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胡蝶の夢  作者: 雪村 月華
2/6

1st dream 出会いという始まり

本編開始。


 夜道を急いでいる少年がいた。何かに追われているかのように、必死で走っていた。

 宙に浮かぶ黒い影に、気付きもしないで。

 少年はただ、走っている。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「塾で居眠りするなんて、最悪だ」

 俺―浅木透―は嘆息しながら、夜道を急いでいた。すでに日付は変わっている。

 塾で居眠りしたために残されてしまったのだ。それは自分の落ち度だから仕方ない。

 だが。

「いくらなんでも、一時間の説教はないじゃないか」

 居眠りした授業の補習も受けなければならなかったのに。

 説教のせいで補習には遅れるし、居眠りした上に補習に遅刻するとは何事だと、課題もどっさりと出された。

「補習に遅れたのは、俺のせいじゃないのに…」

 あんまりだ。たかだか十五分の居眠りにあの課題では、割に合わない。

 ぼやきながら、俺は走りつづけている。

 早く帰らなくては。

 そう思いながらも、俺はふと立ち止まる。深い意味もなく、夜空を仰いだ。

 なぜあのとき、ふと立ち止まって夜空を仰ぐ気になったのかは、今でもよく判らない。確かなのは、俺が立ち止まって夜空を仰いでしまったということ。このとき夜空を見上げなければ、未来は変わったものになっていたかもしれない。

 月が、とても美しく輝いていた。

「綺麗な月夜だ…」

 本来ならそこで感じ入るのだろう。だが、俺は感じ入るよりも悪寒がした。とても美しい見事な月夜なのに、なぜか禍々しい美しさだと感じたのだ。

 あるいは、それは予感のようなものだったかもしれないけれど。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ほう。おもしろいぞ、あの子ども」

 宙に浮かんだ黒い影が、愉しげにつぶやいた。彼の者の名はリゼル=サトゥルヌス。人間とは異なる種族、悪魔族の青年だ。

 リゼルは月の通い路を通って来たばかりだった。

「ヒトにはわからぬはずなのに…」

 常と異なる、美しい月夜を見分けていた。

 禍つ月夜の、わずかな差異を。

 かつての憎き聖職者(スメラギ アカツキ)の血に連なる者、それも退魔の才に長けた者のみが気付くようにしてあったのだ。

 それなのにあの子どもは気付いた。だが、こちらの存在に気付いていない以上、退魔の才に恵まれているとも思えない。

「隠術が甘かったか…?」

 リゼルは少年を見つめる。

 そこに皇の面影を見出し、容貌が重なった。アカツキの血を引いているらしい。

 あふれる障気を抑えようともせず、リゼルは観察を続ける。だが、それでも少年は気付かない。


『潜在的な才能はあるようだが、退魔の才に目覚めてはいない』


 どこからか囁きが聞こえる。

 だがリゼルは何故か、不審を抱かない。


『堕としてしまえ。

 永劫に光の存在しない、牢獄(絶望)へ。

 アカツキの流れを汲む者を。

 裏切りの代価を得るがいい』


 囁きは続ける。抗いがたい声音で。

 どう考えても、リゼルの思考では有り得ないのに。

 だが、リゼルは気付かない。

 異世界において、彼の存在は不安定であるが故に。


 リゼルは酷薄な笑みを浮かべ、我知れずつぶやく。

「裏切りの代価を…」

 滅びろ。アカツキの流れを汲む者よ…っ。


「あはははははは!」

 狂気の混ざった哄笑が、夜空に響き渡る。

 青年は気付かない。

 己が囁きに操られていることを。


 美しい月は、青年の上で静かにたたずんでいた。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


『アカツキ…っ。俺はお前を許さない…っ』

 深い絶望と怒り、深い深い悲しみ。

 泣いているわけではない。だが俺には彼がいているように思えた。

『君ハ誰…?』

 相手には聞こえない。だが、答えは必要なかった。

 心のどこかで答えを知っていたから。

 彼の者の名は…。


「浅木!浅木透!起きないか!」

 教師の怒号と共に、頭に衝撃が走った。俺は思わず立ちあがると、慌てて辺りを見まわした。頭の衝撃と驚愕で、状況が把握できなかった。

 目の前には数学教師が立っていて、辺りはクラスメイトたちの笑い声であふれている。目を白黒させていると、数学教師は呆れたように言ってくる。

「浅木。確かにお前は成績優秀だがな…。ここ一週間、ほぼ毎日居眠りはないだろ」

「う…。すみません…」

 状況を把握した俺は真っ赤になりながら謝る。

 また夢を見ていた。しかもここ連日の居眠りの原因と言える、夢。かろうじてわかるのは、アカツキという人物である。亡くなった母方の祖父がそんな名前だった。だが、もう一人の方は。この世の者とは思えないほどの美貌を持っていた青年。彼は知らない。わからない。

 いや、知っている?わからない。知らない。

 俺は?では誰が知っているんだ?

「…木。浅木!」

 はっとして顔を上げる。そこには完全に呆れかえった数学教師。

「また寝てたのか、お前は?立ったまま寝るとは器用な奴だな」

 クラス中が笑いであふれた。そこへちょうどチャイムが鳴り響く。

「お、もう終わりか。仕方ない。浅木、お前は昼休みに職員室まで来るように」

 数学教師はそう言うと教卓のところへ戻って告げた。

「終わるぞ。号令」

 クラス委員が号令をかけ、授業が終わる。教師が出て行くと、教室が一気に騒がしくなった。

 俺の周りに、数人の友人が集まってくる。

「おいおい、何やってんだぁ?透」

「また例の夢でも見てたのか?」

「例の夢?なんだ、それ?」

「このところ毎晩見るらしいぞ?透の祖父と変な男が出てくる夢」

「へえ?けど爺と男の夢なんて嫌な夢だな。初耳ィ」

「別に話さなきゃなんないモンじゃない。いいから、散れ。思い出して楽しい出来事でもねえ」

 てんで勝手なことを話している友人たちに向かって、俺は腹立ちまぎれに言った。だが不機嫌度一二〇パーセントの俺を、友人たちは一向に気にする様子もない。

「まあそう言うなって」

「俺たちは楽しかったぞ」

 きっぱりと言い放たれた。脱力する。

 最悪としか言いようがない。あの夢のせいで、寝たはずなのに寝た気がしないのだ。おかげで授業中に居眠りは当たり前だし、担当教師陣には目の敵にされてきている。

「ったく、最悪だぜ。何とかしねえと、でヤバいな」

 誰ともなくつぶやく。するとそのつぶやきを聞きつけたらしく、友人の一人が言ってきた。

「気にするな。俺はいつも寝てるからな」

 ちなみに仲間内で最も成績が悪い奴のセリフだ。

「お前に慰められても嬉しくねぇよ!」

 そのままぎゃあぎゃあやりだす。もちろん本気ではない。こういった騒ぎは日常茶飯事なので、誰一人として気付かない。

 夢の一部は実際にあった出来事だと。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 あたりは靄で覆われていた。いつもの夢だと、直感で悟る。だが、何かが違う。夢だと理解しているはずなのに、何故か現実感がある。

 今までは映画のワンシーンでも見ているようだったが、今回は当事者としてその場にいる感覚なのだ。

 わけもわからず、俺はその場に立ち尽くしていた。

 誰かが近づいてくる気配がある。だが、方角はわからない。

 唐突に背後に気配が現れる。とっさに俺は振り向いた。

 そこにいたのは、夢に出てきた青年。

 頭が真っ白になり、思考が停止する。


『彼の者の名は…』

 頭に声が響く。聞いたことのある声だが、誰だかはわからない。

『透。わしの秘密を教えてやろう。これは透を助けてくれる』

 だから、名を呼べ。その瞳を曇らせぬように、心に秘めておくといい。彼の者は契約のもと、透に生涯仕えるだろう。

『いいか、透。彼の者の名は』


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「リゼル=ベリウェール=サトゥルヌス」

 知らず知らずの内に、少年の口から言葉がこぼれている。

 それは、名前。真名と呼ばれる、その名の持ち主の総てを支配する言葉。

 その名がつむぎだされた瞬間。

 それは、リゼルの存在がこの世界において確立された瞬間であった。

 リゼルの目が驚愕に見開かれ、嫌悪に歪められる。

 だがその表情とは異なり、彼は膝をつく。剣呑な雰囲気をまとったまま、朗々とした声が告げる。

「契約は結ばれた、我が主よ」

 少年はそれに呆然と見入っている。

 どこからか囁きが聞こえた気がした。

『存在が確立した…?仕損じたか…』


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 俺は眼前の青年―リゼルという名前らしい―の態度を見て思い出した。あれは祖父の声だ。祖父は退魔師で、いわゆる聖人の一人として数えられていた。

 もっとも、聖人と呼ばれながらも完全に独立し、術にも様々なものが組み込まれていたのだが。


 いつだったか、祖父が言っていたのだ。俺には退魔の才があると。

 俺は幼くて、その時は意味がわからなかった。聞いたけれども、時が来ればわかると、教えてくれなかった。

 代わりに教えてくれたのは、祖父が契約した守護者の存在と、名前。そして、名前は一番短い呪であり、縛りだということだった。

 今の今まで、忘れていたけれど。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 リゼルは予想外の事態に苛立っていた。契約者のアカツキが死んでいる今、彼が仕えなければならない相手はいない。己の望むままに動き回れるハズ、だった。だが。

 まさか真名を掌握されているとは思わなかった。


『名前は一番短い呪』


 そういったのはアカツキだ。かつては己の朋友であった、稀代の退魔師。


 今までベリウェールという真名を掌握できた者は、アカツキ以外にいなかった。それだけの力量を持った者は存在しなかったから。

 リゼルの真名は、それだけの力を秘めている。


 だが、この子どもは。

 今、目の前にいる子どもは。

 いとも容易く、リゼルの真名を掌握してしまった。

 この子どもは、かつてのアカツキに匹敵するか、あるいは。

 あるいはそれ以上の器だと、そう言うことであるのか。


『アカツキの後継』

 そんな言葉が、ふっと浮かぶ。アカツキが、いつか語っていた。

 目の前の少年を、己の後継だと。

 だが、それでも契約は不本意だった。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 少年は呆然と立ち尽くし、青年は黙然と頭を垂れている。

 少年と青年と、二人の時間が止まったようだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 しばらく沈黙が続き、先に口を開いたのは俺だった。

「主…って、俺のこと?」

 我ながら間の抜けた質問といわざるを得ない。リゼルは頭を垂れたまま、肯定する。

「いかにも。主は先ほど我が名を言の葉に乗せた。すなわち我が名は掌握され、主と契約が成立したということ。契約は主が死したときのみ、解消される。これより後、我は主と共に在り、我の総てで主に仕える」

 俺はコメントに困り、頭を掻きながら口ごもる。

「ええっと…」

 現状理解についていけず、思考はいたずらに空転する。

 これは夢だよな?俺の見ている夢だよな?

 確かに俺はリゼル=ベリウェール=サトゥルヌスとか言った気がしないでもないが、契約って双方合意の上で成立するものじゃないか?

 しかも主?総てで俺に仕える?明らかに年上でアカツキを本気で恨んでるっぽいのに、そのアカツキの孫の俺に?

 つか、男に仕えられても嬉しくねぇよ。大体なんで祖父に仕えてた時と同じくらいの年齢?普通は年取るだろ?


 ・・・・・・。


 わけがわからないので、取り敢えず仕える云々は置いておこう。

 相手がどんな存在かも気になるわけだし。

「リゼルだっけ?そもそもあんたっていったい何?」

 単刀直入に聞く。

 年が変わらないのは夢の中であるせいかもしれないが、どうにも人とは思えない。と言うよりも人だったら嫌だ。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「そもそもあんたっていったい何?」

 眼前の少年の問いに、リゼルは肩を震わせる。

 屈辱であった。己がどのような存在かも知らぬ主に、己の真名を掌握されてしまったことが。魔王たる己の存在を、あっさりと掌握されてしまったことが、たまらなく屈辱であったのだ。

「我は…」

 だが、契約が成立した以上、主の命に逆らうことはできない。拒絶したいのを全力で抑え、答えようとしたとき、少年が言った。

「答える前に、頭を上げて立ってくれ。」

 主の前で頭を上げる、あるいは立つと言うことは、本来なら許されることではない。

 だが、主がそう望むなら従わざるを得なかった。

 リゼルは立ちあがり、正面から少年の目を見る。

 少年の肩が、びくりと震えたようだ。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 リゼルが立ちあがり、真っ向から見られたとき、俺は戦慄を覚えた。

 なんだ、こいつの瞳は。

 まるで荒れ狂う奔流が、混沌と共に存在しているかのような。

 リゼルの顔にふっと笑みが浮かぶ。少しの温かみも無い笑み。頬がこわばるのがわかった。リゼルが口を開く。この上なく冷え冷えとしており、ロシアの永久凍土のほうが暖かいのでは、と思えるほどの声音だった。

「主よ、我が恐ろしいか?」

 リゼルの嗤いを含んだ問いに、俺は意地で首を振った。だが、リゼルは取り合わない。

「主よ、それは恥じることではない。ヒトとは得てしてそういうもの。ヒトは、ヒトと異なる存在を、嫌悪する」

 だが、俺は黙っている。言葉を発するのが恐ろしかったのだ。

「主よ、そう怯えることはない。我は契約に従い、主に仕えることになるのだ。害を成すことなど、できはせぬ」

 淡々と告げる。だが、その淡々とした口調がいっそう恐怖に拍車をかけた。それでも意地で、口を開く。

「お前は、何だ」

「我はサタン。七大魔王が一人で悪魔族の頂点に立つ者。最も高き場所に座する者」


 その答えに、俺の思考は完全に停止する。


「ま…おう…?」


 脳が、理解を、拒絶した。


 だが、確かにすべての歯車が回りだした瞬間であった。

 かくして俺の平穏な人生はここで幕を下ろし、以後は波瀾万丈の人生を送ることを余儀なくされる。

 この時点では、俺は気付いていなかった。

 それが幸か不幸かは、わからないけれど。

わりと急展開&ご都合主義が続きます。

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