Section3-9 協力関係
「……なんだと」
胸部からの流血を見てクロウ・クルワッハは瞠目した。
「君は攻撃を受ける一瞬で実体化を解除しているようだからね。その因果を断ち切れば、〝闇〟になれず僕の刃を受けることになる」
修吾は刃に付着した血を払うと、静かな動作で鞘へと納める。そんな修吾の涼しげな態度にクロウ・クルワッハは苦虫を噛み潰したような顔をし、掌に闇を収束させて修吾へと射ち放った。
「魔術師が、薄皮一枚斬ッた程度でいい気になッてんじャねェぞ!」
修吾は日本刀で闇を斬り払う。だがそこにクロウ・クルワッハの三日月が連射され、氷の階段の一部を喰い消されてしまった。
「あっ」
支えがなくなり、修吾の体は氷の階段ごと空中に投げ出された。この高さから落ちれば普通なら即死だろう。が、修吾ほどの魔術師ならばダメージにもなるまい。
グリフォンが助ける義理もない。
そんなことより、クロウ・クルワッハがグリフォンを眼中から外したことが腹立たしい。奴は落ちていく修吾に向かって飛び、日本刀に闇の手を伸ばす。
「その剣が手品の種だろォ? だったら奪っちまえばてめェはオレを斬れねェよなァ!!」
日本刀が修吾の手から弾かれる。
勝ち誇るクロウ・クルワッハ。
だったが――
「――シッ!」
修吾は新しい護符から別の日本刀を取り出し、その腕を肩口から斬り飛ばした。刀からはなんの力も感じない。真の意味でただの日本刀だった。
「なッ!?」
「なにか勘違いしているようだけれど、〈因果斬り〉はあくまで僕個人の陰陽剣術だよ? 今君が弾いた刀は確かに特殊だけれどね」
修吾が取り出した日本刀を左手に預けると、弾かれたはずの宝刀がその右手へと収まる。そして鞘から抜き放つと、よろめいて下がるクロウ・クルワッハに向けて突きつけた。
「――虚ノ太刀・鴉燬眼」
轟ッ!! と。
刀身から溢れた紅蓮の炎が渦を巻き、凄まじい熱量を持ってクロウ・クルワッハに襲いかかった。闇化すれば熱など効かない――などと考えるほどクロウ・クルワッハも馬鹿ではないらしく、紙一重のところでかわす。だが、僅かに掠めた炎が奴の外套の端を燃やした。
クロウ・クルワッハの〝闇〟から作られた外套を、だ。
「これは葛木家の宝刀が一振り。僕の魔力を喰らい、万象を虚無へと帰す炎の魔剣だよ」
「……理解した。てめェがオレへの攻撃手段をいろいろ持ッてやがることはなァ!」
クロウ・クルワッハの魔力が高まる。次の瞬間、奴の体から爆発した〝闇〟が辺り一帯の空を黒く染め上げた。
「だがなァ、そんなくだらねェ小細工でこのオレを上回れると思うなよ! 魔術師がァ!」
闇が降る。
落下していく修吾を呑み込まんと迫る。流石にあの規模を小手先の技でどうにかするのは不可能だろう。
助けるつもりはないが。
「王たる俺を無視するとは、余程死に急ぎたいらしいな」
グリフォンの攻撃は効かないと思っているクロウ・クルワッハは、隙だらけだった。
荒れ狂う嵐の刃がクロウ・クルワッハを〝闇〟ごとずたずたに引き裂く。
「がはッ!?」
吐血し、クロウ・クルワッハは目を見開いた顔をグリフォンへと向ける。なぜ攻撃が通ったのか? そんな疑問と驚愕に満ちた表情だった。
「驕るなよ爬虫類。貴様が〝闇〟そのものだろうと、この俺に引き裂けぬ道理はないと知れ」
奴の無敵が意識的なものだと知れれば簡単だ。グリフォンの〝王威〟は意思を竦ませ、あたかも切り裂いたかのように霧散させる。そうやってかつてはウロボロスの〝貪欲〟すらをも引き裂いた。
弱まった〝王威〟でも、こちらを意識していないところの不意打ちならば余裕で通じる。
「どォーなってやがる? この人間もそうだが、てめェもただのグリフォンじャねェのか?」
「俺は王だと言っている」
鷲獅子の王は、神を殺す竜を見下す。クロウ・クルワッハは斬り飛ばされた肩口へ闇を集結させて腕を再生すると、驚愕していた顔が次第に楽しそうな笑みへとシフトした。
「クハハ、面白ェ! その強さ気に入ッたぞ! どうだ? てめェもオレたちの『国』に来ねェか? 幻獣の幻獣による幻獣のための楽園――トゥアハ・デ・ダナン。ただまだまだ建国途中でなァ、そいつらみてェな弱小マフィアに取り入ッて物資や魔力の多い人間を調達しているッつうところだ」
「興味がない」
なにを言い出すかと思えば、くだらない勧誘だった。
「生憎とまだ『王』の座は空席だ。なんならてめェが座ッてもいいんだぜ?」
「興味ないと言った。そのようなくだらん飾りでしかない王には貴様がなればよかろう」
「オレは面倒な立場は御免でなァ! それにオレは『王』じャあない。『神』だ!」
あくまで王の上だと豪語するクロウ・クルワッハには苛立つが、グリフォンはそれを表には出さず静かな殺気を込めて告げる。
「選べ。俺の契約者を返してから死ぬか、死んでから俺の契約者を返すか」
「どッちも変わんねェなァ! 言っとくがオレはしつこいぜェ? 興味がねェなら、興味を持ッてもらうしかねェよなァ!」
パチン、と。
クロウ・クルワッハが指を鳴らす。すると、アリサを閉じ込めている球体の側に闇の渦が出現した。
そこから現れたのは、黒い鎧に身を包み、首なしの馬に跨がった騎士だった。金髪の美女の首を脇に抱えたその幻獣は――
「デュラハンだと?」
だった。
クロウ・クルワッハの言葉からマフィアではない仲間がいることはわかっていたが、この場に現れるとはグリフォンに引き裂いてくれと言っているようなものである。
「そこをどけ、下等なアンデッドよ」
グリフォンは〝王威〟で威圧する。しかしアンデッドであるデュラハンは恐怖というものを感じないらしい。微動だにせず、人差し指をグリフォンに向けてきた。
「汝に死を」
グリフォンの目の前に突如出現する大量の赤い液体。
「おっと」
それを、再び氷の階段で登ってきた葛木修吾が斬り払った。
「……余計なことを」
「いやいや、今のは〈死の宣告〉だよ。くらっていたらグリフォン君でも死は免れない」
「チッ」
舌打ちするグリフォンだが、今は修吾に構っている暇はない。クロウ・クルワッハがデュラハンと並び、アリサを閉じ込めている球体ごと闇の渦で消えようとしていた。
「今日のところはここでさよならだ! 次に会う時はいい返事を期待してるぜ! それによッちャあこの人間の処遇も決まるかもなァ!」
「待て貴様!」
グリフォンは〝王威〟の風を放つ。だがそれは奴らを捉えることなく、虚しく宙を空振ってしまった。クロウ・クルワッハの気配も、デュラハンの気配も一切感じない。
転移した距離は決して近場ではなさそうだ。
「……クソが」
グリフォンは吐き捨てるように悪態をつく。苛立たしい。クロウ・クルワッハもそうだが、なにより所有物をまんまと持ち逃げされた自分の不甲斐なさが癪だった。
以前のグリフォンならこのような失態は犯さなかっただろう。
――俺は、どこまで弱くなっている?
元の、いやそれ以上の力を得るまでどれほど勝利を重ねなければならないのか。気が遠くなりそうだが、このままではあんなカスにも舐められる。
なれば、奴らの『国』とやらを徹底的に滅ぼしてやろう。
王を怒らせたことを必ず後悔させてくれる。
「逃げられたわね」
「参ったな。民間人を攫われてしまった。とにかく一度本部に連絡しないと」
いつの間にか階段を登ってきていた雪女と修吾が深刻に話し合いをしていた。彼らのことはもはやどうでもいい。
グリフォンは腕を組んで瞑目する。やがて『それ』を見つけると、猛禽類の翼を大きく広げた。
「……」
「どこに行くんだい、グリフォン君」
飛び立つ寸前に修吾が声をかけてくる。
グリフォンは振り返らず――
「決まっている。俺の所有物を持ち逃げしたあの爬虫類と、ついでのその仲間も全員引き裂いてくれる」
「場所はわかっているのかい?」
「契約のリンクがある。方向ならばわかる」
グリフォンとアリサは契約したばかりだ。魔力リンクからわかるのは方角程度だが、今はそれで充分である。
「気持ちはわかるけれど、少し待ってくれないかな。いくら君でも、クロウ・クルワッハやデュラハンのような幻獣が所属する組織に単身乗り込むのは危険すぎる」
「それはこの俺を見くびりすぎだぞ、貴様」
「これはアイルランド全域で発生している失踪事件と関係があるはずだ。僕たち魔術師連盟の領分だよ」
「貴様らの都合など知るか」
無視して去ろうとするグリフォンだったが、修吾は進路上に回り込んできた。背後には雪女。周囲は氷の足場で囲まれている。このまま押し通ろうとすれば、まずはこの二人と戦闘になるだろう。
それでも構わんが、消耗したまま敵地に乗り込むのはいくらグリフォンでも愚策だ。
「まあまあ、そう言わなずにさ。僕たちの力になってくれないかな? クロウ・クルワッハの言葉が真実なら、君の契約者がすぐに喰われてしまうようなことはないはずだ」
「……」
爽やかに笑う葛木修吾。合理的に考えるならば、この二人を敵に回すよりは利用して使い捨てる方が割に合うだろう。
だが、タダで彼らに力を貸すわけにはいかない。
「条件がある」
「もちろん、対価は払うよ」
グリフォンが提示した条件を、修吾は渋ることなく二つ返事で了承した。あっさり決定したところを見るに、修吾は連盟の中でも意外と高い権限を持つのだろう。
なにはともあれ。
グリフォンと魔術師連盟の協力関係は、ここに成立した。
Section3終了です。執筆作品ローテーションにより申し訳ありませんが休載に入ります。