Section2-4 死を告げる首なしの騎士
幻獣デュラハン。
アイルランドの伝承で語られる首なし妖精であり、アンデットでもある幻獣だ。金属片を撒いたような甲高い音と共に民家へと現れ、扉を開けた家人にバケツ一杯の血を浴びせて去っていく。そうやってデュラハンが訪れた家には間もなく死者が出ると伝えられる、〝死〟の象徴。
それが、二体。
真っ二つに切断されたジャンボジェット機の断面から、紘也は苦虫を噛み潰す思いで上空に浮かぶ首なしの騎士を見上げていた。
――あいつらも野良か?
などと疑問に思っている暇はない。切断された飛行機は、バランスを大きく崩して一気に墜落を始めている。
「紘也くん!」
背に黄金の龍翼を生やしたウロが手を伸ばしてくる。いつもは踏みつけるように背中に乗る紘也だが、今はそんな状況じゃないから素直に手を取った。
「わ、私も乗せてくださいぃいッ!?」
美良山が泣きながら飛び上がろうとしたウロの腰にしがみついた。
「ちょい!? このウロボラスDC-3-382は一人乗りですよ!?」
「言ってる場合か!? とにかく飛べ!?」
「紘也くんの鬼!?」
あとだからなんでわざわざ墜落しそうな名前をチョイスするのか紘也にはわからない。まったく縁起でもな――いや、縁起もなにも現在進行形で飛行機は墜落しているのだった。
ともかく乗客が自分たちだけで助かったと思いつつ、紘也は傍で赤い竜翼を広げているウェルシュに指示を出す。
「ウェルシュ! 山田とパイロットの人を頼む! それと飛行機が街に墜落しないように海かどっかへ誘導するんだ!」
「……了解です。一度やったことがあります」
ぎゅっと小さく拳を握ってやる気を見せるウェルシュ。素早く行動に移す彼女を見送って紘也は内心で安堵した。経験者に任せればひとまずそちらは大丈夫だろう。
問題は、こちらだ。高空の気圧やら気温やらはウロが飛びながら張った結界のおかげで快適になったから心配ないが、厄介なことに敵がいる。
影を纏い、馬蹄で宙空を踏み締める首なし馬に騎乗した黒騎士が二体。周囲にはモモンガのような飛膜で滑空するグレムリンの生き残り。ウロだけなら問題なく殲滅可能だろうが、紘也たちがしがみついたまま戦うとなると難しい。
別行動していた柚音たちとも協力して――
「なっ!?」
落ちていく尾翼側の断面。そこにしがみつく妹の姿を見つけて紘也は息が止まった。
「柚音!? ウロ、急げ!?」
「そうはさせてもらいないみたいですよ」
大気を蹴って降下してきたデュラハンが紘也たちの進路を塞いだ。脇に抱えられた金髪と銀髪の美女の首は無表情。無言で紘也たちを見据えている。
「邪魔だ! そこをどけ!」
紘也は手で空気を薙ぐ。するとウロがパカリと口を開け、その先に膨大な魔力が圧縮して収束。前方に向けて一気に解き放った。いつもは手から撃ち出している光線だが、今は紘也たちを抱えているせいで塞がっているのだ。
ドラゴンブレスと呼べる射出された破壊の一撃を、二体のデュラハンは左右に散ってかわす。その間隙を見逃さずウロは飛翔し、落下していく尾翼へ追いすがる。
しかし――
「う、後ろやばいですぅ!?」
ウロの腰にしがみついてた美良山が叫ぶ。二体のデュラハンが左右対称な動きで純黒の巨鎌を振り上げていた。
巨鎌から撃ち放たれた衝撃波が、影を凝縮したような巨大な黒い刃となって紘也たちの背後に迫る。飛行機を斬断したのもこの技だろう。
「二人ともしっかり掴まっててくださいよ!」
ウロはそう言うと速度を全く落とさず急角度で旋回。多少はウロの浮遊魔術で緩和されるとはいえ、とてつもないGが紘也と美良山を襲う。悲鳴を上げたくなるが、そんなことをすれば舌を噛むし、そもそも声を出すことすらできない。
「あっ」
代わりにウロが「やっちまった」とでも言いたげな声を漏らした。
避けてしまったせいで、黒い刃はその先で落下していた尾翼に直撃したのだ。デュラハンたちは恐らくそれを狙っていたのだろう。尾翼は一瞬で解体されたが、柚音だけは無傷だった。
空中に投げ出された柚音にグレムリンたちが群がっていく。やはり狙いは魔力の多い人間。それも攫いやすそうな柚音だ。
グレムリンとデュラハンがなぜ共闘しているのかは知らないが、このままだと非常にまずい。柚音の抵抗がないってことは、たぶんさっきの一撃で気絶したのだ。
「我が主人! 今行きます!」
ケットシーを背に乗せたケツァルコアトルが純白の羽毛に覆われた翼を広げて飛ぶ。あちらもあちらで今までグレムリンに邪魔されていたようだ。
「魔力強い人間捕まえた」
「捕まえた」「捕まえた」「捕まえた」
柚音を抱えたグレムリンたちが一斉になにかを取り出した。それはグレムリンの片手で持てるほど小さな地球儀のような物体だった。
色褪せ、ところどころ錆びついていて浅くない年季を感じさせるそれには――魔力が宿っている。
なにかの魔導具だ。
「目的。達成」
「トゥアハ・デ・ダナン帰る」
「帰る」「帰る」「帰る」
グレムリンたちが眩い光に包まれていく。この状況であの光……間違いない。
「転移する気だ!? 逃がすな!?」
「わかってます!!」
ウロボロスの個種結界は中心部から離れると無限迷宮になっていて脱出はほぼ不可能だ。だがそれは物理的な話であり、魔術による転移などを防ぐことはできない。
すぐに駆けつけようとした紘也たちだが、黒い刃が目の前を通過。急ブレーキをかける。デュラハンが邪魔だ。
しかも最悪なことに、もう一体が放った黒刃がグレムリンにあと一歩のところまで接近していたケツァルコアトルの背中を打った。
「わにゃっ!?」
「くっ」
流石に切断されることはなかったようだが、ケツァルコアトルは黒刃を器用にかわしたケットシーと共に羽を散らして落下していく。
「致し方ありません」
ぐわし、とケツァルコアトルはケットシーの首根っこを掴んだ。
「にゃ、にゃにするにゃ!?」
「我が主人を頼みます!」
ケツァルコアトルは落下しながらプロ野球選手のように振りかぶり――
思いっきり、ケットシーをグレムリンたちに向かってぶん投げた。
「ぎにゃああああああああああああああああああああああッッッ!?」
もはやグレムリンたちの姿が見えないほど強烈になった光の中へとケットシーも突撃する。一瞬遅れて光が急速に収縮し、あっという間もなく元の空の景色へと戻った。
そこには無論、グレムリンや柚音の姿はない。ケットシーも消えているということは、間一髪で転移には巻き込めたようだ。
「どうするんですか秋幡先輩!? 柚ちゃん攫われちゃいましたよ!?」
「わかってる! でもケツァルコアトルのおかげで最悪は防げた! どこに連れ去ったかはあいつらに聞けばいい!」
美良山にそう言って紘也は金髪と銀髪のデュラハンを睨む。散々邪魔してくれたのだ。情報の一つや二つや全部を置いていってもらわないと割に合わない。
「オラァ!! ぶっ殺されたくなければ柚音ちゃんをどこにやったか吐きやがれってんです!!」
「……」
「……」
口の先に魔力を収束しながら怒鳴るウロだったが、デュラハンたちが口を開く様子はない。代わりに純黒の巨鎌を虚空に消し去ると――すっ。おもむろに紘也たちを指差してきた。
「あぁ? なんですか? 紘也くんも攫おうってんですか? だったらウロボロスさんはもう容赦できないですよ!」
「いや待てウロ!?」
デュラハンたちの狙いに気づいた紘也はウロに離れるよう指示を出そうとしたが、遅かった。
「「……汝に死を」」
金髪と銀髪のデュラハンが同時に呟いた瞬間、ウロに真っ赤な液体が炸裂した。
まるでバケツの水を頭からぶっかけられたように滴るそれは――血だ。が、ウロ自身のものではない。なのにカクンとウロから力が抜け、上空一万メートルからパラシュートなしのスカイダイビングが始まる。
「いやぁあああああああああああああああッ!?」
悲鳴を上げる美良山。紘也も叫びたいところだが、パニックになっても助からない。ウロを起こさないと。
「ウロ! 起きろ! ウロ!」
耳元で叫んで体を揺さぶるが、ウロは白目を剥いたまま意識を取り戻す気配もない。こうなったらその白目にサミングをぶちかますしかないと思って手をチョキにした時だった。
ふわっと。
なにか巨大で柔らかいものに紘也たちは受け止められた。
「え? なに? 天国?」
混乱した様子の美良山と共に紘也も周囲を見回す。ふわふわの白い繊維が見渡す限りどこまでも続いていた。雲ではない。
本当に地上に落ちて即死したから、あの世に逝ってしまったのだろうか?
『ご無事ですか?』
聞き覚えのある声が頭に直接響く。
「まさか、ケツァルコアトルか!?」
この空中大陸とも言えそうな巨大な物体は、人化を解いたケツァルコアトルの背中。それも羽毛に覆われた翼の付け根部分だった。
「いや、でかすぎだろ」
『申し訳ございません。急でしたので、サイズ調整をしている暇がありませんでした』
「サイズ調整……」
となると、これが正真正銘ケツァルコアトルの本来の姿ということになる。全体像が視認できない。ウロが人化を解いてヤマタノオロチを丸呑みした時も大概だったが、アレ以上だ。サイズ調整できるのだったら、あの時のウロも真の姿ではなかったのかもしれない。
こんな大質量が人間のサイズに収まっていたと思うと、なんというか、驚嘆ものだ。
「はっ!? そうだデュラハンは!?」
慌てて見上げるが、そこに金髪と銀髪のデュラハンは影も形も存在していなかった。
逃げられた。恐らくグレムリンと同じ魔導具を使ったのだろう。となると奴らがどこに転移したのか手掛かりがなくなってしまったわけである。
地面を殴りたい衝動に駆られる紘也だったが、ここがケツァルコアトルの背中だと思い出してどうにか我慢する。
と――
「……マスター、ただいま戻りました」
ウェルシュが気絶した山田とパイロットを抱えて戻ってきた。それから羽毛の大地をざっと見回し――
「……ケツァルコアトル、人化を解いたのですか?」
『やむを得ない状況でした。安心してください。認識阻害の魔術は使用しています』
「……そうですか」
表情には出さないが、ウェルシュはどこか不満そうだった。そういえばヴィーヴル以外のドラゴン族は嫌いという設定があった気がする。
「ウェルシュ、飛行機はどうなった?」
「……はい、無事に海へ落としました」
それならニュースにはなるだろうが、問題はなさそうだ。
一つの懸念要素が解決して紘也が安堵の息をついていると、ウェルシュはもう一度周囲を見回して小首を傾げた。
「……柚音様と、ケットシーがいないようですが? あとなぜウロボロスは血塗れで倒れているのですか?」
「それなんだが、厄介なことになった」
「?」
説明したいところだが、紘也も紘也でまだ混乱しているため上手く言葉を紡げない。
「ケツァルコアトル、一旦地上に降りよう。情報を整理してから、どうにかして柚音を助け出す。あとついでにケットシーも」
『御意』
紘也の指示に従ってくれたケツァルコアトルが徐々に高度を下げていく。その過程でサイズ調整とやらもしているようで、地上に降りる頃には小型のジェット機くらいになるのではないだろうか。
「――ふう」
羽毛の背中に腰を下ろし、紘也は軽く深呼吸をして心を落ち着かせる。
敵は野良の幻獣だ。もしかすると、柚音は即座に餌にされてしまうかもしれない。
だが、野良にしてはどういうわけか組織立っているように思えた。転移の魔導具だって野良の幻獣が所持しているのは妙だ。そうなると、ただ食料にするだけで攫ったとは考えにくい。
「ケットシーがついてる分、愛沙が攫われた時よりはまだマシだが……ケットシーだからなぁ」
嫌な予感が払拭できず、激しく不安になる紘也だった。