Section2-5 敵地考察
やたらと長く感じた夜が明けた。
襲撃された場所はドーバー海峡の上空だったようで、紘也たちはそのままドーバー市内で一泊した。ヨーロッパ圏の都市には連盟御用達のホテルが多く存在しているらしく、ケツァルコアトルの口利きで急な宿泊にも対応してくれたことは助かった。
多少の仮眠は取った。が、こんな時にぐーすかできる精神を持っているのはウロくらいだ。デュラハンにやられてからいつまでも起きないもんだから、紘也は仕方なく魔力干渉で強制的に覚醒させてやった。
「ううぅ……紘也くん酷いですよ。まだ頭がくらくらします」
ホテルのレストランでバイキング形式の朝食を取りながら、ウロは二日酔いみたいに頭を押さえて呻いていた。血塗れだった全身はウェルシュに拭き取らせたものの、一箇所だけどうしても消えない部分があった。
ウロの額に赤々とした血文字で刻まれた『3』の数字。
デュラハンが最後に仕掛けた攻撃は呪い――〈死の宣告〉だ。『3』という数字は死ぬまでの期間を表していると思われる。三秒でも三分でも三時間でもなかったとなると、恐らく三日後にウロは死ぬだろう。一年後という伝承もあるが、あの場で撃ち込んできた呪いがまさか三ヶ月や三年ではあるまい。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「ようやく親父と連絡がついた。こんな時だってのに、呑気に寝てやがったよ」
「……元マスターはなんて言ってました?」
「これから部下を集めて緊急会議だと。なにかわかったら連絡寄越すように言っておいた」
「紘也くん紘也くん、ほら見て! ウロボロスさんのキュートなおでこに恐ろしい文字が!」
ウロが前髪をたくし上げて呪われましたアピールをしてくるが、紘也は余裕でスルー。
「多角的な捜索は親父に任せるとして、こっちはこっちで情報を整理したい。ケツァルコアトルはどこ行った?」
「紘也くん! あたしの命がシュボボアーン! って大ピンチです! たぶんあと三日です!」
「そういえば山田ちゃんも見当たりませんねぇ?」
美良山がフォークでソーセージを口に運びながらキョロキョロする。レストランのテーブルには紘也たち四人だけしかいない。なんなら紘也たち以外に客はいない。山田とケツァルコアトルは今朝起きた時から姿が見えなかったのだが、この大変な時にどこでなにをしているのだ。
「ケツァルコアトルには確認したいことがあったんだが……まさか勝手に柚音を捜しに行ったりしてないよな?」
だとすれば面倒なことになる。柚音の捜索にはケツァルコアトルの協力が必要だ。
「ちょっと紘也くん聞いてる!? あたしもうすぐ死ぬんですよ!? ヒロインの命がかかってるんですよ!?」
「やかましい! 冗談はチートだけにしろ! お前は特性的に〝不死〟だろうが!」
「そ、そうですけど、そこはもうちょっとこう『本当に死なないよな? 死ぬ前にムフフなことくらいさせてやろうかな』って感じに心配してくれたっていいじゃあないですか!?」
「だから死なないだろ!?」
涙目で絡みついてくる駄蛇が非常に鬱陶しい。なんの心配もいらないウロの身を案じる余裕があるなら、普通に死ねてしまう妹の捜索に心のリソースを割くべきだ。
「……マスター、ケツァルコアトルと山田でしたらあちらにいます」
ウェルシュがエッグベネディクトをもぐもぐしながら真紅の瞳をレストランの奥へと向けた。アホ毛も指差すようにピコピコしている。
一体そのアホ毛はどういう構造になっているのか謎に思いつつ、紘也はそちらに視線をやる。そこは小さなバーになっており、朝っぱらからアルコール度数の高そうなウイスキーを瓶で呷っている飲んだくれの女性がいた。
ていうかケツァルコアトルだった。
「ああ、我が主人。私がついていながら……ううぅ。なにが神ですか! なにがドラゴンですか! 不甲斐ない自分などただの蛇ですよ!」
《おい人間の爺! オレンジジュースはもう飽きたぞ! いい加減吾にも酒を寄越せ!》
泣き崩れてカウンターをダンダン叩くケツァルコアトル。その横では青和服の幼女がバーテンダーの老爺にグラスを突きつけて酒を要求していた。なんて酷い絵だ。
「聞いていますかヤマタノオロチ!」
《ええい! うるさい! 貴様が奢ると言うから一晩付き合ったのに。まったく酒が飲めぬではないか! あとその話は百回くらい聞いたわ!》
「うぇ、これでは辰久様に顔向けできません……」
《知 る か! 貴様の酒でよいから寄越せ!》
ケツァルコアトルとヤマタノオロチ。
片や酔っぱらって実の妹と肉体関係を結んでしまった神。片や酔っぱらって眠ったところを退治された怪物。どちらも酒癖の悪い伝承で有名な種族の蟒蛇どもは、どうやら一晩中飲み続けていたらしい。バーテンダーのお爺さんは無言でグラスを拭いているが、ずっと二人に付き合ったのだろうか? なんにせよ幼女姿の山田に酒を出さない良識があってよかった。
「なにやってんだ、お前ら?」
朝食を切り上げて二人の下へと向かうと、紘也に気づいたケツァルコアトルがガタッと椅子を倒し――涙を横に散らす勢いで飛びついてきた。
「紘也様ぁあああああああッ!?」
「んなっ!?」
女性型とはいえ紘也より背の高いケツァルコアトルの全体重をかけた抱擁に、紘也は抵抗すらできず押し倒されてしまった。ケツァルコアトルは涙でくしゃくしゃになった美人顔を紘也の胸に擦りつける。
「申し訳ございまぜん!? 私が、私がぁあッ!? ちゃんとしていればぁああああッ!?」
「酒臭ッ!? やめろくっつくなお前はウロボロスか!?」
「そうですよ紘也くんとイチャイチャしていいのはあたしだけです!?」
「お前もだ馬鹿野郎!?」
「違いますぅ! 秋幡先輩とイチャイチャしていいのは孝一先輩だけですぅ!」
「それもおかしいからな!?」
対抗心の炎を瞬時に点火させたウロまでもが抱き着いて来たもんだから全力で悲鳴を上げたい紘也である。あと美良山はこういう時に口を開かないでほしい。
と――ボン! ケツァルコアトルとウロの顔面が赤く爆発した。紘也は衝撃を感じなかったが、抱き着いていた両者は強烈な斥力でも働いたかのように思いっ切り弾かれる。
「……ウロボロス、ケツァルコアトル、それ以上マスターにくっつくと〝拒絶〟しますよ?」
無表情のウェルシュが、無表情だからこそどこか恐ろしい迫力を孕んで掌に真紅の炎を宿した。なんとか助かった。しかしこれだけ騒いでも眉一つ動かさないバーテンお爺さんの肝の据わり方がやばい。
紘也は今のうちに立ち上がり、こちらも我関せずと酒の要求を続けている山田を見る。
「山田、少し魔力を分けてやるからあの酔っ払いに水をぶっかけてくれ。ついでにウロも寝惚けているみたいだからな。強めに頼む」
「ちょ!? 紘也くんなんであたしまで!?」
「ウロ、物が壊れても〝再生〟するように結界張っとけよ?」
《……ふん。仕方ない。魔力さえ貰えれば酒が飲める姿になれるからな》
山田はふんすと鼻息を吹くと、紘也の魔力供給により体を大人に変化させる。妖艶な美女となった山田もといヤマタノオロチは、ホオズキ色の瞳に凶悪な笑みを浮かべてケツァルコアトルとウロを見た。
《吾も延々と酒も飲めずくだらぬ話に付き合わされた鬱憤を晴らすとしよう! ――吾の〝霊威〟は水気を繰る!》
ブシャアアアアッ!! と。
ケツァルコアトルとウロは逃げる間もなく、津波のごとき大量の水流にレストランの外まで押し流されてしまうのだった。
そうしてびしょ濡れになった二人を床に正座させ、紘也はその正面に仁王立ちして腕を組んだ。
「落ち着いたか?」
「申し訳ございません。はしたないところをお見せしました」
「はいはい! あたしはとばっちりだと思います!」
「ほう、本当にそう思うか?」
「嘘です冗談ですすみません全面的にウロボロスさんが悪かったですだからそのVサインは仕舞ってくださいッ!?」
正座から土下座にシフトしたウロに、紘也はチョキにしていた右手をパーに戻した。ちなみに目の前で破壊と再生の縮図が展開されたにも関わらず、全く動じていないどころか大人化した山田にワインを出しているバーテンお爺さんは、もしかすると実は引退した凄腕の魔術師なのかもしれない。
「それで、私に確認したいことがあるそうですが?」
ケツァルコアトルが話を軌道に戻したので、紘也も気持ちを真面目に切り替えて訊ねる。
「お前は柚音の契約幻獣だろ? なら、魔力のリンクで方角くらいはわかるんじゃないか?」
人間と幻獣の契約は魔力のリンクが結ばれることで成立する。互いにその魔力リンクを通じてどれだけ離れていても存在を感知できるのだが、年月を重ねて余程強く結ばれていないと大雑把な情報しかわからない。契約したばかりなら精々方角が関の山である。
「……」
「どうした?」
難しい顔をして俯くケツァルコアトルに、紘也は不安を覚えながら問いかける。ケツァルコアトルは恐らく言うべきかどうか逡巡した後、観念した様子で紘也に向き直った。
「大変申し上げにくいのですが、私と我が主人は正確には仮契約の関係でして……」
「仮契約?」
「はい。我が主人の魔力量だけなら私との契約も問題ないのですが、魔術師としては未熟です。ケットシー程度であればともかく、神級のドラゴン族との契約は厳しいと判断されました。ですので、私の魔力リンクは未だ辰久様と繋がっていることになります」
幻獣契約は高位の幻獣になればなるほど繊細な魔力制御能力が必要だ。供給する量を間違えてしまえば、魔術師自身の破滅に繋がる恐れがある。以前、紘也がヤマタノオロチに大量の魔力を流し込んだ時のように。
「魔力リンクから柚音を追えないとなると厄介だな」
「そうですね。携帯にかけても繋がらないですし」
美良山がスマホで電話をかけてみるが、出ないわけではなく繋がらない。つまり柚音は圏外になっている場所に連れ去られたということになる。もっとも、街中だろうとそれ用の結界を張ってしまえば圏外なので、手がかりにはならない。
「柚音ちゃんがどこに連れ去られたか、ですよね? 可能性のある場所ならわかりますよ?」
「なに?」
「ウロボロス、それは本当ですか!」
ケツァルコアトルが希望を見たように目を瞠って隣で正座するウロに詰め寄る。ウロはそれを鬱陶しそうに引き離しながら――
「一瞬でしたが、グレムリンが『トゥアハ・デ・ダナンに帰る』みたいなこと言ってたと思います。つまりそこが奴らのアジトってことですね」
「トゥアハ・デ・ダナン……?」
あの状況の中だと紘也には聞き取れなかったが、その言葉は知っている。
トゥアハ・デ・ダナン――それは本来、場所を意味する言葉ではない。ケルト神話に登場する、女神ダーナを母神とする神族の名称だ。ダーナ神族とも呼ばれ、彼らはミレー族との戦いに敗れて地下世界に移動したとされている。
伝承通りなら地上にはいないだろう。問題はどこの地下かという話になるが――
「なるほど、アイルランドですね」
ケツァルコアトルが考え込むように顎へ手をやった。
神話によれば、トゥアハ・デ・ダナンはアイルランドに上陸した四番目の種族なのだ。グレムリンもデュラハンもイギリス・アイルランドを発祥とした幻獣である。幻獣たちが伝承のある地に引き寄せられて召喚された可能性は充分にあり得るだろう。
「確か、あの地では未だに野良幻獣によるものと思われる失踪事件が多発しています」
「あ、それ聞いたことある! 被害が全然収まらなくて連盟の人がてんやわんやしてました!」
美良山が思い出したように手を叩く。敵が魔力の多い人間を集めているのだとすれば、拉致されたのは柚音だけでは済まない。
アイルランドは世界魔術師連盟総本山の、灯台下暗しとまではいかずとも目と鼻の先だ。そんなところで連盟の目を欺きながら人々を攫っていたとなると、やはりただの野良幻獣の寄せ集めではないだろう。
「きな臭いな。だが、一応絞り込めはしたがまだ範囲が広すぎるぞ」
アイルランドは国だ。面積だけでも七万二百七十三平方キロメートルある。闇雲に捜索するわけにもいかない。
「まあ、それは行ってみてから考えたらいいんじゃあないですか?」
楽観的なウロの発言だが、今はそうするしかないのも事実だ。
「そうだな。ここで考えるには情報が少なすぎる。すぐに出るぞ」
「あっ、秋幡先輩、私はこのままロンドンに戻ろうと思います」
踵を返そうとした紘也に、美良山が申し訳なさそうに控え目な挙手をした。
「柚ちゃんは心配ですけどぅ、今回のことはちゃんと上に報告しないといけませんし。私じゃ足手纏いになっちゃいますし」
美良山は見習いとはいえ魔術師なのに、昨夜の戦闘ではウロにしがみついたまま言葉通りの足手纏いになってしまった。そのことを気にしているのだろう。それなら紘也だって同じだが、契約幻獣も魔術師の力だと学校で教わったのかもしれない。美良山に紘也を責めるような態度はなかった。
「わかった。そっちは任せたぞ、美良山」
「はい! 任されちゃいました!」
軍隊のように敬礼した美良山は、すぐさま踵を返して一足先にレストランを出て行った。一人でロンドンに行けるのか心配になりそうだったが、彼女は二年ほどこっちで生活していることを思い出す。無用な心配だろう。
「ほら、さっさと荷物を纏めてこい。飛行機に乗る時間も惜しい。飛んで行くぞ!」
紘也はまだ正座していたケツァルコアトルとウロを立たせてから、借りていたホテルの部屋へと急ぐのだった。




