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急ぐ父




「お母さん、またあくびした」

「お母さん、もう夜じゃないよ。朝だよ」


 朝の食卓で今日もつい欠伸が出てしまった秋生は、今日も子供たちに笑って指摘されてしまう。


「お母さん、最近ずっと眠そうだね」

「ごめんね」

「ねえお母さん、朝なのに何で眠いの?」

「きっと朝は一番寒いからかな。布団が恋しくて……」

「凜生、望生、朝眠いお母さんを許してやれ。俺のせいだ」

「え? お父さんのせい?」

「何で?」


 子供たちに上手く言い訳できなかった秋生は夫から正直にフォローされ、慌ててテーブル下でその足を蹴る。


「痛え」

「お父さん、どうしたの?」

「どこ痛いの?」

「凜生、望生、お父さんは大丈夫だよ。ほら、学校と幼稚園始まっちゃうから、早くご飯食べて」


 突然痛がる父を気にした凜生と望生は母に急がされ、再び朝食を食べ始めた。




「もう、凜生と望生にああいうこと言わないで」


 凜生が登校し、望生も幼稚園バスに乗せた秋生が、まだ出勤前の柊永にようやくさっきの正直なフォローを怒る。

 

「最近秋生が朝眠いのは、俺が夜頑張るせいだろ。俺は子供にだって嘘吐けねえよ」

「……嘘吐けないなら、私が朝眠くない程度に頑張るようにして」

「おい秋生、俺の身体は口よりもっと正直だぞ。本当は今だって襲いてえ」

「今だって襲ってるじゃない」


 柊永は出勤前のスーツ姿なのに、今朝も2人きりとなった秋生の背中にずっしり圧し掛かる。


「会社行きたくねえ」

「また始まった」

「秋生、今日の俺は本気だぞ。有給取って、秋生と1日中ベットで頑張る」

「もう、またそういうこと言う。最近の柊永は正直すぎ」


 最近望生が一緒に眠る夜も秋生に我慢しない柊永は、二階の部屋で朝秋生に欠伸させるほど頑張る。

 最近の柊永は夜遅くまで秋生を頑張らせるのに、正直発言も増える一方だ。


「秋生、今日は忘年会だから有給取るの我慢してやる」

「はいはい、ありがとう。忘年会頑張って」

「その代り、秋生は一歩も外出んな」

「スーパーは?」

「週末皆でまとめ買いすればいいだろ」

「わかったよ、じゃあリキの散歩だけ」

「秋生いいか? 男とすれ違っても、絶対目を合わせるなよ」

「はあ…………柊永、いってらっしゃい」


 本気ですごまれながら男性との接触を禁止された秋生は、今朝もようやく柊永の出勤を見送った。 



 最近柊永は完全に秋生への我慢を失くしたせいで、秋生を独占することはもちろん嫉妬の感情も全く隠さなくなった。

 唯一甘いのは子供達と義弟の陽大に対してだけで、秋生が真由と2人で喋るのも露骨に嫌がり、以前は気にしないフリをしてた秋生と瀬名が仲良く喋ることも露骨に邪魔するようになった。

 秋生を1人買い物に行かせるのも毎日禁止し、唯一外出を許すリキとの散歩中はすれ違う男性さえ警戒させる。

 そこまで嫉妬深さを隠さなくなった柊永は秋生が子供達と剣道場へ通う水曜日、心底機嫌が悪くなる。

 なんせ秋生が慕う叔父の洸斉と喋ってしまう日なのだから柊永の嫉妬は最高潮になり、会社から帰宅するや否や、洸斉と喋った秋生の唇を憎々しげに見つめる。

 秋生は柊永に憎まれる唇がいずれ切られてしまうのではないかと半ば本気で危惧させられるほど、我慢を失くした柊永の嫉妬心は強烈なものだ。

 柊永が我慢を失くしたのは、秋生が柊永への負い目を捨てたのがきっかけなのだから何も言えないが、結局秋生は我慢を失くした柊永の代りに以前よりずっと我慢する毎日を送るようになった。

 柊永への負い目を捨てさせた義叔父の洸斉は秋生を自由にさせる為だったのに、逆に自由を失くす結果となったのだから不思議なものだ。

 そう呑気に不思議と思える程度なのだから、秋生にとって自由のない生活はそもそも苦ではないのかもしれない。

 秋生は再び欠伸をしながら、今日も家族のいなくなった家を掃除し始めた。





「お母さん、またスマホ鳴ったよ」

「お母さん、きっとまたお父さんからだよ」

「はいはい」


 夕食の後片付け中に子供達から教えられ、秋生はまた手を拭きながらテーブル上のスマホを取る。


「えーと……」

「ねえお母さん、ぼくにも見せて」

「私も見たい」


 再びメッセージ画面を開くと凜生と望生にも再びのぞき込まれ、3人で確かめる。


「やっぱりまたお父さんだ」

「『早く帰りてえ』だって。お母さん、私がまた返事していい?」

「うん、お願い」

「何て返事する?」

「うーん…………『ゆっくり帰ってきてね』かな」

「『早く帰ってきてね』じゃないの?」

「だめだよ凜生、お父さん本当に早く帰ってきちゃうから」

「わかった、じゃあ『ゆっくり帰ってきてね』だね。えーと……」


 凜生は夕食の後片付けで忙しい母に代わって父に返信をするため、スマホに文章を打ち込み始めた。


「あ、お母さん。またスマホ鳴ったよ」

「お母さん、きっとまたお父さんだよ」

「……凜生ごめん、お母さんの代わりに見てくれる?」

「はーい。えーと…………『早く会いてえ』だって」

「凜生、ついでにまた返事してくれる?『ゆっくり待ってるから、焦らないで』って」

「はーい…………あ、お母さん、返事する前にお父さんからまた来ちゃった」

「え?」

「『遅えぞ』だって。お父さん、返事遅くて怒ってるみたい」

「ごめんね凜生、じゃあお母さんが返事するね」


 文章打ち込みに慣れてない凜生につい任せた秋生はとうとう怒られ、後片付けをやめ集中し始めた。


 今夜は柊永が会社の忘年会で留守なのに、秋生はしょっちゅう送られてくる柊永からのメッセージに返信するため家事もままならない。

 子供たちは父から届くたび喜ぶが、秋生は喜びより億劫さが勝ってしまうのは否めなかった。

 以前は柊永と離れてる夜、メッセージのやりとりは1、2度程度だったのに、なぜか今夜は数分に一度に変わってしまった。


「お父さん、かわいそう」

「……え? 望生、何で?」

「だってお父さん、お母さんに早く会いたいのに、帰らせてもらえないんだもん。僕は泣くかもしれない」


 母に会いたいのに帰れない父を想像した望生が悲しい顔までするので、夫への返信さえ億劫がった秋生は素直に反省させられる。


「そうだ望生、私と望生がお父さんを喜ばせてあげようよ」

「お姉ちゃん、どうやって?」

「お母さんの写真送ってあげればいいんだよ」

「あ、そっか! お父さん喜ぶね」


 父を喜ばせる凜生のアイディアに望生も張りきり、夫に自分の写真を送られるなど恥ずかしいどころじゃない秋生はそれでも子供達の優しさに背けない。


「お母さん、笑って」

「……うん」

「はい、チーズ」


 凜生が撮った母の笑顔写真は父のスマホに無事届けられた。





「さっきまでスマホ睨みつけてた木野君が、今度はスマホにニヤけてる……」

「ヒイイ……ニヤける木野さん、喪黒福造もぐろふくぞう以上の不気味さなんですけど」


 普段会社では仏頂面一辺倒の柊永が頬を緩ませながらスマホを見つめる姿に、女性同僚の重宮と男性同僚の糠沢は気味悪がる。


「木野くーん、糠沢君からもぐろふくぞう以上って言われちゃったよ。ていうか糠沢君、もぐろふくぞうって誰?」

「重宮さん、喪黒福造知らないんですか? 藤子不二雄ですよ。ホーッホッホッホ、ドーン!!!!」


 居酒屋で忘年会中の重宮はすでに酔った糠沢の喪黒福造解説では理解に至らず、喪黒福造は諦め柊永が見つめるスマホを盗み見し始める。


「あら、秋生ちゃんじゃない。久しぶり」


 柊永のスマホには若干頬を染めて笑う秋生がいた。

 盗み見した重宮が秋生を知ってるのは、結婚前の柊永が秋生の勤めていた珈琲店へ共に連れて行ってくれたからだ。

 正確には重宮と糠沢が柊永の彼女見たさで勝手に同行したのだが、それ以降は重宮と糠沢も昼食目的で店へ行くたび秋生と親しく喋った。

 秋生は柊永と結婚した後すぐ妊娠し珈琲店を辞めたので、残念だが重宮と糠沢は秋生と会う機会がなくなった。


「秋生ちゃん、全然変わってないね。可愛い笑顔」

「……重宮さん、ありがとうございます」

「ヒイイ……重宮さんの褒め言葉に照れ顔浮かべた木野さん、キモすぎてガクブルなんですけど」

「……あ? おい糠沢、日本人なら日本語喋れ。俺が何だって?」

「ヒイ! 俺は国籍不明でーす!」


 重宮からさっきスマホに送られてきた妻の笑顔写真を褒められた柊永はわずかに照れただけで、純日本人の糠沢を国籍不明にさせた。


「ねえ木野君、この写真、わざわざ秋生ちゃんが送ってくれたの?」

「はい、さっき」

「へえ……家帰れば会えるのに、木野君と秋生ちゃんはいつでもラブラブねえ。ちょっと糠沢君、いつまでも木野君にビビってないで、久しぶりの秋生ちゃん見てみなよ。可愛いから」

「ヒイヒイ…………え? 秋生さん? どれどれ」

「おい! 糠沢は見んじゃねえ!」

「ヒイイイ! ブクブク」

「あーあ、木野君ったら糠沢君に泡吹かせちゃった……」


 重宮に誘われた糠沢も柊永のスマホを覗こうとしたが、柊永から軽くネクタイを引っ張られながら止められただけで泡吹き倒れた。


「あら? 木野君、また来たみたいよ…………キャ――! 秋生ちゃんったらすごい!『とってもあいしてる』だって! やったね木野君」

「……だめだ、我慢できねえ」

「え? 木野君トイレ?」

「いえ、俺は帰ります」

「ちょっと木野君! さすがにそれはだめよ! 今日は忘年会!」

「重宮さん、誤魔化してください」

「木野く…………あーあ、本当に帰っちゃった」


 糠沢が泡吹いたまま泥酔して眠り、重宮が呆れる中、母のフリして凜生が送った愛の告白メッセージでとうとう我慢の糸が切れた柊永は1時間足らずで忘年会を抜け出す。

 まだ店の中にもかかわらず、最愛の妻が子供達と待つ家に向かって走り出した。




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