Section2-6 乱心の大魔導師
ロンドン――世界魔術師連盟総本部。
懲罰部管轄の建物内にある円卓の会議室に、部に所属する魔術師の全員が召集されていた。円卓には席次持ちの幹部たちが並び、平の魔術師は奥に整列してざわついている。
通常の勤務時間外である朝っぱらから集められたことに文句を垂れる者も多いが、それほど切迫したなにかが起こっているのだと誰もが理解していた。
「危急の事態だ。傾聴しろ」
卓上に両肘を置いて顔の前で手を組んだ秋幡辰久は、普段の飄々とした態度とは一線を画した重々しい口調でそう口火を切った。
部下たちがそんな上司の空気に息を呑み込む。すると辰久の右隣の席に座っていた金髪の女性が起立し、手元の資料に視線を落として議題を告げる。
「昨夜、ドーバー海峡上空にて連盟所属の旅客機が幻獣の襲撃に遭い、墜落しました」
彼女は懲罰部隊の次席であり、辰久の秘書のような役割を担う副官だ。次席に足るだけの魔術師であるが戦闘能力は控え目であり、懲罰部の中では補佐官としての色が強い。それでもトップからして個性的でアレなメンバーが集まる部の貴重な常識人である。
「旅客機には皆さんもご存知の通り、秋幡主任のお子さんとその契約幻獣、そして研修生の美良山仁菜が搭乗していました。彼らは襲撃者の幻獣と交戦し、現在はドーバー市内のホテルに滞在しています」
秋幡辰久には息子と娘がいる。それは部内どころか連盟全体でも知らない者の方が少ない。特に辰久を凌駕する才能とまで謳われていた息子の方は、魔術師の道を頓挫させた今でも注目を浴びているほどだ。
襲撃した幻獣など返り討ちにしているだろう。
そう誰もが疑わなかった。
「秋幡紘也の報告によりますと、確認された幻獣はグレムリンとデュラハンの二種。グレムリンは群れを成しており、デュラハンは二体現れたそうですが、どちらも未契約の幻獣だったとのことです」
「野良の幻獣がまだ生き残っていたということか?」
「グレムリンのような力の弱い幻獣が? それも群れで?」
「バンシーならともかく、デュラハンがグレムリンを従えているなどという伝承は聞いたことがないぞ」
奥に整列していた部下たちが困惑の声を上げる。幻獣とは本来この世界では存在することすらできない生物である。存在の大部分を構成している『マナ』という要素がこちらの世界には皆無だからだ。放っておくとマナが乖離し、どれほど強力な幻獣でも一ヶ月生き延びることは難しい。
マナの乖離を防ぐためには魔力が必要だ。ウロボロスなどのような特性でもない限り、自身で生成できる魔力以外にも過剰な摂取が要求される。
その補填を行う最もポピュラーな方法が幻獣契約なのだが、人間と交わることを嫌う幻獣は別の方法で魔力を得なければならない。
人間を襲って喰らう。
それが最も手っ取り早いが、そんな目立つ行動を取るような下位幻獣は連盟が総出で狩り尽くしたはずである。
「組織立った行動を取っていたことから、ただの野良幻獣による襲撃とは考えられません。彼らは魔力の絶対量が多い人間を狙い――秋幡柚音が連れ去られました」
ざわっ。
副官の女魔術師の口から告げられた事実は、室内のざわめきを一段と大きくした。そしてさらに、彼女の言葉を裏づけるかのごとく辰久が深刻な口調で――
「要するに俺の可愛い柚音たんの危険が危ない。つまり戦争だ」
「主任、落ち着いてください。言葉がおかしいです」
手を組んだまま真顔の最高責任者に、副官の女魔術師は冷静にツッコミを入れた。
辰久は机を強く叩いて椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「これが落ち着いていられるかぁあッ!? 俺の娘が幻獣に喰われちまうかもしれねえんだぞ!? どこぞのハグレ魔術師が野良幻獣を操って娘を攫ったってんならおっさん直々に出向いて一族郎党皆殺しじゃクソッタレめボケぇえッ!?」
「いいから落ち着けって、ボス」
ゴッ!
辰久の後ろに控えていた契約幻獣たちの内、赤と銀のオッドアイをした緑髪の女性――ヴィーヴルがご主人を机に突っ伏させる威力でチョップを振り下ろした。
フランスに伝わるドラゴンの一種である彼女は、元々オッドアイだったわけではない。先の『黎明の兆』との戦いでガーネットの片目を失い、代わりに辰久がダイヤモンドの義眼を渡したのだ。
「ちょい!? なにするんだヴィーヴル!? おっさんは一刻も早く娘を助けたいからぶっちゃけこんな会議なぞやってられるかムゴーッ!?」
「あんたが召集したんだろうが!? 話が進まねえから黙っとけ!?」
「ムゴーッ!?」
背後から辰久の首に腕を回してチョークスリーパーをかけるヴィーヴル。辰久の顔色が赤から青に変色しているが、部下たちは誰も心配などしていない。
「うーっ!? ふごーっ!?」
「こ、これほど荒ぶる主任は初めて見ました……」
「ほら、ボスは黙らせとくから続けな」
「あ、はい」
ヴィーヴルに促され、副官の女魔術師は資料に視線を戻す。
「えっと、敵の正体は判然としませんが、大魔術師の血縁を狙ったということは連盟に対してなにかしら要求をしてくる可能性があります。アイルランドで多発している失踪事件との関連も調査するべきでしょう。それと、依然として消息が掴めない『朝明けの福音』が関わっていることも考慮し――」
「いいや、それはねえんじゃねえの?」
せっかく会議に戻れたと思ったところに割って入る声があった。
会議室の扉を無遠慮に開け放って入室してきたのは、純白の騎士服を纏った銀髪ロンゲの美青年だった。室内の全員が青年に注目する。中にはあからさまに敵意を向ける部下もいた。
「ユニコーン、あなたは会議に参加する資格がありません。退出してください」
「そんなツンツンしちゃったらせっかくの美人が台無しだぜ? まあ、俺様が敵の手先だった事実は覆せない事実だけどよ。だからこそ意見を聞く価値はあると思うんだが?」
幻獣ユニコーン。
純潔の乙女を好む神聖な白き一角獣は、魔術的宗教団体『黎明の兆』の総帥――リベカ・シャドレーヌと契約していた幻獣だ。彼は戦いの最中にリベカを裏切って契約を破棄し、現在は世界魔術師連盟に身を預けている。本人の協力的な態度と、特性の有用さから連盟も処分しない方針で決定した。
若い女性の魔術師を見るなり契約を持ちかける軟派な性格だけが難点で、世話役を押しつけ……任せられた副官の女魔術師にとっては頭痛の種である。
副官の女魔術師が契約してしまえば済む話なのかもしれないが、まだその覚悟はない。
ユニコーンと契約するということは、『自分は処女だ』と公言しているようなものだからだ。
「……手短にお願いします」
彼の性格上、一回で引き下がらなかったら本気だと知っている。副官の女魔術師は無駄に時間を取られてしまう前に折れることにした。
許可を得たユニコーンはニヤリと笑い、わざわざ副官の女魔術師の隣に立ってから話し始める。
「俺様はリベカの契約幻獣としてある程度『黎明の兆』の計画は知ってたわけだが、奴らが子飼いにしていた野良幻獣はアトランティス大陸にいたペリュトンと――旦那だけだ。デュラハンだのグレムリンだのって連中は聞いたことがねえ。そいつらが俺様たちと一緒に召喚された幻獣なら、『朝明けの福音』復興後に野良のまま纏め上げるなんて不可能だ」
「『黎明の兆』はそうでしょう。ですが連盟を裏切った二つの組織――魔術師商会『払暁の糧』と魔巧傭兵団『早天の座』が準備していた可能性はあります」
二十年前、『朝明けの福音』の盟主――ヨハネ・アウレーリア・ル・イネス・ローゼンハインは、組織が崩壊する直前に三人の側近を密かに逃がしていた。その三人がそれぞれ立ち上げた組織が『黎明の兆』『払暁の糧』『早天の座』である。
『黎明の兆』が『主』を呼び戻し、『払暁の糧』が情報・資金面で支え、『早天の座』が復活した『主』を警護する。
福音を分かつ三つの組織。三つの頭首。
やがて朝明けの下に集いて『未来』を築かん。
『払暁の糧』の副会長――劉文海が預言書を読むように唱えた言葉である。水面下で計画を練っていた彼らが、幻獣というわかりやすい力を無視するとは思えなかった。
だが――
「んー、そいつはもっとあり得ないんじゃね?」
否定したのは、『朝明けの福音』を壊滅させた当人たる秋幡辰久だった。
「主任?」
「『黎明の兆』みたいなポッと出と思われていた弱小組織ならともかく、連盟に加入していた『払暁の糧』と『早天の座』は常に動向が監視されていたんだ。一体二体の幻獣と契約する程度ならあっただろうが、野良を群れごと抱えて隠し通せるほど連盟の目は節穴じゃないって話だぁね」
どうやら頭に上っていた血はヴィーヴルのおかげで冷めたようだ。辰久はいつもの真剣なのか飄々としているのかよくわからない顔になって言葉を続ける。
「当然、ヨハネが復活した後なんてのはユニコーンが言ったようにどちらの組織も時間的に無理。よって奴らが裏で糸引いてる線はないと思っていい」
「つまり、主任は別の組織が関わっていると?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「?」
辰久の意味深な言葉に副官の女魔術師は首を傾げる。
「ま、決めつけはよくないってことよ。それより目下の議題は俺の娘がどこに攫われたかだ! 福音なぞどうでもいいわ!」
またちょっと頭に血が上ってきたのか、声を荒げる辰久。
「紘也少年が言ってた転移の魔導具だが、地球の裏側まで飛べるほどの力はないはずだ! おっさんの予想だと敵のアジトは広くてヨーロッパ圏内、狭くてイギリス周辺のどこか。炙り出して叩くぞ!」
辰久は勢いのまま幹部たちに指示を出していく。この場にいる全員でヨーロッパ全域を捜索するなどなかなかの無茶振りだが、反対する意見は一つも出ない。
「よしお前ら!! 死んでも探し出せ!!」
「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!!」」」」
それどころか、辰久の熱気にあてられたかのように部下たちからやる気満々の鬨の声が上がるほどだった。
「絶対に助け出すぞオラァ!!」「俺たちのアイドル柚音ちゃんを!!」「悪ニハ報イヲ!!」「あんないい子を泣かせてやがったらタダじゃおかねえ!!」「主任の娘だけどあんないい子を!!」「主任の娘だけど!」「ファザコンなのが玉に瑕だけど!!」「俺、サンドウィッチの差し入れ貰ったことがある!!」「あ、俺もあるわ!!」ロリコンじゃないけど柚音ちゃんなら彼女にしたい!!」「俺様は契約したい!!」「俺なんて寧ろ結婚したい!!」「俺も!!」「俺も!!」「俺も!!」「俺も!!」「俺も!!」
懲罰師という物騒な職柄、男性の比率が多い部署内に頻繁に顔を出す柚音は密かに人気を集めていた。紘也とは別のベクトルで注目を浴びている彼女を助けたくない人間など、懲罰部隊の中には存在しない。
「――って誰がてめえらなんぞにウチの天使をやるかぁあッ!? 無駄話してないでさっさと捜索に取りかかれ!? ただし!! おっさんを『お義父さん』と呼びたい奴だけそこに直れ!!」
「「「「解散!!」」」」
部下たちが迅速に会議室から立ち去っていく。忍者のごとき素早さだった。
「あれぇ!? 一人も残ってない!? おっさんちょっと寂しい……」
一瞬で誰もいなくなった会議室にポツンと立つ辰久。実はけっこう部下に嫌われてるんじゃないかという疑いが浮上する。
「主任、彼らはその、冗談でしょうから」
憐れに思った副官がつい慰めてしまうくらい、辰久の背中から溢れていた寂しいオーラは半端なかった。
「てかなんで君は残ってんの? おっさんを『お義父さん』って呼ぶの?」
「呼びません!? 私だけ指示を受けていないからです!!」
ヴィーヴルやユニコーンなんてこれ幸いと部下たちに乗じて退散したのに、自分でも律儀なことだと副官の女魔術師は思った。
辰久はわざとらしく溜息をつくと、ふと自分が座っていた席の左隣を見る。
そこには懲罰部の第三席――つまりナンバースリーが座るはずだったのだが、今回の召集にはついぞ現れなかった。
「そう言えば、修吾青年は来てなかったね?」
他にもロンドン市外に出ている欠席者は多かった。しかし、第三席と言えば辰久の左腕である。純粋な戦闘力で言えばナンバーツーだ。敵がたとえ単騎だろうと戦争を吹っ掛けるつもり満々らしい辰久としては、彼がいないのは非常に痛い戦力の欠落だろう。
「彼は今、例のターゲットと接触するためにアイルランドに出張中です」
「あー、そうだったね。あの件か。じゃあ、ついでにそっち方面の捜索は彼に任せるとしようか。連絡しといて」
「わかりました。主任はどうされるのですか?」
「実を言うと、柚音の髪留めにはもしもの時に備えて発信術式を仕込んでいるのさ。俺が専用のソナー術式を展開しない限り、それ単体だとなんの意味もない。だから余程精密に検査でもされない限りは見つからないはずだぁね」
「娘さんに知られたら怒られそうですね」
「おっさんの娘がそんなことで怒るわけないやい!」
「……そうでした。寧ろ全力で喜びそうです」
年頃の娘は父親を嫌悪する傾向にあるのに、彼女に関しては月日を重ねるごとに拗らせ具合が増している。そこさえ普通ならば本当にとてもいい子で、副官の女魔術師もなんの憂いもなく姉気分で接することができるというのに……。
「俺は今から大規模探知術式を編む。時間はかかるが、ヨーロッパ圏を虱潰しに探してやるさ。てことで、他の仕事は任せた!」
「それ私が大変になるやつじゃないですかッ!?」
まさかの丸投げに、副官の女魔術師はこの世の終わりを見たような悲鳴を上げてしまった。
 




