第三章 黄泉路古神道
藍はバイクで家に向かっていた。
藍の家は由加達の話の中に出て来たように、神社である。
藍は学校が休みの時は、巫女をやっている。もちろん学園側は了解済みだ。
彼女は中学三年生の時、両親を飛行機事故で亡くし、祖父母に育てられた。しかし祖母も一年前に他界し、今では祖父である仁斎と二人で暮らしている。その仁斎が神社の宮司である。
「あっ!」
彼女は忘れ物をしたことに気づき、バイクをUターンさせた。
「あら?」
一時停止をした時、藍は右側から走って来る白のセダンに気づいた。それは剣志郎の車だった。
「あれは..... 」
しかも剣志郎の隣には、ニコニコ笑っている麻弥の姿があった。
「何で武光先生が?」
藍は複雑な思いで、走り去るセダンを見送ると、学園に向かって右折した。
小野神社。
それが藍の家が代々護っている神社の名だ。平安時代の才人、小野篁を始祖とし、天照大神と小野篁を祭神とする神社である。宗派名は「姫巫女流」だ。藍はこの名が小さい頃から気に入っており、早く跡を継ぎたいと思っていたが、祖父仁斎は厳しく、当分譲ってもらえそうになかった。
「ひとふたみよ いつむななやこのたり ふるえ ふるえ ゆらゆらと ふるえ」
藍の祖父仁斎は、神社奥の拝殿の裏にある、注連縄のついた大きな石の前で、祈っていた。 普段は非常ににこやかで、水戸黄門役でもできそうなほど柔和な雰囲気の仁斎であるが、この時はとても険しい顔をしていた。
「バカな・・・。何故奴の気が感じられるのだ・・・? 奴は50年前、死んだはず・・・」
仁斎は眉間に皺を寄せて呟いた。すると、
「やっぱりここだったのね、お祖父ちゃん」
と藍がヘルメット片手に現れた。仁斎はパッと穏やかな顔になり、
「おお、藍、帰っていたのか」
「うん。お祖父ちゃんこそ早かったわね」
「ああ。思ったより早く仕事が終わったのでな」
仁斎はそう言うと、社務所に向かって歩き出した。藍がこれに続いた。
「どうしたの、お祖父ちゃん? なにかあったの?」
「・・・」
仁斎は話すまいかどうか迷っているようだったが、戸に手をかけて開き、
「中に入れ、藍」
と社務所に入った。藍も中に入り、後ろ手に戸を閉めた。
「何?」
藍は丸椅子に腰を下ろし、ヘルメットをテーブルの上に置いて尋ねた。仁斎は立ったまま藍を見て、
「50年前に死んだはずの男が、生きている..... 」
「えっ?」
藍はキョトンとした。仁斎は鋭い眼で、
「奴は我が姫巫女流の邪流である黄泉路古神道を使い、軍に協力した。敗戦から数年後、わしとお前の父である斎と二人で、奴を倒したはずなのだが、死体が見つからなかった。この50年あまり、それが不安で時々奴が潜んでいた富士の樹海に行き、探っていたのだが、全く手がかりが掴めなかった。わしも半ば諦めかけていたところだった」
と説明した。藍は息を呑んで聞き入っていた。
「ところが、一週間前、奴の気を感じたのだ。この50年、片時も忘れたことのない奴の気をな」
「どういうことなの?」
藍が真顔で尋ねた。仁斎は首を横に振り、
「わからん。どういうことなのか、わからんのだ」
と呟いた。
「小野仁斎・・・。たっぷりと礼をさせてもらうぞ。そして、その後は・・・ 」
闇の中で、長髪長身の男は呟き、ニヤリとした。
次の日の朝である。相変わらず空は梅雨空で、はっきりしなかった。
「おはよう!」
「おはよう!」
由加と祐子と波子は、駅の改札口で落ち合い、一緒に歩き始めた。
「ねえねえ、夕べの、見た?」
「あいつ、やっぱり犯人だったのね」
「何かさ、途中から急に性格変わってない? 突然あいつが犯人の話になったじゃん」
「そうだよねえ」
そんなことを話しながら、三人は高等部の正門をくぐった。
「ええっ? 貴方が同行するの?」
藍は社会科教員室で剣志郎から昨日のことを聞かされて、仰天していた。
「お人好しね。給料日前でピンチなんでしょ? お金、どうするのよ?」
「それがさ...... 」
剣志郎が説明しようとした時、藍はそれを遮るように、
「私は貸しませんからね。貴方に貸すようなお金は、一円も持っていませんから」
と言った。さすがに剣志郎もムッとして、
「お前になんか、誰が借りるか! 武光先生が貸してくれることになったんだよ」
と言ってしまってから、ハッとして口を塞いだ。藍はキッとして剣志郎を睨みつけ、
「なーるほど。だからそのお礼にって、夕食を一緒に食べに行った訳?」
「ち、ち、違うよ。・・・? どうしてお前がそんなこと知ってるんだよ?」
もうほとんど痴話喧嘩である。藍はツンと顔を背けて、
「偶然見かけたのよ」
「何でお前が怒るんだよ?」
剣志郎もカチンと来て怒鳴った。藍は再び剣志郎を睨みつけて、
「怒ってなんかいないわよ」
「それが怒ってるって言ってるんだよ」
「何よ!」
始業のチャイムが鳴ったので、口論は終わった。二人はムッとしたまま、教員室を出た。
麻弥は授業を終えると、教員専用のトイレに入り、鏡の前で化粧を直していた。ハンドバッグから口紅を取り出して、もう一度鏡に顔を向けた時、彼女は鏡の中に白装束の男が写っているのに気づいた。
「きゃああ!」
麻弥は大声を上げて振り向いたが、そこには誰もいなかった。
「気のせい?」
麻弥はスーッと大きく息を吸い、フーッと大きく吐いた。すると、
「どこを見ている、武光麻弥? 俺はここだ」
と男の声がした。麻弥は恐る恐る再び鏡を見た。するとそこには、やはり白装束の男が立っていた。
「きゃーっ!」
麻弥は叫び声を上げ、そのまま倒れてしまった。鏡の中の男はニヤリとした。
藍は社会科教員室に向かう途中、背中に悪寒が走った。
「何今のザワザワッとした感じ.....?」
彼女は変に思い、振り向いた。するとそこには、麻弥が背中を向けて立っていた。
( 武光先生? 変ね..... )
藍は首を傾げて、教員室に向かった。麻弥はチラッと藍を見て、ニッと笑った。
夕方になった。
仁斎は再び拝殿の裏にある石に向かって、姫巫女流の呪文を唱えていた。
「ひとふたみよ いつむななやこのたり ふるえ ふるえ ゆらゆらと ふるえ」
小雨がパラついていたが、仁斎は少しも構わず、唱え続けていた。
( 何故だ? 何故今になって奴が..... )
「仁斎!」
と男の声がした。仁斎はハッとして、上を見た。石の上に、仁斎より年上と思われる、白髪を長く伸ばし、後ろで束ねた口ひげの長い老人が、白装束姿で浮いていた。そう、浮いていたのである。
「貴様、やはり源斎! 生きていたのか?」
仁斎は険しい顔で浮遊している老人を睨んだ。源斎と呼ばれた老人はニヤリとして、
「そのとおりだ。貴様や、貴様の息子ごときにやられるほど、わしは落ちぶれてはおらぬ」
「何ィ!?」
仁斎は拳をギュッと握りしめた。源斎はスーッと地面に降り立ち、
「しかしあの時の礼はさせてもらう」
と言った。仁斎は源斎からバッと飛び退いて、
「どうするつもりだ?」
「知れたこと。貴様に死んでもらうのだ」
と源斎はニヤリとして答えた。
剣志郎は社会科教員室の前で、ドアを開けあぐねていた。藍と顔を合わせるのが嫌なのだ。
( 朝以来、一言も口利いてくれないもんなァ・・・)
彼は意を決してドアを開いた。するとそこには世界史の先生しかいなかった。
「あれ? 小野先生は?」
と剣志郎が尋ねると、世界史の先生は、
「もう帰られましたよ」
と答えた。剣志郎は拍子抜けして、
「あ、そ、そうですか」
と答え、教員室に入った。
( やっばり、避けられてるのかなァ )
剣志郎は悲しそうに椅子に座り、溜息を吐いた。
一方由加達三人は、電車で家に向かっている途中であった。
「ねえ由加、そう言えば、旅行に着て行く服、どうするの?」
と祐子が尋ねると、由加は、
「別にィ。特に買うつもりはないわよ。研究のための旅行だもん」
とすまして答えた。波子が、
「嘘ばっか。そんなわけないでしょ? 同じ服はほとんど着ないあんたが、一着も買わないなんて」
「今ピンチなのよ。田辺君じゃないけど、武光先生に旅費みんな出してもらいたいわ」
由加は溜息混じりに言った。すると祐子も、
「そうよねえ。私も、服どころか、靴も買えないわよ」
「ねえ、おねだりしてみようよ、武光先生に」
と波子。由加は腕組みをして、
「そうねえ・・・。竜神先生との仲を取り持ってあげるからとか言って、説得してみようか」
「うん、それいいよ」
と波子と祐子は異口同音に言った。三人は顔を見合わせて、ニンマリした。
藍は社務所の前でバイクを停めた。そしてライダースーツの水滴をパンパンと弾いた。
「・・・」
彼女は何となく元気がなかった。ヘルメットを取り、社務所に入った。
「お祖父ちゃん?」
と彼女は仁斎を呼んだ。しかし薄暗い社務所の中には誰もいなかった。
「どこかしら?」
その時藍は、再びあのザワザワした感じを受けた。
「何?」
藍は社務所を飛び出し、拝殿の裏へと走った。どうしてそこに向かおうとしたのかわからなかったが、とにかくそこへ行く必要があると感じたのだ。
「お祖父ちゃん!」
藍は小雨でずぶ濡れになり、胸から大量の血を流して倒れている仁斎を見つけて、駆け寄った。
「お祖父ちゃん、一体どうしたの?」
「あ、藍か.... 」
仁斎は目をうっすらと開けて藍を見た。藍は仁斎を抱き起こした。
「奴が現れた・・・。気をつけろ、藍・・・。奴は、女王の力を得ようとしている・・・。九州へ行け、藍・・・」
「女王? 九州?」
と藍が尋ねると、仁斎はかすかに頷き、
「そうだ・・・。女王の力を奴が手に入れれば、日本は闇に包まれる・・・。それだけはあってはならぬ。何としても阻止しろ」
「でも私にはどうすることも・・・」
藍は涙声で言った。すると仁斎はフッと笑って、
「お前はわし以上に力を持っている。お前ならば、必ず奴に勝てる・・・」
「私が?」
仁斎はゆっくり頷き、気を失った。藍はハッとして脈を診た。さすがに鍛えられた身体である。弱々しいながらも脈はまだあった。藍は仁斎を背負うと、社務所に向かった。
翌日。
梅雨の中休みであろうか。空は雲一つない晴天になった。
「ねえねえ、聞いた? 藍先生、休みだって」
と祐子が教室に飛び込んで来て言った。由加は机の上に腰を下ろして、
「知ってる。確か竜神先生と口喧嘩してたんでしょ、昨日」
「そうそう。竜神先生が武光先生と一緒に旅行に行くって聞いて、ヤキモチ焼いたらしいよ」
と祐子は言った。話が膨らんでいるようだ。由加は面白そうに笑って、
「それでショックのあまり、今日は休みか。哀れね、恋に破れた女って」
「そうね」
祐子もニヤリとした。
一方剣志郎は、藍が休みと聞いて、びっくりしていた。
( 高校の時だって、40度の熱があっても授業に出たあいつが休むなんて・・・。まさか・・・)
しかしそれは当然剣志郎の誤解であった。藍は仁斎を病院に入院させ、一晩付き添ったので休んだのだ。
( とにかく、家に行ってみるか )
剣志郎は誤解を解いておきたかった。