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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-06
221/228

Section1-6 母

 紘也の母親――秋幡鈴理(あきはたすずり)は明るく温厚な女性だった。

 時には厳しい一面もあり、幼い紘也が悪戯をする度にこっ酷く叱られていた記憶もある。そして紘也がきちんと反省したならば、ふわふわのケーキを焼いてくれたりもした。あの甘すぎるくらいの味は紘也がいくら焼いても再現できなかった。

 母親は料理が上手かったが、裁縫はもっと得意だった。本気を出せばそこらの市販品なんて比較にならないクオリティであり、紘也と柚音の服は全て母親のお手製(オリジナル)だったことも覚えている。新しい服を作っては紘也たちに着せて喜んでいた。

 そんな母親の笑顔が好きだった。抱き締められた時の温かさは心地がよかった。

 紘也が知る中で最も尊敬できる人だ。なにがどうなってあのいい加減でだらしない父親と結婚したのか未だに謎である。

 だからこそ、紘也は自分のミスで母親を傷つけてしまったことが許せない。燃えて崩れた家から運び出されていく母親の姿は、今も紘也の脳裏に鮮明に刻み込まれている。

 あの日、あの時、一瞬だけ意識を取り戻した母親が紘也を見て口を動かした。声なんて出せるはずもない重体で、紘也も読唇術など使えない。なにを伝えたかったのか、わからなかった。

 恨まれていても仕方がない。愛する母親からどんな罵詈雑言が飛び出してくるのか、想像するだけでも足が竦む。正直、怖い。だが、全てを受け入れる覚悟ができたからこそ紘也は今ロンドン(ここ)にいるのだ。

 案内された母親の病室の前に立ち、紘也は改めてその覚悟を固めるため深呼吸をした。

 一瞬の躊躇いの後、扉をノックする。

 すぐに「は~い、どうぞ~」と柔らかい女性の声で返事があった。なにやら複数の足音が慌てたようにバタバタ聞こえる。他にも誰かいるようだ。だが、返事はあったのだから入っても問題ないだろう。

 紘也は最後に生唾を呑んでから、扉のノブに手をかけ――ゆっくりと開いた。


 メイド服とチア衣装とウサギの着ぐるみを着た三人の美女美少女がベッドを囲んでいた。


「……は?」

 こちらを見て固まっている彼女たちは、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして唇を引き結んでいる。部屋を間違えた? そう思って表札を確認するが、間違いなく『Suzuri Akihata』と書かれている。個室だから他の患者もいないはずだ。


「見て見て辰久さん、三人ともすっごく可愛くなったでしょう! フリフリのヒラヒラのもっふもふよ~!!」


 彼女たちが囲んでいるベッドで上体を起こした黒髪の女性が弾んだ声を上げた。痩せてはいるが、一見二十代後半とも思える若々しさは、紘也の十年前の記憶とほとんど変わっていない。

 一目で、わかった。

「あら……?」

 向こうも紘也に気がついた。

「もしかして、紘也……?」

「ひ、久しぶり、母さん」

 母との会話を脳内で何度もシミュレートしていたのに、なにを言えばいいかわからなくなった紘也はそんなぎこちない挨拶しか口にできなかった。

 三秒ほどの沈黙を経て、先に再起動した母親が飛び跳ねる勢いで――実際にベッドから五センチほど跳んだ――あたふたし始めた。喜び、羞恥、そして混乱。様々な感情がごっちゃになって目を回している。

「ちょっと待って!? え!? 紘也!? なんで!? 聞いてないよ!? い、今のなし!? もう一回ノックからやり直して! 五分! いえ三分だけ待ってちょうだい!?」

「え? あ、うん……」

 言われるまま紘也は廊下に出て扉を閉めた。すると中からドンガラガッシャーン! となにかを引っ繰り返したような物音や悲鳴が響いてくる。思春期の男子みたいな反応だ。思春期の男子は紘也の方なのだが……。

「ほらヘスちゃんズも着替えて着替えて!? どうしてそんな恥ずかしい格好してるの!?」

「奥様が無理やり着せたんじゃないですかぁあッ!?」

「スカート短すぎて恥ずかしかったんだけど!?」

「着ぐるみ暑かったから助かるます」

 病室内はドッタンバッタン大騒ぎである。オカシイ。紘也の思い出の中にいる母親は、もっとこうしっかりした感じの人だったはずだ。十年も病院に閉じ込められておかしくなってしまったのだろうか? 父親がさっきから静かだと思ったら、壁に向かって腹を抱えて蹲っていた。めっちゃ笑いを堪えている様子である。

「なあ、親父」

「紘也少年、世の中には見なかったことにした方がいいこともあるんだぁよ。くぷぷ」

 小刻みに震えている父親を窓から突き落としたくなる衝動を必死に抑える紘也だった。

 と、室内が静かになる。きっちり三分経ったことを確認し、紘也は改めて病室の扉をノックして開いた。


「いらっしゃい、紘也。大きくなったわね。十年振りかしら?」


 落ち着いた様子の母親は、先程見たハッチャケた表情が嘘のような柔和で穏やかな微笑みを浮かべて紘也を迎えた。妙ちくりんな格好をしていた三人の美女美少女は、女神のようなドレスに着替えて壁際に整列している。よく見ると三人とも背中から昆虫に似た透明な翅が生えて……やっぱり変な格好だ。

「いや、取り繕っても遅すぎるからね、母さん?」

 とりあえずその三人については気にしないことにして、紘也は母親に真っ白い視線を向けた。すると母親は子供みたいに頬を膨らまし――

「だっていきなりだったんだもん! もう驚いちゃったわ。辰久さん、どうして紘也が来るって教えてくれなかったの?」

「ハッハッハ、いいサプライズだっただろう? 鈴理こそよく一発で紘也少年だとわかったね?」

「そりゃあわかるわよ。自分の子供よ?」

 紘也は記憶と一致したためすぐにわかったが、母親は違う。七歳と十七歳の紘也が一致するはずがない。写真を見ていた様子もないから、本当に直感で息子だと悟ったのだろう。

 ずっと会いたくて、でも会いたくなかった母親がそこで笑っている。

 感動の再開となるかもしれないと涙腺を引き締めていた紘也だったが……妙だ。どういうわけか涙が枯れている。脳裏に浮かぶのは、コスプレを見てテンション爆上げしている母の姿ばかりだ。

「ほら紘也少年、おっさんは下がってるからしっかり話してきな」

 そう言って父親は紘也の背中をトンと押した。

 つんのめる形でベッドの前まで歩み寄った紘也は、白化してしまいそうな脳内から懸命に言葉を手繰り寄せる。

「えーと、思ってたより元気そうで安心したよ、母さん」

「元気も元気よ。紘也の方こそ、ちゃんと食べてる? お勉強は頑張ってる? お友達に迷惑かけてない?」

「ああ、心配しなくてもちゃんと生活できてるよ」

 家事全般はこなせるし、学校の成績もいい方だ。友人関係も良好。一つ懸念点があるとすれば居候している幻獣たちだが、今そこを話しても仕方ないだろう。それこそ余計な心配だ。

 紘也は母の顔を今一度よく観察する。記憶と変わらないと思ったが、やっぱり痩せているし、皺も少し増えた気もする。

「体は、大丈夫なのか?」

「大丈夫、と言いたいところだけれど、嘘はつかない方がいいわね」

 母親は短く息を吐くと、おもむろに入院着の袖を捲くった。


 なんとも形容し難い赤黒い模様が、刺青を刻むように胴体の方までびっしりと浮き上がっていた。


 紘也は思わず息を呑み込んだ。

「痣? 火傷の痕じゃなさそうだけど」

「それは()()だぁよ、紘也少年」

「呪いだって?」

 いつの間にか隣に立っていた父親の顔を振り向く紘也。ありえない。紘也は火の魔術を暴走させて母親に大怪我を負わせてしまったが、呪いなんてものをかけた覚えはない。

「普通の怪我や火傷なんかはとっくの昔に完治してるんだ。でも、あの日お前が召喚した()()()()()が契約不履行の罰で与えた呪いを、鈴理が代わりに受けちまったのさ」

「は!? 待て、炎の精霊王? そんなもの喚び出した覚えはないぞ!? アレは確かに火の精霊の力を借りる魔術だったけど、王クラスの精霊を召喚するものじゃなかったはずだ!?」

「そこが紘也少年のデタラメなとこだったんだよねぇ」

「将来を期待されていた以上に自慢の息子だったわけね」

 つまり、紘也は魔術を暴走させただけでなく、そもそも魔術自体を間違って発動させてしまったということになる。いくら天才でも七歳の子供に精霊王の力など扱えるはずがない。暴走は必然だったと言える。

 二人は紘也を褒めているが、こんなのはただの凶器だ。やはりその時点で魔術を封印したことは間違っていなかったと紘也は思う。

「親父、母さんの呪いは解けるのか?」

「ぶっちゃけ、厳しいだろうね。未熟な魔術師に未熟なやり方で喚び出されて、精霊王はめちゃくちゃお怒りになったんだろう。その道のプロに診てもらったりエリクサーを試したりもしたが、呪いの進行を抑制するくらいにしかならなかったよ」

「じわじわと体を焼き尽くしていく呪いらしいわ。このまま治療を続けても、持ってあと十年って言われてるわね」

 あっさりと己の余命を告げる母親。紘也は堪らず、ついには恐れていた質問を投げかける。

「母さんは、その、俺のこと恨んでないのか?」

「どうして? 我が子を心配することはあっても、恨む〝母親〟なんていないわよ」

「でも、俺のせいでそんな体になったんだぞ」

「我が子を守れた勲章ね」

「そんな男の傷みたいに……」

 力こぶを作ってにっこりと笑ってみせる母親は、無理をしている様子でもない。どうやら本当に――


「奥様は本当に紘也様のことを恨んでなどいませんよ」


 そう答えたのは、ずっと黙って壁際に立っていた女性だった。ブロンドの長髪にエメラルドグリーンの瞳。胸元を大胆に開いた白いドレスを纏い、背中に緑色の半透明をした二対の翅を生やしている。

「そういえば、あんたらは?」

 変な格好だが、それだけじゃない。決して弱くない、人間とは違う魔力が感じられる。集中して『視』ると、契約のリンクがこの場にいるおっさんへと伸びていた。

 つまり――

「彼女たちは俺の契約幻獣で、鈴理の身辺警護を担当してもらってるんだ」

 そういうことだった。納得いく反面、またかと思わずにはいられない紘也である。

「私はアイグレーと申します」

 大学生くらいだろうか、一番年上らしい金髪白ドレスの美女が頭を下げる。

「フン、あたしはエリュテイアよ」

 ツンとそっぽを向きながら名乗ったのは、編み込んだ赤毛に紫の瞳をした高校生くらいの美少女だった。赤と黒を貴重としたドレスに、アゲハチョウのような鮮やかな翅をしている。

「ん、ヘスペレトゥーサ。よろしくおねます」

 少し舌足らずな口調で挨拶したのは、夕焼け色の髪と瞳をした小中学生くらいの少女。前髪で片目が隠れており、フリルのついた黄色のドレスを纏っている。背中の翅は節のある透明な楕円形だ。

「アイグレー、エリュテイア、ヘスペレトゥーサ……まさか、ヘスペリデスか?」


 幻獣ヘスペリデス。

 ギリシャ神話に登場する三姉妹の妖精(ニンフ)のことだ。名前には『黄昏の娘』という意味があり、巨神アトラスの娘もしくは夜の女神ニュクスから生まれたとされている。世界の西の果てにある楽園『ヘスペリデスの園』に住み、女神ヘラの果樹園――黄金の林檎が実る宝樹の〝守護〟を任されていた。とはいえ荒事は苦手なようで、そちらはまた別の幻獣が担当しているという。


「なるほど、守りに特化してる幻獣か。母さんの護衛ならウェルシュより適任かもな」

「流石は俺の息子。魔術師を辞めても知識は衰えていないようだぁね」

 ニヨニヨした笑みを浮かべて無精髭を生やした顎を擦るおっさん。紘也はつきたくなる溜息を飲み込んで問いかける。

「親父こそ、一体あと何体の幻獣と契約してやがるんだ?」

「そいつは今夜にでも紹介するさ」

「しかも美女や美少女ばかりで、母さんはなんとも思わないのかよ」

「ちょ!? ちゃんと野郎の幻獣だっているよ!?」

 今のところ契約を移したウェルシュとケツァルコアトルを含めても、ヴィーヴル、アルラウネ、九尾の狐、クラーケン、そしてここにいるヘスペリデス三姉妹。今のところ男に人化する幻獣を見ていないから疑わざるを得ないだろう。

「確かに辰久さんは女の子大好きだけれど、それはライクであってラブは私だけだとわかっているわ。それに私も可愛い子は好きなの。いろんなお洋服を作って着せて目の保養よ。目の保養。それだけでも呪いと戦っていけちゃうくらい」

「母さん?」

 母親が父親を信頼していることは伝わったが、そんなことより後半のセリフが気になる。心なしか目がうっとりして恍惚としている気がした。

 ふとヘスペリデス三姉妹に視線をやると、彼女たちは諦めたように瞳から光を失って――

「奥様の着せ替え人形一号です」

「二号よ」

「ヘスペレが三号になるます」

「母さん!?」

 紘也が視線を戻すと母親はバッ! と高速で目を逸らした。よくよく思い返してみれば、紘也と柚音も母親の着せ替え人形だった事実が浮上。最初に見たあのコスプレもそういうこと。他人に可愛い服を着せてテンション上げる趣味が母親にあったとは……幼い頃の美化されていた母親像に亀裂が入る紘也だった。

「そ、そんなことより紘也、もうちょっと近くに来て。顔をよく見せて」

「そんなことより!? 今俺の中で母さんのイメージが瓦解してるんだけど!?」

 これはちょっとスルーできない。紘也の鍛えられたスルースキルでも看過できない問題である。

「いいからいいから」

 よくない気もするが、紘也は仕方なく更に一歩ベッドに近づいて母親と目線が合う高さまでしゃがんだ。と、母親は紘也の頭に両手を回し、ぎゅっと抱き寄せる。

「よく、会いに来てくれたわね」

「母さん……」

 温かい。体が覚えている母の温もりだ。紘也がどんなに泣き喚いていたとしても、これをされると一発で落ち着くことができるだろう。

 もっとも、それは紘也がまだ幼かったらの話である。

「無理やりいい話な雰囲気に持って行こうとしてる?」

「チガウワヨー」

「目がすっごい泳いでるけど!?」

「ちなみにおっさんと鈴理はコミケで出会いました」

「おのれ余計な初耳情報を!?」

 この母とあの父がくっつくことができた理由が判明してしまった。少し目尻が湿り気を取り戻したことは内緒にしておく。

「奥様、そろそろ定期健診のお時間です」

 いつまで抱き締められているのだろうと思い始めた頃、金髪白ドレス――アイグレーが時間を確認して母親に耳打ちした。

「あら? もうそんな時間なのね。そんなに時間はかからないけれど、紘也はどうする? ここで待ってる?」

 ハグから開放された紘也は気恥ずかしい思いで目を背けつつ、少し逡巡する。待っていたい気持ちもあるが――

「いや、待たせてる連中がいるから一度戻るよ」

「噂に聞いていた紘也の契約幻獣たちね。今度はその子たちも連れて来てくれると嬉しいわ」

「ああ、わかった」

 やかましい連中だ。特にウロ。母の容態に響かないか不安だが、このまま会わせず帰国するわけにもいかないだろう。サミングを執行してでも大人しくさせねばなるまい。

「そうだ。紘也が帰国しちゃう前にお洋服作らなきゃ」

「いいよ、そんな無理しなくても」

「作らせて。今はこれくらいしか趣味がないの」

 ヘスペリデスに補助されながら車椅子に移動した母親は、どこか寂しそうにそう告げた。久々に紘也の服を作りたいのだろう。両手が、まだ動く内に。

 だったら、母の想いに応えるのが息子だ。

「わかっ――」

「フリフリのお洋服」

「ホントにいいからね!?」

 一体紘也になにを着せるつもりなのだろうか。母親に恨まれているかもしれなかった恐怖を軽く上書きされ、違う意味で病院に顔を出したくなくなった紘也だった。


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