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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: emi・K
第一章 始まりの公園
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あなたを知りたい




「あきちゃん、おなかすいたぁ」


 サッカーボールを両手に抱えた陽大が木陰に座る秋生に向かって走ってきた。

 秋生は陽大の帽子を外し顔をのぞいてみると、額に汗が滲み頬も火照っている。 

 それほど気温は上がってなくても日の高い時間、身体を動かし暑くなったらしい。


「お茶飲もうね」


 陽大の汗を拭き取ると水分を補給させるため、バックから麦茶の入った水筒を取り出した。



「お疲れ様でした」


 秋生は陽大に続いて傍に来た柊永に感謝を込め労う。

 陽大と違って汗を掻いてる様子がない柊永は、そのまま秋生が座るシートにどかりと腰を下ろした。

 今までにない近い距離の柊永に内心動揺しながらも、麦茶を注いだ紙コップを彼に差し出す。

 秋生に短い礼を言い受け取った彼は、ほんの3口程度で飲み干した。

 秋生が自分の膝に座った陽大の口元にも麦茶の入った紙コップを近づけると、やはり喉が渇いていたのかコクコクと一生懸命飲み始めた。


「あきちゃんのおべんとう、どこ?」


 陽大はすでにお腹を空かせたのか弁当の存在を気にし始め、秋生も笑って応える。


「今用意するからね。陽大、1回お膝から降りて」


 陽大を膝に乗せたままでは弁当の準備ができないためお願いすると、理解してくれた陽大が今度は胡坐をかいた柊永の膝にちょこんと座ってしまった。

 秋生は当然とばかりの陽大の行動に思わずあっと声を出し驚きそうになったが、膝に乗られた柊永が特に反応しなかったので結局口を噤む。

 陽大も少しは遠慮してほしいものだが3才前で遠慮などできるはずもなく、秋生だけが1人オロオロと見守るしかなかった。


 バックの中から取り出した2段重ねの弁当箱とおにぎりをシートに並べる。

 一緒に持参したおしぼりも柊永に手渡し、陽大の手も綺麗に拭く。


「どうぞ」


 柊永の口に合うかわからず不安を交えながら弁当を勧めると、一度隣の秋生に振り向いた柊永は柔らかい表情を浮かべた。

 彼がまるで言葉の代りに感謝を伝えてくれたように感じて、秋生は思わず目をそらしてしまう。

 普段お世話になってるのは秋生の方なのに、柊永は時々今のように優しい目を向けてくれる。

 彼の優しさを受け取る資格もない秋生は、そんな時ばかりは逃げるように目をそらす。

 柊永は秋生に目をそらされても気にすることなく、いただきますと挨拶し箸を持った。


「陽大、何が食べたい?」


 彼は一時陽大の世話を止めてしまった秋生の代わりに、膝に乗る陽大に尋ねた。


「たまご、トマト」


 好きなおかずを指差し答える陽大に応えた彼は、皿に1つずつ載せていく。


「自分で食べられるか?」

「うん」


 陽大は彼に心配されながら皿に載った卵焼きをフォークで刺し、食べ始めた。

 ようやく気を取り直した秋生も陽大の様子を見守ると、柊永も食べ始めたのを確認してから自分もおにぎりを手に取った。


「あきちゃんのおべんとう、おいしいね」


 公園で食べる弁当が楽しいのか、それとも3人で食べる弁当が嬉しいのか、陽大はニコニコと笑いながら秋生の作った弁当を美味しく食べてくれる。

 それまで沈黙していた秋生も弟に喜ばれ、自然と笑顔を戻した。


「美味いな」


 陽大に同意してくれた柊永に心の中で安堵した秋生は、隣に座る彼にそっと視線を向ける。


 陽大を膝に乗せながら器用に弁当を食べる柊永は、特に好き嫌いもないらしい。

 決して少なすぎない弁当は少食の陽大と特に大食いではない秋生にとって腹にも限度があり、何でもよく食べてくれる彼の姿はとても好感の持てるものだった。

 食べっぷりはいいのに不思議と品も感じるのは、おそらく彼の所作が美しいからだと思った。

 普段荒々しい仕草も多く強引な彼がそれでも無骨とは言い難く感じるのも、彼の箸使いや姿勢の美しさからわかるように、自然と滲み出る品のせいかもしれない。

 陽大と秋生の腹が満たされると残りの弁当を綺麗に平らげてくれた柊永に心の中で感謝し、後片付けをした。



 3人は食後の休憩を取る為そのままシートの上でのんびり過ごしていると、いつもこの時間昼寝をする陽大は自然とお喋りを止め、秋生の膝に顔を伏せた。


「陽大、少しお昼寝しようね」


 秋生が膝に伏せる陽大の背中を優しく叩きそっと囁くと、暫くもぞもぞと動いていた陽大が穏やかな寝息と共に眠り始めた。


 秋生は陽大が完全に眠りに就いたことを確認してから、陽大の背中を優しく叩いた手を止める。

 陽大のお喋りが静まった今、秋生にとっては決して居心地が良い時間とは言えない。

 隣に感じる彼の存在をどうしても意識してしまうからだ。

 それでも今日この時間を望み、必要としていたのも秋生の本心だった。


 知らなければいけないと思った。

 陽大がこんなにも心を許し懐いている、そして自分達を気に掛け助けてくれる彼のことを、秋生は知らなさすぎていた。

 

「あの、今日は付き合ってくれてありがとう」


 秋生は緊張しながらも隣の柊永に感謝を伝え始める。

 あまりにも距離が近いせいで彼に振り向くことはできず、視線は膝の上の陽大に向けたままだ。

 そのせいで柊永の反応がわからない。

 今日も彼は秋生の礼に答えてくれないのは相変わらずだった。


「……木野君は、どこに住んでるの?」


 この前陽大が柊永に尋ねた時は答えてくれなくて、結局そのまま聞きそびれてしまった。

 今日の柊永はどうだろうか。

 彼から何らかの反応をもらうため待つ間、秋生は少しの不安で胸がうるさく高鳴った。


 2人の間に暫し沈黙が続いたあと、柊永が諦めたようにぼそりと呟いた。

 彼に教えられた家の住所は、保育園の帰りにいつも彼と会う公園の近くではなかった。

 近くないどころか、その公園までは徒歩20分掛かる秋生と陽大の家より更にもっとずっと先で、おそらく彼の足でも公園まで3、40分掛かるかもしれない。


「毎日そこからわざわざ来てくれたの?」


 秋生が信じられない思いで聞き返すと、普段気持ちを表面に出さない柊永も相当ばつが悪いのか眉間に皺を寄せている。

 今まで疑問に思いながらもずっと彼に気後れしていた秋生は、彼の自宅を確認できないままだった。

 いくら彼が何も言わなかったとはいえ、結局は秋生の責任に違いない。

 ほとんど毎日陽大と会う為だけにその距離を通ってくれたとしたら、今さら迷惑どころの話ではないじゃないか。


「そうやってすぐ気にするんだろ」


 落ち込んだ秋生が下を向いてしまうと、柊永は静かに呟いた。


「気にしなければいい」


 続いた柊永の言葉に再び顔を上げると、さっきと違って穏やかな表情を浮かべる彼は秋生を思いやるように見つめていた。

 触れ合う彼の目に深く引き込まれた秋生は、今度こそ彼から目をそらすことができなかった。


 最初に目をそらしたのは柊永の方だった。


「……それでも気にするなら、今度からここに来ればいい」


 正面を見つめ直した彼は隣の秋生に言うでもなく、再び呟いた。


 そんなことを言ってくれるのは、今いるこの公園が彼の家からそう遠くないからではない。

 陽大が喜ぶから。

 秋生達の家がすぐ近くだから。

 彼にとって余計なことは何も言わなくても、秋生には彼の思いが痛いほど伝わった。


「毎日なんて駄目だよ。無理なことしないで」


 秋生が何を言っても彼には絶対敵わないから、せめて今よりも楽になってほしくて小さい声で呟く。

 思わず視界がぼやけたので、慌てて顔を伏せた。


「木野君、学校はどこ?」


 今の自分の顔があまりにも見苦しいので、誤魔化すように彼に質問を繰り返す。

 柊永と知り合ってもうひと月以上経つのに、彼が通ってる高校も知らないなんて本当に有り得ない。

 柊永が公園に来る時はいつも普段着で、彼の制服姿を知らない秋生は気になっていても直接聞くことを躊躇っていた。

 今日の柊永もそうだが、基本的に彼の服装はシンプルだ。

 いつも重ね着などせずシャツとボトムだけの恰好なのに、余計なものを身に付けないシンプルさが更に彼を引き立たせて見せる。

 普段着の彼がとても自然で、中学以外の制服姿はまったく想像できなかった。

 

「海南」


 柊永も今回の秋生の質問にはすぐに答えを返してくれた。


「海南って、中学校の近くの?」

「そうだな」

「そうだったんだ。私はてっきり……」

 

 初めて柊永の通う高校を教えられた秋生は予想が外れ、思わず口から漏らしかける。

 彼も秋生の予想が気になったのか、わざわざ振り向いた。


「てっきり?」

「……気を悪くしたらごめんね。先生が期待してたと思ったから」

「東稜か?」


 柊永は秋生の曖昧な説明にもピンときたらしく、すぐに確認された。


「うん、そう」

「あそこは俺には合わねえからな」


 彼が通う高校は東稜高校だと今まで勝手に思い込んでいた秋生は、きっぱり否定してしまった柊永が自分とは次元が違うのだと改めて思い知らされた。


 中学時代、柊永は先生の期待の星だった。

 彼の学力ならこの界隈では超難関の東稜高校も余裕だと、受験シーズンに入って周りが噂していたことを秋生も耳に入れたことがある。

 一般的に受験する高校を決めるには自分の偏差値と照らし合わせる生徒が大半だと思っていたが、柊永が入学した海南高校は上の下程度のレベルで、県内一のレベルを誇る東稜高校とは比べられない。

 柊永が海南高校を選択した理由はわからないが、自分に合わないからと東稜高校は選ばなかったのだから、彼自ら望んだのだろう。

 すべてにおいて潔く正直な彼らしい選択だと思った。


 柊永は一切迷いがないのだ。

 彼に2つは必要ない、だから決してぶれない。

 自ら望み、他のものには流されない。

 そうしようと決めてるのではなく、それが彼の本質なのだ。


「……木野君はすごいね」


 心の中で彼に感心した秋生は思わず声にも出し伝えてしまった。

 秋生から理由なく感心された柊永が特に反応しなかったので、秋生は迷いつつ理由も伝えることにした。


「勉強ももちろんそうなんだけど、自分のことをちゃんと知っていて、いつもまっすぐで正直で…………私とは正反対だから」


 望むことも選択することも始めから諦めてる秋生とは真逆の柊永。

 ここまで正反対だと、羨ましいと思うことも馬鹿馬鹿しくなるものだ。


「俺より、そっちの方がよっぽど凄いだろ」

「……私?」


 今度は柊永から感心された秋生は戸惑いながらも理由を待つ。


「ぬくぬく親の元で遊んでりゃいい歳で、毎日働いて勉強もして、死ぬほど頑張って陽大育ててるのはあんただろ。そんな凄い奴、俺は今まで見たことねえよ」


 秋生は柊永が自分のことをちゃんと知っていて、ただ驚いた。

 今まで彼には家のことも仕事のことも、何も話したことはなかったのだ。

 もしかしたら彼は秋生に頼ることなく、秋生のことを知る努力をしてくれたのかもしれない。

 

「あんたのことを、ちゃんと陽大は見てる」


 迷うことなく秋生を見つめた柊永の目が、そのまま陽大に向けられる。

 秋生も彼の目を追って、膝の上で今も眠る陽大を見つめた。 

 

 陽大が自分を見ていてくれる。

 そして今、柊永が見ていてくれた。

 秋生は柊永の言葉に教えられ、今日初めて今の自分のままでいいと気付かされた。


  


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