祖父の手編みマフラー
「「おじいちゃん、すごーい」」
土曜日の正午、剣道の稽古前に祖父母宅へ寄った凜生と望生は祖父母や伯父夫婦と共に昼食を食べながら、祖父が編んだマフラーに驚く。
「おじいちゃんもマフラー編んでたの?」
「うん、おじいちゃんもお母さんに教えてもらったんだ」
「凜生ちゃん、望生君、おじいちゃんは1週間で編んじゃったんだよ」
「「おじいちゃん、すごーい」」
祖母と同じく祖父もマフラーを編んでいたと初めて知った凜生と望生は、更に伯母から1週間で編んでしまったと教えられ、器用な祖父に再び驚く。
「望生、おじいちゃんのマフラー上手だね」
「うん、おじいちゃんのマフラー上手。あれ? でもお母さんのマフラーと違う」
「望生君、当たり前だよ。おじいちゃんはまだ簡単な編み方しかできないんだ。お母さんはとっても上手だから、難しい編み方ができるんだよ」
「ねえおじいちゃん、このマフラー誰の?」
「もちろんおばあちゃんだよ。おばあちゃん、こっちにおいで」
凜生に尋ねられた祖父は祖母に優しく手招きし、傍へ来てもらう。
祖母は祖父から薄紫色のマフラーを巻いてもらった。
「おばあちゃん、可愛い」
「おばあちゃん、よかったね」
「……うん。おじいちゃん、ありがとう」
凜生と望生にも喜ばれた祖母はなぜか笑って喜ぶことなく、祖父に小さな礼だけ呟いた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「おじいちゃんのマフラー、嬉しくないの?」
「……凜生ちゃん、望生君、おばあちゃんはおじいちゃんのマフラーが嬉しいけど、素直に喜べないんだよ」
「え? 伯父さん、何で?」
「うーん……」
祖父が祖母の為に編んだマフラーが喜ばれず心配した凜生と望生は、伯父から曖昧に理由を教えられてもキョトンとするが、伯父もなぜか困ったように笑ってそれ以上教えてくれなかった。
「ふふ、凜生ちゃん、望生君、伯母さんがおばあちゃんの気持ちを教えてあげるね。おばあちゃんは凜生ちゃんと望生君に早くマフラーをあげたくて頑張ってるけど、おじいちゃんが先にマフラー編んじゃったから悔しいんだよ。お義母さん、そうですよね?」
伯父が口を濁した祖母の本音を伯母は笑ってすっぱり公表してしまい、とうとう祖母はしゅんと落ち込んでしまった。
祖母の気持ちを理解できた凜生と望生は落ち込む祖母に近付く。
「おばあちゃん、私はおばあちゃんのマフラー楽しみだよ」
「おばあちゃん、ぼくもだよ」
「私と望生はおばあちゃんのマフラーずっと待ってるから、おばあちゃん頑張って」
「おばあちゃん、エイエイオー」
凜生と望生に一生懸命励まされた祖母は、ちゃんと顔を上げてくれた。
凜生と望生のお陰ですぐ元気を取り戻した祖母は伯母から笑われ、祖父と伯父からはホッと安心された。
「うーん……どっちにしようかな」
凜生と望生が祖父母宅兼道場へ行ってるあいだ手芸屋を訪れた秋生は、紺とモスグリーンの毛糸を手に取り悩み始める。
一緒に来た柊永は隣で悩む秋生を期待の目で見つめる。
「秋生、次は何編むんだ?」
「マフラー」
「またマフラーか?」
「うん…………ねえ柊永、男の人はどっちの色が好きだと思う?」
「俺はどっちでもいいぞ」
「柊永じゃなくて、お義兄さんの好み」
「……兄貴?」
「うん、今度はお義兄さんのマフラー編むの」
「おい、ふざけんな」
「ちょっと柊永、声大きい」
静かな手芸屋で怒られた秋生は声ひそめて咎める。
「何で俺以外の男にマフラー編むんだ」
「別にいいじゃない、お義兄さんだもん」
「そういう問題じゃねえ。秋生が余計なことすると、義姉さんが嫌な思いするんだぞ」
「だってお義姉さんから頼まれたんだもん」
「……は?」
「お義姉さんは働いててお義兄さんのマフラー編む暇ないから、私が代りに編んでって」
この前ざっくばらんな義姉に義兄を喜ばせてくれとお願いされた秋生は、怒る柊永にも明かす。
柊永もさすがに義姉に文句をつけられないのか、肩を落として諦めた。
「よし、お義兄さんはモスグリーンにしよ…………あ、陽大にも編んであげようかな。どうせ真由は絶対編まないし」
「……もう勝手にしろ」
「あ、真由にも編んであげよ」
「おい、ふざけんな。谷口は許さねえぞ」
また静かな手芸屋で怒鳴り声を上げた柊永は今だライバルを続ける真由に厳しく、秋生も義兄と弟のマフラーだけで諦めた。
「秋生ちゃんはどうしてグレー?」
「グレー似合いませんか?」
「いや、秋生ちゃんは若いから、もっと明るい色を好むのかと思った」
今日も子供達の稽古を終えた洸斉と喋り始めた秋生は、今日初めて洸斉の前で巻いた手編みのマフラーをさっそく気付かれたが、少し不思議がられもする。
「私好みのマフラーを編んでしまうと、柊永が可哀想だからです」
「え?」
「……教えるのは恥ずかしいんですけど、私と柊永のマフラーは同じ色なんです」
洸斉相手なら少し口が軽くなれる秋生は、つい正直に柊永とお揃いであることを明かしてしまった。
「秋生ちゃんはやっぱり愛夫家だな」
「はい。私は愛夫家だから、手袋も柊永とお揃いです」
「柊永が羨ましい。私は愛妻家だけど、マフラーも手袋も編んでもらったことがない」
「……義叔父さんが欲しがれば、編んでくれるかもしれないですよ。私も柊永に手袋を欲しがられるまで、何も編みませんでした。男の人は手編みなんて喜ばないと思ったんです。でも柊永は手袋もマフラーもすごく喜んでくれました。私は恵まれてます」
「秋生ちゃんが恵まれてるのは、夫が喜ぶから?」
「はい…………柊永の手袋を編んだとき思った以上に喜んでもらえて、私もすごく嬉しくなったんです。喜んでもらえることはすごく嬉しいんだって、私はこの前柊永のお陰でやっと気付けたんです。遅いでしょ?」
「……うん、秋生ちゃんなら今まで周りからいっぱい喜ばれたはずだ」
「いっぱいじゃないですけど、今まで色んな人から喜んでもらえました。もちろん凜生と望生にも…………私は喜ばれれば嬉しかったけど、それは普通だと思ってたんです。でも柊永に手袋を渡した時、喜んでもらえることは私が幸せになれるんだって、なぜかやっと気付きました。だからまた幸せになりたくて、柊永にマフラーも編みました」
「秋生ちゃん、私もマフラーくらい欲しがって、妻を幸せにしろってことかい?」
「そうですよ。私は女だから、義叔父さんより奥様の幸せを願います」
素っ気ない妻を持つ洸斉は秋生から明るいアドバイスを受けると、なぜか突然秋生の顔を興味深げに見つめた。
「秋生ちゃんはどうして柊永を好きになったんだい?」
「……義叔父さんはどうして急にそんなこと聞くんですか?」
「急に気になったから。あいつに好かれたから、秋生ちゃんも好きになったのかい?」
「いえ」
「じゃああいつが格好いいからだ」
「いえ、もっと単純ですよ」
「何だい?」
「……言わなきゃいけませんか?」
「ああ、ぜひ知りたい」
「じゃあ義叔父さんだけに教えます…………柊永はただ私を助けてくれたからですよ」
「助けた?」
「まだ中学生だった私が教室ですごく困ってた時、同じクラスだった柊永が偶然助けてくれたんです…………私はただそれだけで意識してしまいました」
柊永を好きになったきっかけを恥ずかしくも正直に教えてしまった秋生は、当時中学生だった柊永に助けられた日のことを久しぶりに思い出す。
「今度はリキのマフラー編もうかなぁ。リキ、マフラーする?」
照れ隠しで突然リキに話し掛けた秋生は、洸斉から優しく笑われたことにも気付けなかった。