73.翼竜
サランと二人でキリフさんの屋敷まで歩きます。
エルフ誘拐団も出ないようになりましたので、僕もサランも帽子をかぶるのはやめて耳を出してます。今日はオフの予定ですし。
「ひさしぶり。また会えて嬉しいよ。ゆっくりしていってくれ」
そういってキリフさんがサロンに入ってきました。
お茶もお菓子も先にいただいています。あいかわらずいいもの出してくれます。
「トープルスの郊外、シラーツァーのナトラルの牧場を知ってるよね」
「はい、コヨーテ駆除したり、そこから羊毛買いましたし、子羊を譲ってもらったこともあります」
うんうんとキリフさんが頷きます。
「そこでワイバーンが出るんだ。羊がやられてる」
「ワイバーンというのはどういう魔物ですか?」
「えーとだな……。シンって意外と魔物に詳しくないんだよな」
キリフさんが本棚から魔物図鑑みたいなものを出してページを開いて見せてくれます。銅版画の印刷物ですね。図集だとやっぱり版画になりますか。
「これ」
……プテラノドンじゃないですか。
僕、翼竜っていうから、二肢が翼になってるドラゴンだと思ってましたよ。
どういう生態系ですか。どうして恐竜が生き残っているんですか。おかしな世界ですねえ。
「翼長20ナール(18m)。羊ぐらいなら掴んで持って行ってしまう。肉食で狂暴だよ。人間が襲われることはあまりないが例がないわけじゃない。飛ぶのは遅い。でもすごい高さを旋回してるから降りて来たときぐらいしか攻撃できない。奥地に住んでいるが、たまに人里近くまで出没する」
そりゃあ怖いですね。歴史上のプテラノドンは翼長8mで体重は20kg無くて魚しか獲れないそれはもう残念な恐竜でした。強力に羽ばたいてとかのダイナミックな動きはとても無理な、海岸沿いで上昇気流に乗ってグルグル回ってるようなやつですよ。羊を持って行っちゃうような獰猛なやつじゃなかったです。
どんなやつでもそうですが、飛ぶ奴ってのは脆弱なんです。
軽くないとダメですからね。何もかもが華奢で壊れやすい。
映画やゲームで人間とか持ってっちゃうみたいに怖い相手とは思えません。
ただこの世界は銃は無いですから、基本飛んでる奴は獲れないってことになってます。
「翼長20ナール……。僕の知ってる奴の2倍ですか。ということは2倍の3乗で体積比で8倍。猛禽類は自分と同じ体重ぐらいのものは持ち上げる力がありますから160kgの揚力……。確かに羊ぐらいなら持ち上げていけますね。ワイバーンの体重もそのあたり。200kgは無いぐらいか」
「妙な計算をするなあシンは。っていうかどういう学問? なんでハンターのシンがそんなこと知ってるの?」
「まあそこはスルーで」
ぽりぽりぽりぽり。
頭をかく。
うん、獲物の体重的には僕の308ウィンチェスターあたりで何とかなりそうな気がします。飛んでいるものを落とすのは散弾銃と違ってライフルだと大変というかまず当たりませんが、的が大きいですしトンビみたいにゆっくり旋回してるなら案外当たるかもしれません。反撃に降りてきたらそれはそれで撃ちやすくなりますし。
「じゃあ、あとはファアルさんに話を聞けばいいですね」
「ああ、僕は君らに連絡を取ってくれって頼まれただけだからね」
プテラノドンが翼竜ねえ。
妙に現実的だなあこの世界。
いや、ティラノサウルスとか出てきたらそれはそれで困りますけどね。
パラパラパラ……。ページをめくります。
いるんかい。
「ダイノドラゴン」って名前ついてるけど、います。
ティラノサウルスです。
かつて勇者が倒したとかなんとか。
こちらも大きいです。全長15ナール。13mぐらいでしょうか。
いつか対決する羽目にならなきゃいいんですが。
……ライルスライム。
僕が書いた報告書の写しが挟んであります。
よかった。ちゃんと情報が共有されているんですね。
今度、僕もこういう資料の充実に貢献していったほうがいいかもしれません。
「シン、あれあれ!」
サランにつつかれました。
そうそう、これは聞いておかないとね。
「僕ら、実は結婚一周年でして」
「ほう、そりゃあおめでとう。羨ましいよ」
領主様のキリフさんはまだ十代。結婚なんてまだ先でしょうな。
「それで、旅行としゃれこんでこちらまで来たわけですが、温泉とか、どこかにあるのを知りませんか?」
「ふーむ、温泉と言えばムクラス山渓谷のサクツ温泉街とか有名かな。保養地として、療養先としても人気がある。観光地だよ。僕は行ったことが無いが……」
「場所を書いた地図とかあります?」
キリフさんが大きな皮張りの地図帳を出してくれます。
門外不出のものですよ。貴重なものです。
「このまま南のトープルスまで行って、ワイバーン退治して、そのまま南の王都に向かって、エドラス街道を西に折れて山を抜ければ温泉地。街道はよく整備されていて駅馬車もある。安全なものだよ」
「ありがとうございます」
ペンとインクを借りて地図を紙に書き写します。
ホントは僕ボールペン持ってるんですけど、さすがにここで出すわけにいかないよね。
「僕はこの恐りゅ……魔物図鑑欲しいですね。これどこで買えるんです?」
「王都の中央図書館で買えるよ。貴族が領地を守るためにこうした魔物の知識を備えておくのは習いの一つだね。貴族でなくても購入できるけど、紹介状を書いてあげよう」
そういってキリフさんがサラサラと書面を書いてくれます。
「しかし温泉かあ。いいなあ。僕もついて行っていいかい?」
「いいですけど、僕とサラン、ずーっとイチャイチャしてますよ? それでもいいですか?」
「……やめた。やっぱり自分の新婚旅行で行くよ」
「そんなおめでたい話があるんですか!?」
「いや、まったく。正直それどころじゃなくて」
「それは残念ですね」
そうは言っても、キリフさんはニコニコと楽しそうですけど。
吸い取り紙で押して、封筒に入れてロウで封をしてくれます。
子爵家の紹介状です。これ持っていけば無下にされることも無いでしょう。
「まあ僕みたいな田舎領主だと縁談も政略結婚の話も無くてね、街のきれいな娘をなんとかたぶらかして好きに恋することもできる。その点、もう子供のころから婚約者が決まってるような伯爵様よりはずっと幸せさ。あっはっは」
……ファアルさんはもう婚約者がいるんでしょうか。
まあそれはいいや。早く助けに行ってあげないと、ナトラルさんの牧場が廃業してしまいます。倒せる目星もつきました。
その日、護衛仕事を引き受けたりはせず、普通に駅馬車を予約しました。
明日の朝出発です。
その日、宿屋でLEDランプを出して、ノートに図面を書いてみます。
この図から計算式を導き出さないといけません。
鉄砲というものは水平に撃った時と角度を付けて撃った場合では着弾点が変わります。これは、重力で弾丸が引っ張られる方向が変わるからです。
単純に、幾何の問題です。COSで計算しないといけないから面倒です。まずは45度で計算してみますかね。√2の逆数だから0.7だし。
さて、銃を水平に撃つと、弾丸は落っこちて下に当たります。
秒速860mで発射後、1秒で860m先に当たる時、弾丸は1/2gt、つまり4.9m下に着弾します。それでは当たらないので、スコープを調整し、銃身は860m先で4.9m上に当たるように斜め上を向いています。なので一度持ち上がって、それから山なりに落ちて着弾します。銃身は例外なく照準線に対して斜め上を向いているわけです。
ではこのセッティングで真上を狙って撃ったらどうなるか。
重力で4.9m引っ張られて落ちるはずが、落ちませんよね。そのまま射手から見て斜め上に向かって弾は飛んで行ってしまいます。
なので、真上に撃つと狙ったところより4.9m上方向に当たってしまうわけです。
これを計算していきます。計算式は図面から(1-COS角度)×落下量だとわかります。
45度で距離100mで4cm。90度の時12cm。
45度で距離200mで11cm。90度の時37cm。
45度で距離300mで23cm。90度の時78cm。
射手から見て狙ったところより、これだけ上方向に当たります。
紙にプテラノドンの絵を描いて、翼長20mとして、胴体の中心から同心円を書きます。狙ったところからはずれる量ですね。これでだいたい覚えておきましょう。そうして書いた図を、レミントンM700のストックに張り付けておきます。簡単な弾道修正というわけです。
あとはどれぐらいのスピードで飛んでいるかです。これはもうやってみないとわかりません。現物を見ての話になります。トンビとかすごくゆっくり飛んでいてなんだかライフルでも撃ち落とせそうに見えるときがあります。
そんな状況を期待しましょう。
「なあにそれ?」
サランが不思議そうな顔をして後ろから見ます。
「弾道計算」
「だんどう?」
「弾がどうやって飛んでいくかを計算してるの」
「へえー……。しかしシンはよくそんなわけのわからないものがわかるねえ」
本当はパソコンがあると楽なんですけど。
表計算で簡単に弾道表が作れます。
パソコンが買えたらなあ。
実は一度ノートパソコン買おうとしてマジックバッグがうんともすんとも言わなかったんですよね。なんかこういろいろとホームセンター縛りされてます。
「ほうっておかれてさみしいんですけどお――――!」
サランに後ろから抱きしめられてぐりぐりされてしまいます。
「ゴメンゴメン。もう終わり」
「じゃ、お風呂はいろ!」
バスタブですけどね。
温泉に期待しましょう。
次回「うっとうしい1級ハンター」




