屑の譚詩曲 ~底辺にも花は咲く~
深夜の暗く冷たい中を、彼は歩いている。
両手には大きなゴミ袋。中に入った空き缶が、歩くごとに音を立てた。
彼は中肉中背の男で、歳は二六と若い。膝下までのウインドブレーカーに、薄手のジャンバーとポロシャツを着て、ジーンズを履いている。足元のスニーカーは見事に灰色だ。
彼はゴミ箱を見つけるたびに足を止め、漁る。
「ちっ」
舌打ちした。箱の中に、ペットボトルとお菓子の袋が混ざっていた。
(余計なの入れんなよ……)
白いため息を吐き、分別を始める。
間崎正樹、住所不定無職。
八年前に実家の解体屋で働きだして、普通の生活を送っていた。
人生の転機は両親の死。結婚記念日に贈った温泉旅行、その帰りにトラックとの正面衝突。原因は父の居眠り運転。
慰謝料を払い、会社を継いだ彼を待っていたのは建設業界の冷たい風。結局、物を言うのは信頼とコネ。仕事を始めて数年の若造に信頼はなく、父が築き上げた付き合いもない。
同情の目は向けらけれても仕事は来ず、来ても微々たる物。公共事業は赤字でなければ勝ち取れない。
当然、会社は潰れた。
慰謝料で多額の借金を抱えた彼は家をなくし、生活保護も断られ、脳裏に「自殺」の二文字が過ぎった。でも、死ねなかった。
だから手元に残った数十万を持って、上京した。
借金を踏み倒すために、進んで社会の底辺に成り下がった。
「よし」
缶を袋に入れ終えて、彼は次のゴミ箱を目指す。
晴れた朝、間崎は川沿いの公園に帰ってきた。
よく日の当たるベンチに座った彼は片手に持ったビニール袋を開く。二四時間営業のスーパーで買った甘すぎるコッペパンと、パックの野菜ジュースが入っている。
全て、空き缶を売った金で買ったものだ。
「いただきます」
両手を合わせてから、彼はコッペパンを頬張った。
ゴミにはそれぞれ価値があり、間崎は大きく三つに分類する。
クズ屋で金になる、鉄屑。
金にならない、カス。
処理するのに金のかかる、木屑。
彼は深夜に鉄屑をかき集めることで、その日の生活費を稼いでいた。
(貯金……、いい加減使うか。いや、でもな……)
野菜ジュースを飲みながら考える。結局の所、彼は一歩を踏み出せない。借金から逃げた負い目と不安が、心を縛り付ける。
そんな彼に、声をかける者がいた。
「あ、正樹じゃん! やっほー!」
横を向けば、二十歳前半くらいの女がいた。セミロングの髪先だけを金色に染めて、コートの上に透明なレインコートという奇抜な格好をしている。奇抜さを抜けば、十分に美人だ。
伊呂波一二三。
性格は底抜けに明るく、同類達の中でも異彩を放つ。
似顔絵などで稼ぐ画家で、中古本の売り買いもしていた。
「お前、寒いのに元気だな……」
「イエス! それだけが取り得だけどねぇ」
「それだけじゃねーだろ?」
「お、正樹にしてはまともな意見! さては私を狙ってるな~?」
「誰が狙うかよ」
「またまた~」
にやけ顔で絡む彼女に、
(俺の気持ちも考えろって……)
と間崎はベンチから立ち上がった。
「あ、正樹さぁこれからなんか用事ある?」
「火に当たって寝る。……なんかあんのか?」
「今日、大きな古本市があるんだよねぇ」
付いて来て荷物持ちをしてくれ、暗にそう頼まれた間崎は頭を掻き、
「……てきとうな時間に起こしてくれ」
そう言った。
小さな段を降りて川沿いへ。ビニールハウスが立ち並ぶ一角に、人だかりが出来ていた。近づくと中心には錆び付いたドラム缶があり、間崎はその中で燃える炎に両手をかざして暖を取る。
周りと挨拶を交わした彼は、ある事に気づく。
「あれ、ソポンの奴は?」
そこに、最近公園に住み着いたタイ人の姿がなかった。
「あぁ、あいつなら今朝ヤッさんに連れてかれたぜ?」
「解体の仕事とか言ってたな」
ドラム缶を挟んで向かい側の男達が言った。
(馬鹿が……)
間崎は内心舌打ちする。ヤクザの回して来る仕事、特に外国人に対しては「キツイ・長い・安い」の三本柱がほとんど。
(今日、帰ってこないかもな)
そう思った。矢先、
「オーイ、マサキさーん。オ客さん、連れてキタヨー!」
後ろから、彼の声が聞こえた。
驚いて振り返れば、ツナギの上にジャケットを二枚着たソポン。そして、彼の隣を歩く者を見て間崎は戦慄する。
髪をオールバックにして、スーツの上に皮のコートを着た背の高い男。
戸叶隆彦。間崎の取立人だった。
「よぉ、間崎」
いきなり、前蹴りが腹に飛んできた。
レンガ敷きの道に転がされ、起きる間もなく顔面を蹴飛ばされる。後は何度も蹴られ、踏みつけられた。目の前で突然はじまった私刑に、周りは動けない。
戸叶の足が止まった時、ソポンだけ姿を消していた。
「報告することがある」
荒く不規則な呼吸を繰り返す間崎に、戸叶は告げる。
「お前の借金な、チャラだ」
「ぁ……?」
「色々あってよ、うちの会社が火事にあってな。借用書もぜぇーんぶ燃えちまった。んで色々あって俺は今、別の仕事してんだが、あのタイ人からお前の名前が出てきた時はびっくりしたぜ」
「なら、人のこと……蹴ん、なよ」
「あの時、お前を探すのに結構金を使ったんだ。その代金だと思えよ」
戸叶は当然といった顔で笑う。
「しかし、よく生きてたな」
「ぅる、せぇ……」
憎まれ口を叩く間崎を、彼は鼻で笑った。
「まぁいいさ、もう好きに生きろよ。クズ野郎」
言い残して、戸叶は去った。その背中が遠くなるのを見ながら、間崎は思う。
(このくらいで借金がチャラになるなら、安いもんか……)
体は鈍痛と冬の寒さに苛まれる中、心は徐々に安堵で満たされていく。それに身をゆだね、間崎は意識を手放した。
気が付いた時、間崎はベッドの上にいた。
夕日の赤に染まる白い天井を見つめ、現状を理解する。
「病院、か」
何気ない呟きに、答える者がいた。
「あ、起きた?」
伊呂波だ。手にはスケッチブックがあった。
「……勝手に描くなよ」
「えー、いいじゃん。別に!」
むくれる彼女に、ため息を吐く。
「で、俺はどうなってんだ?」
「打撲と擦り傷。検査するから入院だってさ。まったくビックリしたよ。朝ご飯買いに行こうとしたら、ソポンが慌てて公衆電話に駆け込んでったからさぁ。何事かと思ったよ」
それを聞いて、
(逃げた訳じゃなかったんだな)
と彼は感心した。
「聞いたけど、借金チャラになったんだって?」
「まぁな」
頷き、天井を見つめながら間崎は思う。
(俺は鉄屑じゃなくて、木屑だったか……)
金が稼げる自分をマシなクズと思っていた。だが、自分を探すために金を使った戸叶と再会し、自分が金のかかるクズだと思い知った。
「じゃあ、公園から出てくの?」
「そのうちな」
「そっ、か」
寂しそうに、彼女は笑う。
「一二三、一緒に来るか?」
「へ……」
呆けた声を漏らした伊呂波だが、すぐ人をからかう時の顔をした。
「なに~? やっぱ、私のこと狙ってたんだ?」
「あぁ、狙ってる」
間崎は即答し、彼女の目を見つめる。
「ちょ、え? それって……えぇ!?」
伊呂波は取り乱して、赤い顔をスケッチブックで隠してしまう。意外と初心な反応に間崎は、
「バーカ、冗談に決まってんだろ」
と嘘をつき、痛いのを我慢して笑った。
クズはもう廃業しよう。鉄屑も木屑も、再利用できなければただのゴミでしかない。カスだって、いくらでも使い道はあるのだから。
ちゃんと稼いで、まっとうに生きてこう。
せめて、好きな人にちゃんと好きと言えるくらいには。
ホームレスが救急車に運ばれて入院した場合、それは借金扱いとなります。
病院から支援団体や関係各所に連絡され、社会復帰してからの返済することができます。
個人的には、奨学金に近いものかと思っています。