1.僕が異世界に来た事情 ※
……暗い。
なんでこんなに暗いんだろ。死ぬとこうなるの?
ヒグマ怖いよ……。
むっくりと起き上がる。
「大丈夫ですか?」
急に女の人に声をかけられてびっくりする。
どこだろここ。病院? 看護師さん?
暗い! いや、もしかして僕、目が見えない?
手を伸ばして周りをさぐる。
ふにゅ。
なんか触った。
「キャッ!」
女の人の小さな悲鳴。
「あ! すいませんすいません! 触っちゃいました? ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ。安心してください。ここは照明がありませんので暗いんです。いま明かり付けますからね」
ぽわっ。
火が灯って明るくなった。
目の前で跪いて僕の顔を覗き込んでいる人……。
誰?
白いドレスみたいな服着て、金髪の外人さんだ……。すごい美人!
手のひらの上に光の玉出してる……。
どういう照明?
「え、あ、あの? ここ、病院じゃないんですか?」
「違いますよ」
「だって僕クマに襲われて……」
「ここは死後の世界です。中島 進さん、お気の毒ですがあなたは亡くなられました……」
「死んだ……」
「はい」
「クマに襲われて?」
「はい」
「……あの!」
僕は身を乗り出して聞く。
「女の子は? あの小学校の裏にいた女の子はどうなりました!」
「無事です。あなたのおかげです」
「……よかった」
三日前に小学校の裏山に出没したヒグマ。
通学路近くでも目撃されて、このままでは危険だということで猟協会で駆除を行うことになったんです。
僕は田舎町の役場の職員なんだけど、おじいちゃんが猟師を引退する時に、「お前ハンターにならんか?」と言われて、ハンターになりました。
おじいちゃんは去年まで現役のハンターで、猟銃を持って害獣駆除とかやってました。
役場でも、畑を荒らすシカや家畜を襲うキツネなどの害に悩まされていて、僕の務める役場でも農家さんに補助を出してネットを張ったり柵で畑をかこったりしてもなかなか被害は減りません。
おじいちゃんの話ではハンターも老齢化が進み猟協会にも若い奴がいないと言います。
地元の高校を卒業して役場の職員になり二十歳になった僕に、もう銃砲所持許可と狩猟免許が取れる歳になったのだから、僕におじいちゃんが持っている猟銃をくれるって言います。
「お前みたいな若い奴に猟協会に入ってほしいんだよ」と切実に言うおじいちゃん。その頼みを無下にはできなかったな。
そうして僕は難関の銃砲所持許可と、狩猟免許をクリアしてハンター一年生です。
役場の職員だったので害獣駆除従事者の資格もその年に町からもらい、農家の要請があればおじいちゃんから譲り受けた古い散弾銃を持ってシカやキツネを獲っていました。
おじいちゃんは僕に銃とハンティング用具一切を譲って、半年後に膵臓ガンで亡くなった……。
思えば、僕に、後を継いでもらいたかったのかもしれません……。
今日はヒグマの駆除要請でした。
猟協会メンバーで裏山を取り囲んで登り、追い立てる作戦です。
僕はまだライフルは持てないので、散弾銃だけ。
なので、「念のため」ということで山には入らず、学校周辺をパトロールする役を引き受けてました。(※1)
裏山で銃声が立て続けに響き、「そっち行ったぞ――――!!」「学校! 学校に向かってる!」という肩に付けたデジタル簡易無線の音声が飛び交い、僕はおじいちゃんから譲ってもらった愛用のレミントンM870の銃カバーを脱がし、サボットスラグの装弾を二発弾倉に込めたところで、校舎裏から山を眺めている子供を見つけました。女の子でした。
「危ないからそこにいちゃダメだ! 校舎に戻って!」
なんで子供がいるんだと思いました。
臨時休校にしてもらったはずだろう!
がさっがさがさ!
裏山の木立が揺れ、黒い塊が猛烈なスピードで走ってくる。
こんな校舎裏で発砲するのは銃刀法違反だな。
そんなことを考えながら子供の元に走りました。
ジャキンとフォアエンドを引いて戻し、弾倉から薬室に装弾を送る。
走りながらもう一発弾倉に装弾を込めて計三発!
「校舎に!!」
子供を手で追い払うように指図して子供とクマの間に立つ。
「グゥア――オ――――ウ――!!」
木立から飛び出してきた血まみれのヒグマが咆哮する。
ドォン!
一発発射!
外れたか!
ジャキン! ポンプアクションのフォアエンドを引いて排莢、前に出してもう一発!
ドォン!
当たった!
立ち上がって僕にのしかかろうとする目の前のクマの喉元に、もう一発!
ジャキン! ドォン!
そして、僕はヒグマが薙ぎ払った腕に吹き飛ばされ、のしかかられた……。
……記憶はそこまでしかありません。
「……あなたは?」
「私は女神。あなたの死後の世界を司る女神ナノテスと申します」
……そうか。
僕の住んでる田舎町にこんなきれいな外人さんがいるわけないよね。
「子供を守ってヒグマに立ち向かったあなたの勇気、このまま死なせるにはあまりに惜しい……。そう思って、私が呼び寄せました」
「呼んだ?」
「はい。あなたは亡くなりました。もう前の世界に戻してあげることはできません。ですが、あなたの命、もうすこし、永らえさせてあげたい」
「……僕はどうなるのでしょう」
「異世界へお送りします」
「異世界?」
「あなたが、新しい人生を始められるように。そこで幸せに暮らせるように。そこは地球であって、地球ではない世界。人間がいて、人間でないものもいる世界」
「マンガのような?」
女神様がそっと優しく微笑む。
「そうかもしれませんね。不思議な世界かもしれません」
「僕は仕事がある……。家族も、仲間も。みんな捨ててそんな世界に行くわけにはいきませんよ!」
「申し訳ありません」
「死んだって、そんなの納得できませんよ!」
「納得していただけないかもしれません。でも、あなたが亡くなったのは本当のことなんです。受け入れていただけませんか」
嗚咽が漏れた。泣くしかなかった。
死んだことが悔しかった。両親、兄と妹。家族のことを考えたら涙が出た。
二十一歳でヒグマに襲われ死亡……。
普通に役場の職員やっていればこんなことにはならなかったはず……。
後悔ばかり頭に浮かんだ。
「あなたの新しい人生に幸いあれ」
そんな勝手な!
「私もできる限り手を貸します。まずは生き抜いて」
無理だって!
……。
目が覚めたら、森の中でした。
問答無用ですか。強制送致ですか。
いったいどうなっているんですか。
納得いかないことだらけなんですけど?
――――作者注釈――――
※1
平成18年のハンターが二名犠牲になったヒグマ被害では、7mmレミントンマグナムが肩に一発、30-06が首に一発、背後から散弾銃のスラッグ5発、耳から脳に散弾銃スラッグ1発で絶命した例がある。大きくニュースになった乳牛66頭を襲ったOSO18も三発のライフルを受けて絶命している。ヒグマの生命力と、手負いにされた時の凶暴性は恐るべきもので、ヒグマはまさに本物のモンスターであることを忘れてはならない。ハンター人口減少によりライフルを持たない散弾銃ハンターもヒグマの駆除には参加しており、当然使用する弾丸は散弾ではなく、一発玉の強力なスラッグ弾やハーフライフルを用意する。
「散弾銃がクマの見回りに参加するとかありえねえしw」という感想をあちこちでいただいているが、現場はそんなことは言っていられない状況である。
作者画 ボツになった資料用ラフ画
市街地でもヒグマが出没するようになり、やむを得ない発砲でハンターが逮捕、という事態はこの小説の通りハンターだったら誰でも懸念していたが、2019年に本当に砂川市職員、警察官立会いの下にヒグマ駆除を行った男性が猟銃所持許可を取り消されるということが起こった。
処分の取り消しを訴えた2021年の裁判で一審では十分安全なバックストップ(弾丸が当たっても危険が無い場所・安土)があったことが認められハンター側の勝訴となったが、その後なぜか控訴した道公安委員会による二審地裁で2024年「ヒグマに命中したとしても、跳弾により弾道が変化するなどして、周辺の建物5軒に到達する恐れがあった。本件発射は建物等に向かってする銃行為に当たる」と一転、ハンター側逆転敗訴となった。
この判決により「バックストップが無い発砲は違法、バックストップがある発砲も違法。外したら違法、当てても貫通したら違法」という判例ができたことになる。ハンターがヒグマの駆除を自治体に依頼されるのは市民の生活圏に出没した時しかなく、これが違法と判断された以上ハンターはヒグマ駆除が不可能になった。道猟友会がヒグマの駆除を取りやめることを検討しているのは、ボイコットでもストライキでもなく、「判例により違法行為」と認定されたからで常識的なコンプライアンス順守である。
今後の最高裁判決、住宅街での発砲許可の法改正が待たれるが、その間害獣駆除に従事するハンターはいったいどうやってクマ被害から市民を守ればいいのかは不明である……。
次回「女神様のチュートリアル」