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with Her

気は進まないが少女をうちに連れて行くことにした。人目が着かない裏道でできるだけ自宅がある住宅街に近づきたかったがこの状態でチンピラに遭遇したらとんでもないことになる。俺は多少目立ってもいつもの帰り道を使って帰った。

途中で警察とかに見つからないことを願うしかないな。

 非常事態だから仕方ないと言い聞かせても背中に感じるふくらみが俺の顔を赤くするのがわかる。しかもそれなりに大きい。

背負うんじゃなかったな。

そう後悔しても遅い。

すれ違う人全員に異様な目で見られながらも無事に帰宅した。非常時といえども女の子を家にあげるのは多少ためらいがある。しかしこのまま放っておくわけにはいけない。


我が家は外資系の報道関係の仕事をしている父の収入がいいらしくなかなか大きな一戸建てだ。しかし父は仕事で世界中を飛び回っているから家にはたまにしか帰らない。今は確かカナダにいるらしい。父が俺にしていることなんて俺の口座に十分以上の生活費を振り込むくらいだ。兄はもう結婚しており、妻の実家で暮らしている。二七歳の兄は現在、古河総合病院というところで脳外科をしている。結婚相手はそこの病院の院長の娘だ。どういう経緯か知らないが、院長に気に入られてその娘をもらったらしい。院長には他にも娘がいるらしいが息子がいないらしくもしかしたら兄が病院を継ぐかもしれないと兄本人から聞いた。医者が忙しいらしく実家など結婚してから訪ねてこなかった。母は事故で他界したらしい。俺が小さいころ物心もつかないほど小さなころに亡くなったから顔も全くと言っていいほど記憶にないだ。

たまに兄の妻、つまり義姉が晩御飯を作って訪ねてくるくらいでそれ以外は一人だから女の子を家に招いても咎める人はいない。

 

まずリビングに行きソファーに寝かせる。正直、この子は少し汚く、臭うから俺のベッドに寝かせるのは抵抗があった。ベッドで寝かせるためにも泥をふき取ってやりたいが、寝かせた少女はほとんどブレザーしか着てなくきわどい格好をしていて直視することができない。少しでも気を抜いたら理性が好奇心に飲み込まれそうな気がしたから俺はこの子が目覚めるまで放置をすることにした。リビングから出て行こうとしたとき。

「うっ⋯⋯うーん」

かわいらしい少女の寝起きの声だ。少女が目を覚ましたようだ。

 俺は踵を返し少女に近寄りそばに立つ。覚醒したばかりの半目を開いた女の子の片目とあう。辺りを見渡してから俺に問う。

「ここは?」

「俺の家。お前警察も救急車も呼ぶなって言ったから」

「そう」

安心したのか息をつきながら言った。

グググー。腹の音が鳴る。確かに俺は食が太いが俺じゃない。少女の方を見ると顔が赤くなり腕で顔を隠した。格好は異様だが女の子らしい恥じらいだった。明らかに腹が減っている少女は腕で顔を隠しながら沈黙する。気を利かせることにした。

「何か食う?」

 それに女の子は赤面をはみ出しながらうなずいた。

 俺はキッチンに行き、食べ物を探す。ほぼ一人暮らしと言っても俺の料理スキルはたいしたことない。親父が俺の口座に振り込む生活費は毎日外食でも事足りそうなくらいの金額だしたまに義姉が晩御飯を作ってくれるから料理ができなくても問題ない。

 棚にも冷蔵庫にも何もない。家事スキルも低い俺は買い物にもあまり行かない。

仕方ない。ジャーの残りのご飯でおにぎりでも作るか。

 俺の手のひらサイズの不恰好で塩もなく俺の料理スキルのレベルだけを表したおにぎりを5個作って少女に持っていく。

リビングに戻ると少女はブレザーを脱いで入院患者のような服だけになって起き上っていた。それで気づく。少女の着ていたブレザーはおかしい。このブレザーだけ異様にきれいで高級感があり、そこらの洋服店では売っているようなものではないことを俺でもわかる。

少女の熱視線に気づく。俺の表情を読み取られたかと少し焦るが少女は俺の持つおにぎりに視線が釘付けで俺が怪訝そうな顔をしているなんて全然感じていない。

「ほらよ」

そう言って皿をテーブルに置く。その瞬間少女が手を出しおにぎりをほおばっていく。よほど空腹だったのかそれともただ意地汚いだけかわからないがおにぎりはものの一分でなくなってしまった。少女が食べ終えたのを確認してから俺は話を切り出す。

「これからどうする?」

倒れていたことや眼帯のことなどあまりつっこむのはよくないと思い、今後のことだけ聞いた。しかし聞くと少女は黙ってうつむいてしまった。

「ねえ、どうすんの?」

「⋯⋯ない」

「ん?」小さくて聞こえない。

「⋯⋯らない」

「ごめん。聞こえないから」

そう言って少し近寄って耳をすます。

「わからない」

 今度は聞こえた。しかし意味がよくわからない。

「わからないってどういうこと」

「何も覚えていないから」

そう言うと下を向いていた少女の顔がさらに下を見る。俺の頭に嫌な仮定が浮かぶ。しかしそれを証明しないわけにはいかない。

「もしかして記憶喪失ってやつ?」

それに女の子はうなずく。それを見た瞬間無意識に手を顔で抑えてしまった。ずいぶんと面倒くさい状況を招いてしまった。

「それならうちじゃなくて警察に⋯⋯」

「それはダメ‼」

少女が俺を見る。その眼は一つしかないが強い意志を示していた。初めてよく見た少女は整った顔をしていてかわいらしかった。少し童顔で直毛の髪の15歳くらいの少女。眼帯が少し気になるが同じクラスに欲しいレベルだ。どうせ戸塚の方を向くだろうけど。

「なんで警察はダメなんだ?」

そう聞くとまた黙って下を向く。少しイラッとくる。

「じゃあどうすんだよ」

納得できる回答が返ってこないとわかっても聞いてしまう。俺もこの状況に少し混乱しているのかもしれない。

「とりあえずここから出て行きます。迷惑かけることになりますから」

決心するように立ち上がる。

「おにぎり、ありがとうございました」

頭を下げて出て行こうとした女の子を呼び止める。

「あのさ。行先ないなら記憶戻るまでうちにいる?」

自分でも馬鹿な提案だと思う。こんな面倒事を抱え込むなんて我ながらお人好しが過ぎるじゃすまない。

「でも⋯⋯」

「別に迷惑じゃない。でもこの家ほとんど俺しかいないから問題かもしれないけどさ。ほっとけないし」

同棲なんて言葉が頭を横切った気がするが気のせいだろう。

しかしどうやらまだためらっているようだ。まあそうだろうがこのまま出て行って野垂れ死にでもされたら俺は一生後悔すると思う。

「さっきも言ったけどこの家ほとんど俺だけだからけっこうさみしいんだよ。それに余裕もあるから二人になっても全然問題ない」

さみしいのは嘘だ。兄が家を出るまでずっとこんな生活だったからもうとっくのとうに慣れている。でもこうでも言わないと少女をうなずかせられないだろう。

「じゃあ⋯⋯お世話になります」

控えめにそう言って頭を下げる。面倒だがこれでよかった気がした。

「よし、とりあえずシャワーでも浴びたら?」

自分で言って過ちに気づく。

「えっ⋯⋯」

少女が固まる。だんだんと顔が赤くなっていくのがわかる。感受性豊かな子らしい。

「いや違うから。体の泥落としてこいってことだよ」

「えっ⋯⋯あっ⋯⋯」

 少女は自分を見て初めて泥に気づいたらしい。それに気づくと勘違いしたらしい少女の顔がまたどんどん赤くなる。

「出てすぐのところ。脱衣所にジャージとバスタオル用意しておくから」

顔を背けて言う。

「はい⋯⋯」

そう言って少女はソファーにあるブレザーを取って出て行った。

 女の子の足音が聞こえなくなるのを確認する。

「さてと」

俺も続くようにしてリビングから出て二階の自分の部屋にジャージを取りに行く。クローゼットに押し込んだジャージを取る。背中に光明ハンドボール部とローマ字で背中に書いてある黒いジャージだ。去年までこれに全青春を費やしていたが今となっては見るのも忌まわしい。しかしうちにあるジャージはこれしかない。それを持って脱衣所の前に立つ。やけに興奮するシャワー音が聞こえてくる。

「大丈夫かな?」

 中に入る。のぞきたいのはやまやまだがこれから一緒に住む子と関係悪化はしたくないから我慢だ。俺は脱いだ服を入れるカゴの横に忌々しいジャージとバスタオルを置き籠の中を探る。別に下着をあさりに来たんじゃなくブレザーの確認だ。

「おっ、あった」

籠からブレザーを取出しタグを見る。

「やっぱり」

思わず顔をしかめてしまう。タグに書いてあるブランド名はスーツを着たことがない俺ですら知っている超有名ブランドだ。庶民には手を出しにくい代物だ。おまけに裏地に名前が書いてある。なんだこれ? 筆記体を読むのは苦手だがおそらく『G.Kamio』と書いてある。おそらく神尾さんが注文したオーダーメイドのスーツセットのブレザーだろう。

下は入院患者のような服なのになんでこんなブレザー持ってるんだ。盗んだ? それともあの子の名字が神尾? いやでも女の子の名前で『G』なんてあるか? ゴリ子とかだろうか?

謎が余計に深まってしまった。とりあえず目的を果たしブレザーを元に戻し退散しようとする。しかし偶然、偶然にも他の衣類に目がいく。唾を飲みながら偶然目が動く。入院患者のような服と⋯⋯木綿の下着? 絶対にAV女優がはかないようなやつだから初めて見た。しかしこんなのを見たら逆に興がそがれてしまった。俺は萎えながらリビングに戻って行った。



 目覚めてから初めて落ち着ける場所にたどり着けた。その事実に安心しながら服を脱ぐ。我ながら変な格好だ。病衣と木綿の下着とブレザーなんて。目立たないためにもあのブレザーを着ながら逃げてきたのにこれなら逆に病衣だけで逃げた方がよかったかもしれない。

このカゴに入れればいいのかな? あれ、眼帯どうしよう?

迷ったが眼帯はつけたままにすることにした。彼女の左眼はあの男の実験の成果だと証明させられた。もう二度と外したくはない。つけたまま風呂場に入る。

それにしてもなかなか広いお風呂だ。こんな家に一人で暮らしているらしいあの人もいろいろとわけありなのかもしれない。制服を着ていたから学生だろうけどどんな人なんだろう。

あれ、私も学校あるよね?

 確信が持てない自分が嫌になる。そう考えながら温水シャワーの蛇口をひねる。

それにしてもなんであの人は私を泊めてくれるんだろう。

 わからないが正直感謝でいっぱいだ。もう何時間も逃げ走って空腹と疲れで倒れてしまった自分を助けてくれたのがあの人で良かった。警察にも電話しないでくれたしおにぎりまで食べさせてくれた。挙句の果てに私の状況を察して泊めてくれるとまで言ってくれた。私がいるときっと迷惑になる。あの男たちはたぶんまだ私を探しているだろう。あんな格好で逃げ回っていたら目立つからきっとすぐに捕まっていただろう。もし捕まったらどうなるか大体わかる。あの白衣の男に聞かされたことは本当だろう。私はもう人ではないのかもしれない。

「まさか本当に私は⋯⋯」

 ガタン。シャワーの音の中でかすかに聞こえたが脱衣所のドアの開閉音だ。おそらくあの人がジャージを持ってきてくれたのだろう。

 気にせず水の温かさに浸ろうと思ったがおかしいことに気づく。音でわかるがあの人はまだ脱衣所にいるらしい。ジャージとバスタオルを置くだけにしては長い。

何をしているんだろう? まさかのぞき見⁉

 泊めてくれる人を疑うなんて悪いことだと思うがあの人も男だ。まさかとは思うが一応扉をこっそり開けて確認する。隙間からのぞいてみるとあの人が私の服が入った脱衣カゴをあさっているところだった。

まさか私を泊めたのも善意ではなく襲うため⋯⋯。

めまいが起きた気がした。私を泊めた人は襲うことが目的だったらしい。道理であんなに優しいのはおかしいと思った。しかし私の衣服に男の人が欲しそうなものはないはずだ。いくら変態でもあんな下着に興奮はしないはず⋯⋯たぶん。

あの人はカゴの中のブレザーを取出し内側を見る。

「やっぱり」

あの人が確認しながらつぶやく。

 どうやらあの人は私の下着目当ての変態ではないらしい。それを確認すると安心と同時に不安が起こる。あの人はブレザーを見て私について何かわかったらしい。わかった内容によってはこの家に置いてもらえなくなるかもしれない。私は音をたてないように静かに扉を閉めた。


 自分の部屋が好きな俺だがなんとなくリビングで女の子を待っていることにした。部屋の中を歩いたり普段はつけないテレビをつけたりするがなんか落ち着かない。

やっぱり泊めるんじゃなかったな。

 今さら後悔しても遅い。特にやることもないまま時間だけが過ぎていく。

どれくらいたったのかわからないが女の子がジャージを着てゆっくり戻ってきた。

似合わないな。

 女の子に貸したジャージはむさっ苦しい運動部の青春黒ジャージだ。似合うわけがない。長い髪は渇いていない。それが少女を妙に色っぽくする。

「あの⋯⋯」

 どうやら次にすべきことがわからないようだ。まあ当然だろう。

「そこのソファーに座って」

そう言うと少女は俺の向かい側に座る。肩が張っている気がする。まあ緊張するのが当たり前だろう。

「できるだけくつろいで」

できるだけ優しく言ったが女の子の緊張は消えないらしい。

「まず自己紹介、俺は堂本陽。あだ名はギガンテス堂本。これからよろしく‼」

俺は精一杯明るく笑顔でおまけに横ピースまでして言った。しかし⋯⋯。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯???」

少女は首をひねってしまった。そして少し経った後にギャグだと理解して無理やり苦笑いを作った。

クソっ。自虐まで入れたのに完璧に外した。

「気を遣わないでくれ」

「いやっ⋯⋯あの⋯⋯つまらなくなかったですよ」

俺を励ますように言ってくる。もう数ヶ月くらいコミュニティーに所属してない俺のギャグセンスは落ちる一方だ。しかし戦果はあった。空気は和らいだようだ。俺のつまらないギャグも少しは役に立ったということだ。

「ところで名前、わかる?」

「バン⋯⋯」

そこで少女は口をつぐんだ。

「バン?」

「いや⋯⋯わかりません」

何か言いかけたところを見るとどうやら何か隠しているようだ。だが今は追求するべきではないだろう。

「ふーん。じゃあ呼び名考えておいて。名前ないと不便でしょ」

アニメや漫画の世界なら呼び名くらい決めてあげるべき展開なんだろうが面倒くさいし、人に名前をつけるなんて親じゃない限りおこがましいだけだと思う。

「はい」

小さく返事をする。

「眼帯してるってことは左眼ケガでもしてんの?」

「い⋯、はい」

これも嘘だろう最初に『いや』だか『いえ』と言いかけた。どうやら嘘がつけない性質らしい。

「年は? あっ、ちなみに俺は16で高校二年ね」

「すいません。わかりません」

これは本当だろう。

「いつから記憶ないの?」

「⋯⋯⋯⋯⋯」

答えを模索しているようだ。模索するってことは嘘をつく可能性が高い。だから答えを聞くまでもなく次の質問に移る。

「そうだ親は? 心配してるだろ」

「わかりません」

 記憶ないのに親が誰かわかるわけがない。当たり前のことを聞いて馬鹿みたいだ。

「それも問題だな。もしかしたらお前の捜索願が出てるかもしれないな。今夜少し調べてみるよ」

これを聞くと少女は初めて嬉しそうな顔をした。『G.Kamio』の他にググることが一つ増えただけだ。

「本当ですか⁉ ありがとうございます‼」

この反応からするに記憶喪失のふりをした家出娘ではないらしい。

「これが最後ね。なんで警察はダメなの? 今さらだけど返答次第ではお前を泊めることはできないかもしれない」

これを聞くと少女の顔から喜びの色が消える。少し考えたあと少女は決心したように言う。

「実は私、労働街から来たんです」

「え⋯⋯、それってまさか脱獄者?」


労働街は別に牢獄というわけではないがそこからの脱出者は脱獄者と呼ばれる犯罪者だ。地上に労働街の情報を流してしまうかもしれないから。もちろんそんな人をかくまっている人、つまり俺も共犯だ。

「私は労働街にある研究所で記憶喪失の状態で目覚めました。そこから私は地上に続くエレベーターでスーツを着た人相の悪い男の人たちに連れられて地上に上ってきたんです。私は地上に着いてすぐにその人たちから逃げました。何時間も走って逃げましたけどついにあの路地裏で力尽きてしまったんです」

労働街にある研究所なんて酒井光彦のアンドロイド研究所しか知らないがこの子はアンドロイドじゃないからおそらく他の研究所だろう。労働街にはたくさんの研究施設があるというのを聞いたことがある。中には人間のクローン制作などいけない実験をやるから表向きではない労働街に研究所があるのだとかという都市伝説みたいなものを聞いたことがある。

「ってことは、お前は労働街への入り口を知ってるってこと?」

「がむしゃらに逃げたから⋯⋯けどその近くに行けばわかると思います」

「あそこにあった壊れたアンドロイドは?」

「私が壊しました。あのアンドロイドは私を見ると救急信号を発したのでまずいと思って⋯⋯」

アンドロイドはケガ人を見ると病院と警察に救急信号を送る機能がある。一度鳴った信号の発信地点には必ず警察と救急車が来るはずだ。ということは今頃壊れたアンドロイドは警察に発見されているだろう。アンドロイドを壊すのは器物破損になる。

「そのブレザーは? そのブレザー相当いいものじゃないの?」

その質問に少女はついに来たって感じの顔になった。

「私、病衣だけでしたから男の人たちの中の一人がその格好じゃ冷えるだろうと言って貸してくれたんです。それでそのまま逃げちゃったから」

 少女はバツが悪そうな顔をする。俺が難しそうな顔をした音崎が察する。

「あの⋯⋯やっぱり私出て行きます。今言った通り私は犯罪者で記憶もない厄介者です。ここにいたらあなたに迷惑が⋯⋯」

確かにこの子の言うとおりこの子をここに置いたら俺まで共犯者だ。しかし⋯

「別にいい。一度泊めるって言ったんだから男に二言はないだろ。それに俺、別に労働街から脱出することが別に悪いことだとは思わない」

アンドロイドのことは触れなかった。

「でも⋯⋯」

「今日は疲れたでしょ。部屋案内するから」

また何か言われる前に俺は話を進めた。つくづくお人好しだ。今回の件はミスをすればシャレにならないというのに。

 

俺は少女を連れて隣の客間に連れて行く。うちに客が来ることなんてめったにないからほとんど使われない部屋だ。部屋の中には母の祭壇とテーブルと押入れしかない畳の部屋だ。それに家の掃除は全くしないからきれいとはいいがたい。こんな部屋に泊めるのはどうかと思うが仕方ない。

「とりあえず、今日はここで寝て。明日までに洋室片づけておくから」

押入れから布団を出しながら言う。

「別に私はこの部屋でも⋯⋯」

「いやだってここ何もないしさ。兄貴が使ってた部屋片づけておくから」

「お兄さんは?」

「生きてるよ。もう結婚して家出てるから気にしなくていい」

「あの⋯⋯御家族のこと聞いていいですか? 場合によっては挨拶しなければいけませんし」

「大丈夫。うちめったに誰も帰ってこないから。親父は仕事で海外だし、母親は俺が物心もつかないうちに事故でさ。だから挨拶なんてする機会も必要もないと思う」

それを聞いた少女は焦ったように言う。

「すいません。知らずに⋯⋯」

「別にいいよ。顔もろくに覚えていない母親だ。家に母親のものも残ってないしあるのはそこの祭壇だけ」

祭壇を指す。

「音崎佳奈⋯⋯?」

少女が首をかしげる。

「母親の名前」

「えっ、堂本さんの名字って」

「堂本でいい。音崎は母親の旧姓らしい。なんでか知らないけど旧姓で書いてあるんだよね。案外うちの両親って籍入れてないのかもね」

「そうなんですか」

遠い眼をした。

「音崎佳奈⋯⋯」

母親の名前が気になるようだ。どこかで聞いたことがあったりするのだろうか。

「気に入ったならその名前使っていいよ」

俺は自分でも信じられないことを言っていた。

「えっ?」

「だから呼び名。名前を考えるのって難しいだろうし、俺音崎佳奈との思い出が全くないからさ。どうだっていいんだよね。その名前を記憶がない間の名前にしたらどう?」

「え⋯⋯でも⋯⋯いいんですか?」

「いいって。俺はその名前に何の思い出もこだわりもないんだから。これからよろしく音崎」

「ありがとうございます、堂本さん」

「さんづけじゃなくていい。俺はさんをつけられるほど偉い人間じゃないんだ。ついでに敬語もいらない。これから生活するのに敬語なんか使われたら気がめいるよ」

また『え』とか『でも』を言われる前に次の言葉を並べる。

「とりあえず今日は波乱万丈の一日だったんだからゆっくり休めよ。じゃあ、おやすみ音崎」

俺は自分の部屋に戻った。


 風呂に入っている間や兄貴の部屋の整理をしながらずっと考えていた。

なんで俺、母親の名前を使っていいなんて言ったんだろう?

疑問だけが残る。母親がどうでもいいなんて嘘もいいところだ。生みの親なんだから気にならないわけがない。そんな大切な名前をなんであの子にあげてしまったんだろう。

 冷蔵庫に何もなく今夜は晩御飯なしになった、なんてことはその疑問の前にはどうでもいい。ときどき自分の思考がわからなくなる。でも人間なんてそういうものだろう。

あんま気にしても仕方ないか。

そうケリをつけ俺は部屋のパソコンの電源をつける。音崎についていろいろ調べなくてはならない。まずは警察のサイトの行方不明者のリストを見る。しかしどうやらのっていないようだ。

あいつの親は何考えてるんだ。まあうちも人のこと言えないけど。

うちの親父も俺が行方不明になったら捜索願を出すだろうがいつ気づくかわかったもんじゃない。兄貴の場合なんて俺がいなくなっても面倒くさいとか言って放置するだろうし。とりあえずまだ捜索願をだしていないだけかもしれないからこれからもたまに見ることにしよう。

 

次に『G.Kamio』だ。神尾もめずらしい名字だし下の名前でGがつく人もあまりいないからもしかしたらひっかかってくるんじゃないか程度の気持ちで調べたがあまり大したことはわからない。せいぜい神尾組とかいうやーさんの組長が『神尾金叉』とかいういかつい名前で右の頬に傷跡がある顔だってことくらいだ。まあ関係ないだろう。そう思いたいがそういうわけにもいかない。『金叉』の読み方はわからないが『金』は『ゴン』とも読める。もしかしたらこの人のブレザーかもしれない。

いや⋯⋯考えすぎか。

日本人で下の名前に『ゴン』なんてつくのはせいぜいアニメのキャラクターくらいだろう。あんまり気にすることないか。そう自分で納得して俺も眠ることにした。ベッドの中でふと思う。

明日学校に行ってる間、音崎どうしよう。

それを考えながら眠った。



考え事をしてほとんど眠れなかった俺はいつも起きる時間より少し早い時間になると俺は起きて顔を洗ったり着替えたりしてから食パンをトースターに入れてから音崎を起こしに行く。ノックをするとすぐに返事が来た。

「はーい‼」

ずいぶん早起きだな。

 ドアを開けた音崎を見る。

「おはようございます」

大きなクマをつくった顔で答えた。

「ああ、おはよ。朝飯、今やってるから。洗面所は風呂の脱衣所のところ使って。悪いけどクシと歯ブラシないから今日は我慢して。あっ、タオルは適当に置いてあるの使っていいから」

いくら昨日疲れたからと言っても自分が誰かもわからないなんて不安で眠れなかっただろう。

 俺は戻りトーストにマーガリンを塗って待つ。結局昨晩、学校の間に音崎をどうするか決まらなかったのだ。そう考えているうちに女の子がやってきて四つあるイスの向かい側に座らせた。

「昨晩はよく眠れた?」

「あっ、はい。ぐっすりでした」

本当に嘘が下手な子だ。

「ふーん、ならよかった。うちの朝は毎日トーストだけね。俺料理できないから」

そう言いトーストをかじる。

「一人暮らしなのにですか?」

「まあね。あと敬語じゃなくていいから。あと『でも』とか『え』とかも禁止」

「え⋯⋯でも⋯⋯」

その先を手で制す。

「わかりました」

「いやだから敬語もいらないから」

「⋯⋯わかった」

なかなか頭の回転が遅くて苦労するかもしれない。

「それでいい。ところでお前今日どうする?」

「特にやることは⋯⋯」

「じゃあ買い物行くぞ。音崎の生活用品、服とか歯ブラシとか必要だろ」

「え⋯⋯でも⋯⋯私お金が⋯⋯」また言った。

「『え』とか『でも』禁止。そんなん俺が出すよ。記憶が戻った時にでも返してくれればいいから」

別に返してくれなくてもいいがこうでも言わないとまた『え』とか『でも』と言うだろう。

「うん。ありがとう」

感謝をされると少しだが泊めてよかったって気持ちになる。

「じゃあ、十時くらいに出るから買うもの考えておいて」

皿をシンクに持っていく。

「わかった。あれ? 堂本さん学校は?」

痛いところをついてくる。まあ俺は制服だから気が付くか。

「休み。あと『さん』もいらない」

すぐに嘘をつける俺はけっこうすごいと思う。ほめられることじゃないけど。しかしさすがにだまされないらしい。

「嘘⋯⋯だよね。私のことは気にしないでいいから。できるだけ迷惑はかけたくない」

意外ときちんとした性格らしい。こんな真面目じゃもしかしたら俺と合わないかもしれない。

「わかった。じゃあ放課後な。そういや音崎は中学生? それとも高校生?」

「思い出せない」

実際音崎は微妙なところだ。中学三年生にも見えるし、高校一年生にも見える。しかしこれはけっこう深刻な問題だ。中学生だったら受験があるし、高校生なら留年の危機がある。学校の問題は早めに対処しなければいけないのかもしれない。

「そっか。それも早めに何とかしよう。じゃあ俺は学校行くから。昼はあるもんでテキトーに食べておいて。あと帰りは五時くらいだと思うから」

俺はカバンを持って玄関に向かう。

「どうもと」

 登校前に誰かに引きとめられるなんて久しぶりだ。

「何?」

「えっと⋯⋯いってらっしゃい」

聞きなれない言葉が聞こえる。見ると音崎が作ったような笑顔で手を小さく振っていた。

こういうときってどうするんだっけ?

俺はただ返答するだけなのにかなりかかった。

「えーっと⋯⋯行ってきます」

自分で言って妙に照れくさい。『いってらっしゃい』なんていつぶりに言われたのだろう。一人の生活が長すぎて俺もコミュニケーション障害がおこっているのかもしれない。そう考えると自分に笑えてくる。


 昨日音崎を見つけた裏道の入り口には特に変化はなかった。しかし一応携帯で調べてみると警察は壊れたアンドロイドを見つけて回収したらしい。おそらく音崎の指紋は取られているだろうから音崎に前科があるならもう終わりだ。しかし今は記憶をなくす前のあいつの善行を信じる。それにそもそも見つからなければいいのだ。リスクはわかっていてあいつを泊めたのだからこれくらいは覚悟をしていた。

 あれ⋯⋯そういえばあいつ⋯⋯どうやってアンドロイド壊したんだ?

 皮膚は本物の人間のようだが一応金属でできているはずだ。普通の男でも壊すのは難しいだろう。まして女の子ならなおさらだ。ニュースを見てもどうやって壊したのかのっていない。

 あいつ事件のこと気にしているだろうし聞いて事件のこと掘り返すのもなー。まあわかったらそのうちニュースで発表されるでしょ。

 

 今日の学校の授業はあまり集中できなかったし戸塚と何を話したかすら覚えていない。音崎のことを考えると他に身が入らない。別に好きとかそういう浮ついた感情ではなくあいつのこれからをとどうすればいいのかずっと考えていた。

夕飯どこで食べるかな?

 

学校の帰りにいつもの習慣で外食をしようとするが今日は無理なことに気づく。新しい同居人と買い物をすることをすっかり忘れていた。

買い物のためにも帰りに地元の駅前の銀行でお金をおろしてく。自分の口座は我ながら驚くほどの残金だ。高校生一人の生活費には多すぎる。おまけに今は無趣味だからほとんど生活費以外に使うことがなく毎月余ったお金が積りに積もって大変な金額だ。これなら音崎があと五人いてもうちにいてもお釣りが帰ってくるくらいだ。

今日の買い物でけっこう使うだろうし三万円くらいで足りるよな?

 家に着いたとき俺は何とも不思議な気分だった。今まで誰もいないことがわかっていたから無言で家に入ってきたが⋯⋯。

『ただいま』って⋯⋯言ったほうがいいのか?

 そんなことを考えて数分もの間家の前に立っていた俺はなかなかの笑いものだ。通行人はこの人何しているのだろう、などと考えただろう。結局照れくさく無言で入ることにした。

 無言で入るといつもと同じように静かだった。なんとなくさみしい気持ちになった。

「えっとー⋯⋯おかえりどうもと」

孤独感にふけっていたら不意に言われた。正面には音崎が作ったような笑顔で立っていた。

こいつの笑顔は作り笑いなのか自然なものなのか判断が難しいな

 一見作り笑いに見えるが違う気もする。どっちなのかを考えていると音崎の顔が笑顔から疑問に変わった。

「どうもと?」

俺は返事をし忘れたことに気づく。

「ああ⋯⋯えっと⋯⋯ただいま」

すごくぎこちない形になってしまった。コミュニケーション障害の自分が恥ずかしい。

「買い物だよな。着替えたらすぐ行くから準備しておいて」

「わかった」

そう答える音崎の顔は作ったような笑顔ではなく自然な笑顔をしていた。

 

準備と言っても音崎は何もなく俺が待たせたことになる。音崎には大きいが俺の靴一足を貸す。行先はこの街で一番大きい超大型ショッピングモールだ。そこに行けば大抵のものはそろう。

「俺が学校に行っている間何していた?」

沈黙が苦手な俺は歩きながら話しかける。俺より数歩後ろを歩いていた音崎がぎこちなく返事をする。

「特に何も⋯⋯」

音崎は周りの視線が気になるようだった。それもそうだ。ジャージに眼帯のかわいらしい女の子なんて暇人どもにとってはめずらしいのだろう。

「何もって⋯⋯ずっとボーっとしてたのか」

「うん。特にやることがなかったから⋯⋯」

まあ勝手に家の中をあさられても困るが何もしないはしないで退屈させたみたいで困る。

「ふーん、じゃあ明日はゲームとか本とか貸してやるからそれやってなよ。日中暇でしょ。ところで昼は何食べたの?」

「食パンしかなかったから朝と同じ」

そうだった。朝はテキトーに食べろと言ったがうちには朝食用の食パンしか残ってないのだ。食料品店に行く予定が増えた。

「ごめん。忘れてた。俺料理しないから冷蔵庫は常に空なんだ」

「大丈夫。パン、好きだから」

「そっか、ならよかった。ほらあそこだから」

見えた目的地を指す。それを音崎は黙って見ているだけだ。その顔は嬉しそうに見えなくもない。


「まずは服だな。その格好目立つし。お前なんか好みの服ある?」

音崎は首を横に振る。横に振られても俺もどうしたらいいかわからない。今どきの女の子はどこで服を買うのかなんて見当もつかない。

「じゃあ俺が知ってるところでいいな。レディースもあると思うし」

「うん」

俺のあとについてくる。俺に追いつけないのではなくわざと遅れているように思えた。

 店の前に着くと俺はそこにあったベンチに座り込む。それを見た音崎の顔は困惑を示した。

「俺ここで待ってるから好きに選んできなよ。決まったら俺に声をかけてくれればいいから」

俺はポケットから携帯を取り出しそれをいじりだす。

「⋯⋯うん」

店の中に入って行った。ちょっとやなやつに思われたかもしれない。しかし女の子の服選びに俺が行っても邪魔なだけだしレディースコーナーなんていずらいったらありはしない。

 遅いな、と感じ携帯の時計を見る。二十分は経っているのに戻ってこない。俺は携帯のゲームを終了させ様子を仕方なく様子を見に行くことにした。レディースコーナーの中を変な目で見られながら音崎を探す。

いた。何やってんだあいつ。

見つけた音崎は遠目から服を見ては歩き遠目から服を見つけることを繰り返しているだけで見ていた服を手に取らなかった。

「気に入るのがないのか?」

そう声をかけると音崎は悪事が見つかってまずい顔をした小学生みたいになった。

「ううん。迷ってるだけ。どれもかわいいと思うから決められない。だから⋯⋯その⋯⋯堂本が決めてくれない?」

 だあーーー。

 心の中で叫ぶ。俺に女の子の服が選べるわけがないから外で待っていたのに。やけになり店員にこの子に似合う服を一式選んでくれと音崎を押し付けて待つことにした。

 待つこと数分、任せた店員に声をかけられ試着室に行く。

店員に案内され音崎がいるらしい試着室の前に来たが全然出てこない。俺は待ちくたびれて声をかける。

「おい音崎、大丈夫か」

「ど、堂本。あのね⋯⋯あのー」

またこのやりとりが起きると面倒だから続けた。

「とりあえず着替え終わった?」

「着替えは終わったんだけど⋯⋯」

それを聞いた瞬間俺は試着室を開けた。

「なかなかいいじゃん」

なかなかどころかすごく似合っている。明るい色のスニーカーに黒のニーハイソックスにミニスカ、長Tシャツの上に半袖Tシャツでかなり様になっている。眼帯のハンデなんか全然関係ないくらいにかわいい。

 見せびらかしていいレベルなのに俺に見られた音崎は顔を真っ赤にして小さくなってしまった。

 最初ボロボロだった少女が服装だけでこんなに変わるとは驚きで何も言えない。

「ななな、なんで勝手に開けるの⁉」

思いっきり恥ずかしがっている。俺はなんで恥ずかしがっているのかわからない。

「いやだって終わったっていうから⋯⋯」

「心の準備がまだだったの‼」

初めて聞く音崎の感情的な声に若干驚く。

俺相手に心の準備もクソもないだろう。

そう思っても口には出さない。

「あっそう。それはごめん」

更衣室を閉める。それからしばらくして音崎が口を開く。

「⋯⋯堂本、どうだった」

ドア越しにいきなり小さな声で聞かれる。服装のことだろう。

「なかなか似合ってるよ。それでいいんじゃない」

「⋯⋯そう⋯⋯」

もう怒ってはいないようだ。一体どんな顔をしているのだろう。

「他にも候補があるんだけど⋯⋯」

「じゃあそれも買おう。どうせ一式じゃ足りないだろ」

「いやそうじゃなくて⋯⋯その⋯⋯見る?」

最後の方は小さくなっていた。

「いや、いいや。また今度見させてもらうから。とりあえずそのまま出てこいよ。とっとと買ってタグ切ってもらおう」

けっこう長い間いたから待ち疲れた。女の子の服装を見たくはあるが今は疲労感が大きくあまり興味がわかない。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯うん」

気のせいか少し残念そうに聞こえた。

 店員を呼んで支払いとタグ切りを頼む。

女の子の服って高いんだな。

 財布の残金を見て悲しくなる。三枚の諭吉が全員いなくなってしまった。しかしまだ一葉一人と英世が数人いるから大丈夫だろう。

 俺達は服の店をあとにして雑貨屋で歯ブラシセットやヘアブラシなどの生活必需品を買いそのまま店を回る。音崎はほとんど地味で安い物を選んだ。俺がもう少し値段の張る女の子らしいものを勧めるが遠慮されてしまった。欲しくないわけがないだろうから遠慮しているのだろう。

 

俺の後ろにいる音崎がいきなり止まる。どうやらなにか見ているようだ。視線の先からしてどうやら女の子向けのアクセサリー店のようだ。

「なんか欲しいもんあった?」

「うわっ、いや⋯⋯あの⋯⋯なんでもない」

そうは言って歩き出すものの視線はまだアクセサリー店だ。どうやら欲しいものがあるが必需品じゃないとかなんとかで遠慮しているのだろう。別に安いものならいくら買っても構わないのだが。

「そういやお前髪長いから何か頭につけるもんでも買った方がいいんじゃないいの」

助け舟を出してやる。

「でも必需品じゃないし⋯⋯」

やはり何か欲しいのだろう。

「女の子にとって髪の道具は必需品だろ。ほらこれなんてどう」

そう言ってテキトーに取ったヘアバンドを音崎に薦める。それを音崎は手に取りじっと見つめる。

「じゃあこれにする」

「えっ」

反射的に言ってしまった。まさかテキトーに取ったものに決められるとは思わなかった。

「こんなんでいいの?」

「うん、いい」

そう言いながらレジに持って行ってしまったのでそれに決まった。

 俺はそれのタグを切ってもらい、店を出てから音崎に渡す。もらった音崎はさっそくつけてみている。

「似合うじゃん」

実際、そのヘアバンドは長い髪にとてもよく似合っていた。

しかし改めて思うけどかわいらしい子だな。

 きっと学校に行っていたころは戸塚並みにモテモテだっただろう。それなのに記憶がないだけでこんな何もわからない不安に付きまとわれた生活を強いられている。同情するのもされるのも嫌いだがかわいそうとは思わずにいられなかった。

「ありがと、どうもと」

後ろを向いてしまった。表情がうまく読み取れないが喜んでくれたなら何よりだ。しかしなんだかこっちまで照れくさくなる。俺はそれをごまかすように話を切り出した。

「さて、なんか食おうか。歩き回ったから腹減ったよ。今日は我が家にようこそって歓迎って意味で音崎の好きな物でいいよ。どこ行く? ラーメン? 焼肉?」

そういうと音崎は向きかえった。

「外だとお金かかるよ」

「大丈夫大丈夫。金はまだ余裕あるしそもそも俺料理できないから」

正直、食料品店に行くのが面倒くさいし荷物がさらに重くなるのが嫌だというのが本音だ。

「⋯⋯私が作ろうか?」

「えっ?」

聞き違えたのだろうか。

「私が作ろうか?」

「えっ、でも⋯⋯お前記憶ないじゃん」

「常識に関することは覚えているから大丈夫。お世話になってばかりだしこの服とかヘアバンドのお礼もしたいから」

そう言う音崎はなんだか恥ずかしそうだった。それにしてもこの空気は断りにくい雰囲気だ。

「わかった。じゃあよろしく頼むよ」

それを聞いた音崎の顔に自然な笑顔が出てきた。

「うん」

音崎の笑顔はさらに輝いたような気がした。


 帰り道は買い物が意外と時間がかかりもう人気がない時間帯になっていた。荷物はほとんど俺が持っている。自分も持つと音崎が申し出てくれたが男の意地で全部俺が持つ。音崎の買った服と元々来ていたジャージ、それに食料品もかなり買って俺の財布から一葉までいなくなってしまった。またおろせばいいだけの話だがまさか英世しか残らないとは思わなかった。食料品店では俺はカートを押していただけで何を買ったのかよく見てなかった。好きな食べ物を聞かれてメキシコ料理と答えたら困った顔をして頑張ると言っていたからもしかしたらメキシカンを作ってくれるのかもしれない。

「ありがとどうもと」

 行きと違って肩を並べて歩いていた音崎が言う。

「どういたしまして喜んでもらえたなら何より」

「この服もヘアバンドも⋯⋯今日けっこう高かったと思う」

「気にすんなよ。まだまだ余裕あるしね。それに⋯⋯俺も今日はなかなか楽しかったし」

女の子から礼を言われるのは妙に照れくさい。それに二年になってから初めてかもしれない。去年俺が問題を起こしてから俺に近づく女子はほとんどいないしいたとしても戸塚目当てで一緒にいる俺には恐怖なのか同情なのかよくわからない目で見てくる女子しかいない。

「でも⋯⋯ありがと」

「だから別にいいって。そんなにお礼ばっか言ってたら『ありがとう』の価値が下がるぞ」

照れ隠しも含めて少し大きな声で言う。

「でももし堂本が私を助けてなかったら警察かあの男たちに捕まっていたかもしれない。そう考えると堂本にはいくら感謝してもしきれないくらいだよ」

 音崎が止まって俺に向き合う。それに合わせて俺も止まる。そうまっすぐに見られると照れて俺は目をそらしてしまった。なかなか情けない。

「俺、『もしああだったら』とか過去推量が嫌いなんだ。実際『もしああだったらああだったかもしれないのに』ってさ、確定じゃないでしょ。仮定の過去のことを妄想してもしょうがないだろ。実際、お前は助かったんだ。だから過去をネガティブに考えるより今をどう生きるのか考えた方がいいだろ。実際、今も警察もその男たちもお前を探しているかもしれないだろう」

そう言って音崎を見つめる。音崎の顔がみるみる赤くなっていく。

「うん、そうだね」

 今度は音崎がまっすぐ見つめたからか顔を背けてしまった。

「ほらとっとと帰ろう。腹減った」

 俺は歩き出したが音崎は固まっている。まだ顔が沸騰しているのだろうかと思ったが違う。音崎は何かを見つめている。

「どうした音崎?」

返事はなく動きもない。なんとなく肩が震えているような気がする。

「おい音崎⁉」

肩に手を乗せてゆすりながら声をかけても返事はない。顔を覗き込むと目を大きく見開いて強張っている。まるで何かにおびえているようだ。その何かから目を離さない。

俺も音崎の視線の方向を見る。そこにはちょうど裏道から2人組の黒いスーツの男たちが出てきたところだ。全員がいかつい顔をしてヤクザのように見える。しかもその裏道は俺が音崎を見つけた裏道への入り口だ。

俺は震えて動かない音崎の肩を抱きながら道路に止めてある車の陰に隠れる。

「おい音崎あいつら知ってんのか?」

小声でそう聞くと音崎は震えながらやっと話し始めた。

「あの人たち、私を労働街から地上に連れてきた人たち」

 声も震えている。そんなに怖い目に遭わされたのだろうか。

「そうか。何者だ? あいつら」

「わからない。でも⋯⋯怖い」

今にも泣きそうな顔をしている。

「わかった。いいから落ち着け。俺がいれば大丈夫」

「でも⋯⋯あの人たちが来たのは私のせいだ。私があのとき出て行けばどうもとにも迷惑をかけないですんだのに⋯⋯私のせいだ」

そう言ってとうとう泣き出してしまった。

 まずい、泣き声で見つかる⁉ どうする?

 俺は音崎の肩を掴みまっすぐ見つめる。

「いいか、音崎。別に俺はこうなることは大体わかってお前をうちに置いたんだから別に何とも思っていない。それにまだ迷惑はかかってないし。俺言っただろ、過去推量は嫌いなんだって。だから泣くな」

 俺はいつになく真剣な顔で音崎を見つめた。

「うっ、うん⋯⋯」

俺の気持ち察したように音崎は泣くのをやめる。少し安心したような顔をしていたから俺もほっとする。

俺は車の角からこっそり男たちを見る。

なんでこっちにくるんだよおぉーーー。

男たちはこっちに向かってくる。話しながら向かっているところを見ると気づかれたわけではないらしい。耳をすますと会話が聞こえてくる。

「ったく。どこにいるんすかね」

「わかんね。でもこの近くにいるだろう。ここには壊れたアンドロイドの器物破損事件があったらしい。凶器は見つかってねーからサツは馬鹿みたいに鈍器を探してる。まあ普通の人間なら格闘家でもアンドロイドを素手で壊すことはできない。でも例のあれなら素手で壊すこともできるかもしれない。ということはあれが壊した可能性もあるってことだ」

 例のあれ? こいつらは格闘家より強い何か⋯⋯ライオンやらトラやらの猛獣でも捜してんのか。

「もうあいつのせいで俺ら休みなしっすよ。兄貴、どっか飲みに行きません?」

「一人で行け。今ボスかなりきてるから余計なことすっと簡単に海の底に沈められるぞ」

「やめてくださいよ。そうだ、トランクのあれどうします?」

 『あれ』ばっかで代名詞が多い奴だな。話の内容がわからないから超迷惑だ。

「一応確認しとけ」

「はいっす」

そう言った一人が俺らの方へ来る。

 ゲッ、これあいつらの車だったのか。

 横を見ると真っ青になった音崎の震えが最高潮に達している。

 ついに男が車の横にくる。そして弟らしき男が車の後ろの気配に気づき望みこむ。

「あ⋯⋯えっと⋯⋯どうも」

 もしかして狙いは音崎じゃなくどこぞの猛獣かもしれない。そんな淡い期待を胸に男に年上の敬意をこめて挨拶をする。しかしそれは本当に淡い期待だった。

「い、い、いましたよ兄貴‼」

「はっ‼」

 眼を見開いて男が音崎を指さして兄貴さんの方を向いた瞬間食料品の袋から大根を取出しこめかみを思いっきり殴る。

「はぎっ‼」

 そんな短い悲鳴をあげて男は倒れこむ。ちゃんと倒れたのを確認した瞬間、折れた大根を放り投げ音崎の手を引いて駆け出す。

「おい、大丈夫か‼ あの野郎」

兄貴さんが男のそばに寄ったときには俺達は路地に駆け込んだ。路地は入り組んでいるからたぶん逃げられるだろう。そう思った時だった。

ガチンッ。俺の右側で何か弾け飛んだ。気のせいだと思ったがガチンッとまた音がして今度は左の壁がえぐれていた。振り返ったら追いつかれると思っても確認せずにはいられない。そこにはさっきの男達が銃を構えていた。大根野郎なんか頭から血を流して怒り狂ったような顔だ。

「バカッ、それ銃刀法違反‼」

 極道相手に無駄とわかっていてもつっこまずにはいられない。しかしやつらは当然無視して構わず撃ってくる。全然当たらないから射的は下手くそなのか扱いなれていないのかもしれない。そうは言っても的にはなりたくない。

「グワッ⋯⋯」

 左肩に少し痛みが走る。当たらないと高をくくっていたがどうやら弾をかすめたようだ。少しだけ鮮血が舞う。

「どうもとっ‼」

「かすっただけだ。そこ曲がれ‼」

角を曲がり目標から外れる。しかし相手はあきらめたわけではないようだ。周りの建物に響いて足音が聞こえてくる。

俺達は蛇のように迷路みたいな路地を走る。しかしどんなに走ってもあいつらの足音は聞こえる。地中からそれが建物に響いてどこが音源なのかわからない。

「クソッ。どっちだ。どっちに行きゃいい⁉」

 焦りは冷静さを奪うと言ってもこの状況じゃ落ち着けない。

「こっち」

「えっ? うわっ‼」

 音崎に手首をいきなり引っ張られる。その音崎の反対の手には別のものが握られていた。

 あれは眼帯⁉

 やはり左眼はケガをしていたわけではないらしい。しかし俺が引っ張られる形になったから顔は見えない。一体眼帯の下はどうなっているんだろう。興味はあるが今は安全を確保する方が大事だ。

 急に音崎が止まって眼帯を付け直す。

「ここならもう大丈夫」

 そこは路地のどこかで俺が知らない場所だ。もとより知っている場所の方が少ないのだが。やつらの足音が足跡が小さく聞こえるからずいぶん離れたとわかる。

「なんでそう言える?」

 走って息を切らしながらもそれを聞く。しかし音崎は何も答えない。

「あとその左眼⋯⋯さっき眼帯取ってたよな?」

 また返事がない。これも無視かと返答をあきらめたころ。

「あとで」

「えっ⁉」

「あとで全部説明するから」

 少し驚きながらも俺は返事をする。

「わかった」

 沈黙が訪れる。俺はさすがに驚いていた。まさか法律違反の銃を使ってくるとは思わなかった。日本の警察はそう簡単に銃を使わないから私服警官ではなさそうだがあいつらはなんなのだろう。

「どうもと、肩大丈夫?」

俺の肩を心配そうに見る。

「大丈夫。ほれ」

 襟をめくって傷を見せる。血はあるがそこにすでに傷はなかった。さすがに音崎は目を丸くしている。

「なん⋯⋯で⋯⋯?」

これは俺の体質だ。昔から傷の治りが異常に早い。なぜなのかは知らない。物心ついたときから俺はいくらケガをしても異常な早さで治るのだ。

「いやあーお見事お見事。すごい逃亡劇だったよ」

 会話を遮るようにどこからか声が聞こえた。俺たちに話しかけているようだが姿は見えない。それにさっきの男たちと声が違い女の子のア声だ。俺は周りを見渡すが誰も見当たらない。その時音崎は上を見ていた。

「お二人さんすごかったよ。まさかやーさん二人相手に逃げ切れるとは思ってもみなかったよ。やばくなったら助けようと思ったんだけどその必要もなかったねっ」

 そんな声と共に目の前に何か降ってきた。首に下げたヘッドホンが特徴的な音崎より少し年下に見える女の子だ。

俺は上を見るがどこから降ってきたのかわからない。いくら上を見ても人間がいられるのは建物の屋上くらいだ。しかしそんなところから降りられるわけがない。

「誰だお前? あいつらの仲間か?」

音崎を手で守りながら問いかける。

「違うよ。私はあの人たちとは全然関係ないよ」

  あの二人組と関係ないのだろうか? 確かにさっきの二人組と違い、スーツじゃなく普通の中学生のように見えるしな。

「じゃあ俺らに何の用だ?」

「俺らっていうか。その子にだけ用事」

 音崎を指す。

「音崎に何の用だよ」

「音崎? 記憶があるの?」

 女の子は驚いたように音崎を見る。しかし俺の後ろに隠れて俺の腕をがっちり握っている音崎は何も答えない。

 どうやらこいつは音崎について何か知っているらしい。

「まっ、いっか。とりあえずそこの子。私と一緒に来て」

 俺は音崎の反応を見る。音崎は俺の顔を見て首を横に振るだけだ。

「えー、それは困るよ。ねーそこの君、ちょっとその子説得してくれないかな? その子のためだからさ。ね、おねがーい」

 そう俺に言う。もちろん差し出すわけがない。

「⋯⋯わかった」

「えっ⁉」

 音崎の顔の色が真っ青に変わる。

「よかったー。話が分かる人で⋯⋯うわっ」

 俺は油断した女の子の足を払って転ばせる。その隙に音崎の手を取る。

「走れっ‼」

 音崎を引っ張る形でスタートダッシュを切る。引っ張られる彼女は何が起こったのかわからないような顔をしたままだ。

「ちょっと何すんのぉー⁉」

しりもちをついた女の子が非難するが当然無視だ。

「バカ結衣。てめえ何やってんだよ」

 別の声が聞こえる。どうやら建物の屋上にもう一人仲間がいたらしい。

「一瞬、本当に私を差し出すんじゃないかと思った」

 音崎が走りながら言う。

「そんなわけないだろ。ここまで逃げたんだ。今さら差し出してたまるか」

 それを聞いた音崎は嬉しそうな顔に戻った。

「兄貴ー‼ いましたぜー‼」

「ヤベッ」

 兄貴さんと大根野郎にまで見つかった。

 大根野郎に背を向けた瞬間だった。ズキュン。さっきまでとは違うものを打ち抜いた音と共に俺の左肩に激痛が走る。思わず左手に持っていた荷物を落としてしまう。何があったのかはわかる。弾が当たったのだ。

「どうもとぉー‼」

 音崎が叫んでいるのがわかる。

「構わず走れぇーーーー‼」

 そう叫んだ瞬間、また銃声と共に左足にも激痛が走る。そのままバランスを失い崩れる。倒れこむ寸前に音崎の手を離し巻き込まないようにした。

 ダメだ。激痛で手をつくこともたつこともできねー。治るのにもまだ時間がかかる。

 右手と右足だけじゃ起き上ることもままならない。

「どうもとっ‼」

「来るな‼ 一人で逃げろ‼」

 しかし無視して俺の方へとかけ寄ってくる。

「どうもとっ、ねえどうもと‼」

「にげ⋯⋯うほっ⋯⋯ゲホッ」

 今度は脇腹に痛みが走る。二人に追いつかれていた。どうやら大根野郎に蹴られたらしい。

「このクソガキィー、なめてくれたもんだなオイ‼」

 そう言って血を流したこめかみをおさえながら銃を俺に向ける。銃声が何発も聞こえる。音が聞こえるたびに痛みが強くなる。一瞬、音崎が撃たれたと思ったが彼女は無事だ。撃たれたのは俺だけらしい。すでに激痛が強すぎて他の痛みを感じないくらいだ。

「もうよせ。やつらが近くにいるらしい。仲間の一人と連絡が取れない。今銃を使ったら音で場所が特定されちまう」

「じゃあどうするんですかこいつ?」

「そんだけ撃たれてんだ。もう助かんねーだろ。死体が見つかるのはまずいがこいつを見つけた代償としては悪くねぇ」

「ちっ」

 そう言ってもう一発俺を蹴る。

「うほっ⋯⋯ゲホッ⋯⋯」

「やめて‼ どうもとに触らない⋯⋯で」

音崎も倒れたしまった。兄貴さんの手にはスタンガンが握られている。

「おい、ずらかるぞ。とっととそいつを担いでいくぞ」

「へい」

「や⋯⋯め⋯⋯ろ⋯⋯」

その声は男達に聞こえたのか、無視されたのかわからない。痛みで目がかすむ。もうすべてがぼやけて見える。


寒い。俺はここで死ぬのか。さすがに俺の体質も撃たれた傷までは治してくれないらしい。でもまあ短い人生だったけど最後は楽しかったな。一つ悔いがあるなら音崎を守れなかったことか⋯⋯。ごめんな音崎。俺がいても大丈夫じゃなかったな。あんなこと言わなければよかったかもしれない。ははっ、死ぬとなると過去推量が嫌いとかどうでもよくなるな。悪いな親父、兄貴、義姉さん、勝手にいなくなって。顔も覚えていない母さん、本物の音崎佳奈、俺も今から逝くから⋯⋯。


 路地で見失った目標を探しながら少年と少女は走っていた。

「なんで人間ごときに出し抜かれたんだよバーカ、この貧乳」

 走りながら少年は文句を含めた悪態をついた。

「だってあの人協力的だったしまさか足払いされると思わなかったんだもん。それに貧乳じゃないし。春輝君こそ高所恐怖症なのに屋上なんかにいるから見失ったんだよ」

「てめえが屋上から見張れば見つけやすいって言ったんだろ‼ 貧乳のくせにおまけに俺を置いていくからだ」

 少年が怒鳴るがヘッドフォンの少女は気にしていない。

「まさか律儀に階段使って下りてくるとはね。私みたいに飛び降りればよかったじゃん。あと貧乳はじゃないから」

「バカてめえ危ねーだろ。屋上から飛び降りちゃいけませんって学校で習っただろ」

「そんなこと習ったっけ?」

「習ったよ‼ 一番最初に習っただろ」

「一番最初ってダブってるよ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」

「だから『最初』って『一番初め』って意味だから」

「⋯⋯つまりどうゆうことだ?」

「もういいよ、春輝君現代文赤点だったからわからないのは当然だよ。それにしても見失ったのはあの後あのヤーさんの仲間に見つかったからじゃない?」

「それはあるな。クッソー。もっとボコしておきゃよかったぜ」

「言っとくけどあいつら倒したのもあたしだからね。春輝君が階段下りている間に倒したのあたしだから。春輝君は何もしてないの、わかってる?」

 ヘッドフォン少女が目標と一緒にいた少年に足払いをされて逃げられたあとの話だ。


「ちょっと何すんのぉー⁉」

しりもちをつきながら非難するが少年は目標を連れたまま無視して行ってしまった。

「バカ結衣てめえ何やってんだよ」

 屋上から結衣と呼ばれたヘッドフォン少女の仲間が下を見て震えながら言う。

「いたぞぉー。こっちだ」

「ゲッ‼ 見つかった」

 少年が大根で殴ったやつとは別の男たちだ。おそらくあいつらが呼んだ増援だろう。

「春輝君、こんな狭い路地じゃ戦いにくいから早く下に来て‼」

 結衣が上の仲間、春輝に向かって叫ぶ。

「おう、今階段使っていく」

「えっ、飛び降りればいいじゃん」

 その声は届かない。そうこうしている隙に何かが結衣のそばで弾けた。反射的に結衣は物陰に隠れる。物陰からのぞき見ると男が銃を構えていた。

(くっそー。春輝君待つの面倒だしなぁ。早めに決めちゃうか)

 結衣の瞳が蒼く染まる。それと共に結衣の雰囲気も変わった気がした。

「いっくよー」

 結衣は物陰から出て尋常な速さで銃を持った男の方へ走る。

「こ、こいつバンパイアか⁉」

 男は焦り始め何発も結衣に向かって撃つが、結衣はまるで弾道が見えているみたいにそれを避けながら走る。四十メートルはあっただろう距離がわずか数秒で詰められる。

「そだよ。お休みなさい」

 男の腹に人並みじゃない力で拳を打ち込む。その一発で短い声をあげて男は倒れてしまった。

「やったか結衣」

 遅れて春輝と呼ばれた少年が息を切らしながらやってくる。振り返りながら結衣眼の色がもとに戻っていく。

「春輝君おっそーい。あたしが仕留めました」

「死んだ?」

 結衣は首を横に振る。

「殺してないよ。むやみに殺生するのはよくないしね。でもどうしよう? ここに置いといてこの人たちの仲間に見つかったら厄介だよね?」

「その辺にあるゴミ箱につっこんどこうぜ。どうせしばらく目ざめねーだろうから」

 そう言うと春輝は倒れた男を持ち上げ、身近にあったどこかのお店の巨大ゴミ箱に頭からぶち込んだ。

「よしとっとと目標を捕まえようぜ」

「あんなのゴミ箱に入ってたらシュールだね」


「いいや。俺がゴミ箱にぶち込んだ」

 なぜかどや顔の春輝。

「それだけじゃん」

「それだけすりゃあ十分だろ」

 そこで結衣がいきなり止まる。何かに驚くものを見ているような顔だ。

「春輝君あれ⋯⋯」

「ん? なんだ?」

 結衣の視線の先にはさっき結衣に足払いをした少年が倒れている。遠くから見た二人には周りにはかなりの血が流れているように見えた。

「やべっ。行くぞ結衣」

「うん」

 左肩と左足と背中から血を大量に流していたのはさっきの少年だ。逃げたときの激しい逃亡と違い今はピクリとも動きはしない。

「これはひどいね」

 結衣は目を背きたくのを我慢して見る。一番ひどいのは背中だ。一発で十分なのに背中には風穴だらけになっている。

「おい。こいつまだ生きてるぞ⁉」

 春輝が少年の脈を確認して言う。

「うそ⋯⋯。こんな状態で生きてるなんて本当に人間? それともアンドロイド? まさかあたしたちの仲間?」

「脈があるからアンドロイドじゃない。血もまずいが人間の血だ」

「それは驚いた。でもこの子がこんな状態なら目標はどうなったんだろう?」

「こいつを捨てて逃げ切ったか連れ去られたのかのどっちかだろ。結衣、ナイフあるか?」

「小さいのならあるけど⋯⋯どうするの?」

 春輝が結衣からナイフを受け取る

「こいつを助ける」

「まさか⋯⋯変えるの? いいの? 勝手にそんなことして。この人の気持ちも確かめ⋯⋯」

「こんな状態で気持ちもクソもあるか。死ぬよりマシだろ。それに目標が逃げたのか捕まったのかこいつなら知ってんだろ」

 そう言って春輝はナイフで自分の指先を切った。


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