Section3-2 気高き契約
「ヒャッハー! 潰せ潰せ!」
「ここは今日から俺らの土地じゃあ!」
「畑なんか潰してゴルフ場つきの高級ホテルを建てるッス!」
アリサが慌てて外に飛び出すと、そこでは男たちがショベルカーやブルドーザーといった重機で畑をめちゃくちゃに破壊していた。
「な、なにをしてるの!?」
血の気が引き、大事な畑を無慈悲に押し潰している彼らへと駆け寄る。すると、一人の男がアリサの前に立ちはだかった。
「おっと、邪魔をしないでもらおうか」
黒いスーツを纏った、とても堅気とは思えない隻眼の大男だった。一瞬怯みそうになったアリサだが、それでも怒りの方が勝って声を荒げる。
「誰ですかあなたたちは! ここはわたしとお母さんの大事な畑! 勝手に荒らさないで!」
だが、大男はそんなアリサを鼻で笑った。
「俺たちゃ泣く子も黙るアイリッシュ・マフィアーーウォートルス一家だ。知らねえとは言わせねえぞ?」
「知りません! マフィアの人がどうしてわたしの畑を荒らすんですか!」
「あー、もしかしてお嬢ちゃん、なぁーんにも聞いてねえんだな。お前の親父が俺たちから作った借金を、今まではお前の母親が少しずつ返してたんだよ。まあ、ほとんど利子すら払えなかったがなぁ。で、お前の母親は死んじまっただろ? じゃあもう土地を差し押さえるしかねえってわけだ」
「そんな……」
借金があるなんて聞いたことがなかった。それも顔も知らない父親が残した借金などと。母親はアリサに心配かけないように隠していた?
本当に、借金なんてあるのか?
「信じられないって顔だな? 借用書ならここにちゃーんとあるぜ?」
男が懐から用紙を取り出してアリサに突きつける。そこには父親の名前と、連帯保証人として母親の名前が書かれていた。紛れもない母の字だった。
そこには絶望しかなかった。
「兄貴、そのガキも売り飛ばしちまえば金になるんじゃねえッスか?」
「――ッ!?」
ブルドーザーを操縦していた男が下卑た声でそんなことを言う。兄貴と呼ばれた隻眼の大男は少し考える素振りをすると、戦慄するアリサの髪を掴んで軽々と持ち上げた。
「痛いッ!?」
「ふむ、まだガキすぎるが……肉つきと身なりさえ整えりゃそういう趣味の連中が喜びそうな面ぁしてんな」
「でっしょ?」
「ハハハ、なんだお前もイケる口か?」
「冗談よしてくださいよ、兄貴。オレはもっとバインバインのネエちゃんが好みッス」
「ヒャッハー! 俺なら今のままでも全然イケんぜ!」
「お前ロリコンだったのか! ギャハハハ!」
男たちは笑い合っているが、アリサはちっとも笑えない。人身売買を平気で口にする男たちが同じ人間だとは思えなかった。
「まあ、最悪、解体すりゃ臓器がいい値段になる」
「ひっ!?」
さらに絶望的な言葉を聞いてアリサの顔は真っ青になった。
殺される。その恐怖が涙を込み上げる。
「や、やめて……お願いします」
声が弱々しくなる。アリサがどれほど抵抗したところで男たちをどうにかできるわけがない。なんなら彼らに一発殴られただけで死んでしまうかもしれない。
と、隻眼の大男がアリサの首についているペンダントに気がついた。
「あぁ? なんだこの薄汚ぇペンダント」
「それは!?」
ブチリと紐が引き千切られる。アリサは乱暴に放り捨てられたが、母親がくれた大切なペンダントを奪われたことに比べたら体の痛みなど大したことではない。
「やめて!? 返して!?」
「うぜえんだよ!?」
「きゃあ!?」
縋りつくアリサは簡単に蹴り飛ばされてしまった。大男はペンダントを検分するが、すぐに微妙な顔になる。
「チッ、ちょっと期待したがこれじゃ一ユーロにもならねえな」
残念そうに舌打ちすると、大男は無造作にペンダントを放り投げた。そこにブルドーザーが通過し、踏み潰されたペンダントは原型がわからないほど粉々に砕けてしまった。
「ああ!?」
見る影もなくなった母のペンダントに、アリサはどうしようもなく膝をつく。
涙が溢れる。心が軋む。なにも悪いことなんてしていないのに、どうしてこんなことになってしまったのかわからない。
「お願いします……もう、やめてください……お願いします……」
「泣いて懇願するなら靴でも舐めてみろよ! てめぇんとこの土で汚れちまっただろうが!」
そう言って大男はアリサをまたも蹴り飛ばした。口の中が切れて血の味が滲む。痛みなどはもはやどうでもよくなってきた。
「おい、手を休めるな! 今日中にこの辺りを更地に変えろ!」
「「「へい、兄貴!」」」
ブルドーザーがアリサの家へと迫っていく。放っておいても崩れそうなボロ屋など、ブルドーザーに押し潰されてはひとたまりもないだろう。
だが――
ブルドーザーは、家に突っ込む寸前で不自然に停止した。
「王の寝室の傍でやかましく騒音を立てるとは、どうやら死にたいらしいな」
片手でブルドーザーの進行を妨げているのは、アリサの家のベッドで寝ていたはずの青年だった。
「グリフォン……さん……?」
アリサが呟いた瞬間、ブルドーザーの排土板がベコン! と形を歪める。操縦していた男が情けない悲鳴を上げて這い出た直後、グリフォンの周囲に風が舞い、十数トンはあろうブルドーザーが紙切れのように解体されながら吹き飛んだ。
「……」
「……」
アリサも含め、この場にいる誰もが状況を理解できないでいた。
「な、なんだてめえは!? 今なにをした!?」
逸早く我に返った隻眼の大男が怒鳴り散らす。だがグリフォンは怯むことなく一歩一歩こちらへと近づき――
「雑魚が気安く話しかけるな。――平伏せ」
「――ッ!?」
刹那、得体の知れない力が大男たちを押し潰すように地に膝をつけさせた。まるで彼らの周囲だけ重力が何倍にも膨れ上がったかのようだったが、そうじゃないことは彼らの表情を見るとわかった。
誰もが、顔を青くして震えていたのだ。
グリフォンが放ったなんらかの力に怯み、恐怖し、本能が絶対的な強者へと屈服を示した。
「な、なにをしてやがるてめえら!? よ、よくわからんがとにかくぶっ殺せ!?」
頭を垂れたまま大男が叫ぶ。彼の部下たちもなんとかグリフォンに襲撃をしかけようと重機を操縦する。
ブルドーザーの排土板が、ショベルカーのアームが、人に向けられることによって圧倒的なまでの凶器となるそれらが、グリフォンを襲う。
しかし――
「そんなものでこの俺が殺せるとでも? 下等にも程があるぞ、人間!」
グリフォンの背中に猛禽類の翼が生えた瞬間、とてつもない突風が吹き荒れて襲いかかる重機をいとも簡単に薙ぎ払った。
「す、すごい……」
目の前で繰り広げられた異常な光景に、アリサはそれ以外の言葉が出てこなかった。
「あ、兄貴、あいつはやべぇよ!?」
「クロウの旦那みたいな力使いやがったぞ!?」
「ヒャッハー!?」
「くっ……退くぞてめえら!?」
転倒した重機から這々の体で抜け出した男たちは、大男の号令を聞くまでもなく悲鳴を上げて逃げ出した。
「フン、尻尾を巻いて逃げるか。殺す価値もない連中だ。だが――」
ビュオッ、と。
発生した竜巻が、いくつもの重機を巻き込んで宙へと浮かばせる。
「王たる俺の目の前に、ゴミを捨てて去るとは身の程を知れ!」
竜巻から放り投げられた重機が林の奥へと逃げていた男たちの方へと落ちていく。
轟音。爆発。そして絶叫。
悲鳴が聞こえたということは、直撃はしなかったのだろう。爆発で発生した炎も、鷲翼を羽ばたかせるグリフォンが一睨みしただけで自然と消えていく。
「……なん、なの?」
理解の限界は、とっくに超えていた。
「気を失っていないだけマシか」
グリフォンがゆっくりとアリサの下へと舞い降りてくる。翼が白ければ天使だとでも思ったかもしれない。
「あ……え……その……グリフォンさん、翼が……」
「言ったはずだ。俺は人ではない」
すっと翼が幻のように消える。そういえばそんなことを言っていたが、あの時は冗談かなにかだとアリサは思っていた。
「くっ」
「グリフォンさん!?」
不意にグリフォンがよろめいた。苦痛に歪んだ表情。今の戦いで傷口が開いたのかもしれない。
「チッ、あの程度の戦闘でこれか。やはりまだ本調子では――ッ!?」
と、グリフォンが急に眼を見開いてアリサを見た。
「なんだ……この魔力は?」
「?」
グリフォンは驚いているようだが、それが一体アリサのなにに対してなのかはわからなかった。そんなアリサを余所に、グリフォンは顎に手をやってなにやら思案し始める。
「(この人間、ウロボロスの契約者にも匹敵するぞ。あのペンダントはこれほどの力を抑えていたというのか?)」
「あの、グリフォンさん……」
恐る恐るアリサは訊ねる。グリフォンに対する恐怖はあるが、それ以上に家と畑を守ってくれた感謝の方が強かったのだ。
「ありがとうございます。あなたがいなかったら、家と畑は」
「耳障りなハエを掃っただけだ。礼はいらん。それよりも――」
深々と頭を下げるアリサにグリフォンは素っ気なくそう言うと、男たちが逃げた方角に視線をやる。
「連中は、また来るぞ」
「!」
アリサはハッと顔を上げる。あの大男たちが今回のことで懲りたとは、アリサも思わない。恐らく次は本気でグリフォンを殺す装備を整えて再襲するはずだ。
それでも彼ならば問題なく返り討ちにするだろう。
だが、その時になってもし彼がいなかったら?
無力なアリサは成すすべもなく殺されるか売り飛ばされるか、どちらにしろ未来はない。
「仕方あるまい」
グリフォンは大きく息を吐いた。
「俺と契約しろ、人間――いや、アリサ」
「契約?」
腕を組んだグリフォンがどこか冷めた、しかし鋭利な光を宿した目でアリサを見下す。
「本来ならば人間などと契約はしたくない。反吐が出る。だが、欲のないお前だ。命の恩に報いるにはそうするしかあるまい」
差し出されたグリフォンの手を、アリサは恐る恐る取る。
「契約って……どうすれば?」
「お前の最も大切な物はなんだ? 形あるもので答えろ」
「この家と、畑……です」
畑はめちゃくちゃになってしまったが、時間をかければまた元通りになる。ペンダントはもう諦めるしかないだろう。
「承知した。それを俺に寄越せ」
「えっ!?」
「ああ、言い方が悪かったようだ。俺に共有させろ。それがこの俺――幻獣グリフォンとの契約条件だ」
幻獣グリフォン。
そう言えば、とアリサは昔母親が寝物語で聞かせてくれた話を思い出す。天空の王である鷲と地上の王である獅子。その両方の姿を併せ持つ幻想の怪物だったはずだ。物語では宝の番人として勇者に倒されてしまっていたが、その強烈な姿はイメージとしてアリサの脳裏に焼きついている。
目の前にいる青年が、そのグリフォンだという。
信じる信じないの前に、彼は既に正体の一部を晒している。超常的な力も目の当たりにした。少し話をしただけでも彼が冗談を言うような性格ではないことも知った。
本物だ。
「お前の宝は王たる俺の宝だ。何人たりとも手出しはさせん。その代り、俺はお前から魔力を貰うぞ」
「まりょく? よくわからないけど、ここを守ってくれるのなら、わたしの全部をあなたにあげる!」
「フン、契約成立だ」
「あっ」
その時、アリサは自分の中になにかが生まれていくのを感じた。見た目的な変化があったわけではない。感覚的ななにかで、グリフォンの存在がアリサの中で大きくなっていく。
「すごい。グリフォンさんとの繋がりを感じる。なんだか、とても温かい」
「契約のリンクだ。それがある限り、俺はお前を守ってやる」
グリフォンは少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと、アリサを指差して釘を刺すように言葉を紡ぐ。
「いいか? 今からお前は王の所有物だ」