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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第一章 始まりの公園
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あの道を歩いて



 

 親友の谷口たにぐち 真由まゆが遊びに来てくれたのは、7月下旬の休日だった。


 今春高校の寮に入った真由は、今は親元を離れ1人で頑張っている。

 水泳に強い真由が入学した高校は水泳の強豪校で、地元から100kmほど離れた距離にある。

 そのため月に一度ほど実家に帰る際、秋生にも会いに来てくれる。

 秋生と真由は小学5年から友達になり、中学卒業まで同じ学校で共に過ごした。

 秋生の家庭環境もよく理解してる真由は、秋生にとって特別な存在だ。

 遊びに来れば陽大を弟のように可愛がってくれて、そして彼女の両親も優しく何かと姉弟に良くしてくれた。

 

「相変わらずボロい家だね」


 毎回遊びに来れば同じことを言って笑う真由は、相変わらず元気だった。

 もうすぐ陽大の誕生日だからと秋生の家を訪れた真由の顔は、以前よりも日に焼け黒くなっていた。

 水泳部に所属する彼女は今一番大事な時期で忙しく、毎日相当泳ぎこんでいるらしい。

 練習がキツイんだと嘆きながらも前向きな彼女はからからと笑った。


「真由ちゃんのことも忘れないで描くんだよ」


 彼女はそう言って、陽大に誕生日プレゼントを渡してくれた。

 大好きな戦闘アニメのヒーローが表紙の画用紙とクレヨンに、陽大はとても喜んだ。

 陽大は久しぶりに遊びに来た真由を相手にお喋りが止まらなかった。

 弟の話を真剣に聞いてくれる彼女は将来保育士になりたいんだと、昔秋生に夢を語ってくれた。

 目指すものがあってまっすぐ前を見ている真由の姿は、少しだけ柊永と重なって見えた。

 陽大が最近知り合ったおにいちゃんの話ばかりするので、彼女にもおにいちゃんの存在を知られてしまった。


「おにいちゃん、今度紹介してね」


 真由はニヤニヤと笑いながら秋生に耳打ちし、その日は帰って行った。

 とりあえずおにいちゃんの正体はしばらく内緒にしておこう。





 


 小さい頃母と歩いた道を再び歩く度、どうしても小さい頃の自分も思い出してしまう。

 自宅アパートから繁華街にある店までの道のりを、母の手に引かれながら歩いた。

 それは毎日休むことなく続き、熱があっても雨が降っても母と一緒に歩き続けた。

 小学生になり母から手を離された秋生は、それまで当たり前と思っていた母と歩いた道が恋しくて泣いた。

 たとえ母に引かれた手が痛くても、母の背中しか見えなくても、母に置いていかれるより悲しいことなどなかった。


 泣くのをやめたのはいつだろう。

 泣いても母が帰ってこなかったから、泣くのをやめたのかもしれない。

 秋生は泣かなくなり、母と歩いた道を恋しがることも忘れ、最後は帰ってこない母を諦めた。

 陽大が生まれて暫くは大人しかった母も、また帰ってこなくなった。

 最初は1週間帰らず、次第に半月帰らないようになり、そしてひと月帰らなくなった時、秋生は再び母と歩いた道を歩いた。

 母を求めて歩いたのではなく、母のお金を求めて歩いた。



 通信制高校に在籍する秋生は週に一度ある登校日だった今日、下校途中に母の店を訪ねた。

 毎月ここへ来る時は陽大を連れてこない。

 ここには連れてきたくないから、今まで一度も陽大を連れてこなかった。

 陽大が母に会うためには、母が家に帰ってこなければならない。


 まだ外は明るい時間なのに、店の中はぼんやりと薄暗かった。

 営業時間前で客も従業員もいなく、静まり返っている。

 昨日の夜、電話で今日店に行くと伝えておいたので、おそらく母はいるだろう。

 奥の休憩室に向かって挨拶すると、暫くしてようやく母は出てきた。


「久しぶり」


 秋生は本当に久しぶりに会った母親に、素直にそう言った。

 決して嫌味のつもりではなかった秋生の言葉に、まだ化粧をしていない母の顔は途端不機嫌になる。


「相変わらず可愛くないね、あんたは」


 母はカウンター席に座りさっそく煙草に火をつけると、煙をふかしながら傍で佇む秋生に視線を向けた。

 昔は口癖のように可愛くないと言われた秋生は今も母が忘れてなくて、せっかく忘れていたのに思い出してしまった。


「この時間は開店前だから忙しいんだよ。化粧もしなきゃならないし、店の掃除だってある。いつもあんたは間が悪いんだから」


 ぶつぶつと小言を言い始める母はいつものことなので、秋生もとっくに聞き流すことを覚えた。

 娘が毎月訪ねてくると損をする母は、文句を並べ話を先延ばししようと考える。

 最近は余計娘の顔を見なくなったのに、よくこんなに文句が出てくるものだと驚くほどだ。


「それで? 何しにきたの?」


 じっと黙ってるままの娘にさっさと帰ってほしくなったのか、待つことができずに結局母の方から切り出すのも、いつものことだった。

 わかってるのに聞いてくる。

 母はいつもなら秋生が帰るまでずっと不機嫌なままなのに、今日は突然思い出したように嫌な笑いを浮かべた。


「あんた、最近頑張ってるみたいじゃない」


 娘がどこの高校に入学したかも知らないのに、母にとって都合の良いことばかり覚えている。

 昔からそうだった。

 今まではそれでも我慢していた秋生もようやくうんざりしたから、母にはもう期待していない。


「今日はお金を催促しにきたわけじゃないから」


 この店に来たのも3か月ぶりだ。それよりもっと前から、母は一度も家に帰ってこなかった。

 母のお金に頼らず3か月生活できたのは、秋生がアルバイトで働き始めたからだ。

 少ない稼ぎでも母から貰うお金よりましだったので、秋生も母に頼ることをやめてしまった。


 母は秋生の言葉に笑うのをやめ、じゃあ何しに来たんだと突然怒り始めた。

 用事がなければ会いに来てはいけない親子関係なんて、すでに他人じゃないか。

 秋生はもう目の前の母親と話すことも馬鹿馬鹿しくなり始めた。


「明後日、何の日か覚えてるの?」


 母は秋生が突然切り出した質問など興味がないのか、考える素振りさえ見せない。


「明後日が何だっていうのよ」

「陽大の誕生日くらい帰ってきてよ、お母さん」


 去年だって、一昨年だって、母はその日一度も家にいなかった。

 陽大の誕生日を忘れていた。もしかしたら覚えてないのかもしれない。

 

「あの子はあんたに懐いてるじゃない」

「陽大がお母さんに会えなくて、平気だと思ってるの? お願いだから、その日くらいは家にいてあげてよ」

「私がいなくても、子供は勝手に大きくなるわよ。あんたがそうだったじゃないの」


 もう勘弁してよと、うんざりした表情で溜息を吐かれる。 

 秋生が黙ってしまうと、母は吸いかけのタバコを灰皿に押しつけカウンター席から立ち上がった。


「話が済んだなら、もういいでしょ? 忙しいんだから帰ってちょうだい」


 母は店に秋生を残したまま、逃げるように奥へ消えて行った。



 母の言葉に少なからずショックを受けた秋生は、いつの間にか店から出たことも気付かなかった。

 元来た道を帰りながら、どうして今この道を歩いてるのか、どうして母に会いに行ったのか、一瞬忘れかけた。そのくらいに秋生は母の言葉に傷ついていた。

 あんな母親でも、お願いすれば陽大の誕生日くらいは帰ってきてくれると期待していたのだろうか。

 情け程度の情でも自分が産んだ子供だから、せめてそのくらいはしてくれると甘いことを考えたのだろうか。

 勝手に心の片隅で期待して母の言葉にショックを受けて、結局何度同じことを繰り返せば気が付くんだ。


 勝手に産んで、勝手に大きくなると思ってる。

 もう必要ないから、会いに来るなと怒る。


 母は今度こそ本当に子供を捨てるつもりなのかもしれない。





 秋生は店からの帰りそのまま保育園へ寄り、陽大と家に帰り始めた。

 途中で雨が降り出したので、携帯していた折り畳み傘を広げ陽大と一緒に入った。

 最初は小雨だったが徐々に降りがひどくなり、足元が濡れて陽大の動きも鈍くなる。


「おにいちゃん、こない?」

「また明日会えるよ」


 柊永に会えない雨の日は、陽大も元気がない。

 いくら秋生が慰めても、陽大は笑顔を見せてくれない。


 保育園の帰り道にある小さい公園を通りかかる。柊永と出会った公園だ。

 休日に柊永と自宅近くの大きい公園に遊びに行って以降、この小さい公園には来ていない。

 柊永が毎日大きい公園に連れて行ってくれるから、今はお休みしている。

 

 途中で疲れてしまった陽大を抱っこして、傘を差し直し再び歩き始める。


「ようだい、3さいだよ」


 明後日3才の誕生日を迎える陽大は大きくなれるのが嬉しくて、先生や友達にも同じ言葉を繰り返しているらしい。


「あと2回寝たら、3才だね」


 陽大の成長が嬉しいはずなのに、あまり早く大きくならないでほしいと勝手なことを思ってしまう。


「お母さんはお仕事だから、秋ちゃんと一緒にケーキ食べようね」


 お母さんはお仕事だから、今まで何度この言葉を繰り返しただろうか。


「おしごと」


 秋生に教えられた陽大は今日もただ呟いた。


 もう3か月以上仕事と言って帰ってきてくれない母を、陽大はどう思っているのだろう。

 義務のように帰ってきても、翌朝にはまたいなくなってしまう。

 稀に家にいても触れてくれない母に、陽大は近づかない。

 少し離れた所から時々気にしている。

 母がいる間、秋生の傍を離れようとしない。

 母の近くに行きたいけれど受け入れてくれないと知ってるから、遠くから見ていることしかできない。

 秋生は普段母を呼ばない陽大に、母の存在を教える。

 お母さんはお仕事だけど、ちゃんといるんだよ。

 それはまだ小さい陽大に母を諦めてほしくないからだ。



「おにいちゃん、ケーキたべる? いっしょ?」


 傘の中で大人しく抱っこされている陽大は、期待の目で秋生を見つめる。

 明後日の誕生日も柊永と一緒だと思ってるようだ。

 楽しいことは柊永と一緒だから、ケーキは特別だから柊永と食べたいと一生懸命秋生に伝える。

 母がその日家に帰らないことを知ってる秋生は、そんな陽大の気持ちに目を瞑ることができない。

 せめて願いを叶えてあげたいと思うのは、秋生の我儘だろうか。


「おにいちゃんの用事がなかったら、一緒にケーキ食べようね」

 明日になったら素直にお願いしてみよう。

 陽大の誕生日、柊永も一緒にケーキを食べてほしい。

 柊永が傍にいてくれたら、陽大は笑って3才を迎えられるはずだ。



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