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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-04
146/228

Section3-3 生ける屍

 裏口から突入した孝一と劉文海はオフィスビルの廊下を音もなく疾走していた。

 人の気配はないが、誰にも見つからないよう慎重に、監視カメラにも映らないよう隠密行動を徹底する。既に後輩たちが調べ終えているかもしれないが、念のため一階部分から隈なく探索を行っていた。

 ――はずだ。

「妙だな」

「せやな」

 孝一は立ち止まって窓の外を見る。建物の間取りからすれば、本来なら道路を挟んだ向かい側にカフェテリアのチェーン店があるはずだ。

 だが現実は、そのカフェテリアが入っている三階建てビルの屋上が下に見える・・・・・

「文海さん、オレたちはいつの間に五階まで登ったんだ?」

 階段やエレベーターは使っていないし、まだ見つけてすらいない。

 なのに、孝一たちはどういうわけか五階にいる。

「ビル全体の空間が捻じれてるようやな」

「神殿化の影響か?」

「やろうな。侵入者を拒むために経路をめちゃめちゃにしとるんや。どこをどう繋いどるかわからんことには、ボクら、敵の顔すら拝めへんで」

「……」

 孝一は試しにナイフを窓ガラスに投げつけてみる。ガラスは割れたが、ナイフや破片は隣の窓を突き破って廊下に散らばった。

「脱出も難しそうだな」

 来た道を戻っても恐らく出口には辿り着かないだろう。術者を殺すか、神殿化の術式を破壊する必要がある。

 秋幡紘也だったら魔力の供給元を一発で発見することも可能だろうが、孝一は魔術的な『臭い』を嗅ぎ取る特殊な『勘』のみで虱潰しに探さなければならない。

「あんたは術式の探知とかできないのか?」

「このビル全体が魔力に満ちてるようなもんや。ボクの魔術やと、いやボクやなくとも、それがどないなもんかわからへんと探すんは無理やなぁ」

 劉文海は残念そうに首を振ったが、すぐにその糸目の顔をニヤリと歪ませる。

「せやけど、この狂った空間を把握するくらいやったら可能やで」

「やってくれ」

「簡単に言いまんなぁ」

「難しいのか?」

「いやいや、簡単やけど、ちょっと準備に数分いただきますっちゅうこっちゃ」

 そう言うと劉文海は漢服の袖から白のチョークを取り出した。それからその場に屈み込むと、廊下にチョークで素早く八角形の陣を描いた。八角それぞれに『ケン』『』『』『シン』『ソン』『カン』『ゴン』『コン』という文字が読み取れる。

「〈伏羲八卦次序〉――繋辞上伝にある宇宙の万物生成過程に基づいた、太極から陰陽、陰陽から四象、四象から八卦となる流れを順序立てて表した図や」

 一分ほどで陣を書き終えた劉文海が立ち上がって説明する。

「『八卦』っちゅうもんは伏羲――中国神話の神または伝説上の帝王が天地自然に象って作ったとされとるもんや。自然、性情、家族、身体、そして方位。この『卦』の形がそれら様々な事物事象を表しとってな、一般的にも占術やら風水やらに使われることが――」

「説明はいい。始めてくれ」

「つれへんなぁ」

 少し寂しそうに肩を落とす劉文海だが、長くなりそうな説明をいちいち聞いていられるほどの時間的余裕はないのだ。

「ほんならやるで。もうあと一歩二歩下がっといてくれます?」

 言われた通り孝一は陣から数歩下がった。劉文海は持っていた扇を陣の真上の空間にそっと乗せるように置く。すると扇は重力を無視して浮遊し、陣の周囲を時計回りに円運動を始めた。

「……」

「……」

 孝一にはなにをやっているのか理解できないが、劉文海はただ黙々と細い目で扇の運動を凝視している。

 そのまま約三分が経過した時、唐突に孝一の頭に直接イメージが流れ込んできた。

 空間が捩じれて繋がった建物全体の見取り図である。

「どや? 孝一はんにも見えたはずや」

「ああ、便利なもんだ」

 劉文海を同行させたのはやはり正解だったようだ。どこをどう行けばどこに辿り着くのか、見取り図を思い描けばはっきりとわかる。

 しかもそれだけじゃない。どこに結界や神殿化の核となるものを配置すればいいのか。その候補も孝一は魔術師を暗殺するために身に着けさせられた知識でいくつか絞り込めた。

「こっちだ。まず最上階から洗い出す」

「ちょい待ち、孝一はん。誰か来よるで」

 再び走ろうとした孝一を劉文海が呼び止める。言われなくても孝一も気づいていた。だからこそ早急にこの場を去ろうとしたのだが、どうやら鉢合わせは不可避のようだ。

 気配からして魔術師ではない。キリアン・アドローバー以外との接触は極力避けたかったが、仕方ない。

 廊下の角から一人の男がフラついた足取りで歩いてきた。スーツ姿のサラリーマンといった格好の男だ。

「ビルに閉じ込められた社員はんやろか?」

「そうだろうな。普通じゃなさそうだが」

 男は、左肩から右脇腹にかけて刃渡りの長い刃物でバッサリと切り裂かれていた。遠目で見ても致命傷だとわかる。それでも男は足を動かし、助けを求めるように手を伸ばして孝一たちに近づいてくる。

「まさか、孝一はんのお仲間がやったっちゅうことはないやろな?」

「違う。オレたちは暗殺者だ。あんな派手で無駄の多い殺し方はしない」

 それに見たところ血は止まっている。十数分前に潜入した後輩たちがやったにしては傷口が古過ぎる。

 眼球は焦点が合っておらず、肌は嘘みたいに血の気を失っている。

 あんな傷を負い、手当てもせず血が止まっているということは――

「アレは死体だ」

 見抜いた瞬間、ゆっくりと歩いていた男が突如として床を蹴り、爆発的な速度で孝一たちとの距離を縮めてきた。

「チッ!」

 異臭のする口を大きく開いて喉を噛み千切ろうとする男の頸動脈を、孝一は擦れ違い様にナイフで切り裂いた。

 僅かに飛び散る赤い液体。男は動きを止めず、苦しげな呻き声を上げながら今度は劉文海に飛びかかった。

「嘘やん!? このあんちゃんゾンビ化しとるがな!?」

 劉文海は男をひょいっとかわして蹴り飛ばす。足が変な方向に曲がったが、それでも男は何事もなかったかのように立ち上がった。

 ゾンビ。

 ホラー映画などの定番とも言える〝生ける屍〟だ。ブードゥー教の呪術を起源とし、死者を蘇らせ術者に忠実な操り人形として労働させる目的で編み出された存在である。

 術者に操られている内はいいが、そうでなくなった時にただの死体に戻らず動き続けた場合は、無差別に人を襲い肉を喰らう怪物と化す。知性はないが動作が緩慢ということもなく、今のように力のセーブが利かなくなっているためとてつもない馬鹿力を発揮する。

「おい! キリアン・アドローバーは死霊術師ネクロマンサーかなんかなのか!?」

「ちゃう! ゾンビ化はキリアンの能力やない!」

 喉を切られようと足を折られようと襲ってくるゾンビをいなしながら孝一と劉文海は叫び合う。

「妖刀〈朱桜〉や! あの刀は血ぃ吸って強ぉなるだけやない! 斬った相手に呪いを植えつけ、吸った血を媒体に意のままに操るんや!」

「待て! そんな話聞いてないぞ!」

「意のままに操れるんは術者に相応の技量がある場合や! キリアン・アドローバーのドアホにそないな技量はなかったはずや!」

「そういえば、他にも能力があるみたいなこと言ってたな……。チッ、だったらあんたらはキリアンに一杯喰わされたってことだ!」

 弱小組織の中で力を隠してなにかを狙っていたのか、それとも組織崩壊後に力をつけたのかはわからない。一つ言えることは劉文海の持っている情報は古いということだ。

 だいたい、大規模組織である『払暁の糧』から窃盗に成功している時点で実力は推して量るべきだった。

「孝一はん、頭や! 妖刀が操っとる言うても、実際に死体を動かしとるんは脳からの信号や! 頭を潰せば動かへんようなる!」

「了解」

 孝一は床を蹴り、壁を蹴り、立体的に飛び回ってゾンビを攪乱する。そして隙を見つけ、あちこちが折れ曲がってもうほとんど正しい人の形を留めていないゾンビの頭に躊躇なくナイフを突き刺した。

 ゾンビは奇声を上げてしばらくもがいていたが、やがて糸が切れたように倒れて動かなくなった。

「流石やな。弱点教えた手前言うのもなんやけど、もしかしたら助かるかもしれへんのにもうちょい躊躇ったりせえへんの?」

 胡散臭く拍手なんかしながら劉文海は何気ない調子で訊いてくる。孝一はゾンビ化した男を一瞥すると、ナイフに付着した僅かな血を払って淡泊に告げる。

「これは死体だ。生き返ることはない。だったら早く眠らせてやるのが優しさだろう」

「なるほどなぁ。そらよかったわぁ、孝一はんがそういう考えやったら――」

 劉文海は糸目を少し開いて持っていた扇を投げた。それは孝一の頬を掠るスレスレで通り過ぎ、背後から迫っていたゾンビ化した女性社員の首を斬り落として動かなくさせる。

「ボクも、偽善者ぶった言葉に止められることなく処理できるってもんですわ」

 劉文海はそう言いながらピアノ線かなにかで繋がっているのだろう扇――ただの扇ではなく鉄扇を手元に手繰り寄せた。

「どうも、このゾンビはんらはさっきボクが使た〈伏羲八卦次序〉の術式に反応して集まってきたようやな」

「ああ、ここからが本番みたいだ」

 孝一と劉文海は冷や汗を掻きながら自然と背中合わせになる。

 廊下を埋め尽くすような勢いで、ゾンビ化した会社員たちが二人を取り囲んだのだ。

「一点突破するぞ」

「そうするしかあらへんなぁ」

 孝一と劉文海は頷き合うと、同時に同じ方向へと疾駆した。


 その次の瞬間――ドゴォオオオオオン!!


 下の階から、けたたましい爆発音が響いた。


        ∞


「うわぁ……」

 路地裏から顔だけを出した美良山仁菜は、オフィスビルの正面入口に突入する黒装束の集団を見て思わず変な声を出してしまった。

「なんですか、あのヤバげな人たち?」

「アレは葛木家ッス。もう嗅ぎつけて来るとは流石ッスね。先輩に連絡したいッスがやっぱり繋がらないッス」

 同じように顔だけを出して様子を見ているジョージが残念そうに携帯電話を仕舞う。葛木家と言えばこの蒼谷市に居を構える陰陽師の一派だ。街に魔術的な異変があれば出てくるのは当然だろう。

「えっと、敵じゃないんですよね?」

 葛木家も連盟に加入している組織の一つだ。ということは寧ろ味方と思うべきなのだろうが……ジョージは浮かない顔をしていた。

「微妙ッスね。オレらって連盟内部でも非公式ッスから、あんまり見つかりたくないんスよ。特に先輩は表の顔の知り合いもいるッスからね」

「……女ですか?」

「はい?」

 ジョージは困ったように眉を顰めた。美良山の質問の意味が理解できなかったようだ。

 改めてわかり易く訊ねる。

「その孝一先輩の知り合いって、女の人ですか?」

「あー、そうッス。葛木香雅里さんっていう今の宗主のお孫さんッス」

「呪っていいですか?」

「……は、跳ね返されるのがオチと思うッス」

 美良山から滲み出る黒いオーラを感知したジョージは顔を引き攣らせて後ずさった。

「まあいいです。とにかく状況的にはよくないっぽいですね。どうしようか、シトロンちゃん?」

 見習いになって日が浅い美良山は、一応先輩にあたるシトロンを無視して勝手な行動は取れない。少々煩わしいが、美良山も下手に動いて面倒な事態になることは避けたいのでまずは彼女に意見を求めた。

 だが、彼女からの返答はなかった。

「シトロンちゃん?」

 振り向くが、さっきまでそこにいたはずの少女の姿はどこにもなかった。

「あれ? どこ行ったんだろ……?」

 美良山に黙っていなくなることなど今までなかったが、右を見ても左を見てもシトロンらしき人影は見当たらない。それどころか、葛木家が人払いをしたせいかこの辺り一帯から一般人は自然と消え去っていた。

「もしかして人払いに引っかかっちゃった? シトロンちゃんもまだまだだね。まあ、たぶんトイレだと思うけど」

 特に気にもせずそう思うことにして、美良山は彼女が帰って来るまで見張りを継続することにした。


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