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episode.A 誘拐

 

言われた言葉の意味がまだよく分からないのに、涙が溢れそうになった。


真っ白になったというのは感覚的なものだったらしく、脳は活動をより鮮明にしていった。瑞希の言った言葉の意味がどんなものか、全ての通りが一瞬で浮かぶほどに。


「それって見つからないって話かよ! まさか誘拐とか……デパートに行ったんなら呼び出しとかもしたんだろう? 何で帰ってきたんだよ! まだデパートに――」

「違うの! 公園なのよ……公園で、近くにいた怪しいあの女にたぶん……」

 

声が出なくなって思考は停止して、瑞希を抱きしめている力もなくなって、起こした上体がもう一度床に落ちた。

 

しかし、仰向けになって天井を見ていたのは瞬くほどの時間だけだった。即座に立ち上がると、リビングの扉も玄関の扉も開け放って外に出て公園へと走った。

 

項垂れてどうする。泣いていてどうする。落ち込んでいてどうなる。

 

諦めるな。諦めるな。諦めるな!

 

瑞希はたぶんと言った。誘拐じゃない可能性はまだある。

 

希望を信じて全力で走った。足がちぎれそうにもなったが、止まることなく走った。

 

この近くにある公園といえば○○公園ぐらいだ。広さは普通より大きいが遊具は簡単な作りのものが二、三個置いてあるだけで、子供たちがサッカーや野球出来るようにと作られている。

要するに、広くて迷子などにはなりやすいが見通しが良く誘拐には向かない場所な訳だ。

 

もし本当に誘拐だったなら何で犯人はあの公園を選んだのか。疑問が消えないままあっという間に公園に着いた。


隅から隅まで公園を捜し回る。声を出して名前を呼び、近くの人に話しかけては目撃情報を集める。

そんな行動をどれだけの時間どれだけの回数繰り返しただろう。気が付くと辺りは月と星と街灯だけの光しかなく、公園には一人として人はいなくなっていた。


とぼとぼとあまりスピードのない歩みで来た道を引き返す。その最中で普通なら一番に浮かぶその言葉を思い出した。


「捜索願……」

 

ボソッと口から漏れると急いでポケットの中に手を入れる。だがそこに携帯はなく、自分が何も持たずに家を飛び出したことを今さら後悔した。

 

歩みは次第に速くなっていき、信号を渡って家に向かう最後の曲がり角を曲がった時には、公園に向かった時と同じほどの速さで走っていた。


「瑞希!」

 

雛が帰ってきていることを少なからず期待していた。帰ってきていて、なに食わぬ顔で「ママが迷子になったの」とか言ってくるんじゃないかという想像というか……妄想をしていたのだが、そんな甘いことはなかった。

 

鍵が掛かっていない玄関の扉を目一杯開ける。間違いなく家のどこにいても聞こえるほどの大きさで名前を呼んだのに、返答がなかった時点で分かってはいたが、どんなに家の中を捜しても、リビングにも他のどの部屋にも瑞希の姿はなかった。


頭に黒い文字で浮かび上がる「どこに行ったのか」というそれを修正ペンで無理矢理白く塗り潰すと、机の上に置かれた携帯と家の鍵を持って再び外へ出た。


もしかしたら瑞希も警察に向かったのかもしれない。普通なら電話をかけるだろうが、家からそう遠くないところに交番があるから、きっとそこへ向かったのだ。


そう決めつけると、公園とは逆方向にある交番に向けて自分も歩き出す。細めの路地を抜けると車の通りが激しい交差点に出た。


その車の多さとそこが小学校への通学路だからということで作られた交番は、交差点を渡るとすぐ右手にある。落ち着きのない動きをしながら信号が青になるのを待っていると後ろから肩を叩かれた。


「かっちゃん」

 

明らかに聞き覚えのある声と呼び方に身体ごと後ろを振り返るとそこには、交番にいると思っていた瑞希が見知らぬ男と二人で立っていた。


「誰?」

「山口光介だ」

 

訊ねたのは瑞希にだったのだが、目線を男に向けていたせいか男は自分で名前を返してきた。


「だから誰だよ」と別に名前が知りたかったんじゃないという怒りが口から出そうになったが、瑞希の言葉がそれを止めた。


「彼、探偵なのよ」

「探偵?」

 

引っ込めた言葉に変わって驚きが口から出る。男は軽く頭を下げた。


「今、警察に行こうと思ってたんだけど」

「ダメよかっちゃん。誘拐事件なんて警察に言ったら、雛を助けることより犯人を捕まえることに協力させられるわよ」

「そうだぜ南野さん。こういう時警察に通報なんてのはドラマの世界だけだ」


二人に説得され結局、交番に行くのを止めて三人で道を引き返す。家に帰ると、これで良かったのかと半信半疑な僕を他所に瑞希は、雛が誘拐された時の状況を話し始めた。


「誕生日プレゼントを買いに家を出たんですが、雛が途中にあった公園で、遊びたいと言うんで、ちょっとだけよと公園に寄ったんです」

 

山口さんは小さく頷きながら聞いていた。目を瞑って、頭の中で情景を描いているようにも思える。


「雛が砂場で遊んでいるところまでは見てました。その後、知り合いの人がいたので少し世間話をしたんです。で、その人と別れた後もう一度雛の方を見ると、雛に話しかけている女の人がいて、嫌な予感がして近くに行こうとしたら、そのまま雛を連れて車に乗っていなくなったんです」

 

瑞希がさっき僕に、たぶんと言ったのは言葉の綾だったのだろう。雛は確実に誘拐されていたようだった。

 

目の前で我が子を誘拐された瑞希の気持ちは、どんなだったのだろうか。生々しい話の中で今さら瑞希の心配を始めた。


「女が犯人ですか?」

「そうです。あの女が雛を……」


僕は瑞希に近づいてそっと頭を撫でるが、瑞希の涙はどんどん多くなっていって止まらなかった。


きっと雛も今、家に帰りたくて泣いているんじゃないかと思うと、胸はどんどん締め付けられていった。


「身代金の要求などは?」

 

山口さんがそう口にするのが合図だったように、家の電話が突然鳴り響いた。

 

残響で五月蝿くなっていくコール音とは裏腹に、僕を入れた三人は何一つ言葉を出せず、静かに電話を見ていた。

 

八回目のコール音がした直後に留守番電話のアナウンスが流れ始める。機械的な女の人の声が止むと、ピーという発信音が耳鳴りのように頭に響いた。


「オマエラノムスメハアズカッタ。カエシテホシケレバアシタノジュウゴジマデニ、サンビャクマンヨウイシロ。ヨウイシタカネハバックニツメテ、ムスメヲユウカイシタバショマデモッテコイ。モッテコナケレバムスメノイノチハナイ」

 

男の声か女の声かも分からないように変調された気味の悪い声が、要件だけを告げてプツっと切れた。

 

テレビで見るドラマや本当にあった事件というような番組とは異質の恐怖を感じたのは、偏に他人事ではなかったからなのだろう。

 

気付いた時には寒くもないのに鳥肌が立っていて、想像などしたくもないのに頭の中では最悪のケースばかりが、壊れたカセットテープのように繰り返されていた。

 

時間が過ぎていき、重たくて開けることの出来なかった口をやっと開けられたのは、電話があってから一時間も後だった。


「金はなんとかなる金額だし明日は仕事も休みだ。僕が持っていく」

 

僕という主語を使いながらも、二人に有無を言わさないよう威圧的に話した。

 

瑞希は頷いたが、山口さんは何かを考え込んでいるようで、電話を凝視したまま何一つ言動をしなかった。

 

もしかしたら犯人のことで何か分かったことがあるのかもしれない。または、探偵といってもとどのつまり誘拐など他人事で、全く違うことを考えているのかもしれない。


どっちなのかは分からないが、ただ確かなのは、その真意を冷静に見極めていられる余裕など今の僕にはないということだけだ。


再び静寂がリビングを包んだが、瑞希は急にいつもの生活に戻ったように座っていたソファから立ち上がって言った。


「もう寝ましょう」

 

驚愕して瑞希を見つめたが、すぐに視線を戻した。それは同意を意味していた。


犯人からの電話がもう一度ないとは言い切れないのは分かっていたのに、何故か瑞希がした提案に逆らうことは出来なかった。疲れていたこともあってか、明日になって三百万を払えば雛は帰ってくるという、そんな絶対性のない考えに身を委ねてしまったのだ。

 

もう遅いからとリビングに客人用の布団を敷くと、山口さんにはそこで寝てもらった。

 

瑞希と一緒に階段を上がり寝室に入って毛布に包まると、意図的にギュッと目を閉じる。


「今日のことが全部夢だったらいいのに」そんなことを思いながら夢の中へ落ちていった。

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