episode.A ケーキ
○○中央総合病院。朝の八時から夕方十六時まで開いている病院で、診療科目は内科や外科以外に消化器外科や心臓血管内科や心臓血管外科など、あまり聞きなれないものまである、この辺りでは一番大きく有名な病院だ。
驚いただけだからと言っていた瑞希には確かに外傷は見当たらなかったが、救急車を呼んでしまった後だったし、その後気絶をするなどやはり心配だったから、一応病院に運んでもらったわけだ。
「じゃあ、後は安静にしておけば大丈夫だから」
「はい。ありがとうございます香川先生」
後ろに振り返ると、先生の白衣がひらりと舞う。僕はその後ろ姿に頭を下げた。
「もう香川じゃないよ。女房の苗字を名乗ることになったからね」
「はは、そうでしたね。確か……北口? 違うな……まぁ次は気をつけます」
笑った顔だけをこちらに向けた先生に僕も笑いかける。
「じゃあ、僕は今日もうこれっきりだから。女房と息子が待っているんでね」
そう言って先生は部屋から出ていった。
「絶対に、雛は連れ戻すよ」
白いベッドに白いシーツ、白い枕に白い掛け布団と、白一色にまとめられた病院のベッドで寝ている瑞希の手を握って呟いた。
返答はこなかったが、僕の中の決意は口に出したことでより固くなっていった。
コンコン
ノック音が二度鳴る。誰が鳴らしたのかは開けずとも分かっていた。ここに来てくれと電話をかけたのは、犯人の二人にだけだ。
「はい」
ギィ……と扉が音を立てる。覗くようにして顔から入ってきたそいつに、間髪入れずに声をかけた。
「遅かったですね山口さん。雛をどうするか決めるのに手間取ってましたか?」
山口さんが、わざとらしく驚いてみせる。いや、全てを知った今だからこそそう見えるのか。
「何を言ってるんだ。電話でも言ったけど、夏美の家にあったアルバムの中の写真は全て、夏美の小さい頃のものだった。雛ちゃんの写真は一枚もなかったんだ」
「そうやって今まで俺たちを騙して馬鹿にしてたんだろ? なぁ、誘拐犯!」
ドンッと壁が静かな病院内に大きな音を起こす。山口さんが、壁を叩いた手をそのままにこちらをすごい形相で睨んだ。
「いい加減にしろよ。何で俺がお前らの娘なんかを誘拐しなくちゃいけねぇんだよ」
「それはあんたが、西田梨菜の浮気相手だからだろ」
眉一つ動かさない山口さんに、さらに言葉を重ねる。
「夏美さんから聞いたよ。梨菜さんが山口さんと浮気している現場を見たって」
病院の廊下は明るく、僅かに開いた扉の隙間を個室の中から見るだけでも、そこに人がいればすぐに分かる。が、もちろんそれは、人が壁などに隠れるようにして立っていなければの話だ。
「俺が西田梨菜と浮気? 何の話だ」
もし二人が共犯なら、別々に電話しても一緒に病院にやってくるだろう。そう思っていた。
僕はベッドの横に置いた椅子から立ち上がり、山口さんに向かって歩いていく。自分の身が危険になることを警戒して緊張した山口さんを無視して、扉に付けられた銀の四角い持つところに手を付けると、扉を横に開けて廊下に出た。
予想していた通り梨菜さんの姿がそこにあった。驚いている梨菜さんを個室に引っ張り入れた。
「これが、あんたたちが繋がっている証拠だよ」
梨菜さんの後ろに立つ形となった山口さんを睨みつける。
「一緒に来たとは限らないだろ」
「夏美さんに確認の電話をした後、病院の遠くにある夏美さんの家にいるはずのお前にわざと遅く電話をかけたんだ。病院の近くに家がある梨菜さんの三十分も後にだ。遠くから梨菜さんの三十分も後にここに向かったはずのお前が、梨菜さんより先にここに着けるはずないだろ」
簡単に反論を論破され、山口さんの膝が折れた。
「大変だったんだぞ。救急隊員に無理言ってここに連れてきてもらうの」
山口さんも梨菜さんも、黙ったままで話さない。僕の言葉だけが空を切る。
「つまりはさ、山口さんが雛を誘拐したんだろ? そりゃ梨菜さんが旅行に行ってても関係ないよな。共犯がいるんだから。なぁ……どんな気分だったんだ。俺たちが泣いてた時、どんな気分でそれを見てたんだよ! なあ!」
病院ということも忘れて、抑えきれない感情が溢れ出てくる。山口さんの前に立っている梨菜さんを払って下を向いてうなだれている山口さんの胸ぐらを掴まえて持ち上げた。
「なぁ答えろよ! あんたあの時分かったって……任せろってそう言ったよな! あの時どんな気分だったんだよ!」
思い出せば思い出すほどに腹が立ってくる。人の信用を裏切った山口さんにも、犯人がこんな近くにいたのに何も気付かなかった自分にも。
そうさ。今思えば、山口さんの言動にはおかしなところも多かったのに……。
「悪かったと思っているよ」
ワルカッタトオモッテル?
「ふざけんなよてめぇ!」
言葉は刃物だと言うが、山口さんのその台詞はまるで銃弾だった。真っ直ぐな軌道を描くその銃弾は、僕の頭を圧倒的な速度で撃ち抜いた。
貫通せずに残った銃弾が頭の中で木霊した時、怒りは爆発したのだった。
持ち上げていた山口さんの身体を一番近かった右側の壁に叩きつける。ドンッと、山口さんが叩いた時より数段大きな音が個室に響き渡った。窓から衝撃が伝わったのか、近くに立っていた木で羽を休めていた鳥たちが、一斉に飛び立っていった。
「俺たちだって本当は……」
「光介!」
苦しそうな顔で搾り出すようにして声を上げた山口さんの言葉を梨菜さんが無理矢理止める。
「私たちの娘なんじゃないかって思ったのよ……ほら、雛と梨花って仲がいいだけじゃなくてどっちも私に顔が似てるじゃない? だから思ったのよ。私のもう一人の娘なんだって」
怒りを通り越して呆れる。というか意味が分からなくなって、怒りに任せて力強く山口さんの胸ぐらを握っていた手から力が抜けた。
振り返ると涙を流す梨菜さんの姿がそこにあった。
「泣きたいのはこっちの方だ」
最初の言葉を口にした時点で、涙は頬を伝っていた。
「なんだそれ。そんな理由で……雛を誘拐して、カモフラージュの身代金まで要求して、死体になった写真まで作って、自分の子供として育ててたのかよ。そんな理由で……」
梨菜さんは昔、雛のことをお人形さんのように可愛いと言っていた。だからこそ今、言っておきたいと思った。
「雛はあんたらが遊ぶための人形じゃねぇんだよ!」
梨菜さんの娘なんかじゃない。瑞希がお腹を痛めて産んだ……激痛に耐えて産んだ、俺たちの子供なんだ。
気が付けば、嗚咽していた。
やはり言葉は刃物だった。梨菜さんの言葉は深く心を抉り、その心からぶつけてやりたい叫びが、血のように溢れ出てきた。
血はやがて止まり、涙はやがて枯れ果てた。
個室には、梨菜さんの啜り泣く声だけがはためいていて、山口さんの頭を抱える状況だけが映し出されていた。
「雛は……雛は今どこにいるんだよ」
この二人にもう何を言っても、訊いても、無駄だと思って最後の質問をした。雛さえ戻ってくるなら、もうそれだけでいい。そう思っての言葉だった。
「嫌よ! 嫌!」
僕の言葉に異常な反応をする梨菜さんが、僕の足にしがみついてきて離れない。
「お願い連れていかないで。ねぇいいじゃない。もう二年も離れていたんだから……もう私たちの娘でいいじゃない。ねぇお願いだから、私たちにあの子を頂戴」
何を言っているのか理解出来るはずもなく、梨菜さんが女だということも忘れて腹を蹴るようにして振り払った。
病んでる。狂ってる。イカレてる。どれだけの言葉を使おうとも、到底表せないほどの精神崩壊を見せる梨菜さんに、恐怖すら覚えた。
「雛はどこにいるんだって訊いてんだよ!」
瑞希は山口さんが犯人だと分かった時、「いずれ自分が犯人だと気付かれるんじゃないか」と考えた山口さんが、それならばと雛を殺す可能性を考えていた。だからこそ焦っていたのだ。
だが、この梨菜さんの発狂を見る限り、僕には雛がもう殺されているようには思えなかった。きっとどこかにいる。そう確信していた。
「車だ。車で寝てる」
静かに口を開いた山口さんは、まだ下を向いていた。その行動にさえ、腹が立つ。
何でお前らが、悲しそうに被害者みたいな顔してやがるんだ。
喉まででかかった言葉を飲み込んだのは、少しでも早くそこへ駆けつけたかったからだ。
「来い」
代わりに出た言葉は、簡潔な一言だった。
うなだれたままの山口さんの手を引っ張って、扉を勢いのままに開け放つ。すぐに左に曲がって走り出すと気持ちは少しずつ高鳴っていく。感動や興奮にも似た喜びの感情が、波を大きくさせていったのだ。
もっと速く。速く。速く。
心の中で何度も自分に言った。病院の廊下を走ることがどれだけ危険か、そんな考えが頭の片隅にはあったかもしれないが、誰に注意されようとも止まる気はなかった。
雛は生きている。自分の中でどれだけ確信していても、実際に「車にいる」と言われるのとでは、天と地ほどの差があった。
受付をしている多くの人が集まる場所まで来て、一度止まって左右の出入り口を一度ずつ見る。
確か右の扉から出ればすぐ駐車場があったはずだ。と考えをまとめると、雨が降っていることなど気に留めず自動ドアに肩をぶつけながら外に出た。
山口さんが自分の車に乗っているところを見たことがなかった僕は、車という単語ですぐに梨菜さんの、というか西田の車を思い浮かべていた。
何度か乗ったことがあるし、目立つ派手な外車だ。すぐに見つかる。山口さんを連れてきたのは、車を運転出来ない梨菜さんではなく山口さんが鍵をもっているだろうと思ったからだ。
駐車場に着くと山口さんの手をすぐに離した。そのまま濡れた手を口につける。
「ひなーひなー」
車の中にいるのだから聞こえるはずがない。それでも声を上げずにはいられなかった。
近くの車を手当たり次第に見ていく。黒や白のワゴン車、丸い車体の軽自動車、目的のものとは違う高級外車など色々な車があるが、西田のそれだけが見つからない。
「どこに停めたんだ」
ダメ元で山口さんに訊ねる。
「……」
やはり口を開く気配はない。車にいることを教えたのは気まぐれか。梨菜さんと同じだ。こいつらは何故か、この状況でも雛を返す気がないんだ。
髪の毛から雨が滴る。再び声を上げて車を見て回る。似たような車を見つけては窓ガラスから中を覗き込んだが、雛は見つからなかった。
どこにいるんだ。返事をしてくれ。やっと会えると思ったのに。雛。雛。雛。
心では色々な言葉と感情が風船のように膨れていくが、口から出る言葉はいつも「ひなー」という名前だけ。
「第三駐車場」
急に耳に入った言葉にビクッと身体が反応する。隣に山口さんが来ていることに気付かないほど雛を捜すことに集中していた。
「第三駐車場?」
言葉を繰り返すと意味が理解出来た。刹那、僕は山口さんを連れて駐車場の出口へ走った。
「バカか。この病院には駐車場が三つあるだろ」自分を責める言葉が自分の中から生まれる。病院をぐるりと時計回りに回るようにして第三駐車場へ向かった。
第一と比べてほとんど車がない。第三駐車場が目に入った時には、同時に西田の車も見つけられた。
車体の後ろより前の方が若干長い赤い色をしたポルシェは、決して家族がいる人に向いた乗り物とは言えないが、人に自慢出来るようなカッコ良くて値段の高い外車がいいという西田の思いが詰まった乗り物ではあった。
ついでに言えばオープンカーで赤色というのが、西田のカッコイイの定義だったためにこのポルシェに決まったわけだ。
「雛! 雛!」
車が勝手に出入り出来ないように下がっていた、オレンジと白が交差した模様をしている遮断棒を頭を低くしてくぐり抜けると、車に駆け寄った。
声を上げながらガラスを叩く。ドンッドンッと強い音が鳴るが、中で寝ている雛の耳には届かないようで、ピクリとも動かない。
「鍵あるだろ! 鍵よこせ」
すごい剣幕で山口さんを怒鳴る。山口さんは驚きながらもすぐに雨で濡れた手をポケットに突っ込むと鍵を取り出した。
ガチャガチャッと鍵を入れようとするが、向きが逆だったようで上手く入らない。イライラしながら途中で突っかかった鍵を一度抜いて向きを逆にして再度入れ直すと、今度は最後まで鍵が入った。
横にして入れた鍵を左に回して縦にすると、ガチャッと音が鳴った。
鍵を抜くのも忘れて扉を開ける。
やっと身体を半分起こし、目を微かに開いた雛を強く強く抱きしめた。
二年会っていなくても雛だと断言出来る。心の底から湧き上がってくる想いや瞳から溢れ出てくる涙が、嘘偽りのない我が子だとそう思わせた。
やっと……やっと会えたんだ。
抑えきれない衝動が抱きしめる力を少しずつ強くしていったのか、雛は身体を左右に何度か振ってから声を出した。
「痛いよ……」
「あ、ごめん」
そう口にしながら両手をパッと離した。
「パパ? パパだー」
離れた瞬間、顔を見て驚きの表情を浮かべたかと思うと、今度は今まで見たことないほどのニコッとした満面の笑みを浮かべて自分から抱きついてきた。
二年前と何も変わらない可愛らしい顔と舌っ足らずな声が、喜びをより加速させていった。
僕の首の後ろに手を回す雛の腕の下から、僕は腕を回して雛を抱きしめる。手を頭の上に持っていくと、ゆっくりと温かく撫でた。
「大丈夫だったか? 辛い思いしなかったか? パパもっと早く雛に会いに行きたかったんだけど……遅くなってごめんな。もう、もう大丈夫だから。パパもママも、もうずっと雛と一緒だから」
泣きながら頭を撫でる。優しく。優しく。
「うん。リカのママがね、ご飯食べなってしてくれたの。でもね、雛ね、やっぱりさびしくってね。パパもママもいなくなっちゃったって言うんだけどねぇ。もう会えないって言うんだけどねぇ。雛はパパに会いたい会いたいって言ったんだよ。でもね、パパどこにもいないからああぁぁぁぁ」
会えた喜びが頭を撫でられたことで、今まで会えなかった寂しさに変わってしまったようで、雛はわんわん泣いていた。
「そっか、寂しかったよな。ごめんな。ごめん」
いつの間にか、頭を撫でる行為が背中を摩る行動に変わっていた。今、父として出来る精一杯がそれだったから。
やがて、何度か鼻を啜り目を擦って雛は泣き止んだ。その時には僕の涙も乾いていた。
車内で雛を抱っこしてから外に出る。ずっと黙っていた山口さんが、扉から離れるように後ろに下がった。
「あんたのこと、許すつもりはねぇからな」
口を閉じるとすぐに病院へ戻った。瑞希の病室へ急ぎたかったが、雛もいたし走ることはしなかった。
僕の服から、雨の水が等間隔に落ちていく。
面白がって、雛が笑った。
来た道を戻る形で第一駐車場と受付ロビーを後にすると、瑞希の病室が見えた。
「もうすぐママにも会えるぞ」
「本当?」
抱っこした状態で雛に笑いかけると、雛も嬉しそうに笑った。
本当に、雛が帰ってきたんだなぁ……とまた感慨深くなる。が、雛は早くママに会いたいようで、僕に歩みを急がせた。
「ママー」
静かに扉を開けようとした僕を他所に、雛は全力で扉を開ける。ドンッと一度枠に当たって戻ってきた扉が僕に当たった。
「イタタ……」
「アハハッ」
肩を押さえる僕をベッドに座っていた瑞希が笑う。
「起きたんだ。身体は大丈夫?」
「ええ。かっちゃんの方が痛そうよ」
「ええーパパどうしたの?」
お前にやられたんだ。お前に。
「ハハッ我が子にやられました」
「フフッ」
瑞希はまた柔らかく笑った。良かった大丈夫そうだ。
「梨菜さんは?」
「帰ったわ。山口さんから電話があったみたい」
辺りを見渡しても姿が見えないことが気になって訊くと、瑞希はしらっとさも当然のように答えた。
「帰らせたの?」
「うん? ええ」
瑞希は首を横に傾けてキョトンッとしている。
「いいのかよ! 犯人だよ?」
驚きの声を上げる。「警察に言わないのか」という言葉を続けるのを瑞希は否定した。
「警察はいいじゃない。雛は帰ってきたんだし、それに、警察に話したら雛は梨花ちゃんと遊べなくなるわ。でもそんなの可愛そうよ。子供たちに罪はないわ」
「でも……」
「ね? お願い」
泣きそうで、でも強く笑ってる。その顔に、言いかけた言葉を飲み込んだ。本当にそれでいいのか。そう思いながらも。
「雛、本当に生きてて良かった」
「雛ね、ママに会えて嬉しいよ。ママは雛に会えて嬉しい?」
「もちろんよ」
「じゃあ、ママは雛のこと好き?」
「馬鹿ね。子供を好きじゃない親なんていないのよ」
雛を抱きしめた瑞希は、僕と同じように頭を何度となく撫でていた。
柔らかく。温かく。優しく。愛いっぱいに雛を抱きしめた瑞希の想いの奥の方には、「もう二度とあなたを離したりしない」という強い決心があるように僕には思えた。
「やったー! でもママもちょっと痛いよ」
雛が首を上に向けて呟く。瑞希が目線だけで、あなたも? と訊いてくる。僕はニヤニヤしながら首を縦に振った。
あぁ……楽しいな。君がいるだけで、こんなにも楽しい。
明日には瑞希も退院できる。そしたら、家であの日の続きをしよう。
プレゼントを用意して、ケーキを買って、梨花ちゃんも呼んで、あの日最後まで出来なかったパーティーの続きを。
テーブルの上に四号サイズのホールケーキが置かれており、それの一番近くの席に雛が。他の三人は雛よりもケーキに遠い席にそれぞれ座った。
二年前と同じショートケーキの二年前と違うところは、蝋燭が立っていないぐらいで今回は、生クリームが塗られたスポンジの上には苺が六つ置かれているだけとなっていた。
瑞希が包丁でケーキを切り分けていく。苺は、雛と梨花ちゃんに二つずつ僕と瑞希に一つずつと分けられた。
フォークが乗っていた皿からフォークをどかして、ケーキを皿に移す。それが三回行われ、瑞希と僕と梨花ちゃんの三人の前にケーキが配られて、最後に残った少し大きめのケーキが雛のものとなった。
「「「「いただきまーす」」」」
四人の声が揃って皆で笑う。
二年前、四歳だった雛は僕にケーキを投げつけてきたりもしたが、今はもうフォークで黙々とケーキを食べている。
二年前と何も変わらず、雛はショートケーキが大好きだった。
梨花ちゃんが横を向いている隙に、梨花ちゃんが取っておいた苺を雛が掠め取る。「あー」と声を上げた梨花ちゃんが、逆に雛のケーキの上の苺を奪った。
その光景を見ていた瑞希が二人を一緒に叱ったが、今度はその隙に雛が瑞希の苺を横取りした。
瑞希は呆れて笑って、雛と梨花ちゃんも楽しそうに笑った。
僕は雛と違って、二年前から変わらずショートケーキは苦手だ。
甘すぎる生クリームも、酸っぱすぎる苺も苦手だ。ケーキならチョコケーキの方がずっとずっと美味しい。
……そのはずなのに。ショートケーキは、苦手なはずなのに。
瑞希がいて、雛がいて、今日は特別に梨花ちゃんもいる。雛と梨花ちゃんがふざけて遊んで、瑞希に怒られて、結局皆で笑ってる。
そんな中で食べるショートケーキは何故か、ちょっとだけ美味しくて……。
「美味しいな……ケーキ」
「そうね。とっても美味しいわ。ケーキ」
再びケーキを口に運ぶと、流れ落ちたそれのせいで、甘いはずの生クリームがほんの少しだけ塩味になっていた。
おかしいな……生クリームは甘いはずなのに……。甘い、はずなのにな……。
少ししょっぱいショートケーキはそれでも何故か、すごく美味しかった。
episode.Aは完結となります。
皆さんは犯人が分かりましたでしょうか。
引き続き、episode.Bをお楽しみいただけると嬉しいです。