Section5-6 栄光と神
秋幡柚音は戸惑っていた。
「なに、この格好……?」
柚音は現在、エプロンドレスと帽子タイプのホワイトブリム――いわゆるヨーロッパ系のメイド服に着替えさせられていた。日本のメイド喫茶で見られるようなものではなく、もっと一昔前の民族的な衣装だ。
「えっと、よく似合っていますよ?」
同じくメイドの格好をしたアリサも困惑しているのだろう、お世辞が疑問形になっている。無骨な牢屋とメイド服がミスマッチ過ぎて柚音も引き攣った笑みを浮かべそうになるが、それよりもこんな格好をさせた相手をキッと睨みつける。
「私たちをメイドにして、なにをさせるつもり?」
鉄格子の向こう。そこにたっぷりの白鬚を蓄えた不愛想な老人が立っていた。一見人間のように見えるが、感じる魔力は人外のそれだ。
「給仕の仕事は給仕に決まっとるじゃろう。面倒なことに、『牧場』の中で最も魔力の多い女を要求されての。言っておくが、その格好は儂の趣味ではない」
老人は面倒そうに溜息を吐いた。彼の佇まいや雰囲気から察するに、ただの使いッパシリの下っ端ではなさそうだ。油断はできない。
アリサが一歩前に出る。
「モルフェッサさん、その要求した人ってもしかして……」
「クロウ・クルワッハじゃよ」
やっぱり、と身を縮こませるアリサ。その人物名には聞き覚えがある。アリサに柚音の世話をするよう命じた者だったはずだ。この老人がそうなのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「着替え終わったのなら出るんじゃ。ああ、抵抗は無駄じゃぞ。杖を持たぬ新米魔術師ごとき、簡単に捻り潰せるからのう」
言われ、柚音は歯噛みする。杖がなくても魔術を使えなくもないが、柚音の得意分野は儀式魔術を含む魔女術だ。『杖』というシンボルが特に重要になる以上、付け合わせのような魔術だけでの戦闘は無謀すぎる。
仕方なく、柚音たちは指示通り牢から出て老人の後に大人しくついていくことになった。
「モルフェッサさん、だっけ? あなたはなんなの?」
遺跡のような狭い通路を移動しながら、柚音は少しでも情報を集めようと質問を口にした。老人――モルフェッサは振り向くことなく、ランタンで前方を照らしながら答える。
「儂はトゥアハ・デ・ダナンで『賢者』と呼ばれておるドルイドじゃ」
ドルイド……ゲームなどでもたまに出てくるケルトの司祭だ。連盟にも何人か所属しているため柚音も初めて見たわけではない。偏屈そうな雰囲気なんかは共通している。
「クロウ・クルワッハっていうのは?」
「自らを神と称する暗黒竜じゃよ。気に食わん奴じゃが、トゥアハ・デ・ダナンの再興に最も貢献しているのも事実。奴の要求は余程でないと断れん」
神の位を持つドラゴン族。それは柚音と契約しているケツァルコアトルと同格かそれ以上ということ。そんな存在を相手にしては、たとえ杖を持っていたとしても蟻が怪獣に立ち向かうようなものだ。
「アリサちゃんは会ってるんだよね?」
「はい、すごく怖い感じの男の人でした」
身震いするアリサは、きっと少なくないトラウマをそいつに植えつけられているのだろう。魔術師でもないこんな小さな子に、と思うと怒りが沸々と湧いてくる。いざという時は柚音がしっかりせねばなるまい。
そのためにも、もっと情報が必要だ。
「人間を攫っているのは、あなたたちに魔力を供給させるため?」
「先程から探りの入れ方があからさまじゃぞ、魔術師よ。まあ、隠す意味はないの。答えられる質問には答えてやろう」
「それはありがたいわね。で、人間を攫っている理由はそういうことでいいの?」
「その通りじゃ。人間は魔力供給を兼ねた労働力としてトゥアハ・デ・ダナンになくてはならぬ存在じゃからのう」
「だったらもう少し待遇をよくしてもらいたいものね」
「そうすると反乱の力を蓄えてしまうじゃろう。今のバランスが丁度良いのじゃ」
人間の気力や思考力を奪うためにあえて過酷な状況にしている、ということらしい。たとえ人間たちが万全の状態でも、そのほとんどが一般人なのだから幻獣相手に勝てるわけがない。それでもそうしているということは、このモルフェッサというドルイドは余程用心深いのだろう。
「質問を変えるわ。私がここに来てからどのくらい時間が経っているの?」
「一日と数時間といったところじゃ。地上はもう少しで夜明けじゃろうな」
「それにしてはみんな活発に動いているわね」
柚音は吹き抜けになった空間に造られた街並みを見渡す。地下とは思えない広い空間に石造りの家々が軒を連ね、様々な幻獣たちが活気づいている。
「夜行性の幻獣も多いし、なにより儂らの活動は夜が主じゃからのう」
なるほど、昼夜の生活リズムを逆転させているということか。
「アリサちゃんはどのくらいここにいるの?」
「たぶん、三日くらいじゃないでしょうか?」
ずっと地下空間に閉じ込められているためか、アリサは曖昧に答えた。
「小さいのに、よく頑張ってるわね」
「こ、子供扱いはしないでください。わたし、これでも自立してるんです」
むんと胸を張るアリサ。小学校高学年ほどの子供が自立しないといけない状況は気になるが、今そこを問い詰める意味はない。
柚音は改めてモルフェッサを睨む。
「このトゥアハ・デ・ダナンは実際のところなんなの? あなたたちはなにを目的にしているの?」
問うと、モルフェッサはどこか遠い目をして天井を仰いだ。
「神話の時代。儂らは戦に敗れ、この地に逃げ延びたのじゃ」
「?」
問いの答えとは思えない言葉に柚音は困惑する。
「この隠された世界は外敵に見つかるようなこともなく、それはもう長く栄えたものじゃ。神の加護があり、幻獣たちは飢えることなく、人々は笑って生活しておった」
昔を思い出すように語るモルフェッサだったが、急にその語気を強くする。
「儂は、あの頃の栄光を取り戻す! 世界に多くの幻獣が解き放たれた今が、その好機。民を増やし、国を潤し、幻獣たちにとっての楽園を築き上げるのじゃ!」
栄光を取り戻す云々はわからないが、それは柚音がほぼ予想していた通りの答えだった。
「幻獣の楽園ね。人間は奴隷か家畜になるしかないの?」
「ああ、そうじゃ。貴様ら人間が支配すれば無用な争いが生まれる。人間を自由にさせると必ず裏切る。儂は、かつての過ちを繰り返すつもりはない」
どこか人間に対する憎しみさえ感じさせるモルフェッサの言葉に、柚音はごくりと息を呑んだ。
「過ちって――」
訊こうとした、その時だった。
「にゃっはっはっは! もっとにゃ! もっと魚を持ってくるにゃ!」
聞き知った高笑いが通路に響いてきた。
声がしているのは、玉座の間に似た広い空間。その一番高い場所にふんぞり返っている猫耳少女は――
――なにやってんのよキャシー!?
だった。
入口からその姿を見て愕然とする柚音だったが、すぐに気を取り直してケットシーに助けを求めようと声を張る。
「キャ――むぐっ!?」
だが、柚音の口をモルフェッサがなにかの魔術で塞いでしまった。
蔓が何重にも絡みついている。声が一切出せなくなり、柚音は恨みがましくモルフェッサを睥睨した。
「騒ぐでない。質問も終わりじゃ」
それからまたしばらく歩かされ、柚音たちは玉座の間ほどではないが豪奢な一室に案内された。
「着いたぞ。奴は一応このトゥアハ・デ・ダナンの守護神。あまり怒らせんようにな」
モルフェッサは柚音にかけた蔓の魔術を解くと、部屋の奥にある椅子に座るボルサリーノハットの男を見た。
「クハハ、遅かったじャねェかモルフェッサの爺さんよォ! 待ちくたびれて先に始めちまッてるぜ?」
ビールジョッキになみなみと注いだ酒を一気に呷る男が、クロウ・クルワッハだろう。飄々とした雰囲気を纏っているのに、その奥底から放たれる異様な気配に柚音は再び声を失った。
対峙しただけでわかる。
――絶対、勝てない。
「あァ? おいおい待て待て、オレは『女』とは言ッたが『ガキ』とは言ッてねェぞ。せっかくのメイド服が台無しだ。そいつらに酌されても嬉しかねェだろうが」
酔っているのかいないのか顔色からではわからないクロウ・クルワッハは、柚音たちを見て不満げな声でそう告げた。
「『最も魔力の多い女』はダントツでこの二人じゃ。嫌なら質が五つは下がるが、それでもよいかの?」
「チッ……まァ、そッちの魔術師見習いは初めましてだが、金髪のガキの方はオレがわざわざ攫ッてきた上玉だからなァ。不味い魔力を喰らうくらいならそッちの方がマシか」
モルフェッサにそう言われ、クロウ・クルワッハは額に手をやりながら渋々といった様子で納得した。その遣り取りから二人は対等な関係だということがわかる。
「ならば用は済んだな。儂はもう戻るぞ」
「相変わらずつれねェなァ。一緒に飲もうぜ」
「儂は儂で忙しいんじゃよ。貴様だけをトゥアハ・デ・ダナンの最高戦力にしておくわけにはいかんからのう」
「クハハ、そうかい。そろそろできそうなんだろ? 完成したらオレにも見せろよ。ドルイドの作る『兵器』とやらと一戦試してみてェ」
なにやら不穏な会話がされている。モルフェッサはそれ以上その件には触れるつもりはないらしく、静かに踵を返した。
「そいつらは貴様に預けるが、直接喰らうでないぞ?」
「わかッてるさ。命ごと喰っちまったらそれッきりだからなァ」
クツクツと笑うクロウ・クルワッハの方には振り向くこともせず、モルフェッサはそのまま足早に部屋を去って行った。
すると――ひょい、と。
クロウ・クルワッハがサファイアのような青い石を柚音とアリサに投げ寄越してきた。
「その魔石にてめェらの魔力を限界まで溜めろ。ジョッキ代わりだ」
これがアリサの言っていた魔力を貯蓄する綺麗な石。一般人に魔力を流せと言ってもわからないから、恐らくこれを握るだけで魔力が吸われるような加工がされているのだろう。
「……」
「早くしろ」
急かすクロウ・クルワッハに、柚音とアリサは顔を見合わせて頷くと――同時に魔石を握り締めた。
瞬間、体感できる速度で自分の意思とは関係なく魔力が石へと流れていく。
「うっ……」
「うぁ」
魔石はすぐに許容量に達した。柚音の魔力はまだまだ余裕があるものの、強制的に奪われた脱力感に襲われてしまう。
「アリサちゃん、大丈夫?」
「はい、なんとか」
少し息を乱しているが、アリサもまだ問題なさそうだ。なんなら柚音より余裕がある。彼女の魔力量は並の魔術師より遥かに多いようだ。
「ほら、終わったなら寄越せ」
柚音たちから魔石を引っ手繰ったクロウ・クルワッハは、大きく口を開き、まるでレモンを搾るように魔石を握り絞めた。すると、魔石の端から液状化した魔力が果汁のように滴ってクロウ・クルワッハの口内に消えていく。
「カァーッ! これだこれだ。美女はいねェが魔力は美味ェ! ほら、もう一杯だ!」
魔力を嚥下したクロウ・クルワッハが仕事帰りのオヤジのような奇声を上げると、空になった魔石を再び柚音たちに差し出した。
それを、すぐには受け取らない。
柚音も、アリサも。
「クハッ」
クロウ・クルワッハが噴き出す。
「いいねェいいねェ。反抗的な目ェしてやがる。クハハ、なにか希望でも持ッてやがんのかァ?」
不快になるどころか、愉快そうに彼は嗤った。
「絶対にあの人が助けに来てくれる。あなたには負けません!」
「私も、お兄たちが来てくれるって信じてるから」
「へェ、そりャ面白ェことになりそうだ……あん?」
と、クロウ・クルワッハがなにかに気づいたように天井を見上げた。
「どうしたの?」
柚音が問うと、クロウ・クルワッハは魔石を放り捨てて勢いよく立ち上がる。それから外套を翻し、大仰に両腕を広げた。
「クハハハハ! 面白ェ! 実に面白ェ! 本当にてめェらご希望の王子様がやッて来たみたいだぜ!」
「「えっ!?」」
柚音とアリサが素っ頓狂な声を漏らした、その瞬間――ちゅどぉおおおおおん!!
巨大な爆音と共に、地下都市全体が大きく振動した。
「おーおー、派手に暴れてやがんなァ。ちょいと挨拶してくるか。てめェらはそこで大人しくしとけ」
「ま、待ちなさい!?」
クロウ・クルワッハを追おうとした柚音だったが――
「――ッ!?」
突如、足下から噴き上がった闇に成すすべなく呑み込まれてしまった。




