陸
嫁入りが果たして帰蝶にとって良い事なのか悪い事なのか。
推し量る事が出来ない俺は、口をつむぐしかなかった。
一般的には、めでたい事なのだろう。祝福の言葉でも掛けてやるべきだろう。ただ、言った後ぷいと顔をそむけたままの帰蝶の表情が、それら全てを拒絶する。
先ほどの明るい雰囲気とは一転、急に場が凍り付いた。
俺は試されているのだろうか?しばらくお互い沈黙が続いた。
「・・・本意ではないのだな」
沈黙の中、俺は何とかその言葉をひねり出した。重苦しい雰囲気で言葉を発するのが、ここまでしんどいとは。
「・・・当たり前じゃない」
顔をそむけたまま、帰蝶は目に涙をためて呟くように答えた。
確かに、俺も見ず知らずの人間と結婚とか言われても正直良くは思わない。むしろ引く。
だが、この何もかも無い状況下で『姫』という地位のアドバンテージは絶大だ。これを使わない手はない。
「・・・なぁ帰蝶よ」
俺は、なだめる様に甘ったるい声色で言った。後から思えば、この時の俺はさぞかし醜かったろう。
「確かに、俺はタイムスリップを起こしてここに来た。それは間違いない」
その言葉に帰蝶はこちらを向き直った。興味深々といったところだ。
つまりは、だ。
帰蝶は、俺が自由なタイムトラベラーの何かと勘違いしていて、どの時代にでも行き来できると思い込んでいる。
で、その近々の嫁入り前には何とか現代に返してくれないか?というのが彼女の本音だ。
賢そうな帰蝶の事だから、現代に戻すまでは俺を消す事はないだろうし、ある程度の融通は利かせるだろう。ひょっとしたら多少の取引にも応じてくれるかもしれない。
これで、少なくとも当面死ぬことはない。よほどの事がなければ。
そんな俺の黒い思惑をよそに、帰蝶は身を乗り出して俺の次の言葉を待っている。
俺が明日を生きる事に必死なのと同様に、彼女にとっては現代に帰れる事が大事らしい。
「タイムスリップしたものの、現代に戻る術を忘れてしまってな。・・・いずれ思い出すとは思うが・・・」
思い出すも何も、そもそも現代への戻り方なんぞ知らない。
最低な言い回しだと思った。だから、即座に帰蝶から目を背けた。帰蝶の表情が見れなかった。
「・・・そう」
帰蝶はそれだけ言うとすっと立ち上がり、本堂の出口へと向かった。もう、話す事はないらしい。
「・・・では、しばらく我が城で養生なさい。いずれ思い出すまで」
本堂を出る間際、帰蝶がこちらに振り向きもせず言った。
その言葉もこちらの予想通りで予定通りなのだが、後味の悪い、やるせない何かが俺の中で残った。