Section-End エピローグ
ミース県ナヴァン――タラの丘。〈戴冠石〉の前。
「結局、おっさんたちは間に合わなかったってわけだぁよ」
魔術師の軍勢を引き連れた秋幡辰久は、地べたにどさっと胡坐を掻いて脱力したように長い息を吐いた。
ガサガサと頭を搔き乱し、〈戴冠石〉を見上げる。
「まさかここから異空間に行けるとはねぇ。世の中、まだまだ俺たちの知らないことばっかりだぁね」
異空間――トゥアハ・デ・ダナンは紘也たちの大暴れによりほぼ壊滅したと報告された。だが、異空間そのものと転移する術式は生きている。今後誰かが悪用しないとも限らない。
「ここを厳重に封印したらおっさんたちは撤退すっぞー」
「よろしいのですか?」
やる気なく適当にそう指示を出すと、隣に立った副官の女魔術師が訝しそうに訊ねてきた。
「ん? なにがよ?」
「娘さんを攫った者たちはまだ生き残っております。その大半は野良の幻獣。私怨でなくとも狩っておくべきではないかと」
「あー、それな。柚音は無事に戻ってきたし、紘也少年と修吾青年がぶちのめしてくれたからもういいかなって」
「もういいって……そんな軽いノリで……」
信じられない、と言うように副官は両目を大きく見開いた。
「その辺は修吾青年が上手くやってくれるよ。彼らに手を出さない、寧ろ支援する代わりに、おっさんたちは充分以上の見返りを得ることができる」
「見返り、ですか?」
「そろそろ『福音』が動き出してもおかしくない頃合いだ。その対抗手段の一つとして、前々から検討していた例の部隊の編成を急ぐ必要がある。彼を加えればまさに鬼に金棒だぁよ。元々そのつもりで修吾青年を派遣していたわけだからね」
「はぁ……」
副官はイマイチわかっていない様子だ。その件については連盟にも内緒で辰久と修吾が進めていたため、当然の反応だろう。
「では、息子さんと会われないのはどういった理由が?」
「そっちは別に深い理由なんてないさ」
よっこいせ、と辰久は立ち上がる。
「紘也少年とはロンドンで会う約束だ。こんな寄り道でしかない場所で会ってちゃフライングだろう?」
紘也にだって心の準備ってものが必要だ。そこはちゃんと予定通りに進めようという単純な親心である。
∞
アイルランド南西――カミーノール郊外。
荒れ果てた畑と林が広がるそこにポツリと建つオンボロの平屋を、数十数百という異形の生物が取り囲んでいた。
襲撃を受けている……わけではない。
「「「女王様バンザイ!」」」
「「「女王様バンザイ!」」」
「「「女王様バンザイ!」」」
彼らは平屋の前に佇む一人の少女に向かって、鳴り止むことのない女王様バンザイコールを送っていた。
「え、ちょ、どうしてわたしが女王様なの!?」
女王様と呼ばれる少女――アリサ・ポッツはこれ以上ないくらい戸惑っていた。
トゥアハ・デ・ダナンが崩壊しそうになった時、彼女は自分の命だけでなくまだ生き残っていた彼らも救おうとした。それは結果的に功を奏し、デュラハンを始め多くの幻獣たちが彼女の配下となることを望んだのだ。
理由はそれだけではない。彼女の類稀なる魔力の才は、ここにいる全ての幻獣と契約を結ぶことすら叶ってしまった。デュラハン以外のほとんどが力の弱い幻獣だ。全てを足してもドラゴン族ほど魔力供給に負担はかからないものの、恐らく世界中探してもこれほどの数の幻獣と契約している魔術師は存在しないだろう。
第二のトゥアハ・デ・ダナンと呼べるものが出来上がってしまうのは、当然の流れだった。
「フン、王たる俺を差し置いて『女王』か。貴様も偉くなったものだな」
「ああ、グリフォンさん!? 違うのこれはこの子たちが勝手に!?」
どうにか弁明しようとするアリサだったが、平屋の壁に凭れていたグリフォンはつまらなそうに背を向けた。
「ま、待って!」
慌ててアリサは彼の手を掴む。
「どっか、行っちゃうの?」
今にも泣きそうになりながらグリフォンを見上げるアリサ。グリフォンはそんなアリサをどこか冷徹な目で見下ろし、さっとその小さな手を払った。
「案ずるな。貴様は俺の所有物だと言ったろう? 使える内は捨てるつもりなどない。ただ、奴らと話をつけてくるだけだ」
そう言うとグリフォンは猛禽類の翼を広げ、風を纏ってその場から飛び去った。
彼との契約はまだ切れていない。そのことにアリサが安堵していると、後ろからしわがれた声をかけられた。
「……アリサよ」
「モルフェッサさん?」
振り向くと、ヤドリギに多くの魔力を吸われて瘦せ細ったドルイド・モルフェッサが立っていた。
「いろいろと、すまなかったのじゃ」
「わたしに謝られても困ります」
アリサを直接攫ったのはクロウ・クルワッハの独断だった。だから彼が本当に謝罪すべきは、アリサだけでなく迷惑をかけた人間や幻獣たち全員である。
なのに、モルフェッサは首を横に振った。
「この謝罪は此度の件ではない。そのペンダント、見せてくれんかのう?」
「?」
意味がわからず首を傾げながらも、アリサは壊れてしまった母の形見をモルフェッサに渡した。
「やはり、これは儂が人間社会で暮らしておった頃、ある女性に贈ったものじゃ」
「えっ!?」
「その女性は慣れぬ人間社会で借金までしておった儂にもよくしてくれてのう。魔術師でもないのに魔力が多くて心配じゃったから、魔除けとして作ってやったのじゃ」
モルフェッサは掌になけなしの魔力を集中させる。ドルイドの術式が発動し、砕けて壊れていたペンダントが時を戻すように修繕されていく。
「借金……ペンダント……嘘……」
ペンダントが直ったことよりも、アリサはモルフェッサの話の方に驚愕していた。
「もしかして、モルフェッサさんは――」
目尻に怒りとも喜びとも取れる水滴が滲む。
「――わたしの、お父さん?」
∞
「――というわけで、今後とも僕たちに協力してくれると嬉しいんだけど」
アリサの平屋から離れた林の中で、グリフォンは葛木修吾と対面していた。
「貴様ら連盟に加担する代わりに安全を保障する、と? この俺に貴様らの庇護下に入れというのか?」
交渉を受けたグリフォンは苛立たしげに相手を威圧する。だが、その程度の本気ではない〝王威〟などどこ吹く風というように、修吾は爽やかな笑顔を浮かべていた。
「ハハハ、そうじゃないよ。君は庇護が必要なほど弱くないだろう?」
「当然だ」
「君の契約者と、その周り全部だよ」
「……」
グリフォンは押し黙った。爽やかな顔をして言っていることは『アリサたちを人質に取る』と同義である。
無論、このお人好し魔術師にそんなつもりがないことはグリフォンも承知している。
「弱い幻獣とはいえ、魔術師でもないのにアレほどの数を従えていたら連盟も見過ごすわけにはいかなくなる。それに彼女はドルイドとのハーフらしいじゃないか。そんな珍しい存在はあらゆる組織から狙われるだろう。それこそ連盟がその筆頭になりかねない」
「……貴様らも俺の所有物を狙っているということか?」
「狙っていないよ。僕らの狙いは君だからね。これは取引だと思っていい。君は今まで通り自由にして構わないけれど、必要な時だけ僕らに手を貸してもらいたい。その代わり、僕らは君の契約者を支援する。あの大所帯を自給自足だけで賄えるとは思えないからね」
幻獣とて生き物だ。魔力がなければ消滅するが、食料がなくても普通に飢え死にする。必要ないのはアンデッドであるデュラハンくらいだ。
恐らく、アリサは自分の食料を削ってでも弱い幻獣を助けるだろう。
それで彼女が倒れてしまうのは、所有者であるグリフォンの意に反する。
葛木修吾の手を取れば、グリフォンが彼らにちょっと手を貸すだけでその問題が解決してしまう。
今回の件で奴には借りもあるが――
「君も無視できない懸念を伝えよう。たぶん、クロウ・クルワッハは消滅していない」
「なんだと?」
アリサを攫い、無謀にもグリフォンに喧嘩を吹っ掛けた慮外者が生きている。奴が力を取り戻せば、またアリサを狙ってくることは容易に想像できてしまった。
とはいえ、それはグリフォンがいればなんの問題もない。だが、奴にはきっちりトドメを刺さなければ気が済まない。
連盟に協力すれば奴の居場所を見つけられる、ということか。
「……チッ、魔術師らしい姑息な手を使うものだ」
「ハハハ、ありがとう」
「褒めておらん」
どうにも、この男はやりにくい。口車にまんまと乗せられるようで癪だが、時にはプライドよりも利益を取るのが王たる者の務めだ。
「……修吾を馬鹿にすると凍らせるわよ、鷲獅子?」
「やってみるがいい、雪女。この場で決着をつけてもよいのだぞ?」
修吾の傍に控えていた雪女がいちゃもんをつけてきた。ぶつけられる冷気を、風を纏って相殺する。
「うん、さっそく仲良くなってくれたみたいだね」
「貴様の目は節穴か?」
「……修吾は物事を好意的に見すぎよ」
二体の規格外から批難されるも、この魔術師はただ楽しそうに笑っていた。
∞
アイルランド首都――ダブリン。空港内。
秋幡紘也たちは連盟からの送迎便が到着するのをラウンジで待っていた。何気に不法入国してしまっているわけで、そこはなんやかんやで誤魔化してはいるが、流石に一般の飛行機に乗るわけにもいかなかった。
「柚音ちゃんも助けられましたし、一件落着でロンドンへ向かえますね!」
「……マスター、このチョコレート美味しいですよ」
《はぁ、結局吾はまた童女の姿に戻るのか……》
ラウンジの椅子に腰かけてお土産を貪っている契約幻獣たち。つい数時間前まで地下異空間の崩壊に巻き込まれそうになっていたとは思えない緊張感のなさだ。
紘也はそんな彼女たちに安堵を覚えつつ溜息をつき、隣に座っている妹に視線をやった。
「よかったのか、柚音? あのアリサって子に挨拶しなくて」
柚音とアリサは仲がよさそうに見えた。トゥアハ・デ・ダナンを脱出した足でさっさとダブリンへと飛んでしまったことに少し罪悪感を覚える紘也である。
柚音はお土産コーナーで買ったカラフルな羊のキーホルダーを眺めながら――
「んー、それがドタバタしててアリサちゃんがどこに帰ったのかわからないんだよね」
脱出時はウロたちに乗って文字通り飛んでいたのだ。彼女たちも脱出できたことは確認しているが、確かにドタバタしすぎてのんびり挨拶なんて余裕もなかった。
「そっか。修吾さんたちもいつの間にいなくなってるし。てっきり一緒にロンドンまで戻るのかと思ってたが」
修吾と六華はもしかして連盟として後始末をしてくれているのだろうか? だとすればますます紘也の肩身が狭くなる。
「また会えますよ、我が主」
「そうにゃご主人! ご主人のパパに頼めば一瞬で見つけてくれるにゃ!」
ケツァルコアトルとケットシーが慰めの言葉を告げる。と、柚音はケットシーの能天気な笑顔をじっと見詰めた。
「そういえばキャシー、あなた、私が捕まって大変だった時にマヌケ面晒してチヤホヤされていたわよね? まさか私のこと忘れてたのかなぁ?」
「ひにゃっ!? まさか見られてたにゃ!?」
表情に影を落とした柚音が焦ったケットシーの猫耳をびよんびよんさせる。猫アレルギーの紘也はそそくさと退散。ウロの隣へと席を移動する。
「ハッ! そうですよようやくお義父様にお会いできるんですからご挨拶の練習をしなければッ! あーあーごほん! 息子さんをあたしにください息子さんをあたしにください息子さんをあたしにくだぎゃあああああああ目がぁあああああああああああッ!?」
「空港内では静かにしろ」
「紘也くんのせいですよ!? 乙女にこんなことして連行されても知りませんからね!」
そこは大丈夫。誰にも見られない速度でサミングしたからウロがうるさいだけで問題ないはずだ。
と、ウェルシュのアホ毛がピコンと跳ねた。
「マスター、飛行機が到着したようです」
《ロンドンとやらに行けば吾が元に戻る方法も……》
「ふぇえええ、明るいの苦手だから飛行機の中暗いといいなぁ」
「紘也くん紘也くん! ほら早く行きますよ!」
「ああ――ってちょっと待て!?」
立ち上がった紘也は違和感を覚えてウロたちを見回した。明らかに一人、この場にいていいはずのない顔色の悪い少女が混ざっている。
「お前、バンシー!? なんでここにいやがる!?」
紘也は灰色のマントを羽織った少女に指を突きつける。その指に触れるとあばばばばすることをよく知っている彼女は、ビクッと震えて涙目になった。
「ふぇええええごめんなさいごめんなさいごめんなさい!? なんか慌てて逃げてたらついて来ちゃってごめんなさい!?」
「なんか一人増えてると思ったら、誰なのお兄?」
「トゥアハ・デ・ダナンの生き残りだよ」
警戒するも、バンシーに戦意がないことはなんとなくわかる。あったとしてもこの面子だ。叩き潰されるのに一秒とかからない。
「あ、あのあの、ここまで来ちゃったからにはなにかの縁なので、えっと、そのう、私も仲間に入れてほしいなぁって」
チラッチラッと紘也をあざとい上目遣いで見てくるバンシー。なんかイラっとした。アンデッドならサミングしても大丈夫だろうか?
「あぁ? あんたなに紘也くんに色目使ってんですかぶっ殺しますよ!?」
「……ウェルシュは〝拒絶〟します」
《いや待て己ら。こやつ非常食によいんじゃないか?》
「非常食!?」
「なるほど、山田にしてはアリな提案ですね」
「……じゅるり」
「いやお前らアンデッドだぞこいつ?」
絶対腹を壊しそうなのに、ドラゴン族の食欲は人知を超えていると呆れる紘也だった。
「ふぇええええええええん!? 行く場所がないんですぅ!? 役に立ちますから見捨てないでくださいぃいいいッ!?」
と、バンシーが紘也に縋りついて大泣きを始めた。周りの一般客がなんだなんだと注目してくる。
「ええい泣き止め!? とりあえず、お前の処遇はロンドンに着いてから考えるから!?」
居たたまれなくなった紘也は、仕方なく一旦保留にしてバンシーもロンドンまで連れていくことにするのだった。