episode.B 真犯人
「お邪魔します」
扉を開けてすぐに目が合った梨花のお母さんに挨拶をする。下げた頭を上げると梨花のお母さんはにこやかに笑っていた。
梨花がさっき、私が今日家に泊まりたがっていると電話をした時も受話器の向こうから高い声が聞こえたが、梨花のお母さんは私が来ることを喜ぶ傾向にあるみたいだ。
やはり、梨花のさっきの話は真実なのだろう。
二階への階段を上がる。たまに音が鳴るこの階段も小さい頃からよく上がってきた。左にある梨花の部屋は相変わらず、花柄の壁紙が名前にマッチしていた。
「ごめんね。急にこんなこと言って」
「ううん。あんなこと知っちゃった後だもの。家には帰りにくいわよ」
「ありがとう」
ダメだ……どんどん気持ちが下に向いていく。いつも梨花の家に泊まりに来る時は、お菓子とか遊び道具とかもたくさん持って来ていたのに、今日は何もない。梨花の言う通り、家に帰るのが怖くて逃げてきただけだからだ。
椅子に座るとズルっと滑る。身体を戻そうと床に手をついて身体を後ろにすると、椅子ごと後ろにずれて、背もたれに頭を打った。
「イタッ」
そこまで痛みはなかったのにとっさに声が出た。野性の本能を忘れた猫のように、腹を強調するような仰向けの状態になった私を、梨花が立ったまま覗き込んだ。
「「あはっあはははは」」
目が合って何故か一緒に笑った。梨花の笑顔が私の笑いを誘ったのだった。
「ねぇ梨花、梨花はあの人を明日ここに呼んできて。私はあの人をここに連れてくるから」
梨花の顔と部屋の電気が重なって眩しくなく上を見れたが、梨花が頷いて頭が少し下に行くと、電気の光は私の目に飛んできた。
眩しさに負けて横を向く。私はそのまますぐに身体を起こした。
「よし! 明日で白黒つけよう」
オセロみたいに簡単にひっくり返ったりはしない。それはきっと、一度全てをはっきりさせたなら二度と裏返せない絶対的な真実だ。
今までの全部が壊れるとしても、開いてしまったパンドラの匣は二度と閉めることが出来ないんだ。トイテハイケナイ謎はもう、解かれてしまったのだから。
小学校の入学祝いで買ってもらったランドセルは、鮮やかなピンク色だった。それがいいと泣きじゃくる私に、母が見せた困り顔を今でも覚えてる。
運動会の徒競走で初めて一位になれたのは、五年生の時だった。私より喜ぶ父の笑顔も今でも覚えてる。
中学生になってから買ってもらった携帯電話の待ち受けには、旅行先で撮った家族写真を今でも設定してる。
高校生になって皆でいることも少なくなったけど、今でも優しい母とかっこいい父だと私は思っている。
いや、思っていた……。
何で? 何でなの? 今までの全ては嘘だったの?
目の前に立っている母に、今すぐ問いかけたいそれを私は必死に堪えた。
数分前に梨花の家に来た母を、電話で呼んだのは私だ。あの人に電話する前に呼び出した。後は、梨花があの人を連れてくるのを待つまでだ。
梨花の寝間着を着て母の方を見つめている私と、リビングの端っこで何も話さない母と、ソファに座って梨花の到着を待っている梨花の母との三人での空間は、あまりにも静かだった。
ずいぶんと時間が経った気がして時計を見たが、時を刻む長い針は、八から九に動いただけだった。
十時四十五分。梨花はまだ来ない。
十時五十分。梨花はまだ来ない。
十時五十五分。梨花はまだ来ない。
十一時。梨花はまだ……。
その時、黎明と終焉を同時に告げる鐘の音が鳴り響く。私は走っていって扉を開けた。
そこには、梨花と山口光介だろう男が立っていた。初めて見る山口光介は思っていたより、ワイルドなイケメンだった。いや、初めてではないのか。
私が上を向いて山口光介を見つめると、彼は急に後ろを振り返った。
「悪い。少し待ってくれ」
どうしたのかと思いながらも、言われるがまま梨花と二人で、数十秒ほど玄関で立ち尽くした。
「ありがとう。もういい」
再びこちらを向いた山口光介は、足速に私たちより先にリビングに入っていった。
「ねぇ雛、本当にいいの?」
梨花が玄関の扉の鍵をかけるのを待ってから、私もリビングに向かって歩こうとすると、梨花が最後にもう一度だけ訊ねた。
「……大丈夫だよ。ありがとう」
私と梨花がリビングに入ると、全員の視線が自然と集まった。
その中の一つ、南野瑞希の目を見つけて、私は問いかけた。
「ねぇ、お母さん……一応確認させて……私の産みの親じゃないんだよね」
彼女は小さく頷いた。
「やっぱり……か」
「どこで気付いたの?」
それを話す意味があるのか。そう思いながらも、私は話を始めた。
「お父さんの話を聞いた時に、本当の親じゃないことに気付いたの。お父さんはよく、『お前は誰でも救える血を持っている』そう言ってたから。その後、それを全部梨花に話したら、その先は梨花が解いたわ」
「そう。梨花ちゃんが……」
今度は梨花の方を見つめて、呟いた。
「話を聞いた時、違和感がありました。十年前あなたはずっと『犯人は女だ』そう言ってたはずなのに、雛を誘拐した実行犯は実は山口光介という男でした。他にも、出産の時に勝也さんは立ち会っていなかったことや三歳までの写真もないことや私たちが似ていることなど、色々思うことがありました。そして極めつけが、千智ちゃんの証言。あれはあなたが雛を捜していた時の話ではなくて、本当のお母さんが雛を捜していた時の話だった。だから時期が合わない」
梨花は私に視線を送って、話の結論を譲った。
「つまり私は、誘拐されてから二年後に、もう一度誘拐されたってことよね」
彼女はまた、力なく頷いた。
「そう。私が男の子を産むはずだったあの日、梨菜さんが雛を産んだの。……羨ましかったのよ! 私にはたった一人の子すら産まれてきてはくれないのに……あの女には、二人も子供がいる! だから思ったの。二人もいるなら、一人ぐらい私にくれてもいいじゃないって。そう思ったのよ!」
「何が……一人ぐらいよ」
「ひゃはっひゃはははははははははははははははははははははははははははははっ」
女は私の目の前で、狂ったように笑い出した。まるで、何かが取り憑いたように。
「ひゃははははははははっ……」
永遠に続くのかと思うほどに頭に響く気味が悪い嗤い声は、突然鳴り止んだ。
「誰が何と言おうと、その時は神だって私に味方していたの。だってそうでしょ? その女は他の男と子供を作っていた。だからこそ浮気がばれないようにと、誘拐されても警察に通報しなかったのよ。子供を奪えるとしたら、その女からしかないじゃない。これはもう、啓示だったのよ」
目を血走らせて話す見たことない姿に恐怖を感じながらも、私は、どうしてもしなくちゃいけないと思っていた質問をやっとぶつけた。
「今まで、優しくしてくれてたのは嘘だったの? 誕生日のプレゼントもランドセルを買ってくれたのも、友達と喧嘩したら頭を撫でてくれたことも、一緒に謝りに行ってくれたのも、泣いてくれたのも、笑ってくれたのも、怒ってくれたのだって……全部偽物だったの? ねぇお母さん」
「………………」
何も返してはくれない。それはどっちの意味で?
全部嘘なら、どうせ嘘なら、このグシャグシャな顔を、さっきみたいに笑って見せてほしい。何も喋らないぐらいなら、そっちの方がマシだから。
「何とか言ってよ……『子供が好きじゃない親なんていないのよ』ってあの言葉も嘘だったのかってそう聞いてるのよ!」
それは、かつて母が言ってくれた言葉。記憶の隅に残る、大切な言葉。
母は、泣きそうな顔で私を見る。そのまま言ってほしい。血は偽物でも、あなたを愛していたことは嘘じゃないって……そう言ってほしいんだ。
「バッカじゃないのぉ? あんたのことを愛してたことなんて一度たりともないわ! あんたと一緒にいるとあの女が辛そうな顔をするから、だから一緒にいてやっただけ。何が『笑ってくれたのもぉ』だ! 気持ち悪りぃんだよ! ひゃははははははははっ」
母はさっきと同じように笑い出した。ゴミを見るように私を見ながら。
だがその言葉に、今度は恐怖も怒りも感じはしなかった。その言葉こそが、無理やり絞り出した偽りの言葉に思えてならなかったからだ。
「分かった」
私は微かに声を出した。振り返って、梨花の方へ歩いていく。
「ただ、あの男は、本当にあんたのことを愛していたわ。それだけは、信じてあげて」
あの男が誰なのかは、考えるまでもなかった。母が見ていたか分からないが、私は、遠くにいる父を想いながら確かに頷いた。
「えっと、お母さん……。お母さんだよね?」
私が問いかけたのは、ずっと梨花の隣に立って話を聞いていた、本当のお母さん。
「おかえり……おかえり」
強く抱きしめると、相手の体温が伝わる。十四年ぶりに感じたお母さんの温もりは、とても温かかった。
お母さんの流した涙が、私の顔に落ちてくる。それもとても温かかった。
「で、本当のお父さん……」
「ふっ、そうだな」
お母さんと違って、落ち着いているお父さんに抱きついた時、服の袖が僅かに私の肌に触れた。
濡れていた。
たぶん、玄関のあの時。拭った涙で、濡れたのだろう。
「梨花……か」
「今までと一緒じゃない!」
私が笑うと梨花も笑った。温かい笑顔だった。
「えっとね……お母さんとお父さんと梨花とあと……あ、ママ! ママも聞いて。これからどうしようかは、実はまだ決めてないの。お母さんたちと住むのもまだ何か色々あるし、ママたちと住むのも色々あるし、だから一回、梨花と二人で暮らそうと思うの。二人でゆっくり決めようと思うの」
誰も声を上げなかった。賛成の一言もなかった。でもそれは、反対の声もないということ。
「いつか、一緒に住もうねお母さん」
「待ってるわ」
微笑みに手を振った。梨花の手を引きながら、家を離れていく。
「あ、そういえば北山先生も証言のために呼んでたんだった。まぁいっか」
「もう解決しちゃったものね」
今度は梨花が、私の手を引いて前を走る。
「ねぇ、本当にこれで良かったのかな……。やっぱり、トイテハイケナイ謎だったんじゃない?」
「どうだろうね。それが分かるのは、もう少し先のことよ。ほら、くよくよしない。笑って生きる」
梨花が「私が側にいれば大丈夫なんでしょ?」と言わんばかりに、不安そうな私に笑いかける。
そうだね。あなたがいれば大丈夫だね。
あなたがいるから、辛かった今日も笑顔でいれる。
あなたがいると思うから、辛い明日も頑張れる。
「ありがとう。お姉ちゃん」
今までお読みいただきありがとうございました。
episode.Aで、梨菜さんを「最低」と思った人がいてくれたなら嬉しい限りです。
さて、実はこのトイテハイケナイには、まだ残された大きな謎が一つあります。
もう分かっているという人は、感想のところで教えてもらえると幸いです。
もし、要望があれば、episode.Cとしてお披露目するかもしれません。
それではまた違うお話で。