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母のヤキモチ




「え? 木野君もご飯食べるの?」


 秋生と凜生の3人で露天風呂を満喫した重宮は一度部屋に戻ったが、その後訪れた夕食会場には柊永が家族と揃っていて驚く。

 柊永は毎年社員旅行ではすべての食事を放棄する上、会社や飲み会でも一切食べないので、重宮が驚くのも無理はなかった。


「重宮さーん、木野さん今日は家族と一緒だから食べるそうですよ」

「社員とは食べなくても家族と一緒なら食べるなんて、木野君って単純ねえ……」


 重宮は柊永達家族と共に揃っていた糠沢から柊永が夕食を食べる理由を教えられ、呆れながら糠沢の隣に座る。


「今年のメインは黒毛和牛のステーキか。いただきまーす」

「重宮さんは木野さんと違って、よく食べますね…………重宮さんだけですよ。毎年社員旅行で夕食完食する女子社員は」

「え? そうなの?」

「ほら、周りをよく見てくださいよ。女子はお喋りに夢中で、料理は二の次でしょ?」


 今年も豪華な夕食を味わい始めた重宮は隣の糠沢から教えられ、他の女子社員との食欲の違いに初めて気付く。


「もったいないわねえ、こんなに美味しいのに」

「女子は男の前では、わざとあんまり食べないんですよ」

「え? 何で?」

「何では重宮さんですよ! 何でそんな簡単な女心がわからないんですか!?」

「糠沢君はどこに来てもうるさいわねえ…………あ、でも秋生ちゃんだってしっかり食べてるじゃない」

「秋生さんは木野さんの奥さんですもん、他の男の目なんて気にする必要ないじゃないですか。同じくしっかり食べる同士でも、独身の重宮さんとは全然違います」

「あっそ」

「……でも重宮さん、秋生さんの浴衣姿は20代の若い女子にも全然負けてませんよ。むしろ全然勝ってる」

「え?」

「色気ムンムン。まだ独身の黒田や杉山は思わずガン見してるし、定年近いクソ真面目な林田部長だって思わずチラ見するくらいですから、浴衣姿の秋生さんは相当危険です」

「……ふーむ、確かに女の私でもグッとくるわ」


 隣の糠沢にこっそり教えられた重宮も浴衣姿の秋生を改めて眺めれば、さっき露天風呂で秋生の裸を思わずじっと見つめてしまった時と同じくいけない心境になる。


「でも木野君は色気ムンムンの秋生ちゃんが他の男に見られても、気にしてないみたいね。家族で楽しそうにご飯食べてる」

「重宮さん、何言ってるんですか。木野さんは相当気にしてるから、わざと家族仲良しアピールしてるんですよ」

「家族仲良しアピール?」

「秋生さんには木野さんや子供達がいるから、間違っても狙うなと牽制してるんですよ」

「はは、まさか。秋生ちゃんは木野君の奥さんだってここにいる社員みんな知ってるのに、そんな秋生ちゃんが狙われるはずないじゃない」

「男心はそんなもんなんです…………俺だって奥さんが他の男に見られれば、木野さんと同じですよ」

「悪妻でも?」

「そう、悪妻でも」


 女性でありながら女心に疎い重宮は、更に疎い男心を糠沢に教えられる。

 最後は糠沢と共に、家族と仲良く夕食を楽しむ柊永を微笑ましく見守った。





「おまんじゅう、あった」


 豪華な夕食をお腹一杯になるまで食べた凜生と望生は、部屋に戻る前に旅館のお土産コーナーを覗く。

 まず凜生がお土産にする予定だった名物の温泉饅頭を見つけた。


「8個入りと16個入りだって。お母さん、どうしよう」

「8個入りは真由と陽大、洸斉おじさん。16個入りはおじいちゃん達にしたら?」

「うん」


 凜生は母のアドバイス通り小さい箱の温泉饅頭2つと、大きい箱の温泉饅頭1つを手にする。

 望生は母と姉が温泉饅頭を選んでる間、父と一緒に起きあがりこぼしを見つける。

 望生がお土産にしたいと望んでいた起きあがりこぼしは小さくて可愛く色も豊富で、望生は真剣に眺め始める。


「望生、さっさと手に取って選べ」

「ううん、ぼくは見るの」


 せっかちな父のアドバイスを拒否した望生は、数多く並んでる起きあがりこぼしを見つめるだけで選び始める。


「これとこれ、これ」

「お前は変わってんな」


 結局望生は時間を掛け、親戚と友達のお土産にする起きあがりこぼしを8個選んだ。


「望生、自分のも選べ」

「うん」

「私も起きあがりこぼし欲しい。舞衣子ちゃんの分も買おう」


 望生が最後に自分の起きあがりこぼしをじっと選び始めると、凜生も一緒に選び始めた。


「秋生も土産買うのか?」

「うん、お昼に食べたラーメンがここにも売ってたから」

「何個買うんだ?」

「えーと……店長にも持っていきたいし、瀬名君と舞衣子ちゃんのお母さんと、颯太君のお母さんにも…………後はえーと」

「わかった、じゃあ10個買え。味はどうする?」

「えーと…………ねえ、ラーメンは無難に醤油が喜ばれるかな? それとも子供のいる家庭には味噌?」

「じゃあ全部醤油でいい。よし買うぞ」


 秋生はお土産に購入するラーメンの数と味を悩む暇も与えられず、せっかちな柊永に醤油味のラーメンを10個選ばれてしまった。


「おい、部屋戻るぞ」

「ぼくおしっこ」

「お父さん待って。望生がトイレ行きたいって」

「部屋にトイレがあるだろ。部屋まで我慢しろ」

「おしっこー……」

「望生、少しだけ我慢してね」

「お母さん、お父さん何で急いでるの?」

「さあ……早く温泉入りたいのかな」


 お土産をすべて購入し終えると、トイレに行きたがった望生は父に部屋まで我慢を強いられ、凜生は母と一緒に急ぐ父を不思議がりながら部屋へ帰った。



 家族は部屋に戻ると、すでに夕食前に温泉を楽しんだ凜生は母と一緒に部屋で過ごし始め、父と望生は温泉へ向かった。

 夜10時を過ぎ、旅館の布団に入った凜生と望生は、いつもより興奮しながら眠りに就いた。

 家族みんな眠った後そっと目を開けた秋生は、布団からもそっと抜け出す。


「おい秋生、どこ行くんだ」


 てっきり子供達と同じく眠ったと思っていた柊永に突然問われ、秋生の胸はドキリとさせられる。


「温泉」

「飯前に行っただろ」

「だってあんなに立派な露天風呂、もう入れないかもしれないから」

「どうせ来年も別の露天風呂に入れる。今日はもう諦めろ」

「……何で?」

「いいから部屋出るな」


 最後は柊永に問答無用で止められた秋生は、今夜の露天風呂を仕方なく諦める。


「わかった。おやすみ」

「秋生、せっかく起きたのに寝るな」


 再び布団に入ろうとした秋生が今度は眠ることを止められると、自分の布団から出た柊永は秋生の布団に乗り始めた。


「ちょっと、何?」

「決まってるだろ」

「やだよ」

「何でだ」

「ここは旅館だよ。凜生と望生がいるのに」

「声出さなきゃ大丈夫だ」

「ふざけないで」


 凜生と望生がぐっすり眠ってるとはいえ傍にいるというのに、柊永に今夜も変わらず触れられそうになった秋生はさすがに怒った。

 柊永を無理やり布団から追い出すと、しっかり布団に潜り込んで身を守る。

 秋生が嫌がったにもかかわらず諦めない柊永は、秋生が潜り込んだ布団に入ろうとした。


「やめて」

「秋生」

「触られたくないの。あっち行ってよ」


 秋生は怒りに任せ、一度も口にしたことがないきつい言葉で柊永を拒んだ。

 ようやく柊永が大人しくなると、再び布団にしっかり潜り込んだ秋生は怒ったまま眠り始めた。





「秋生ちゃん、昨日の夜襲われなかった?」

「え?」

「木野君に」


 旅館の部屋で眠った翌朝、秋生は昨夜止められた温泉を訪れると、偶然重宮も訪れた。

 今朝は2人で露天風呂に浸かり始めてすぐ、重宮に突拍子もないことを尋ねられ面食らう。


「まさか」

「何でまさか?」

「重宮さん、からかわないでください。ここは旅館ですよ」

「旅館だから浴衣姿の秋生ちゃんを、木野君が我慢できるとは思えないけど。しかも木野君、昨日は浴衣姿の秋生ちゃんを散々他の男に見られて、嫉妬させられたし」

「とにかく私は昨日ぐっすり眠りました」

「確かに秋生ちゃんは朝から露天風呂を楽しんでるんだから、木野君は襲うの我慢したのか…………ふーん、そっか。偉いね木野君」

「重宮さん、そんなの当たり前ですよ」


 重宮はつい秋生をからかってしまったが、昨夜の柊永は我慢して当然と言い切る秋生に対し思わずクスリと笑った。


「秋生ちゃんってA型?」

「え?……いえ、O型です」

「そっか、意外と自分の主張を頑なに曲げないから、A型かと思った」

「………………」

「私はやっぱり昨日の夜頑なな秋生ちゃんを襲えなかった木野君に、同情しちゃうかなぁ…………秋生ちゃんの浴衣姿は女の私でも堪らなかったからね」


 秋生は重宮に最後も明るくからかわれたが、いくら頑なな性格でも昨夜の柊永の気持ちくらいわかってやれと教えられたのは気付けた。


「……重宮さんは私よりうちの夫をよくわかってますね」

「ちょっと秋生ちゃん、勘違いしてないよね? 私にとって木野君はもう上司だけど、永遠に親しい後輩。糠沢君と同じ」

「わかってますよ。でもヤキモチくらいは焼いていいですか?」

「……私に?」

「はい」

「秋生ちゃんが私にヤキモチねぇ…………私はすごく光栄だけど、秋生ちゃんほどヤキモチに無縁でいられる女性はいないわよ。私は秋生ちゃんがどれだけ木野君に愛されてるか、よく知ってる」

「私もよく知ってます…………だから重宮さんに初めてヤキモチ焼きたくなりました」

「え? どういうこと?」

「私は確かに今までヤキモチ焼く必要がありませんでした。でもヤキモチを焼けば、多分とても喜んでくれると思うから」

「秋生ちゃん、木野君を喜ばせたくなって、私にヤキモチ焼きたいってこと?」

「はい。昨日の夜きついことを言ってしまったから、罪滅ぼしです…………だめですか?」

「いいに決まってるじゃない。秋生ちゃん、私にいっぱいヤキモチ焼いちゃって」


 夫を喜ばせたくて重宮にヤキモチを焼きたいとお願いした秋生は、重宮からも快く許される。

 今朝も2人は露天風呂に笑い声を響かせると、そろそろ豪華な朝食を楽しむため露天風呂を離れた。




 


「社員旅行、楽しかったね」

「ぼく、また社員旅行行きたい」

「きっと来年も行けるよ。お母さん、来年もまたお父さんに付いていこうね」

「うん」

「私、重宮さんと糠沢さんにもまた会いたいなぁ」

「ぼーくも」

「ねえお母さん、今度重宮さんと糠沢さん、お家に遊びに来てもらおうよ。きっと喜んでくれるよ」

「うーん……それはちょっと無理かなぁ」

「何で?」

「お母さん、何で?」

「だって重宮さんと糠沢さんがお家に来たら、お父さんは重宮さんとお喋りしちゃうでしょ?」

「……だめなの?」

「お母さん、だめなの?」

「だめだよ。お母さんは仲良しのお父さんと重宮さん見たくない」


 社員旅行から帰ったばかりの凜生と望生はテーブルにお土産を広げながら、母の気持ちを教えられる。

 そのまま母は着替えをするためリビングからいなくなり、凜生はキョトンとするままの望生を残しキッチンへ走った。


「お父さん」

「何だ?」

「耳貸して」


 凜生はこれから夕食作りを開始する父を強引に屈ませると、父の耳に母のヤキモチを吹き込んであげた。

 父は母のヤキモチを教えられても黙ってしまったが、凜生はこれからとても喜ぶはずの父をそのままにキッチンを去った。






「え!? とうとう秋ちゃんが初ヤキモチ!?」

「まっさか! それだけは絶っ対ありえない!」

「陽大君、真由ちゃん、本当だよ。お母さんはお父さんと重宮さんがお喋りするの、すっごく嫌なんだって。お母さんはすっごく嫌だから、重宮さんは絶対うちに遊びに来られないの」


 昨日社員旅行から帰った家族は、社員旅行中にリキを預かってくれた真由と陽大を礼の夕食に誘った。

 しかし秋生はさり気なく重宮へのヤキモチを夫に伝えてもらうため子供達に教えたせいで、凜生の口から大袈裟に暴露される。

 真由と陽大から驚きの目で凝視された秋生は当然居た堪れずテーブルから逃げ、キッチンで追加の料理を作り始める。

 

「ていうか凜生、重宮さんって誰?」

「お父さんの会社の女の人だよ。お父さんと重宮さんは仲良しなの」

「……へえ、木野君が仲良くするくらいなら、重宮さんって邪心ない人なんだろうね」

「じゃしん?」

「とってもさっぱりしてて、嘘吐かない良い人ってこと」

「うん、真由ちゃんそうだよ。重宮さんはとっても良い人」


 真由と陽大は柊永と仲良い同僚女性が邪心ない人だと凜生から認められると、改めて柊永の同僚女性に嫉妬したという秋生に驚く。


「秋ちゃんってヤキモチ焼けたんだ……」

「秋生が嫉妬…………全っ然想像つかん」 

「でも俺達より、柊君が一番信じられないんじゃない? 秋ちゃんにヤキモチ焼かれたなんて」

「そんなことねえよ」

「陽大君、お父さんは昨日私が教えた時、ご飯作れなくなっちゃったんだよ。それでお母さんが作ったの」

「お父さん、昨日変だったよ。ずっとお母さんのこと変な顔で見てた」

「ほらやっぱり! 望生まで証言するんだから間違いないね。柊君が一番秋ちゃんのヤキモチ信じられない」

「うるせえ、今日は信じたぞ」

「……ふーん、木野君は凜生から秋生のヤキモチを教えられたのか」

「真由ちゃん、何?」

「ううん、何でもない」


 真由は陽大の突っ込みに言い返しながらも笑う柊永に水を差すことをやめたが、おそらく秋生は凜生の口からわざとヤキモチを伝えてあげたのだろう。

 直接柊永にヤキモチを焼かなかったのは、秋生が実際はヤキモチを焼けない証拠だ。

 真由は冷静に紐解いたが、秋生のヤキモチに喜ぶだけの周りをそっとしたままキッチンへ向かう。


「秋生、ずいぶん優しいね」

「……真由はすぐ気付くんだから」


 料理を作る秋生に並んだ真由がさっそく褒めると、秋生もさっそく真由に気付かれたことがわかった。


「当たり前だよ、私は面白くないだけだからね。でも最近のあんたは木野君にずいぶん変わっただけで十分優しいのに、その上どうしてわざと優しくするわけ?」

「社員旅行中にきついこと言っちゃったから、罪滅ぼし…………でも真由みたいに気付かなくてよかった」

「気付く余裕もないほど舞い上がっちゃった木野君は、一番鈍感かもね」


 真由はわざとヤキモチを焼いた秋生に全く気付けないほど鈍感になってしまった柊永に毒気を抜かれたのか、とうとう呆れも悔しがりもせず初めて笑った。

 秋生も真由と共にリビングへ振り返ると、今も陽大や子供達と一緒にただ嬉しそうに笑ってる柊永を同じ笑顔で見つめた。






「はい義叔父さん、お土産のラーメンです」

「ありがとう、美味しそうだ」


 秋生は子供達の稽古を終えた洸斉に社員旅行のお土産を渡すと、無事喜んで受け取られた。


「わざわざ私にまでお土産を買ってきてくれる秋生ちゃんは、天使だな」

「私がこの程度で天使になれるなら、義叔父さんにはまた天使が2人現れますよ」

「え?」

「凜生と望生もこれから義叔父さんにお土産を渡すので、受け取ってあげてください」


 秋生にこれからすぐ現れる天使の正体を教えられた洸斉は、笑って楽しみにし始めた。


「……あれ? 義叔父さんも今日はマフラーしてますね」


 今日も洸斉と共にリキを撫で始めた秋生は、ようやく洸斉が初めてマフラーを巻いてることに気付いた。

 しかも洸斉は道着の上から巻いてるが、秋生は黒のマフラーが洸斉にしっくりと似合っていたせいで気付くのも遅くなってしまった。

 けれど秋生にやっと気付かれた洸斉は、なぜかバツが悪そうに顔を顰めてしまった。


「……秋生ちゃん、ごめん」

「え?」

「実は私もマフラーを編んでもらう為に、妻にわざと嘘を吐いたんだ…………秋生ちゃんが私に同情して、マフラーを編んでくれるかもしれないって」

「………………」

「本当にごめん…………でも妻は初めて焦ってくれた。このマフラーは妻がたった1日で編んでくれたんだ」


 洸斉の妻が秋生に編まれる前に焦って編んだというマフラーは、確かに秋生の目にも編み目の不揃いさが目立った。

 けれど洸斉は嘘を吐いてまで素っ気ない妻に編ませたマフラーを道着の上からも巻くほど、離せないらしい。


「義叔父さん、せめて生徒さんとの稽古中はマフラー外さなきゃ駄目ですよ」


 心の中でだけ洸斉と同じく喜んだ秋生はわざと真剣な表情で注意する。

 洸斉はリキを撫でながら、初めて恥ずかしそうに頷いた。




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