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テレビの母




「あ! 望生が飛んできた! お父さん、ちゃんと撮って!」

「ああ」

「おじいちゃん、おばあちゃん、あの蝶々が望生だよ」

「可愛いねぇ」

「いやあ、望生君は蝶々そっくりだ」


 幼稚園のお遊戯会が開かれた今日、蝶々の望生が舞台上をヒラヒラ飛び始めると、凜生は父にビデオカメラをしっかり回させ、今日一緒に訪れた祖父母にも蝶々の望生を指差して教える。


「あれ? 望生が消えちゃった……」

「凜生ちゃん、きっとまた望生君は飛んでくるよ」

「そうだよ。望生君はまだ少ししか飛んでないんだから」


 蝶々の望生は舞台上を30秒ほど飛んだあと去ってしまったが、凜生と祖父母はまた登場する望生を期待し始める。


「何言ってんだ。望生はもう飛び終わっただろ」

「……柊永、まだわからないよ」


 ビデオカメラを回す柊永は期待する凜生や両親と違い望生の再登場はないと決めつけ、秋生は期待半分諦め半分で舞台を見守り続ける。


「そもそも何で望生は蝶々なんだ? 桃太郎には蝶々なんて出てこねえだろ」

「お父さん、望生が先生に蝶々やりたいってお願いしたんだって」

「何で蝶々なんてやりたがるんだ。ただ飛んだだけでセリフ1つなかったぞ」

「柊永、いいじゃないの。望生君は飛んでるだけで可愛いんだから」

「そうだよ。可愛い望生君はセリフなんて必要ない」


 柊永自身は幼稚園時代のお遊戯会で主役しか任させてもらえず、望生のセリフ1つない蝶々役に疑問しか出てこないが、両親には可愛いで済まされてしまう。


「望生、早く飛んでこないかなぁ」


 父と同じく幼稚園時代は主役しか任されなかった凜生は、父とは違い望生の再登場をひたすら期待し続ける。

 秋生は変わらず舞台を見守りながら、心の中では望生の再登場をすでに諦めていた。 





「あ、お母さんだ」

「本当だ、お母さんが映ってる」


 凜生と望生が見つめるテレビに母の横顔が映し出された。


「あれ? 私だ」


 夕食後、キッチンでお茶を淹れリビングに戻った秋生もテレビに映る自分に反応すると、すぐさま柊永を睨む。


「もう、私なんて撮らないでよ」


 秋生がテレビに映ってしまった理由は柊永が今日望生のお遊戯会をビデオカメラで撮影した際、蝶々役の望生が結局30秒しか飛ばず、その後は隣の秋生を盗み撮りしたせいだ。

 当然秋生は怒るが、柊永はまったく気付くことなくテレビに映る秋生を見つめている。


「お父さん、変なの。テレビのお母さんばっかり見てる」

「本物のお母さんがいるのにね」

「凜生望生、お父さんは気にしないでお茶飲もう」


 凜生と望生はテレビの母に夢中な父を訝しがるが、母と一緒にお茶を飲みながらそっとしておくことにした。





「よし、秋生撮るぞ」

「え?」


 今夜も秋生はリキがゲージで眠ったあと寝室に入ったが、突然柊永にビデオカメラを向けられた。


「ちょっとやめてよ」

「ちょっとくらいいいじゃねえか。今日から1日5分、秋生を撮る」

「何で?」

「いいから笑え」

「やだよ。それに私パジャマなのに」

「だからいいんじゃねえか」

「え?」

「秋生、そのままベットに座れ」


 パジャマ姿の秋生を撮影する柊永が今度はベットに座らせようとし、さすがに秋生は柊永が持つビデオカメラを取り上げた。


「返せ」

「じゃあ理由も教えてよ。私を撮ってどうするの?」

「後で観る」

「後っていつ?」 

「望生が2日に一度ここで寝る夜だ。俺は秋生を望生に取られるだろ」

「……夜1人で起きて、撮った私を観るの?」

「ああ」


 秋生が恐るおそる尋ねると平然と肯定され、しかもさっきパジャマ姿の秋生をベットに座らせようとした柊永に嫌な予感まで募らせる。


「柊永…………まさか変なことしないよね」

「変なこと?」

「……パジャマの私を観て…………その……」

「仕方ねえだろ、俺は男だぞ」

「だめ、そんなことやめて」


 嫌な予感は的中し、柊永の欲求不満解消のため撮影する気だと認められた秋生は必死に止めた。


「いいから撮るぞ。カメラ返せ」

「ねえ柊永、我慢してよ。柊永が夜起きたら、リビングで寝てるリキがビックリしちゃう」

「リキの眠りは邪魔しねえよ。二階の部屋で秋生を観る」

「……凜生と望生がパジャマの私だけ映るビデオ見つけたら、変に思うじゃない」

「あいつらには絶対見つからねえ場所に、鍵付きで仕舞っとく。だったらいいだろ」


 秋生がそれ以上柊永を宥める理由を見つけられなくなると、容赦なくビデオカメラを取り返した柊永は秋生をベットに座らせた。


「秋生、笑え」

「楽しくないのに笑えない」

「じゃあくすぐるか?」

「……柊永、前まで我慢できたじゃない。私が望生と一緒に寝ても、こんなこと考えなかった」


 再び柊永にビデオカメラを向けられても笑うことを拒んだ秋生は、嫌がっても強制する柊永が以前とまったく違うと俯きながら主張する。

 柊永もようやく一度諦め、秋生の隣に座った。


「前の俺が我慢して、こんなこと考えなかったのは、嫌がる秋生に怖がりたくなかったからだ」

「私は今も嫌がってるよ…………柊永に怖がってほしい」

「そんなの無理だろ。秋生が俺に怖がることをやめさせたんじゃねえか」

「………………」

「俺は秋生に負い目を捨てられた時、秋生に怖がる自分も捨てられた。今の俺は秋生が怖くないから、秋生に多少嫌がられても我慢しねえ」


 ひと月程前、秋生は柊永への負い目を捨て、柊永は秋生に過去の自分を失くされた。

 それまで秋生に脅えることで秋生に負い目という鎖を付け続けた柊永は、とうとう秋生に過去の自分を失くされたことで今の自分をただ愛された。

 初めて秋生にただ愛された柊永には、初めてただの歓喜が襲いかかった。

 柊永は秋生にとてつもなく喜ばされたばかりに、とうとう秋生への怖れを失くした。

 それからひと月経た今の柊永は秋生に愛される自信に満ち溢れ、秋生が多少嫌がったくらいでは我慢できない。


「秋生が欲しい」


 秋生を我慢できなくなった柊永は、ただ秋生を欲しがった。

 秋生が欲しくて欲しくて、もうわずかも我慢しない。

 望生が秋生と一緒に眠る夜もとうとう我慢できなくなり、せめて映像の秋生で我慢しようと試みた。

 けれど今はっきりと秋生を欲しがった柊永はもうすべての我慢ができず、映像の秋生など欲しくない。

 隣の秋生しか欲しくない。


 秋生は柊永にはっきりと欲しがられ、柊永の心をすべて理解した。

 さっき映像の秋生で我慢しようとした柊永がとうとう秋生への我慢をすべて失くした柊永になり、さっき笑えなかった秋生はようやく笑った。


「……ごめんね、私も全然我慢しない柊永が好きみたい」


 さっきは多少我慢した柊永を多少嫌がったが、全然我慢しない柊永は全然嫌じゃないと気付く。

 映像の秋生に興味を失くした柊永への安堵も相まり、柊永の欲求不満解消にも協力することにした。

 秋生はわざと柊永の耳に甘く吹き込む。


「望生が寝たら、私を必ず二階に連れてって」




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