Section4-4 ライノット・ファミリー
旋風が建物の壁も柱も人も関係なく裂き飛ばす。
アイリッシュ・マフィア『ライノット・ファミリー』の豪邸では、止むことのない銃撃と怒号、そして悲鳴が響き渡っていた。
「こ、これ以上奴らを進めるな!?」
「くそっ、銃も魔術も全く効かねえ!?」
「幻獣には幻獣だ!?」
マフィアの指示を受けて二体の人外が通路に飛び出した。それは赤い古着を纏い髑髏の杖を握った鼠頭の男と、大人の人間ほどの大きさをしたカワウソだった。
鼠男の方はフィル・ダリク。アイルランドに伝わる醜悪な妖精であり、海岸付近の沼地で死肉を喰らっているとされる幻獣だ。
巨大カワウソはダウルフー。アイルランド・ゲール語でそのまま『カワウソ』を意味する名前の湖の王で、人間や動物を好んで食べる獰猛な幻獣である。
これが単なるマフィア同士の抗争であれば、その二体の姿を見ただけで敵は慄き逃げ惑うことだろう。
だが――
「人化もできぬ雑魚が。平伏せ」
二体の幻獣は襲撃者に近づくこともできないまま、ガダン! と床に叩き伏せられた。そして即座に飛んできた風刃が首を刎ね、死体はマナが乖離し空気に溶ける。
「フン、魔術は齧った程度で従えている幻獣も雑魚。魔術結社というからにはもう少し骨があると思ったのだがな」
襲い来る火球や銃弾の雨を腕の一薙ぎで弾き返すグリフォンは、敵がそれでも諦めず無駄な足掻きを続けることに苛立ちを覚えていた。
「修吾がもっと穏便に行動しようって言ったのに、やっぱり鳥頭なのね」
風に冷気が混ざる。それは炎の魔術ごと一瞬で術者たちを氷漬けにし、豪邸の一角を極寒の地獄へと変貌させた。
背後からゆっくりと歩み寄る規格外の雪女――六華に、グリフォンは小さく舌打ちする。
「貴様らの温いやり方に付き合うつもりはない。面倒だ。どの道、叩き潰すことに変わりはあるまい?」
「……これだから馬鹿は」
「貴様、王たる俺に今なんと言った?」
周囲のマフィアたちが腰を抜かすほどの〝王威〟が放たれる。だが、それを向けられた六華は冷めた表情のまま睨み返していた。
「ハハハ、彼は一秒でも早くあの少女を助けたいんだよ。だから六華、多少の焦りには目を瞑ってあげないと」
睨み合う二人の後方にいる司令塔の魔術師――葛木修吾は陽気に笑っていた。
「おい魔術師、貴様の前向き思考で王である俺を測るな。俺は自分の所有物を奪われることが我慢ならんだけだと言ったはずだ」
「うん、そうだね。宝の番人。それが幻獣グリフォンの性質だ」
「……ただのツンデレのロリコンだと思うわ」
「殺すぞ、雪女?」
「……やれるものなら」
殺気を含んだ風と冷気が衝突する。それだけで最前線に立つマフィアたちは次々と気を失っていく。
と――
「そ こ ま で だ! FUUUUU!」
殺気を物ともしないふざけた声が通路に響いた。
恐れ慄くマフィアたちを掻き分けるようにして、パイプを加えた優男が姿を現した。
彼はグリフォンを、修吾を、そして六華を見ると――カッ! と両の目を見開く。
「ああ! ああ! なんと美しい! 美しさFUUUUU! そこの銀髪の君、このボクに名前を教えてくれないかな?」
「……は? 嫌よ」
即答する六華。だが、優男はそんなことになど一切めげずに擦り寄ってくる。
「FUUUUU、つれないところも素敵だ。ボクはガンコナー。麗しき妖精さ。君のような女性に戦いは似合わない。さあ、ボクと向こうで優雅なティータイムを過ごそうじゃな い か!」
「……」
ただでさえ氷点下な六華の視線が絶対零度の領域に達しようとしていた。
「……修吾、なんなのこの気持ち悪い奴?」
「ガンコナーはアイルランドの妖精だよ。『愛の語り手』という意味だね」
幻獣ガンコナー。
人里に現れるや若い女性を口説き、〝魅了〟の特性で恋心を抱かせた後に姿を消すと伝えられている妖精族だ。〝魅了〟された女性は彼のことを忘れられず、恋焦がれすぎて死んでしまうという。
「フン、要するに『言い寄り魔』だ。雪女、貴様には丁度いい。そのまま溶けて死ね」
「……私には修吾がいるわ」
六華が修吾の腕を取って身を寄せる。すると優男――ガンコナーは片膝をつくと、気障なポーズで六華に手を伸ばした。
「そんなこと言わずにFUUUUU! ほら、昔の男のことはボクが忘れさせてあげるからFぐあぁあッ!?」
伸ばした手をあっさり凍らされたガンコナーが悲鳴を上げた。
「黙りなさい。あなたごときの〝魅了〟なんて通じないわ」
「FU、わ、やめ……やめて……」
「ねえ、どうして修吾を過去の人みたいに言ったの? ここにいるでしょう? 今も昔もこれからも、私は修吾だけのものなのよ」
冷酷に、淡々と、六華は告げる。冷気が腕から這うようにして広がり、ガンコナーの全身がピキピキと凍りついていく。
「か、体が、ボクの体が凍って……」
肩が、胴体が、足が、首が、次々と機能を奪われそして――
「FUUUUUUUUUUUUUUUU!?」
バキン! と呆気なく砕けてマナへと還った。
それを見届けた六華は、より強くぎゅーっと修吾の腕に抱きつく。
「……でも修吾になら私は溶かされてもいいわ」
「うん、ありがとう。六華は僕のために怒ってくれたんだよね」
「チッ……大概だな、こいつら」
これ以上見ていると砂糖をマーライオンしそうだったので、グリフォンは視線を敵であるマフィアたちへと戻した。
「ガンコナーもやられた!?」
「あのスノーウーマンを引き入れられれば優位に立てると思ったのに!?」
「ならば魔術師だ! 魔術師を狙え! 魔力供給されなくなれば幻獣など恐れるに足らん!?」
彼らは酷く狼狽しているが、それでもまだ戦意は挫かれていないらしい。銃口や魔術の照準を修吾に向け、一斉射撃を開始する。
しかし、無駄だ。
「なるほど、君たちが取れる手段はもうそれしかないのか。でも、僕はそうやって舐められるほど弱くはないよ?」
修吾は六華を背中に庇うと、護符を握った片手を前方に突き出す。
「――虚ノ太刀・鴉燬眼」
護符が弾け、鞘に収まった宝刀が姿を現す。修吾は素早く刀を鞘から抜くと、一瞬で通路を走破して銃弾や魔術を全て斬り飛ばした。
刀身に纏う炎が斬った銃弾や魔術を虚空に消し去る。
「う、嘘だろ」
刹那の出来事に理解が追いつかないマフィアたちを刀の峰で気絶させ、修吾は最奥の部屋の前に立った。
ライノット・ファミリーのボスの部屋だ。
「どけ」
グリフォンが乱暴に前へと出る。そして掌に風を纏い、ドアノブを回すことなく扉を吹き飛ばした。
書斎のような部屋には、執務机を挟んで一人の中年男性が座っている。
「貴様がゴミどものボスだな?」
ライノット・ファミリーのボス――ジェイムズ・ライノットだ。
「……なにが望みだ? 我々を潰すことが目的ではないのだろう?」
彼はもはや逃げることは諦めているらしく、冷や汗を掻きながらグリフォンたちに問うた。
「クロウ・クルワッハはどこにいる? ここにいなければそれでもいい。奴の巣を教えろ」
「わ、我々は奴と取引をしていただけだ。魔力の強い魔術師ではない人間を攫い、多額の報酬と引き換えていた。その人間を奴がどこへ持って行き、どうしているのかまでは知らん。まあ、奴は野良のようだからな。攫った人間を喰っているのではないか?」
言葉に〝王威〟を込めて詰問したのだ、怯んだ様子のジェイムズにここで嘘を吐けるほどの精神力はない。
知らないと言ったのなら、本当に知らないのだ。
「なぜ彼と取引を? 歴史あるマフィアで魔術結社でもあるあなた方が、そんな怪しい話に乗るとは思えない」
「我がファミリーは連盟に加入していないし、する気もない。だがそれ故に活動が制限され徐々に財政難へと陥っていた。奴の話は縋りつく藁だったのだ」
魔術師連盟からすればライノット・ファミリーは犯罪魔術結社。懲罰対象だ。加入などできるはずがないのだ。
もっとも、そんな事情などグリフォンには関係ない。
「そうか、ならばいっそ楽にしてやる」
「こらこら、殺しちゃダメだって」
「チッ」
風の刃を放とうとしたグリフォンの肩を修吾が止めた。この魔術師は人間だけはどうあっても殺させない。その甘さに反吐が出そうになるグリフォンである。
修吾のやり方は気に食わないし従うつもりもない。ただ、その一線を越えてしまうと利用することが難しくなってしまう。王たる者として、我慢はできる。
「ジェイムズ・ライノット氏、彼についての情報は他にないのかい?」
「い、いや、我々とて俄だが魔術結社だ! 詮索するなと言われているが、奴の動向については探った!」
尋問を交代した修吾が訊ねると、ジェイムズは必死に思い出すようにして声を荒げた。
「『トゥアハ・デ・ダナン』――奴のアジトは確か、そう呼ばれている! 行き来は奴の持つ転移の魔導具で行っていたようだ。だから、転移先がどこにあるのかまでは突き止めていない。悪いが、私が知っていることはそれだけだ」
「種族名を場所の名前にしているのか。面白いね」
「名前などどうでもいい」
なにか由来のある地がそうなのかもしれないが、生憎とグリフォンはアイルランドの神話や地理になど詳しくない。修吾の様子からするに、その名称だけで特定できるものではなさそうだ。
であれば――
「おい、魔術師」
「なんだい?」
「奴が関わっているマフィアはここだけじゃないのだろう?」
「そうだけど、どうするつもりだい?」
怪訝そうに眉を顰める修吾に、グリフォンは苛立ちを隠しもせず告げる。
「片っ端から潰す。奴のことは知らなくとも、『トゥアハ・デ・ダナン』という場所についてならどこかに一つくらい有益な情報はあるだろう。リストを寄越せ」
「……短気ね」
「黙れ。貴様らのペースに合わせていたら日が暮れる」
「ああ、鳥目は夜になるとつらいのね」
「気が変わるぞ? 本当に貴様から引き裂いてもよいのだぞ?」
またも殺気の渦が部屋の中を支配する。おかげでジェイムズ・ライノット氏がそれにあてられて気絶してしまった。
「ハハハ、やっぱり仲がいいよね、二人とも」
「魔術師、貴様の目は節穴か?」
「……いくら修吾でも今の言葉は認められない」
不満の視線を受けるも修吾は柳に風と流し、グリフォンにメモ帳の切れ端を差し出す。クロウ・クルワッハが関わっているマフィアの名前と場所のリストだ。
「わかったよ、グリフォン君。この調査には人命が関わっているんだ。早い方がいい。でも、わかっているよね?」
「人間は殺すな、だろう? 幻獣はよいのに人間は守る。所詮貴様も連盟の犬だな」
グリフォンは修吾からメモを受け取ると、突風を放って邸の天井に大穴を穿った。
「僕らはもう少しこの邸を調べてみるよ」
「勝手にしろ。俺も勝手に動く」
「なにかわかったら連絡する。君もそうしてくれ。必ず力になるから」
「フン、せいぜい利用してやる」
言うと、グリフォンは背中に広げた翼を大きく羽ばたかせ、あっという間に空の星と化した。
グリフォンが飛び去ったのを見届け、修吾は室内を見回した。
「さて、僕らは僕らで調べよう。どこかに痕跡があればいいのだけれど」
グリフォンが破壊しまくったから証拠が埋もれてしまったかもしれない。彼の言葉ではないが、修吾としても日暮れまでにはライノット・ファミリーの調査を終えたいと考えている。
と――
「うわっ、めちゃくちゃじゃないか!?」
「これだけ派手にぶっ壊して人間が誰も死んでないって、逆に凄いですね。あたしなら余裕ですが!」
「……幻獣の臭いが残っています」
《ぎゃん!》
「紘也様、ヤマタノオロチが瓦礫に躓きました」
「ボスぅううううう!? ボスぅうううううう!? 大丈夫ですかぁああああッ!?」
部屋の外から、そんな騒がしい声が聞こえてきた。
「ハハハ、どうやらお客さんみたいだね」
爽やかに笑い、修吾は破壊された扉の方に目を向けた。