3rd dream 導き出された因果律
まだまだ連投。
俺の心からうんざりした言葉に、アカツキは苦笑を零すしかない。答えずにいると、透はさらに言う。
「祖父さん、どういう手段を使ったんだ?俺が知らないハズの禍餓夜の情報が自然に浮かんできたり、何故かわからんがいきなり扱えるようになった因果律の構築力やら、祓い方っつーか、攻撃の仕方?が理解できたり。それからこれが一番疑問なんだが、どうやって実体を手に入れた?もう死んでるだろ?」
「因果律だよ。因果律という、世界の設計図の狂いが原因さ。世界は因果律で構成されているのは理解しただろう?因果律を扱えるようになったお前には、説明しなくても理解できるはずだ」
どこか含むような、アカツキの口調。確かに透には世界の仕組みが理解できる。リゼルと契約し、祖父によって封じられていたらしい能力が覚醒したことで、透の世界観は一変したから。
透が黙っていると、アカツキは、ふぅっと息を吐いた。零れていた苦笑はいつのまにか引っ込み、やけに真剣な表情をしている。
一度目を閉じると、語り出した。それは透のためというよりも、透の友人たちへの説明のようだった。
「創世神話を知っているか?遥か古の、神代の話だ。古事記よりも以前の、神が独りでいた頃の。」
「知りませんよ、そんなの。だいたい古事記ってただの御伽噺じゃないですか」
アカツキの言葉に、光輝が呆れたように言う。彼はそういう話を全く信じない人種だった。ずれてきた眼鏡を中指で押し上げ、さらに言う。
「僕、そう言う話嫌いなんですよ。」
だがアカツキは、つまらなそうに鼻を鳴らして言うだけだ。
「ふん、これだから科学教の信者は困る。高校生にもなって、神代の事を知らないとは。嘆かわしい事だ」
どこか年寄りじみた―年相応といえば年相応の―口調でぼやくアカツキに、すかさず現役高校生ズのツッコミが入る。
「「「「普通は知らないですから」」」」
「日本史か古典でやらんのか?」
「「「「やりませんよっ」」」」
ここでも息がぴったり合う高校生ズ。それに対し、アカツキは困惑したように言う。
「神代の話だぞ?どう言う教育を受けてきたんだ、お前たちは」
「「「「普通は教わらねぇよっっ!そっちがどんな教育だっっっ」」」」
そのまま喧々囂々と、アカツキVS現役高校生ズの言い合いが始まる。それを沈黙のままで見守っていた透は、リゼルを呼ぶ。
「リゼル」
するとすぐに、リゼルが透の前に現れる。
「話は終わったのか、主よ」
その質問に、透は表情を消した。黙ってやりあう友人たちを指し示し、リゼルに向かって優雅に微笑むと、きっぱり言った。
「黙らせろ。」
リゼルはチラッと集団を見、主の優雅過ぎて不思議と怖い微笑みを見ると、おもむろに指を鳴らす。パチンっと指が鳴った瞬間、友人たちの数だけ大鎌を持った黒いローブの人影―まさに死神の名にふさわしいだろう―が現われ、一人一人の喉もとを大鎌の切っ先が狙った。
「っ!」
一瞬で言い合いは終わった。リゼルは透を見やると、言う。
「これでいいか、主よ」
透はこの上なく優雅に微笑み、鷹揚にうなずく。皆の視線が自分に向いた事を確認すると、告げた。
「さて、話を戻す。神代の話はこの際どうでもいい。アカツキ。単刀直入に、要点だけをすっきりまとめて、簡潔かつ明瞭に話せ?」
最強無敵な微笑み。だが、その顔には『否やは許さん』と、はっきりきっぱり太く大きく書かれている。
アカツキは己の孫から一瞬だけ視線を逸らすと、この上なく簡潔に述べた。
「コンピューターに例えるとわかりやすい。因果律の構築能力を持つ者は、神が創った世界というコンピューターの、自己修正プログラムなのだよ。たまぁに禍餓夜みたいな悪質なウイルスやバグが発生することがある。それで透やワシみたいな退魔師が、ワクチンの役目を果たす、と。わかるか、諸君?」
すらっと嘯くアカツキに、緊急友人代表を拝命した九条鷹空が応じる。
「ええ、よくわかります。透に禍餓夜の情報がわかったのは、最新式のワクチンであったためですね。確かにセキュリティソフトは旧ウイルスへの抗体がありますから。アカツキさんが実体を持っているわけはなんなのでしょうか?」
鷹空の疑問に、アカツキは鎌の切っ先を見ないようにしながら答える。
「ふむ。それはバグによって旧データが復旧したためだな。もともとこの世界の設計図とも言える因果律には、本当に微かな狂いと言うか、歪みが在ってな。それが年月を経るごとに大きくなってきている。ぶっちゃけ、あと一歩で世界が崩壊する所まで来てたんだ」
あっさりと言い放ったアカツキに、恭一が声をあげる。
「ハアッ?!じゃああいつら倒しても世界は滅ぶってことじゃねえかっ」
だが、その言葉に対してアカツキは呆れたように言う。
「来てたって言ってるだろうが。過去形だ馬鹿者。人の話は最後まで聞かんか」
そう言って一つため息をつくと、続ける。
「来てたんだがな。ここへ実にタイミングよく禍餓夜が現れたんだよ。ワシに復讐したいがために、バグを創り上げてまで。バグってのは文字通り欠陥で、世界中の歪みを集大成させた存在なんだ。それがどういうことかわかるか」
アカツキがそう言ったとき、優貴が何かに気付いたようだ。
「!では、世界の歪みはなくなったということか?ここで奴らを倒せば、世界は歪みを解消し、存続すると?」
呟くような、囁くような声音。だが、それに対して透は言う。
「いや、正確には違うな。歪みは存在し続ける。元々狂いが在った設計図の上に成り立っている世界だから、歪みがなくなる事は有り得ない。だが、バグと禍餓夜を存在させることによって、世界の歪みは創世当初の大きさになっている。つまり、均衡が保たれているんだ。と言っても、さっきバグだけは潰したから、歪みは結局禍餓夜だけだが」
透の言葉に、一同は揃って沈黙する。その均衡がどんなものなのか、揃って予想がついたからである。
それはまるで、春先の薄氷の上に立っているかのような、とても危うい均衡だ。下手に動けば、その薄氷は間違いなく割れることだろう。そして、氷が割れる=世界の因果律の崩壊という公式が成り立つ。
「ってことは、もしかして」
つまり、自分たちの行動一つで、世界の命運が決まるということか。
鷹空はそう言いかけたが、言葉を途切れさせる。口にするのも畏れるかのように、アカツキの顔を見た。アカツキの顔には、否定の雰囲気がない。
空間に緊張が高まり、お互いがお互いの顔を見合う。世界に対する責任を負わされた、ということを今更ながら実感したのである。
限りなく緊張が高まった瞬間、死神を召喚したまま黙っていたリゼルが淡々と告げた。
死刑の宣告にも等しい、決定的な言葉を。
「世界の成り立ちを理解してもらったところで、報告が一つ。主よ、申しわけ無いが、禍餓夜に気づかれた。」
あまりにも淡々としていたので、透は一瞬反応し切れない。
「何だって?」
思わず聞き返した透に、リゼルは続ける。
「どうやら結界を破るつもりらしいな。おそらく3分以内に術は解けると思われるが、主よ、どうする?」
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リゼルの報告に、俺は深くため息をつく。確かに一時的とは言ったが、15分保っていないんじゃないだろうか。だが、イマサラ言っても仕方ない。俺はダルそうに指示する。
「如何するも何も、打って出るしかないだろう。ちなみにこっちから術を解いたら、結界を破ろうとしている禍餓夜の力はどうなるんだ?」
俺の質問に、アカツキが答える。
「反動で禍餓夜の力が大幅に殺がれるな。奴にとってはダメージにはなるが、それでも85パーセントくらいの力が残る。こっちの被害としては、リゼルがわずかに消耗する」
再び俺はため息をついた。
「じゃあ、破られるのを待ってたら?」
やはり、アカツキが平坦な口調で答える。
「リゼルの力が殺がれるな。結界に使われた力と、禍餓夜の結界破りの力と、結界破りに対抗する力が相殺されることになる」
アカツキの答えに、俺はわずかに考える。
リゼルの消耗が激しいのは、後者。リゼルが消耗するのは得策ではないから、選択肢はあってないようなもので、手段は決まっている。消耗を最小限にとどめるには。
だが、俺はどちらも選ばなかった。暴挙ではあるが、一つの方法を思いついたからだ。
「アカツキ。禍餓夜の力に干渉して支えろ。そのままそれで結界を破れば、リゼルに負担はかからない。できるよな?」
俺の提案に、アカツキは呆気に取られた顔をする。
「お前、簡単に言うけどな、あれ半端なく疲れるんだぞ?しかもリゼルに負担がかからなくても、ワシに負担がかかるだろう。お前、年寄りにそんな重労働を強いる気か?」
心から嫌そうな口調。だが、俺は静かな口調で告げる。
「その肉体なら問題ないでしょう。その実体年齢は、力が絶頂の時のはず。だいたい聖人とまで呼ばれたジジイのクセに、疲れるからって理由で拒否っていいと思っているんですか?」
俺は言外に、絶対してもらうと告げる。静かな、あまりに静か過ぎる口調で、真っ向からかつての祖父を見やる。しばし睨み合いが続き、先に折れたのは祖父のほう。
「ったく、今回限りだからな」
憮然とした祖父の口調に、俺は最上級の微笑みを持って答えた。
「感謝しますよ、アカツキ」
俺のその笑みを見て、アカツキは深いため息をついた。それから印を結び、口の中で真言を唱え始める。
俺はそれを見ると、今度は友人たちに向かって言う。
「つーことで、お前らどうする?ワクチンである俺は禍餓夜とこれからバトらなきゃならん訳だが、戦力外のお前らまで気ィまわす余裕がない」
俺の言葉に、友人たち4人はあからさまにムッとした様子だ。4人を代表するかのように鷹空が進み出て、言った。
「戦力外なのは認める。だが、どうしようもないだろう。俺たちは何も出来ないし、ここにいること自体が不思議なんだ」
淡々としているようだが、わずかに悔しさがにじみ出た口調。俺がなんとも答えられずにいると、リゼルが言った。
「我がなんとかしよう。禍餓夜の目的は、アカツキとその後継を滅ぼし、世界を崩壊させることだ。他の者たちには手を出すまい。アカツキも主も、片手間に相手が出来るような容易き相手ではないのだから。」
何でもないかのような、淡々としたリゼルの言葉。
俺は目を細めて、問うた。
「戦闘中にはリゼルがいないと困る。どうするつもりだ」
俺の言葉に、リゼルの口角がわずかに上がったようだ。どうやら笑ったらしい。珍しいこともあるものだ。
リゼルは答える。とてもあっさりと。
「我の宮殿にでも連れて行く。あそこは因果律とはかけ離れた世界だ。主が傍にいなくとも、彼らの存在が歪む事はあるまいよ。それに、我が城の中で彼らに手を出すものは居らぬ。我の主の知人なれば、手を出せるものなど存在せぬわ」
ふん、と鼻を鳴らして言う。俺は友人たちに問いかける。
「それで構わないか」
と。4人は顔を見合わせ、肩をすくめる。承諾ということだろう。俺はリゼルに向かって言った。
「任せる。だが、結界が破れる前に戻れ。出来るな」
すると、リゼルは懐から闇色の宝珠を取りだし、つぶやく。
「♑♐♓☯♄☫」
次の瞬間、その空間から、四人の姿が掻き消えた。どうやら転送してしまったようだ。
その素早さに驚きながら俺が口を開こうとしたとき、空間が軋み、境界が消えた。結界が破れたのである。まさに間一髪であった。
空間がつながる瞬間の衝撃の中で、俺は思わず膝をつく。やがて衝撃が止んだ時、眼前に禍餓夜が立っていた。顔に朱が上り、言葉を交わさなくとも激昂しているのが知れる。俺は即座に立ちあがり、アカツキに言った。
「アカツキ、俺は後ろに控えておく。お前がやられたら、後は俺が引き受けから、心置きなくやってくれ」
やけに真剣な瞳でそう告げると、あら不思議。アカツキの眉が90度ほどにはね上がった。だがしかし。俺は欠片ほども気にすることなく、宣言通りアカツキの後ろへ控えた。
今度は体がわなわなと震え出した。
「どうかしたのか、アカツキ?まさか、かつての敵との再戦を前に武者震いか?それとも震えが来るほどに俺に感謝を?俺は祖父の戦いを横取りするような、分をわきまえない孫じゃないから、全然気にすることはないぞ」
心優しい俺がそういうと、どこからかブチィッ!という音が聞こえた。次の瞬間、アカツキは俺に言葉(という名の罵声)のマシンガンを浴びせてくる。
「ざっけんなよクソ孫っ!誰が感謝するんだボケェっ!てめえ、年寄りをこき使う気か、オイ?!普通こういう時は貴様が祓うべきだろうが!仮にもこの俺様の孫である以上、祓えねえとは言わせねえぞ!しかもやられたらとかのたまいやがったなテメェ?!お前、この俺がやられるとでも思ってんのか?!」
祖父の言葉に、俺はふっと笑って返す。
「信じてるぜ、アカツキ。何せ俺は祓えねえからな。」
そして、俺は表情を一変させる。
「つかむしろ祓える方がおかしいんだよ!手段や術が思いついても、結局俺は退魔の術なんざ知らねぇんだ!それに比べててめえは、一応仮にも名前だけかもしれないが、聖人とまで呼ばれたんだろ?適材適所。あんたが祓うべきだろーが、クソジジイっ」
「クソジジイだァ?クソ孫、てめえ誰に向かって言ってやがる!しかも退魔の術は知らねえだと?ふざけるなよ、クソガキ。テメエには物心つく前から教えてきたはずだ。あらゆることをな。でなけりゃ、リゼルと契約できるわけねえんだよ」
「黙れ、元凶は全部テメエだろうが!!禍餓夜は祖父さんの時も現れたはずだ。そのときに後腐れ無く祓っておけば、今回の事件は起こらなかった!俺も平穏無事で暮らしてたんだよ!余計なことに巻きこみやがって」
俺はかなり本気で抗議する。だが、俺のもっともな抗議に、アカツキは鼻で笑う。
「はん!お前の平穏なんか知ったことか!」
しかも、そのあとにリゼルに視線をやりつつ続ける。同意を求めるように。
「しょうがねえだろ?なぁ、親愛なる魔王陛下?俺は封印だけで手一杯だったよな?」
その言葉に、リゼルは戸惑いながらうなずく。
「アカツキの言う通りだ、主よ。あの時のアカツキは因果律の再構築で力を費やし、を祓う余力などなかったからな」
相変わらず淡々としている。だが俺は、今の言葉に含むものを感じていた。
事実を告げているのに、それが総てではないような違和感。そして、過去のアカツキではなく、現在においての俺に期待し、その期待は裏切られないという確信。
俺はアカツキとリゼルと、交互に視線をやる。それに対する二人の反応は異なった。
アカツキはほれ見ろといった顔をし、リゼルはすっと目線をはずす。
それから二人は口を開く。
「な?俺には力が及ばなかったわけだ。それなのに、禍餓夜を祓えるわけがないだろ」
「その通りだ。いくら我でも、禍餓夜を相手にすることなど不可能だ。できそこないとはいえ、創造主たる力を持つ者と、主ほどの力量がないと従えられぬ魔王とはいえ、従える事が不可能ではない者と。獅子と猫だな。どう足掻いても猫が獅子に勝つなど有り得ぬ。同様に、我らは同じ魔という存在ではあるが、差があまりにも歴然としている」
といっても、主のように、アカツキを軽く凌駕する潜在能力を持つ者なら、祓うことは不可能ではないだろうが。
リゼルがぼそりと言う。その言葉に、俺のヒートしていた頭が一気に冷える。
俺は恐る恐る二人を見ながら、言った。
否定してくれることを、本気で願いつつ。
「あのさ…。今の言葉から察するに、俺なら祓える、というよりも俺でないと祓えない、みたいに聞こえるのだが…」
気のせいだよな…?
だが、二人は俺の否定して欲しいという願望を察しながら、重々しく答える。
「「その通りだ」」
「──────────────っ」
俺は再び頭を抱え、叫び出したい衝動にかられる。だが、そうやって忍耐との戦いを開始した俺に、言葉の冷水を浴びせられた。
禍餓夜という、創造主の出来損ないの敵に。
「話は済んだのか…?アカツキの後継…?」
その空間の温度が、一気に零下まで下がった。無論錯覚ではあるが、俺は硬直する。信じられない思いで、ゆっくりと禍餓夜を見た。禍餓夜の顔色は真っ白に変わり、表情がない。
禍餓夜は今、凄絶なまでに激昂していた。己を無視して三人で言葉を交わし、しかもその応酬の内容が禍餓夜の相手の押し付け合い。それが禍餓夜と対峙するのを恐れて、と言うことならばまだ良かったが、実際は面倒がって、である。まるで己が取るに足らない相手だと思われているようで、我慢がならなかった。
初めは冷笑さえ浮かべるほどに余裕綽綽としていたくせに、今では凄まじく激昂している。
雰囲気の豹変した禍餓夜に、俺の本能が警鐘を鳴らした。
本格的にマズイと感じた俺は、取り敢えずのらりくらりと言葉を返した。無論、それで禍餓夜をごまかせると思ったわけではない。わずかでも時間を稼ごうと思ったのだ。妙案が浮かぶまで。
「い…いや俺、本当にずぶの素人で。そんな俺が、アカツキと言う聖人の後継どころか、子孫を名乗ることもおこがましいくらいで。やっぱりここは大人しく、じい様の活躍でも見守ろうかなあ、なんて。ほら、禍餓夜だって封じられた相手と再戦したいっしょ?」
だが、そんな言葉を尽くした俺の説得に、禍餓夜は嗤う。白い貌で、凄絶に。
そして、言った。
「そのような気遣いなど、不要だ。貴様らの概念、まとめて自壊させてくれる」
わずかな時間稼ぎどころか、かえって即断即決させることを言ってしまったようだ。アカツキが、そしてリゼルが、揃ってため息をついた。だが、何も言わない。完全に、この場を俺に任せている。
ふざけんなよ…?
胸中で俺はつぶやく。確かに昔、あらゆる事を教えられた気がしないでもない。だが、何一つとして覚えていないのだ。リゼルの名前にしても、夢でリゼルと言葉を交わすまでは記憶の隅にもなかった。対峙し、初めて無意識に浮かんだ。
考えてみれば、禍餓夜のことにしても、つい数十分前までは知らなかったのだ。現場が、友人たちがどうなっているのかが心配でたまらず、探査の範囲を広げたとき、の声を聞き、敵がそれだと気付いた。
そこまで思考を進めたとき、俺は俺自身に疑問を抱いた。
探索の範囲を広げる。
なぜ俺にそんなことが出来る?知らないはずなのに、知っている。
考えに考え、俺は一つのことに気付いた。
違和感があるのだ。自身の記憶に。確かに祖父に習った記憶はあるが、習った内容を、祖父と交わした会話を、何一つとして覚えていない。まるで何かが記憶を覆い隠しているように、判然としない。
そう気付いた時、俺はアカツキの元に向かう。もはや禍餓夜のことは二の次であった。今は、確かめることが先だった。己の記憶に、アカツキが何をしたのか。
俺はアカツキのすぐそばまで行くと、おもむろにアカツキの襟首を引っ掴む。そして、低い声で訊ねた。
「おいジジイ…。貴様、俺の記憶に何しやがった…?」
俺の本気で凄む様子に、アカツキはすっと目をそらし、答えない。
俺はぐっと力をこめる。
「ジジイ…?」
だが、変わらずあさっての方を向いたままで、答えようとしない。
低ぅく、俺はリゼルの名を口に上らせる。
「リゼル…。このジジイの実体を…」
言いかけたとき、慌てたようにアカツキは言う。
「ま、待てっ。落ち着けっ。俺はお前が必要になるまで記憶を封印しただけだっ」
その言葉に、俺はさらに低い声で、言う。
「何を考えてんだ、ジジイ…?」
その声音に、アカツキは何を感じたのか、締め上げられたまま言う。
「解く、今すぐその封印を解くっっ」
そういうと、俺の返答も待たず、指を3度ばかり鳴らす。
すると、俺の脳裏に奔流が生じる。それは古い順に、在るべき場所に辿り着くようで、ジグソーパズルのピースのように、俺の記憶に馴染んでゆく。
最後の一ピースがはまったらしい。
俺の感じた違和感は、綺麗さっぱり無くなっていた。
アカツキを放し、俺は瞬きを一つ。
思い出してみると、俺は実に様々なことをアカツキに習っていた。
簡単なおまじないのようなものから、本格的な護身法、退魔法など、数えれば優に百は超えている。よく覚えられたものだ。
俺は自分に感心しながら、一つの呪法を記憶から取り出す。禍餓夜を祓うのに、有効な呪法だ。はっきり言って、これが効かなかったら禍餓夜を倒す手段はないだろう。
無意識の内に、俺はその呪法を頭の中で反芻し、ぼやく。
「やっぱり、俺なんだろうなあ…」
さっきの会話の流れから察するに、アカツキは結局、力が及ばなかったということなのだろう。リゼルの力を借りて、やっと封印ができた。だが封印がそう長く保たないと言うことはわかりきっていたものだから、孫たる俺に呪法を叩きこんだ。
つまり、俺がここにいるのは偶然でも何でもないと言うことか。
気分が悪い。初めからアカツキの手の上で踊っていただけということが、最高にムカつく。しかも、それに気付きながらも踊り続けるしか術がない。
それらの事実が、静かに俺を苛立たせていた。
アカツキを見ると、奴はただ肩を竦めた。
リゼルに視線をやると、こちらは命令があるまで動かないつもりらしく、黙って見つめ返してくるだけ。その瞳は『どうするのか』と問うているようにも見える。
どうやら二人とも、こちらの心理状況は把握しているようだ。その上で、俺に総てを一任するらしい。
ムカつく。
俺の思考はそれに尽きる。
俺が日常を喪う原因となったのは、禍餓夜が余計なことをした所為だし、俺がこの場で禍餓夜と戦うはめになったのは、アカツキが滅ぼしきらなかった所為だ。
つまり、俺がこの場に立つ結果を導き出す公式に、俺の意志という定数項は含まれていないわけで、総ては俺以外のものの所為ということだ。
静かに激昂する禍餓夜を見ると、俺の思考はいっそうその一点のみに集中して行く。
気に入らない。
何もかもを背負わされていることが。
俺の意志が介入する隙もないことが。
何よりも、背負わざるを得ない状況に、背負わざるを得ない立場に立たされていることが。
この苛立ちをどこにぶつけるべきかはわかっている。
ぶつける為の手段も能力も、自分が当たり前に手にしている。
だからこそ、この衝動は必然なのかもしれない。
俺の思考をただ一つの考えが支配した。
『滅ぼしてやる』
俺はその衝動に、身を委ねる。
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今考えても、なぜあそこまで強烈に、滅ぼそうと思ったのかはわからない。
そして、それは俺が心から望んだことであるのか、と問われても、俺は確信を持って答えられない。あのときの俺の意識は、あまりにも曖昧模糊としていて、つかみ所が無かったがゆえに。
あえて言うなら、俺の意識は酩酊状態にあったということか。だが、俺がそうと意識する前に、声が聞こえた気がしたのだ。
『我の力を与えよう。
知識と、千里眼と、神通力をそなたに。
ただし、ただでは与えぬ。
その身を我の憑坐となせ。
それを以って対価とす』
その提案になんと答えたかは、今ここで記する必要はないだろう。
結果はすでに出てしまったのだから。
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そこから先の俺の記憶は、断片的なパズルのピースだ。
今日中に全部UPできそうです。