、ただそれだけを心で唱え、またそうだと勘違いし彼の後ろ姿を追った。


 まだ恋を知らなかった秋生にとって、それは恋ではなかった。

 柊永だけを見つめる感情に、結局名前はつけられない。

 どんなに忙しくても心の片隅にある彼の存在をもてあましながら、そのまま心に仕舞っておいた。


 気が付けばいつも柊永を探してる秋生にとって、それに気付くのはひどく易しいものだった。

 柊永がいつも見つめる先にあるもの、それは同じく秋生だった。


 秋生が探し出す前に、柊永はいつも自分を見ていた。

 いつも触れ合う彼の目が、決して離れてはくれないことに気付いた。

 彼の目に浮かぶ色に気が付いた時、そして秋生自身も同じ色を宿してると気付いた時、ようやく恋を自覚した。


 互いに触れ合う同じ色は、互いの心も同時に知ることになる。

 触れ合う視線が増すごとに、秋生は彼の目から逃げたくなった。


 未知なる世界に踏み込むことは、秋生にとって恐怖だった。

 秋生の心はまだ未熟すぎて恋は自覚しても、恋を叶えたいなど思うはずもなかった。

 また秋生自身の家庭環境が許してはくれなかった。

 陽大のことに集中しなければいけない秋生の心に柊永への一方的な恋は片隅にしまっておけても、彼の恋を受け止める隙間は存在しなかった。





「秋生はどうする?」


 真由に優しい声で問われた秋生は、答えられなくて首を振る。


「じゃあ、どうして泣いてるの?」


 再び真由に問われ初めて頬に伝う涙に気付き、隠すように顔を覆った。

 止められず自然と溢れ出た嗚咽が、めずらしく高ぶった秋生の心情を表していた。

 今まで張りつめ続けた心が、ちゃんと気付いてる親友に優しく問われ緩んでしまった。


「……駄目だったから」


 中学生の秋生じゃ駄目だった。

 今よりも小さい陽大がいた、そして家に帰ってこない母親がいた秋生には何もできなかった。

 まだ中学生の未熟すぎた秋生には飛び込む勇気も応える覚悟も、そして時間もなかった。

 逃げ出した心はいつも彼の目を避け、そして秋生自身の恋も諦めた。


「今は?」

「わかんない…………でも苦しい。苦しくて、いつも会えば苦しい。それでも会いたい。会いたいんだよ」


 中学生の秋生は諦められたのに、彼と再会した秋生は再び触れ合った彼の目を避けることができなかった。

 今度は彼の目を離したくなかった。


「素直に会いに行けばいいんだよ。今の秋生なら大丈夫」


 目の前の見守ってくれる親友に、ただ頷いて答える。

 ようやく生まれた秋生の覚悟だった。 

 


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