4th dream 護るべきもののために
俺が黙って剣印を組むと同時に、禍餓夜が動いた。
いきなり間合いに踏みこんでくるのと同時に、斬戟が襲う。いつどこから取り出したのかわからない、だが確実に致命傷を与える剣戟。
相手が俺でなければ、確実に初太刀で勝敗が決まっていただろう。
「遅いっ」
俺は叫ぶと同時に、祝詞や真言を紡ぐことなく、剣印を振るった。同時に力が禍餓夜に向かって迸るが、禍餓夜がとっさに張ったによって相殺される。その隙に、俺は間合いから跳び退き、次の術を開始した。
「あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい、ざんだりひをん、しかんしきじん、あたらうん、をんぜぞ、ざんざんびらり、あうん、ぜつめい、そくじつ、うん、ざんざんだり、ざんだりはん」
遠当法と呼ばれる術である。
陰陽道系の術が効くかどうかはわからないが、多少なりともダメージを与えるだろう。
俺は呪文を唱え終わると同時に、拍手を打つ。
パンっという軽い音と共に、禍餓夜の張った盾に呪力がぶつかり、禍餓夜は盾ごと後方へ飛ぶ。
どうやら効果は多少以上らしい。だが、俺はそう思いながらも、そこで手を止めることなく、立て続けに術を放つ。
「付くも不肖、付かるるも不肖、一時の夢ぞかし。生は難の池水つもりて淵となる。鬼神に横道なし。人間に疑いなし。教化に付かざるに依りて時を切ってすゆるなり。下のふたへも推してする」
悪鬼調伏の術。唱え終わると同時に、腕を前に突き出す。これにもやはり禍餓夜は反応し、ふっとばされる。どうやら禍餓夜の使う呪と、陰陽道系の呪は相性が悪いらしい。禍餓夜もそれを悟ったらしく、何かを払うかのように剣を振るった。
禍餓夜の纏う気が変わる。
俺が確かめるために術を放つと、それは禍餓夜に到達する前に霧となり、消える。
「霧、か」
俺はつぶやくと、再び剣印を結ぶ。禍餓夜を見据え、真言を唱える。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン。クシェルダシャバサラリクウェリャシャ」
今度は霧にならない。だが、呪が到達したらしい様子もない。禍餓夜が嘲る。
「何をしている、暁の後継?それはいかなる呪であるのか。我に効果は無いぞ」
だが、俺は構わずに二つ目の術を放つ。
「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば穢れは在らじ。残らじ。阿那清々し、阿那清々し」
息を三度、強く吐く。それは一度、禍餓夜に纏わりつき、消える。だが、俺は消える寸前に小さく光を放ったのを見逃さない。
(次っ)
さらに俺はひふみ祓い詞を唱える。ただし唱えるだけで印も何も伴わない。
「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」
今度は禍餓夜の力の波動へ。やはりそれも息吹法と同じように禍餓夜へまとわりつき、小さく光を放って消える。
(次っ)
さらに唱えるものは、魔を祓う神咒。
「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、秘音、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さんびらり」
刀印を結び、今度は禍餓夜が創り上げた結界そのものへ。
(次で、終わり)
俺は心の内で呟き、さらに指を組む。最後に放とうとしている術だけは、俺のオリジナルだった。神道・古神道系、仏教系、陰陽道系、それらを組み合わせた完全に我流の術である。
俺は印を組むと、キーワードを思い浮かべる。
(拘縛)
その一言。拘束し、縛る。長時間拘束を続けることが可能な、ただそれだけの術。もちろん、術を受けたほうに心得があれば、時間はかかるが解呪は可能だ。だが、時間を稼ぐためだけあれば、その効果は絶大で、大技を使うための準備は整う。
幸いなことに禍餓夜はこちらをなめきっているため、俺が術を組み立てている間は手出ししてこない。その上、今までの術が効果ないと思っているから、今使おうとしている禍餓夜の知らない術さえも、完全に同列視して防ごうとする様子もない。
(いける)
禍餓夜は俺の目論見に気づいていない。
スウっと静かに息を吸う。次の瞬間。
「拘縛輪呪!」
俺はキーワードとともに、タンッと地面に手をついていた。同時に禍餓夜を光の輪が拘束する。
キンっと澄んだ音がすると同時に、禍餓夜を守っていた結界が消える。同時に、拘縛よりも前に放った三つの術が発動した。一度に三つ分の術を、結界も何もない状態で受けた禍餓夜は、俺の目論見通り、致命的ではないが、決して軽くはないダメージを負う。
禍餓夜が色をなくした。
「馬鹿なっ…」
有り得ないはずだった。目の前のアカツキの後継の術は、悉く発動していなかった。
だが俺はかまわずに、次の術を放つための詠唱を始める。一瞬だけ、アカツキに視線をやってから。
「謹んで助力を請う。わが声を聴け。世界を創りし総てのもの…」
崩壊の、因果律。それがこの呪の名前。
バグを滅ぼした因果律よりも強力なもの。
アカツキが、それだと気づいたかは知らない。だが、俺の一瞬の動作によって、アカツキは己が何をするべきか悟ったようだ。時間稼ぎ、である。俺が使おうとしている術は、発動するまでに時間が掛かるからだ。
俺は意識の端でそれを確認すると、そのまま一心に詠唱を続けていく。
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透の目配せで、アカツキは己の役目を悟った。要するに、透が詠唱を終えるまで、拘縛を保たせればお役目御免というわけだ。アカツキは傍らにいたリゼルに向かって、言う。
「ってわけで、リゼル。お前の主のために、あの拘縛を保たせろ」
だが、リゼルは冷たく応じる。
「それが主の望みであることは認めよう。だが、残念ながら、我はあの術を初めて見る。完全に主の我流だから、どうすればいいのか見当もつかぬ。どうやら神道系・仏教系・陰陽道系、総てが組み合わさっているみたいだが、魔である我には干渉できぬ」
淡々としたリゼルの物言いに、アカツキは深くため息をつく。
「使えねえ…。あれ、ほっといても詠唱時間分くらいは保つだろうが、微妙だよなぁ。」
しょうがねえから、禍餓夜の集中を妨げてやるか…。
そうこぼすアカツキは、だらだらと禍餓夜に歩み寄っていく。
リゼルは黙って見ているだけだ。
一方、近づいてくるアカツキに気づいた禍餓夜は、その眼差しだけで射殺せるのでは、と思われるくらいに睨みつけている。
だが、アカツキは飄々とした態度で言う。
「よう、久しぶりィ。なかなかやるだろ、俺の孫はよ?後継どころの話じゃないぜ?アイツは俺を超えてやがる。知識だけしか持ってないはずなのに、こぉんな我流の術を組み立てるんだからよ?」
「黙れ…っ。少々油断しただけだ。次は遅れをとらぬわっ」
だが、その言葉にアカツキはにやりと笑って言う。
「次があるのかよ?お前のその為体で。次どころか、今の拘縛だって破れねぇんだろ?」
アカツキの言葉に、禍餓夜はカッと血を上らせる。
「こんなもの…っ」
そう言うと、禍餓夜は一気に精神集中を図る。だが、術が一向に緩む様子もなく、ますます強くなっている。
それに気づいた禍餓夜は焦り、アカツキは表情に出さずに感心する。己の孫は、考えていた以上に退魔の才があったらしい。
それならば、とアカツキは懐に手を入れた。禍餓夜がその動作に気づいた様子はない。アカツキはできるだけ気づかれないように、懐にある呪符に手で触れる。
この上なく低く、小さい囁きでつぶやく。
「術式強化」
それから素早く符を取り出し、禍餓夜を拘束している光の輪に貼り付ける。光がいっそう増した。
「アカツキ、貴様ぁっ」
気づいた禍餓夜が、呪詛のごとき声音でいうと、アカツキはしれっと返す。
「悪りぃけど、お前を拘束からはずすわけにはいかねぇんだ。透に頼まれたからな。安心しろよ。その符は5分しか持続しない。その後は…。そうだな、10分くらいか。それくらいで解呪できるだろ」
そう言うと、アカツキは再びリゼルの傍らへと戻る。戻ってきたアカツキに対し、リゼルは一言尋ねただけ。
「いいのか」
だが、アカツキは答えずに笑うだけ。
リゼルはもともと答えを期待していなかったのか、一瞬だけアカツキを見、そのまま目線を透に向ける。
透の詠唱は終盤へと差し掛かっていた。
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(あともう少し)
透はひたすら詠唱を続ける中で、それを思っていた。
どうやらアカツキがうまくやってくれたらしく、今のところは禍餓夜が解呪した様子はない。これなら、充分に間に合う。
(間に合わなきゃ、二重トラップにした意味がない)
そう考えながら、意識の端で禍餓夜の状態を探る。
思ったよりも解呪に手間取っている。
だが、それでも完全に解呪するまでにあと4、5分といったところか。
俺は募る焦燥感を抑え、ただ冷静に詠唱を続けていく。この調子でいけば、この上なく良いタイミングで発動できる。
(落ち着け)
失敗は許されない。少しのタイミングのズレで、結果が真逆に向いてしまう。そうなれば、すべてが水泡に帰し、取り返しがつかないだろう。
俺は慎重に、けれど確実に詠唱を続け、最後の一句を口にするだけとなる。
瞬間、世界が揺れた。
禍餓夜が拘縛を破ったのだ。
(今だ!)
すかさず俺は息を吸い、総ての想いをかけて、残る一句の言の葉を、紡ぎだす。
「自壊せよ!!」
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「自壊せよ!!」
そのキーワードが発せられると同時に、透を中心に力の膜が張られた。禍餓夜を中心に因果律の渦が巻き起こる。それは透の発動させた術と複雑に絡み合い、吸収し合い、そしてひとつの因果律を構成した。
それは、崩壊の因果律をより強固にし、なおかつ副次的作用をも併せ持つ因果律だ。
いかに優れていようとも、一人で構成するには途方もなく強大な力を必要とする。
『自壊変化』
そう称される、因果律。神、あるいは神に限りなく近い存在のみが構築・発動できるという。
禍餓夜が、地に崩れ落ち、倒れ伏す。
驚愕に彩られた表情のまま、ゆっくりと。
「馬鹿…な…」
そう、言葉を漏らしながら。
彼の者は、神と所縁なき存在であるのに。
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「馬鹿…な…」
その光景を離れたところで見ていたアカツキが、奇しくも禍餓夜と同じ言葉をもらす。
透は神ではない。そして、退魔師が神に近き者となることは絶対にないのだ。
いくら優れた退魔師であっても、退魔という以上は魔と関わる。穢れた魔という存在と関わる以上、限りなく神に近き者となることはできない。
神とは、もっとも清きものなのだから。
「なぜ…なぜ、あの因果律を扱える…?」
否。あの因果律に限ったことではない。
初めて使った力のはずなのに、なぜあそこまで退魔の術を、因果律を扱える。
しかもただ扱うだけではなく、因果律や術式の組み合わせがうますぎる。まるで特性を理解しきっているかのように。
あれは、扱い慣れているというよりも、己の一部だ。反射で、否、本能で使ってしまえる力。
アカツキは、えもいわれぬ戦慄が走るのを感じた。
透は、何なのだ。
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「ある…じ…?」
あれは、誰だ。
リゼルはその想いを打ち消すことができない。
己の主であるはずの存在が、まるで根底から覆されたような違和感。
一介の退魔師が扱えるはずもない因果律を軽々ととは言わないが、扱ってしまった。
神の座に近き者など、ここには存在しないのに。
(何を、したのだ)
人の身に過ぎる能力を、なぜ初めて因果律を構築するような存在が持っている。
人として生きていた少年であるのに。
神と、神の座に近き者と、どちらでもない存在であるのに。
答えは、どこにある。
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まったく違う存在である三者が抱いた想いは、尋常ではないということ。
共通した認識は、透が有り得ない存在であるということ。
そして、透自身の認識は。
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(成功、したのか)
俺は、三者の導き出した見解も知らず、ただ思った。
己が放った因果律によって、トラップが作動したことはわかったが、それだけしか覚えていない。
ただ、俺の視線の先には禍餓夜が倒れ伏していて、さっきまで感じていた歪みがなくなっていたから、成功したのかと思っただけだった。
静かに禍餓夜の元へ歩み寄る。どうやら意識があるらしいことはわかったが、それだけだ。
俺が近付くにつれ、禍餓夜は剣呑な気配を放ち出す。どうやら意地でも身を起こすつもりらしく、うめきながら必死に肘を突っ張ろうとしている。
だが、起こせない。
俺はかまわず、禍餓夜の傍らにしゃがみこむ。
手を貸そうとしたとき、激しい勢いで手をはじかれた。
「触るなっ!」
触れるものすべてを傷つける、鋭利過ぎる刃をまとっているかのように。俺が払われた手を所在無く握ったり開いたりしていると、禍餓夜が言った。
苛立ちと畏れと、両方がないまぜになった口調。
「お前、いったい何なんだ?自壊変化など、人間には使えない。アカツキの後継と呼ばれながら、世界のどの存在とも異なっている。有り得ない存在のお前は?」
その言葉に、禍餓夜が抱いているものが畏れではないことを悟る。そこにあるのは、純然たる嫌悪。
根源からして、お前は違う。
禍餓夜の眼差しは、世界のいかなる存在とも異なる俺を嫌悪し、否定し、そして憎悪している。
このような感情をぶつけられる理由を、俺は知らない。そして、俺が何者であるのかということの答えを、俺は持っていない。
だから、こう答えた。
「俺は浅木透だ。人間だとか、有り得ない存在だとか、そんなことには興味はない。俺は俺でしかない」
まっすぐに禍餓夜を見て答える。
俺の答えに、禍餓夜は目を細める。まとう空気が、拒絶へと変化していく。
「認めぬぞ、お前のような存在は。お前は世界に存在してはならぬ者。何者とも異なるお前は、いずれ世界にとっての災いとなる。やがて世界は、お前という存在を排除するだろう…っ!神は、お前という存在を危惧する…っ」
そこまで言葉を吐き、唐突に禍餓夜は塵となった。そして、その塵さえも消えて逝く。
因果律によってもたらされた、存在の消失という結果であった。
俺は、禍餓夜がいた場所を見つめたまま、つぶやいた。
「それでも俺は、存在し続けるんだ…」
いつか自分が消失する瞬間まで。
神が、世界が、俺を滅ぼす瞬間まで。
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透たちは知らない。
かつて禍餓夜が、透たちと同じ立場にあったことを。
そして、因果律の構築能力を持つ者とは、天つ神と国つ神との狭間の存在であり、国譲りがなければ、世界の因果律が歪むことはなかったということを。
繰り言に価値はない。
仮定は無意味だ。
だが、それを理解していても神々は悔い続けているだろう。
国つ神だけであれば、豊葦原は美しいままだった。
天つ神だけであれば、高天原は今もかつての威光を放っていた。
国譲りの際に、豊葦原と高天原があれほどまでに苛烈な戦をすることがなければ、記紀の頃のように、多くの神は今も生き続けたことだろう。
人々も神への畏怖を忘れず、心豊かに生きているに違いない。
退魔師という狭間の存在も、バグというゆがみも発現することはなかった。
すべては過ぎ去り、忘れられたことだけれども。
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「つまらぬ」
彼らの争いを見ていた存在があった。
天つ神の一人。
そして、退魔師が生まれる原因ともなった神でもある。
「我が力を貸してやったというのに、高天原の存在を是とするか。あれらはとうに滅亡へ向かって転がりだしている」
この神の名を天津彦彦火瓊瓊杵尊、と称す。
天照大神の孫であり、国譲りの神勅を携えて高千穂峰へと降り立ったとされる神。
神話には語られなかった事実がある。彼の神は、高天原において異端であり、疎んじられていたのだ。天照大神の孫でありながら、豊葦原への使者とされたことからもわかる。
彼の神は誓った。
己の力を以って、高天原を沈めることを。