episode.A 告白
毎日更新するつもりだったのに、一日更新し忘れたので、今日は、二話連続で更新します。
西田との待ち合わせまで後一時間。ゆっくり歩いたとしても二十分ほどで駅には着いてしまうし、かといってこの辺りにはもう行きたい場所はない。
僕はほとほと困っていた。
とりあえず駅に向かって、途中で道を変えたあの公園のところまで道を引き返してみる。
陽の光が当たる道を戻っていると、来たときは白い色をしていたコンクリートがオレンジ色の服に着替えていた。
オシャレだな、なんて感想を持ちながら、今度はそこを右に曲がった。
公園の近くに来ても、機械的に繰り返されていたセミの声はもうだいぶ収まっていて、むしろ静けささえ感じられた。
公園の木々が視認出来る位置まで戻ってきて、公園の異変に気付く。思わず走って近づいた。
公園出入り口の正面に立って中を見渡す。前に通った時との相違点は二つで、先に思ったのは提灯の方だった。
赤、青、黄といった色とりどりの提灯が、沈んでいく太陽の代わりを務めるべく少しずつ明るさを強めていく。そんな提灯が公園の木々を使って巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
次に目がいったのは、わたがしやたこ焼き、じゃがバターや射的といった定番の屋台だった。
たこ焼きならたこや生地の素、じゃがバターならじゃがいもやバターといった、それぞれの店がそれぞれの店に必要なものを揃えている最中のようで、何かとバタバタしていた。
ここで何の準備をしているのか、頭の中では既に答えは出ていた。
「お祭りだ!」
自分で自分の顔は見られないが、きっと嬉しそうな顔で僕は口を開いていただろう。
子供の頃からお祭りは大好きだった。騒がしいのが嫌いな僕だったが、お祭りで流れている大音量の音楽は、人のわちゃわちゃとした声やましてはセミの声とは訳が違って、自然と心が躍ってしまう愉快な音だったのだ。
お祭りと言えば子供の頃は、手を伸ばしても届かないあの提灯を雲のように感じていた事もあった。と言っても、こうして大人になった今なら提灯には簡単に手が届くのに、雲には一向に届かないのだから、やっぱり子供が似ていると思うものなんて似て非なるものなのかもしれない。
子供の頃のお祭りで思い出すのはもう一つ、祖母の手を引きながら自分でわたがしが作れる屋台へ走っていった思い出だ。
子供の頃、父が運転する車に母と一緒に乗って田舎の祖母の家に里帰りする日と、その田舎でやっているお祭りの日にちが、いつも重なっていた。
だから祖母は、はしゃぐ僕を連れて毎年お祭りに足を運んでくれていたのだ。
今考えれば、砂糖を綿状にしただけの食べ物の何がそんなに魅力的だったのか自分でもよく分からないが、それでも当時は、ベトベトの手に割り箸を握り締めて満面の笑みで、自分で作ったそれを頬張っていた。
懐かしい思い出に浸っていると時刻は十九時に近づいていた。そこであることを思いつく。
携帯を取り出して西田に電話する。本当は彼女のところに食べに行こうと思っていたのだが、お祭りの屋台を回って夕食にするのもいいかもしれない。
「西田? やっぱり駅じゃなくて○○公園に出来るだけ早く来られない?」
「○○公園? あぁ、今日祭りをやってるとかいうあの公園か。いいよ別に」
幸い西田はこの近くに住んでいてお祭りのことも知っていたし、時間も早くしてくれるようだった。
「なんだ? 祭りで一緒に飯食うのか?」
「いや、一緒に食べるかはまだわかんない」
「またそれか。もういいよそれ」
電話越しに西田の苦笑いが見える。
「じゃあできるだけ早くね」
「はいはい」
電話を切って公園の中に入る。周りにいた人の話によるとどうやらお祭りは七時かららしく、屋台はまだ準備中で西田が来るよりも先に始まりそうな様子はなく、先に少し楽しむといったことはできそうになかった。
どうしたものかと悩みながら暇を持て余していると、後ろから声が聞こえた。
「あのぉ、すいません」
「えっ?」
驚きの声を出した。その声があまりにも彼女の声に似ていたから。でも、そんなことはあり得ない。ここにいる訳がない。そう思って振り返った。
そこにいたのは、浴衣姿の彼女だった。
今この場所に彼女がいる訳がない。そう思っていたのに、否定していたはずなのに、彼女の姿を見て瞬間的に思ったことは「やっぱり」だった。
「あなたはあのファミレスの……」
「えっ? 覚えていてくださったんですか?」
その返答にまた驚く。「覚えていてくれたのか」なんて言葉が出るということは彼女もまた、僕のことを覚えていてくれたという証拠だから。
「えぇ。でも何でここに?」
言った後ですぐに我ながらアホな質問をしたなと後悔した。お祭りに浴衣を着て来ているのだから、遊びに来た以外にないだろう。
「仕事が終わったのでその……お祭りに」
「で、ですよねー」
自分で聞いたくせに当たり前の返答を適当な言葉で終わらせて、僕は彼女の浴衣姿に改めて見惚れていた。
いきなり現れた彼女に動揺してしっかりと見られていなかったが、こうして見ると、鬼に金棒に変えて美人に浴衣という無敵を意味する諺すら作りたいほど、その姿は美しさの塊だった。
普通、浴衣を女性が着るとその浴衣の美しさからまるで、浴衣が主役であるかのようになって女性の方が負けてしまいがちである。
しかし彼女は、千変万化の色彩を見せる花々が散りばめられた魅力的な浴衣に有無を言わせない、完璧なまでの主役であった。
これからこの場に花火まで上がろうとも、彼女の前にはきっとそれすら脇役に追いやられてしまうのだろう。
「好きです」あまりの美しさに口をついてそんな言葉が出そうになる。慌てて飲み込んでいると彼女は話を進めた。
「でもまさか私のことを覚えていてくださったなんて嬉しいです」
「こちらこそ僕なんかのことを覚えていてくれたなんてビックリです」
上っ面だけの会話が続く。僕はなんとか、この場に合っていてその上彼女の心に残る好きに変わるそんな魔法の言葉を探していた。
「私、記憶力ない人間なんで自分でもビックリです」
「そうなんですか? 頭良さそうに見えますけど……僕は割と記憶力いい方なんですよー」
「本当ですか?」
その時、食い気味に入ってきた彼女の言葉で空気が変わった。
「えぇ。僕A型なんでいい方だと……」
変わった空気は恐ろしいようなものではなく、どことなく緊張を含んでいるようだった。彼女の緊張を。
「じゃあ、仲島瑞希二十八歳、電話番号は090……」
「えっ?」
裏返った、気持ちの悪い高い声を出す。
「それ、私の名前と歳と電話番号なので良かったら覚えてください」
その時、時が止まった。
正確には、止まったのは僕の時間だけ。つまり、僕が探していた魔法の言葉それは彼女も探してくれていた言葉だった訳で、彼女はそれを僕より先に見つけた。その結果、その魔法は僕の時を止めたのだ。
どれほど僕の時間は止まっていただろう。
一秒にも一時間にも感じられた。
まだ、心臓の鼓動が五月蝿い。脳が正常に働いていないような初めての感覚に襲われる。それでも少しは冷静になって再び時が動き出すと、さっき飲み込んだはずのあいつが体の中を逆流してきて、今度は堪えきれずに口から顔を出した。
「好きです」
驚きの表情のまま、今度は彼女の時が止まったようだった。