episode.B ゲーム
時刻が十八時を回っても夏の太陽はギラギラと粘り強く空にへばりついていたが、私たちは電車ということもあり夜遅くにならないようにと早めに遊園地を後にした。
駅への帰り道、私も梨花も疲れからあまり口を開かなかった。さっきまで楽しくてしょうがなかった遊園地を出たことで魔法が切れてしまったようで、私は少しウトウトしていたからだ。
結局のところただ楽しく遊んだだけで十年前のことは何も思い出せなかった。
途中で止めたこととはいえ何の手掛かりもなかったことを思うと、少し失敗したような気持ちにもなった。
「ねぇ梨花、明日も空いてる?」
私は訊ねながらも自分に都合のいい答えを勝手に頭に描いていた。が、そう上手くはいかない。
「ごめんね。明日から私おばあちゃんの家に行くの。言ってなかったっけ?」
梨花は顔の前で両手をくっつけてこちらを見る。そういえば、まだ学校があった時に同じことを言われた記憶が微かにあった。
「そっか、じゃあ仕方ないね。いつ戻ってくるの?」
「うーん……一日かな」
思っていたよりも長かった里帰りに、梨花の方を向いて驚きを見せる。梨花も驚かれることが分かっていたようで、目が合った私にもう一度手を合わせた。
「じゃあ、帰ってきたらちょっと調べたいことあるから手伝ってくれない?」
仕方ないということがあるし、私はあまりこういった調べものが得意じゃないから、梨花がいないと失敗する。分かりきっていたから、その日まで待つことにした。
「いいけど……何を調べるのよ」
梨花の丸くした目が私を見つめる。私は少し迷いながらも、すぐに口を開いた。
「実は私、昔誘拐されたことがあるらしいの」
梨花の目がさらに丸くなる。「ちょっと可愛いな」なんて思った私の心を梨花は知る由もなく、質問は続けられる。
「えっ? どういうこと?」
梨花の口にしたそれは理解出来なかったためのものではなく、いつ頃のことなのか、何で今その話が出てくるのか、もっと詳しく聞きたい、といった深い質問を全て含んでの言葉だったのだろう。少なくとも私はそう捉えた。
「えっと、実は……」
私は昨日の母とのやりとりの一部始終を梨花に話した。嘘も隠し事もなく全てを話せるのは、相手が梨花でなければあり得なかった。
梨花は終始、驚愕と懇篤の両方を私に見せながら話を聞いていた。いつもふざけ合っていてもこういう時に静かに話を聞いてくれるところが、梨花のいいところだ。
全てを話し終わって私が口を閉じると、梨花は強い目をして言った。
「絶対、犯人捕まえようね」
梨花のその強い目に映る自分の姿を見て、私は今さら自分の本心に気付かされた。
一緒に遊園地に行った理由が知りたいなんて嘘っぱちだ。本当はただ、捕まっていない誘拐犯を許せなかったんだ。
どうしても捕まえてやりたいと思ったんだ。
「うん。絶対捕まえる」
私は梨花を見つめた。私はどんな顔をしていたんだろう。
分からないけど、梨花は私の顔を見て小さく笑うのだった。
「ただいまー」
テンションが高いのが自分でも分かる。遊び疲れて今にも寝てしまいそうといった感じだった私だが、一周回っておかしくなったようだった。
「おかえりなさい。夜なのに元気ね」
扉を開けると母がテレビを見ていた。私のテンションの高さに母は呆れ気味に笑ってみせた。
「楽しかった?」
答えを聞く前から母は私が言う言葉を分かっているようだったが、私はやはりその返答をするのだった。
「楽しかったよ」
満面の笑み。自分で自分の顔は見えなくても、確かに私はその顔をしていただろう。
手洗いをしていると右手の指に違和感がした。
「イタッ」
声が出る。今まで気付かなかったが、中指の爪の辺りから血が出ていて、それが手を洗った時に染みたのだった。
「大丈夫か?」
父がトイレから出てきて洗面所の扉の前から話しかける。まだトイレの水が大きい音で流れていた。
「あ、大丈夫大丈夫。遊園地でちょっと怪我したみたい」
洗面台の下の収納スペースを開いて中から絆創膏を取り出す。白くなっている部分が傷に合うように重ねると、残った茶色の部分をぐるりと巻きつけた。
「気をつけろよ。雛の血は前にも話したけど、どんな人でも救える魔法の血なんだから」
「どんな人でもは言いすぎでしょ。それに娘が怪我したのを見てそれはなくない? 心配するところが違うのよ」
私はハムスターのように頬を膨らませてふざけて怒ったのに、父は言い返しもせず、謝るように下を向いた。そんなんだから母の尻に敷かれるのだ。
「皆揃ったし、晩御飯にしましょう」
母は見ていたテレビを消して冷蔵庫へと足を運ぶと、先に作っておいたポテトサラダと海老チリと肉じゃがの三品を取り出した。
八時という時間から考えても、どれも一時間以上冷やしておいたのだろう、すっかり冷たくなっていた。
「サラダは持っていくね」
唯一電子レンジで温める必要のないポテトサラダだけを持って、味噌汁を火にかけている母の後ろを通る。
食卓の上、三つの椅子の前それぞれにポテトサラダを置いていった。
温めが終わりチンッと音が鳴ると、母は残りの二品も食卓の上に置いた。今度は食卓の真ん中に。
「「「いただきます」」」
食べる前に手を合わせる。その手で箸を掴むと、私は海老チリに手を伸ばした。
「暑い……」
夏なのだから当たり前か。それでもやはり、その言葉がふいに零れてくる。
今年も七月が始まった頃から聞いているこのセミの声が後一ヶ月は続くのかと思うと、私は何故かさらに暑さを感じた。
こういったセミの声が聞こえてくるのが例えば、辺り一面が緑といった田舎の民家や夏の日差しをキラキラと反射させている青い海だけというのならば、珍しさもあってそれほど嫌ではないかもしれない。
しかし、アブラゼミは蛍などとは違う。そこら辺の公園に何十何百と生息しては、一週間しかない自分たちの命の火を燃え上がらせようとずっと鳴いている。それが嫌なのだ。
「ハァ……」
思わず出た自分のタメ息すら五月蝿く感じる。自分の部屋にいるのに汗が滲み出てきて頬を伝う。それがむず痒くて、私は汗を拭いた手でクーラーのリモコンのボタンを押した。
梨花が帰省をしてから一週間以上が過ぎてやっと明日帰ってくる。私はなんだかんだで梨花がいない間を、他の友達とプールへ行ったり宿題をしたり家族でバーベキューをしたりといった感じで過ごしていたが、結局七月最後の一日に一人で自分の部屋にいた。
宿題はやる気が出てこない。というよりセミの声と暑さに何かを起こす気すら奪われてしまった。
「そういえばお父さんとお母さんが出会った日もこんな暑い日だったって言ってた」
ベッドの上にゴロンと横になって天井を見ながら、どうでもいいことを思い出す。外に一歩も出ていないのに部屋にこもっていた熱気だけで今日の暑さを決めるあたり、私らしいと言えば私らしいか。
父と母の出会いは前に父が私に話してくれたのだが、私は父の話を聞くのに飽きて途中からほとんど聞いていなかった。
部屋が冷えてきて寒くなったので、冷房を止める。暑いのが苦手なのは半袖の服ばかり持っている父親譲りで、冷房を使って冷やすのが苦手なのはよく送風を使っている母親譲りと、私は勝手に思っていた。
「うーん。ゲームでもしようかなー」
やることがいよいよなくなった私は、最後の手段を使おうとベッドから勢い良く身体を起こした。
テレビ台の下に収納していたゲーム機本体とゲームソフトを取り出すと、何本かパッケージを見てから、できるだけ時間が潰せるものを選んでゲームを始めた。
「これ、どんなゲームだったかな?」
ゲームなどもう何年もやっていなかったから内容すら思い出せない。実際、本体も少しほこりを被っている。
「あぁそうだ。これ、トイテハイケナイっていう推理ゲームだ」
ゲームのコントローラーを握ると暗かったテレビの画面がパッと明るくなって、ゲーム制作会社の紹介が流れ出した。そしてその紹介が終わると、私はコントローラーでロードゲームを選んで、昔進めたところからゲームを開始した。