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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-01
15/228

Section2-4 不浄な怪鳥

 四時間目の授業は体育だった。

 炎天下のうだるような暑さの中、男子は日影もないグラウンドで延々と野球。熱射病で死ねと言っている。プールで水泳という名の自由時間を過ごしている女子を何度羨ましく思ったことか。

 そしてさらに不運なことに、野球の後片づけを出席番号の一番と二番――つまり紘也と孝一がする日であった。全員でやれば速いものを、なんでわざわざ出席順にローテーションさせるのか抗議したいところである。もっとも、素手で巨大イノシシを狩ると噂の強面筋肉教師に文句言える度胸のある奴はいない。

「ふう、ようやく終わったな」

 使用した金属バットを体育倉庫に片づけた孝一が汗を拭う。

「四時間目にこれやらされると、購買も学食も完全に出遅れるよな。孝一はどうするつもりなんだ?」

 こういう時に弁当持参だと助かるのだが、朝から作るほどの元気は紘也にはない。コンビニに寄っておくべきだったと後悔する。

「購買の余り物しかないな」孝一は不服そうに、「あとは愛沙に頼んでオカズを分けてもらうか、だな」

「やっぱそれしかないか」

 愛沙はいつも妙に力の入った自作弁当なのである。朝の何時に学校へ来ているのか知らないが、恐らく相当早起きしているに違いない。

 彼女は一度二人の分まで作ってくると言い出したことがあるのだが、そこは丁重にお断りした。あまり迷惑をかけたくなかったこともあるが、なんかこう、餌づけされているみたいで格好がつかないのだ。それが恋人とかなら話は違ってくるのだろうけれど。

「ま、メシのことはいいとして、オレはさっさと着替えたいぜ」

「そうだな、これもう体操着絞れそうなくらい汗吸って――ん?」

 ふと、紘也は遠くの青空に黒点が現れたことに気がついた。

 なんだあれ?

 鳥?

 目を凝らすと翼らしきものが見えたのでそう思ったが、どうも違う。

 まず、大きさがその辺の鳥とは桁違いだった。軽く一・五メートル以上はある。それだけでも異様であるが、決定的なところは翼の付け根がどう見ても人間の肩だということだ。

 頭から胸までが人間、翼と下半身は猛禽の異形。それがとんでもない速度でこちらに向かって来ている。

「おーい、紘也、どうした?」

「逃げろ孝一!」

 奴に気がついていない孝一を紘也は突き飛ばした。が、敵の狙いは端から紘也だった。

 高速飛行する異形の鉤爪が紘也の肩を鷲掴みにする。ふんばることすら許されず、紘也の足は地面から離れた。

「紘也!?」

 孝一の叫びも虚しく、紘也はなんの抵抗もできぬまま空中散歩に付き合わされた。

 何周か旋回した後、紘也は体育倉庫の屋根に投げ捨てられる。屋根の頂点が鳩尾にあたり、「がはっ」と呻き声が漏れた。昼食前でなければ胃の中のものが逆流していたところだ。

 起き上がろうとする紘也の背中に、ダン! と衝撃と圧力が加えられる。物凄い力で踏みつけられ、紘也は無様にも体育倉庫の屋根に貼りつけられる形となった。

「キャハハハッ♪ まさかこれほど弱っちいとはねェ。こんなにおいしそうな魔力してるからもっと抵抗されると思ったのになァ」

 人を馬鹿にしたような奇声に紘也は顔を僅かに傾けてそいつを見上げる。灰赤色の短髪に少女とも言える若い女性の顔、人間の上半身は裸体であるが、髪と同色の羽毛がブラジャーのようになっていて豊満な胸を隠している。

 半人半鳥の怪物――幻獣ハルピュイアだ。

 ハーピーと呼んだ方が一般的かもしれない。元々は風の精だったらしいが、その美しい姿とは裏腹に性質は貪欲かつ下品。人間の食べ物を食い散らかすだけに止まらず、排泄物まで撒き散らしていくとされる迷惑な幻獣だ。

「人間はからかってこそ面白いんだけどよゥ、こっちの世界じゃ食わなきゃ生きていけないんだよなァ。仕方ないと割り切ってアタシのごはんになってくれやァ」

 涎らしき水滴が頬に落ちてくる。不潔な幻獣というのは本当のようだ。

 だがヘルハウンドと違って人語を解せるのならば、交渉の余地はあると思う。

「お前、消滅したくないんなら魔術師と契約したらどうだ? そしたら人だって存分にからかえる」

「キャハハハッ! なに言ってんだお前? 誰が人間なんかと組むかよ。んなことするくらいなら消えた方がマシだっての」

 一蹴された。だがおかげで得心がいった。魔術師連盟が幻獣を『保護』するのではなく『狩る』と言っているのは、こいつのような考え方をする奴がほとんどだからだろう。

「さァて、とっととアタシの魔力の糧になってもらうぞ」

「く……」

 ダメだ。抑えつける力が強過ぎて、とてもじゃないが抜け出せそうにない。

 もがくだけでは意味はない。なにか、なにかこいつから逃げられる方法はないだろうか。

「ぎゃ!?」

 と、ハルピュイアが汚い悲鳴を上げた。彼女の顔面に直撃した白い球体が、屋根の上でバウンドして下に落ちる。


 そこに、野球の硬式ボールを握る孝一の姿があった。


「てめえ、クソ人間!! てめえから先に食うぞコラァ!!」

 唾を飛ばして憤激するハルピュイア。それでも紘也から足をどけることはない。

「孝一!? なんで逃げてないんだよ!?」

「アホか! お前を見殺しにできるわけないだろ! オレはそれができるほど人間できてないんだ」

 涙ぐましい友情に感激しそうになる紘也だったが、状況がそれを許さない。野球部エースとタメを張れる孝一の剛速球でも、幻獣ハルピュイアにはまったくダメージを与えられない。簡単に翼で弾かれる。

「がークソッ! うざいうざいうざいうざいうざい! てめえは殺す。ぜってえ殺す!」

 額に青筋を浮かべたハルピュイアがついに紘也から足を離した、その時――

「べぐらッ!?」

 何者かの飛び蹴りがハルピュイアの後頭部を強打した。吹っ飛んたハルピュイアはグラウンドのサッカーゴールに後ろから突っ込む。

「あんたみたいなザコ幻獣があたしの紘也くんやその御友人に触れるんじゃあないよ!」

 紘也の眼前で、緩く波打つ白みがかった金髪が流れていた。

 チェックのスカートをふわりと靡かせてターンし、少女は華やかな笑顔で紘也に手を差し伸べてくる。紘也もその手を取るために手を伸ばす。

「大丈夫、紘也くん?」

「ウロ、遅いぞ」

「ごめん、コンビニで立ち読みしてたらつい」

 紘也の伸ばした手はウロの両目刺突へと移行した。

「痛ひゃぁあああ!? なんでそんな器用に手が動くのっ!?」

 悶え泣くウロを放して紘也は自力で立ち上がる。

「あ、あんだてめえはッ!」

 ウロの姿を認めたハルピュイアが喚く。蜘蛛の巣に引っかかった蝶よろしくサッカーゴールのネットに絡まっているため、ドスを利かせても迫力はまるでない。

「紘也くん、ちょこっと我慢してね」

 痛みから復活したウロはハルピュイアを無視して紘也の背中に腕を回す。

「ウロ、なにを――!?」

 膝の下に腕を差し入れられたかと思えば、紘也の体が宙に浮いた。両腕で体を支えられているこの格好は、いわゆるお姫様だっこ。

「な、な、な」

 果てしなく屈辱的で恥ずかしい。紘也は顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。その間に、紘也を抱えたウロは体育倉庫の屋根から飛び降りる。

 やんわりとした衝撃の少ない着地。紘也は降ろされたと同時にとりあえず彼女にゲンコツをくらわす。「きゅぅ、酷いよぅ」とか言っているが黙殺する。目を突かなかっただけありがたいと思え。

 孝一が駆け寄ってきた。

「紘也、無事か?」

「孝一、俺はこの通り大丈夫だったんだから、逃げりゃよかったのに」

「いやいや、御友人が足止めしてくれなかったら危なかったかもよ?」

「お前が立ち読みで遅れなかったらもっと安全だったけどなっ!」

「てめえら! アタシを無視すんじゃねえッ!」

 ネットから解放されたらしいハルピュイアは翼を大きく羽ばたかせ、天に舞い上がる。逃げるわけではなく、まだこちらを攻撃するつもりでいるようだ。

「二人とも、少し離れてて」

「言われるまでもない。あと一応訊いておくが、倒せるのか?」

「余裕も余裕、大余裕。ハルピュイアなんて所詮ザコだよ。世界の幻獣TCGでいうと飛べるだけのコモンカードです。無駄にコスト重いからその手のデッキじゃないと使わないね」

 またわけのわからない例えを持ち出してきた。ここはもう突っ込むと負けだろう。

「女! まずはてめえから八つ裂きにしてやんよゥ!」

 十メートルほどの上空からハルピュイアが滑空してくる。鋭い鉤爪に緑色の液体が付着しているのを紘也は見た。ハルピュイアの毒だ。

「そんなもんでこのあたしを殺れると? まったく、力量の差を計れない奴は愚かだね」

 余裕綽々とウロはハルピュイアの突進を避け、片翼を掴んだ。そのまま見事なジャイアントスイングへと移行し、投げるのではなく思いっ切り地面に叩きつけた。

 奇声を発するハルピュイアに、ウロは撓るような踵落としで追撃する。ドゴッ、と普段は聞かないような生々しい音が響き、ハルピュイアはビクンと体を跳ねて吐血した。

 しかし、それでお終いになるほどハルピュイアは脆くなかった。両翼で地面を叩いて跳ね起き、その勢いのまま体を捻って毒爪の蹴りを放つ。

 ウロはあれだけで倒せたと思っていたのだろう、反撃してきたハルピュイアに目を丸くしつつ、毒爪を腕で受け止めてしまった。

「いやぁ、今のはちょこっとビックリしたね」

「な、なんなんだ、てめえは」

 ハルピュイアの声には明らかな怯えが含まれていた。毒爪が食い込んだと思われたウロの腕は、淡い金色の鱗らしきものでびっしりと覆われていたのだ。毒爪はその鱗に傷一つつけていない。

 ハルピュイアの怯えを含んだ視線を浴びたウロは――嘲笑した。

「ウロボロスさんの鱗は硬度10000なのですよ」

「ウロボロス……だと……」

 ハルピュイアの顔がみるみる青くなっていく。そして勝てないと悟ったのか、ウロから飛び退くやいなや大空へと逃亡した。なんという潔さだ。

「うちの亭主を襲っておいて逃げられると思ってるの?」

 誰が亭主だ、というツッコミはどうにか心の中だけに止めておいた。今彼女の気を散らすわけにはいかない。

 ウロは顔の前で右掌を上に向け、ぐ、となにやら力を込める。すると、その掌の上にバスケットボールくらいの光球が出現した。ウロはニヤリと口元を歪め、その光球を、振り向くことなく逃走するハルピュイアへと投擲した。

 光球はまさに光速の勢いでハルピュイアへと迫り――

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」

 直撃し、破裂。光が雷光のように広がり、焼け焦げた塊が黒煙を引いて空の彼方へと飛んでいく。

「ふう、ギリギリ結界内でよかったよ」

 わざとらしく汗を拭く仕草をするウロボロス。その腕からは既に鱗が消えており、元の健康的な白い玉肌に戻っている。

 もう安全だということを確認し、紘也は彼女に歩み寄る。

「ウロ、お前今なにをやったんだ?」

「ん? ああ、具象化した魔力に攻撃性を持たせて投げつけただけだよ。気功弾ならぬ魔力弾。魔力さえ制御できれば紘也くんにもできるよ。あ、人間は媒体がいるんだっけ? 杖とか」

 紘也にできるできないはいいとして、聞きたいことはもう一つある。

「あの鱗みたいなのは?」

「正真正銘、あたしの鱗だよ。縮小して纏わせたの。人化時の防御壁。その名を〈竜鱗の鎧(スケイルメイル)〉」

 中学生がつけそうなネーミングだった。ていうか、超速再生もできるのにそれはあまりにもチート過ぎる。頼もしいかぎりであるが、なんか敵が可哀想に思えてきた。

「あー、コホン。紘也、その、なんだ」

「あっ」

 後ろで孝一が呆然と突っ立っていた。それもそうだ、あんなマンガみたいなバトルを見せられて混乱しない方がどうかしている。

「どうも、オレ、紘也の親友の諫早孝一です。昨日今日と助けていただき感謝します」

 紘也の横に並んで孝一は紳士然とお辞儀した。恥ずかしいことに、どうやら孝一は紘也より冷静だったようだ。

「いえいえ、どういたしまして。いやぁ、それにしてもできた御友人だね、紘也くん。爪の垢を煎じて飲んでみてはどうかな?」

「ジャンケンでパーに勝てるものはなんだ?」

「……ごめんなさい」

 右手の中指と人差し指だけ立ててみせると、ウロは一瞬でしおらしくなった。余程目潰しが嫌いなようだ。

「なにをやっているんだ、紘也?」

 紘也とウロの遣り取りを見て孝一が怪訝そうに眉を顰める。

「いや、ちょっと調子に乗りやすい蛇を大人しくさせただけだ」

「ウロボロスは蛇じゃなくてドラゴンだよ! アラビア語でテンニーン!」

「うむ。どうやら、ウロボロスというのは本当らしいな」

 孝一の目の色が変わった。「なんで人の姿なんだ?」「それは魔力の消費を抑えて――」といった具合に質問会が開催される。我関せずを決め込んでいた紘也だったが、不意に腹の辺りが情けない音を奏でた。

「やば、孝一、早くしないと購買のパンがなくなっちまうぞ」

「ん? そうか、もうそんな時間か。愛沙も弁当食べ終わってなければいいが」

 孝一はまだ質問し足りない様子だったが、健全たる男子高校生にとって昼食抜きは拷問と同義。二人揃って更衣室へと駆け出した。

 とそこで、ウロが紘也を呼び止める。

「紘也くん紘也くん、ちょっといいかな?」

「なんだよ、手短に話せ」

 孝一に先に行くように促し、紘也はウロの下まで戻る。

「昼間でも幻獣は襲って来るんですよ」

「ああ、そうみたいだな」

「学校だろうがお構いなしなんですよ」

「うん、だから?」

 制御の利かなくなった腹が駄々っ子のごとく情けなく鳴いているため、紘也は若干の苛立ちを込めて訊き返した。

「あたしも生徒として学校に入れば今日みたいに出遅れることはないと思うんだ」

「だからそれはお前が立ち読みしてたせいだろうがっ!」

「むむぅ、それは仕方ないことなんだよ。コンビニの魔力はコタツの次に強いって知らないの?」

 初耳だ。だが、確かに生徒になればフラリと立ち読みに出かけることもできない。逆に近くで彼女の行動を監視できるのだから、悪い話ではないだろう。

「わかった、好きにしろ」紘也は手を適当な感じに振り、「その代わり、手続きとかは全部一人でやれよ。俺は一切関与しないからな」

「やったイヤッホーッ! これで憧れの学生生活ってものをエンジョイできますぜい! ドンドンパフパフ! 紘也様に感謝感謝♪」

 どうしても紘也の警護がついでにしか聞こえないが、それよりも昼飯だ。午後の授業は非常に頭を使う物理と数学。食い損ねると高確率で死ねる。

「ところで手続きってどうすんだろ? ねえ紘也くん、そこだけ教えてくんない?」

「校長に『君カワイイね合格ぐっへっへ』と言わせたらオーケーだ」

「オゥ! それはまた簡単ですな!」

 勝手に盛り上がっているウロは放っておいて、紘也は着替えるために更衣室へ急いだ。


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